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74.先刻アリスに言われた言葉が引っ掛かり、最後の晩餐が始まっていたことに……。

 先刻アリスに言われた言葉が引っ掛かり、最後の晩餐――というにはまだ早い時間帯だが――が始まっていたことにすら気付かなかった。


 城館の広間にて、葡萄酒を入れた杯を片手に激励を飛ばすウィリアム様の言葉も、限りある食材でどうにか作った料理を配膳する侍女達の喧騒も、今この瞬間を心に刻もうとする戦士達の静かな集中も――私には随分と遠いもののように思えてならなかった。


 現実味がないとでも表現すれば良いのか。

 透明な薄い膜を隔てているかのような。

 あるいは別次元の出来事を、映写機で目にしているかのような。

 いずれにせよ、地に足が着かぬ感覚であった。


 事実、足許が覚束ず、広間の隅に置かれた長椅子に座り込み、漫然とした時間を漂うことしかできずにいた。

 一体全体、何が私の心を捕らえて放さずにいるのかといえば。


 ――私は、その時が来たら。


 誰かを殺せるのだろうか。殺してしまえるような人間になってしまうのだろうか。その時に、私は私で居られるのだろうか――という際限の無い疑問ないし恐怖であった。


 従軍するのだから、いざという時に備えて鎧や兜を装着するのはまだ良い。いくら日本でぬくぬくと育った私でも、これが必要なことだと容易に理解できる。


 けれども。


 私の左腰、革帯ベルトから吊された幅広で寸胴な直剣――『ブロードソード』はどういうことだろうか。万一に備えて、丸腰でいるよりは良いことは分かる――ような気がするのだが。誰かを護るためには、時として武力が求められることも。言葉だけで平和平穏が護られるということが所詮綺麗事でしかないことも分かっている。


 だが、肝心の心情が。

 本能が萎縮してしまった。


 私は生まれてこの方、武道や体術を嗜むこともなければ、殴り合い掴み合いの喧嘩をしたことも勿論もちろんない。人を殺したことなど言わずもがなである。そんな者に、他者を殺害するための武器を渡したところで一体何になるというのか。

 大切な人を護るため、己の尊厳を護るため、地位や職務の象徴――どんなにそれらしい言葉で取り繕った所で、所詮は、人が人を殺すための凶器でしかないのだ。


 人殺しへの禁忌が。

 生理的嫌悪感があるせいで。


 私は未だに柄を掴むどころか、指一本たりとも『ブロードソード』に触れられずにいた。これを抜かずに済むように祈ることしかできなかった。


 目を閉じた儘、考えを巡らせる。


 これから先、私は。否、私達はどうなってしまうのか、と。

 伝令隊は無事王都に辿り着いて祖父に交渉を請願できるのだろうかと。月の都に体躯訳した近衛師団は防衛戦の準備をつつがなく進めているのだろうか。果たして、宗教と歴史的価値のある建造物しかない街で、どれだけ抵抗できるというのか――。


 私達第一騎士団だって見通しは明るいものではない。

 弟は、私達第一騎士団が――正確にはウィリアム様の後方が――一番安全だと述べてくれた。そして私もそれに一応の納得はしたけれど。それはあくまでも先に挙げた二部隊と比較しての話である。戦場に出るのだ。絶対の保証がある訳がない。


 ――仮に、である。


 私の大切な者達が傷付きたおれてしまったならば、私はどうすればよいのか――()()()()()しまうのか。平静を保った儘、奇跡を使うことができるのだろうか。


(精神的にも身体的にも疲労は残っている。『秘めた祝福』、『女神の祝福』は腰袋に収めてはあるが、やはり不安なものは不安である。怖いものは怖いのだ)


 いつか夢に見た、ウィリアム様の死に様が脳裏をよぎる。

 ドクニンジンの花弁が供えられた、月光に照らされる美しいかんばせが。


 ――あれは正夢ではないのだろうか。


 花言葉は、あなたは私の命取り――。


 彼に何かあったなら、私は今度こそあの月を墜とさなければならない。

 かつて弟がそうしたように。


 ――爺様は、姉貴に何かさせるつもりでこの世界に呼んだんだ――。


 弟の、意味深長な呟きが蘇る。

 そして、天啓にも似た閃きが。


 ――ともすれば祖父は。


 私にあの満月を――。


 そこまで考えた時。


「葉月殿。お隣、宜しいですか」


 私の思考は中断した。目を開ければウィリアム様が立っていた。


「勿論です。どうぞ」


 ほんの少しだけ横に移動して彼の座る空間を作ってやれば、彼は何の躊躇もなく隣に座った。膚と膚とが触れ合う距離ではあったが、互いの手甲に阻まれて体温ぬくもりを感じることはできなかった。


「顔色が優れませんよ。緊張されているのですか」

「……そう、ですね。これから征かんとする皆には言えないことですが、怖くなってしまいました」

「怖い? 何がですか。あなたのことは、私が――いえ、他の者達が命に替えてでも護るでしょう。心配は無用ですよ」

「……ウィリアム様は、いないのですか」

「私は先陣を切って戦うのが役目ですから。葉月殿には後ろ詰めの者達がつくでしょう」

「……そう、ですか」

「浮かぬ顔ですね。何か懸案事項がおありですか?」

「ウィリアム様が危険なところにおもむくことが、です。何事もなければ良いのですが」

「大丈夫ですよ。少なくとも、砦二つを奪取するところまでは目処がたっております。もっとも、そこから先は実力勝負になるでしょうが」

「…………」


 それはつまり。

 何の光明も見出せない――死に物狂いの突撃ではないのか。

 そう思ったが、皆がいる手前口には出せない。

 視線だけで抗議すれば。


「そのような顔をしないでください。私は、絶対にあなたの許へ帰ってきますから。仮令たとえ()()()()()()()()()()()()()()

「どうして、そう言い切ることができるのですか」


 気休めなら結構です、と私が言えば。


「秘策があるからです。これだけは使うまうとしていた奥の手が」


 と彼は淀みなく答える。


「奥の手、ですか?」


 彼は、すぐには答えなかった。

 手甲を外し、私の髪をそっとくしけずる。


 壊れ物を扱うような、優しい手付きであった。その指にはひとつの指輪が嵌められていた。埋め込まれた黒く円い宝石は、まるで人間のまなこのようで。私を凝然と見詰めて嘲笑した――ような気がした。



*     *     *



 月光の照る夜である。


 仮面の騎士オスカーは、目の前の骸を静かに見下ろしていた。

 近衛隊の甲冑に身を包んだ間諜である。


 ――あの時、確かに己は死んだ。


 間諜の放った槍は首を貫き、頸動脈も突き破った。神経毒も塗られていた。間違いなく失血死はまぬがれれなかった。だが、文字通り首の皮一枚繋がった。


 それは、平生から自身にかけていた奇跡『惜別の涙』の効果もあったし、懐に仕込んでいた折り鶴に込められた奇跡『大回復』と『治癒の涙』の効果もあっただろう。寸前のところで死なずに済んだ。どちらか片方だけでは死んでいた。両方あって意味を成す、間違いなく幸運であった。


 ――これも日頃の行いってヤツかねえ。


 あの聖女と侍女には感謝してもしきれねえ。御礼の一つでもしなきゃ均衡バランスが取れなくて据わりが悪いぜまったく。しかし何をすれば良いのやら。馴染みの花屋にでも寄って一束拵えてもらうのが安上がりだろうか。俺がモノを贈った女性は皆不幸になるのだからどうにも苦手なんだが――。


 ――まあ、そんなことどうでもいいか。


 問題はこの男である。

 オスカーは、革帯に下げた『鎧貫き』を引っ掴み、男の頸に深々と差し込んで――ぐるりと掻き回し、改めて死んでいることを確認する。屍は屍の儘であり『人の膿』に変化しないことも。


 この間諜は、オスカーの死を碌に確認もせず、すぐにその場を去った。そして、城壁の下を潜り抜けるように掘られた隧道トンネルに飛び込んだ所を、背後からオスカーに奇襲され、そのままあっけなく死んだのだ。


 オスカーは進入経路さえ分かればそれで良いと思っていた。故に即刻の復讐を果たしたのだが――いささか早計であったと思わないでもない。内通者が他にいないとも限らないし、その甲冑はどこで入手したのか、殺して入れ替わったとしたら、その屍体はどこにあるのかなどと尋問ないし拷問すべきであったと後悔するが後の祭りである。


 屍体の兜を蹴り飛ばし、露わになった頭部から両耳を削ぎ墜とす。神に敵対する者をほふったという復讐の証明――『約定の証』である。


 ――さて、これからどうするべきかねえ。


 オスカーは懐から煙草を取り出して、一本をくわえた。そしてオイルライターで着火する。最初の一口はゆっくりと、空気と混ぜ合わせながら喫う。今は亡き兄から教わった喫煙の作法――クール・スモーキングであった。


 何食わぬ顔で自軍に合流して突撃隊の一員となるもよし。それとも己の生存を秘匿し続け、遊撃部隊として好き勝手に動き回るのも悪くない。己の性分や戦闘スタイルを鑑みると、単独行動の方が気楽なのだが――。


(己の生存くらいは報告するか。何より間諜を始末したことを、そして進入経路くらいは上に伝えるべきだろう。あとは参謀サマに指示を仰ぐべきだ)


 空を見上げれば、丸々と肥えた望月が夜空にぶら下がっている。


「…………」


 完全に死んだと思った。

 今度こそ、あの娘が待っている月へ召されるものと思って期待すらしていたのだが――。


 だが、生き残った。

 生き残ってしまった。


 ――ふん、くだらない感傷だ。


 己は、復讐することでしか生きることができない修羅である。

 それに、死者が月に昇るなど所詮は戯れ言だ。

 人間は死ねば腐る。

 自我は脳髄が作りだした幻影だ。

 宗教だとか信仰だというのは、皆全て後付けの理由だ――。


 そこまで考えた時、オスカーは嫌な予感を覚えた。

 己が知る限り、月を墜とさんとする理由を持つ者がひとりいる。だが、そいつは既に力を失っている。その反対に、月を墜とす道具も力もあるが、そこまでの理由が無い者がいる。


 オスカーが今の今まで抱えていた疑問。


 ――何故、聖女がこの世界に召喚されたのか。


 これが解消されたような気がした。


 そしてもうひとつ。


 もし、法皇が本気で月を墜とそうとしているのならば、己は何が何でもこの街を護らなければならない。あの娘と共に生きた街を、世界を、これ以上穢したくはなかった。


 オスカーは煙草の先端に灯った火を靴の裏で揉み消すと、『Caster(キャスター)』の吸い殻を放り捨てた。

※書き溜めが尽きましたので休眠に入ります。くぅ疲。続ければ続けるほどクオリティが下がっているような気がするため、100部到達までには物語を完結させる予定であることを予め明言させていただきます。もし100部に到達してもはみ出す場合は、その次点で打ち切らせていただきます。何はともあれ、もう少々ばかりお付き合いの程、何卒よろしくお願い致します。

※フロムソフトウェア製ビデオゲーム『DARK SOULSⅢ』および『ELDEN RING』好評発売中!!!

※ エ ル デ ン リ ン グ の バ ラ ン ス 調 整 ま だ ?

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