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73.「カイル君。もう起きて平気なの?」

「カイル君。もう起きて平気なの?」


 私が尋ねれば、お陰様でどうにか起きて動き回れるようになりました――と彼はお辞儀をする。


「本当になんと御礼を申し上げて良いのやら。まさか人間であることがこれ程までに素晴らしいことだと感じる日が来るとは思いもしませんでした」


 はきはきと述べる彼の様子に変異は見受けられない。

 強いて言えば少々ばかりの疲弊が見え隠れする程度である。


「月蝕病を治すなんて葉月は本当に凄いのね。まさに聖女様だわ。びっくりしちゃうわ」


 お喋りを邪魔されたと思ったのか、どこか拗ねたようにアリスは言った。


「そんなことないよ。本当に凄いのはカイル君の方だもの」


 そんなふうに拗ねちゃ駄目よ、と言いながら彼女の髪をかして編み込めば、私の髪で遊ばないでよ、と抗議はされるものの抵抗はなかった。すぐに裏編みの髪型がセットできてしまう。


「こうして見ていれば姉妹さながらですね。しかし僕が凄いですか? 好き勝手に暴れようとしていた記憶しかないのですが」

「それでも、ぎりぎりのところで踏みとどまろうとしていたでしょう? 私にはその声がはっきりと聞こえたんだもの。だから奇跡で何とかなったんだと思う。きみが本当に、本能に呑まれてしまったら、きっと助からなかったと思うし、周りの皆も酷い被害を受けていたと思うよ」

「そう言われると何だか面映ゆいですね。自分の諦めの悪さというか、生き汚さにまさか感謝する日が来ようとは。ごうつくばりの商家に生まれて良かったですよ本当に」

「それで、商人のご子息様がどうしてこんなところに? 暇つぶしに来たわけじゃないのでしょう」


 会話が落ち着くのを見計らっていたのか、アリスがちょうど良いタイミングで尋ねる。口調がどこか刺々しいのは――この二人は相性に依るところだろうか。両者共にオスカーさんを慕って、年齢も兄妹或いは姉弟のように近いのだが、それが却って友好の妨げになっているのかもしれない。


「それは勿論もちろん。葉月さん、参謀殿から一件ことづかっております。葉月さんが着る武器防具の用意ができたので倉庫までお越しいただけませんか」

「武器と防具?」

「ええ。葉月さんが攻撃の奇跡も修めていることは僕達も承知しておりますが、万一に備えて軽い直剣や短剣ぐらいは佩用すべきでしょう。それに、そのままのお召し物では、身を守るには少々不安かと。怪我を防ぐためにも鎧などを身に着けた方が宜しいでしょう」


 事前に台詞を用意していたのか、カイル君はすらすらと説明する。


 確かにその通りであった。今の私は、上下黒の洋服に――愚弟に言わせればモノトーンを勘違いした喪服なのだとか――純白の外套クロークを羽織っているだけである。靴だってそう品質の良いものでもない。従軍するとなっては、あまりにもあんまりな格好である。


「でも、鎧なんて着たことがないから勝手が分からないよ」


 傷の手当てのために胴紐を切って脱がせたことはあっても、着たことは当然ない。不安になって尋ねれば。


「それなら私が手伝うわ。それならいいでしょう」


 とアリスが間に入ってくれる。


「ああ、むしろ助かるよ。流石に野郎共に手伝わせられないからね。それでは倉庫まで案内します。用意は宜しいですか?」

「うん。いつでも大丈夫。アリスは?」

「私も平気」

「ところで、どうしてアリスは鎧の着方なんて知っているの」

「私だって実は戦えるのよ。それに皆が着替えるのを手伝ったりするし、間近で見ていたらいやでも覚えてしまうわ」

「そうだったの?」

「団長に護身術程度だけでも修めなさいって言われて。だからまあ、木盾と木剣で打ち合うくらいはできるわ。流石に馬術と槍術までは、まだまだ修行中だけれどね」


 アリスは誇らしそうに言った。


「凄いわ。私なんて剣すらも持てそうにないのに」


 私が褒めれば、彼女は本当に凄いんですよ、とカイル君が同意する。


「あら? 何よ今更」

「僕が初めてここに来た時、団長から、彼女との稽古で一本取ったら前線に配属してやるって言われて。謂わば昇格試験を任されるくらいの腕前なんです。最初こそ、団長は何を馬鹿なことを言っているんだろうと思いましたが――まあ案の定とでも言いますか惨敗でした」

「それは私だって、商家で余所者の次男坊なんかに負けるわけにはいきませんもの。でも、あんただって魔術は禁止されていたし得物だって短剣一本だけだったじゃない。私から見たら勝って当然の試合だったわ」

「そうは言うけどね、アリス。女の子に、皆の前で転がされるあの悔しさは君には分からないだろう」


 憐れっぽく笑いながらカイル君は言った。


 私には体術や武道の心得がないため、剣と盾でカイル君をやり込めたアリスが凄いのか、それとも短剣ひとつで勝利をもぎ取ったカイル君が凄いのかが判らない。


「カイル君はどうやって勝ったの?」


 だから聞けば。


「蹴ったんですよ」


 と気まずそうな返事がくる。


「蹴った?」

「そ。盾を思いっきり蹴り上げられて、私が転んでしまったのよ」

「今だから言うけど、あまりにも悔しかったものだから脚が勝手に動いたんだ。ああ、そうだ。今度、また稽古に付き合ってよ。君から取れたのがあの一本だけというのは流石に堪えるんだ」

「時間なんてそうそう取れないわよ。それに今度っていつよ」

「この戦争が終わったら」


 カイル君は即答した。

 何の思惑もない、素直で真っ直ぐな瞳であった。


「……そうね、その時が来たら相手をしてあげるわ。条件は、この間と同じでいいの? 私が盾と剣で、あんたは短剣一本。魔術も奇跡も道具も禁止。それでいい?」

「それは流石に不公平じゃないか。せめて僕にも盾と剣を持たせてくれよ」

「厭よ。それなら私は大盾を持つわ」

「そしたら誰も僕に賭けないじゃないか」

「いるわよ。心当たりがあるわ、ひとりだけ」

「誰?」

「オスカーよ」

「…………」

「分の悪い賭けほど楽しむ悪癖があるのはあんたも知ってるでしょ。何せ、替え玉説に当の本人が大金貨一枚を気前よく払うくらいの阿呆なんだから」

「ちなみに、君はどっちに賭けたんだい?」

「言わないわよ。でも、そうねえ」


 少しだけ考えてから。


「あんな馬鹿、ひとりで十分に決まってるでしょ」


 とアリスは答える。


 第一騎士団の将来を担うアリスとカイル君にしかできない遣り取りであり、その二人にあつく慕われているオスカーさんのことが羨ましくなってしまった。


「まあ、先輩のことは置いておいて。とりあえずこういう経緯があったものですから、彼女は他の団員なんかよりも、よほど頼りになります。葉月さんは何も心配する必要はありませんよ」


 カイル君はそう言って笑った。


 ……………………。

 …………。


 倉庫に着けば。配下にあれこれと指示を飛ばしていたアルフィー様が振り返る。そこに、組合長を見送った先刻の郷愁は見受けられない。死期を悟り、それでも前進する覚悟を決めた魔術師の顔である。


「聖女殿。既に用意は済ませております。中でお着替えください。カイル、お前は城壁に行って警邏組と交代してやれ」


 指示を受けたカイル君は、私に一礼して駆け足で去って行った。


「アリス、悪いけど、色々と教えてくれる?」

「もちろん。任せてちょうだい」


 私が頼めば、彼女は意気揚々と頷く。


 倉庫に入れば、服飾模型マヌカンのように甲冑を着せた人形がずらりと並んでいる。アリスが選んだのは『兵士の鉄兜』と鉄製の胸当て、キルト刺繍が施されたズボンである。革帯ベルトの左腰には寸胴な直剣を提げる(『ブロードソード』と呼ばれるものだろう)。私の筋力と技量では満足に扱うことができないと伝えたが、持っているだけで脅しにもなるし、丸腰でいるよりも不安が少なくなると諭され、結局そのまま佩用することになった。


 曇った姿見で自分の姿を見れば――例えるなら鎧に切られている新兵だろうか。これで『スピア』や『カイトシールド』を持てば、前線に立たない『伝令(Herald)』に見えるかもしれない。


「ねえ。アリスは剣も盾も使ったことがあるんだよね」


 ちょうど良い大きさの腰袋ポーチがないか木箱を物色しているアリスに問い掛ける。


「ええ、そうよ。軽いものなら弩や弓も、槍だって一応は使えるわ」

「……それなら、人は殺したことは?」


 アリスは、手を止めて私へ振り向いた。


「そんなの無いわよ。だって戦に出たことがないんだもの」


 と答えた。続けて。


「葉月は怖いの?」


 と尋ねる。


「それは――そうだよ。誰かを傷付けるのは――ううん、殺さなければ逆に私達が殺されるんだと頭では判っていても、そう簡単には割り切れない」

「葉月は、優しいんだね」


 優しい? 

 これは優しいと言ってよいのだろうか。

 甘いだけではないのか。


 発言の意図が掴めずに戸惑っていれば。


「私が葉月の立場なら仲間を護るために容赦なく武器を振るうわ。そのために私は強くなったんですもの」

「…………」

「でも――そうね。割り切れないのであれば、それはそれでいいんじゃないかしら」

「どういうこと?」

「葉月には葉月にしかできないことをすればいいのよ。奇跡を使って皆を癒やしてあげること。葉月を護るのも、葉月の代わりに誰かを殺すことも、きっと他の人がやってくれるはずよ。足りない所を補い合うのが仲間なんだから」

「…………」

「だから、あなたはあなたのままでいいの。必要だからと。誰かを護るためだからといって、他人を殺して平然としていられるのも、それはそれで違うでしょう? 私は、葉月がそうなったらとても嫌。優しくて、勇気があって、それでも少しだけ臆病な――今のあなたが好きよ?」


 そう言って、アリスは人好きのする笑顔を浮かべた。


「ありがとう。私も、あなたのことが好きだよ」


 素直に感謝を述べれば、どういたしまして――とアリスははにかんだ。

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