71.唐突に告げられた事実は、頭を金槌で殴打されたかのような衝撃を齎した。
唐突に告げられた事実は、頭を金槌で殴打されたかのような衝撃を齎した。
オスカーさんが。
アリスの想い人が。
憎まれ口を叩いてばかりの。
祖父に師事していたという男が。
――死んでしまった?
こう言っては自分が薄情者のように聞こえるが、オスカーという人物の死そのものは然程問題ではなかった。悲しみを抱けるほどの親交もなかったためである。ただ、第一騎士団という共同体における初めての死者が出たという事実に。私が何の役にも立てなかったことに、途方もない無力を痛切に感じたのは確かである。
「アルフィー様。それは本当ですか」
何かの間違いではありませんか、と尋ねてから、自身の声が震えていることに気付く。
「本当です。昨日夕刻――貴女が不肖の弟子カイルを治療してくださった直後になりましょうか。近衛隊の鎧を着て、紛れ込んでいた隠密に、咽頭を槍で貫かれて死んだそうです」
「咽頭を――」
「尤も、私もその現場を見たわけではありませんから確かな事とは言い難いのですがね。何分、目撃者は先刻の彼女だけですから。彼女の言を信じるのならばという前提が必要になりますが。況してオスカーの屍体も忽然と消えて、近衛隊に扮した下手人も未だ見付かっておりません。おや、顔色が優れないようですが、もしや責任を感じておいでですか?」
「……はい。私はオスカーさんに、自分が倒れたら安全なところまで運んでくださいとお願いしてしまいました。それが負担であったなら。原因となってしまったとしたら悔やんでも悔やみきれません。アリスにも何と詫びれば良いのか」
「お止しなさい。貴女の所為ではありますまい」
アルフィー様は、やや強い口調で私の後悔を一蹴した。同情も慰めも込もらない、寧ろ面倒と言わんばかりの淡々とした態度であった。
その氷雪の如し雰囲気の儘。
「彼奴の死は、彼奴の油断に依るものです。他人の死にそうやって心を痛めていては精神が壊れてしまいますよ。それに前言を翻すようですが、私は、まだオスカーは死んでなどいないと思うのです」
と静かに告げた。
「どうして、そう思われるのですか」
私の常識が確かなら、いくら奇跡で身体の損傷を癒やせるような世界でも、頸部を貫かれて平気な人間などいない筈である。仮に生きていても重症であろう。
「彼奴がその程度で死ぬような男ではないからとしか言いようがありませんね。信用や信頼と言い換えても良いでしょう。私にはどうにも馴染みの薄い言葉ではありますが」
「…………」
「貴女はご存じないでしょうが、奴は腕を切り飛ばされようとも、脚を千切られようとも、決して死なず、必ず生きて帰る男です。そして自前の奇跡で負傷を無かったことにできる――まさに『不死隊』に相応しい男なのですよ」
「不死隊?」
耳馴染みのない単語に聞き返せば。
「我々がしがない傭兵隊だった頃の通り名ですよ」
とやはり淡泊な言葉が返ってくる。
「いけませんね、話が逸れてしまいました。詰まるところ、奴の骸が発見されてない以上、死んだと見做すのは些か早計に過ぎると思うのです。文字通り奴は死んでも死なない男ですので。そして何より、私も貴女もオスカーという人間を覚えている」
「あ――」
そうであった。この世界においては、人間は死ねば他人の記憶から消えてしまう――らしいのだ(尤も、私はそのような悍ましい体験をしたことがないため、らしいとしか言えないのだが)。アルフィー様がオスカーさんを覚えているということは、つまりはそういうことなのだろう。
「納得していただけたようで何よりです」
「でも、そうしたら、どうして今も姿を見せないのでしょうか。酷い怪我を負っていることに変わりはないのではありませんか」
「その可能性も否定できませんが、身を隠した方が――即ち生死不明の方が何かと都合が良いからでしょう」
「都合、ですか」
「そうです。未だ正体を掴めずにいる下手人がいるわけですから、奴は隠れて報復の機会を窺っているのかもしれません。少なくとも私が奴の立場であればそのように振る舞うでしょうし、参謀としてもそのように命令します。まあ此処にいない人間の話をしていても仕方ありません。そんなことよりも貴女には本当に助けられました」
重ねて感謝を申し上げます、とアルフィー様は控え目な敬礼をしてみせる。
「えっと、何の話でしょうか」
「カイルのことです。そういえば、まだ伝えておりませんでしたね。カイルの月蝕病は無事治りました。通常あそこまで進行してしまえば殺すことでしか救えないのですが――いやはや、あれで貴重な戦力ですからね。カイルの代わりに御礼を申し上げます」
「止してください。私にできることをしたまでですから。カイル君は本当に無事なのですね」
「ええ。今は落ち着いております。意識が戻ったのは昨日の夜頃でしょうか。今は大事を取って安静にさせております」
胸を撫で下ろした私に。
「時に、つかぬことをお伺いしても?」
とアルフィー様が尋ねる。
「私は昨日の状況を直接見た訳ではありませんし、奇跡など門外漢もいいところなのですが、月蝕病を治す奇跡など初めて知りました。貴女は一体、どこでそのような奇跡を修めたのです?」
「天使様に教わりました。月光に苦しむ者には太陽の光が有効であると。ですから今の私は『太陽の光の癒し』と『太陽の光の恵み』という二つの奇跡を使うことができます。消耗が激しいため、乱発はできないのですが」
「――ふむ、天使ですか」
「はい。他の方がそのように呼んでいたのですが」
私は、背中に羽根飾りをつけた巨躯の騎士と、その肩にちょこんと座る少女のことを述べれば、アルフィー様は得心したように頷いた。
「しかし彼女は光と声を失っている筈です。そのような相手からよく学び取ることができましたね」
「それについては、きっと指輪の効果なのだと思います」
「指輪?」
「はい。祖父から贈られたものです。きっと、これがなければ、私は皆とも話すことができなくなるでしょう」
「成る程。するとつまり、その指輪には翻訳のような機能があるわけですか」
私が肯定すれば、アルフィー様の眼がきらりと光った――ような気がした。
「貴女の唇の動きが発声と一致しないことにも納得がいきました。して、その効果は人間に限定されるものなのでしょうか。例えば、鳥や獣といった人間以外の生物とも意思疎通は計れるのでしょうか?」
「私も正確に試した訳ではありませんので、はっきりとしたことは申し上げられないのですが、何となくは分かるかと思います。何分、文字も読めるようになるので」
喋ってから、今迄無意識のうちに、祖父の家で面倒を見ている猫や、厩舎の軍馬達の声を聞き取っていたことを自覚する。
「――ふむ、そうか。そういうことならば、いけるのかもしれない」
アルフィー様は瞑目して何やら考え込んでいる。
そして目を開けたと思ったら。
「聖女殿、ひとつ試験をしても宜しいでしょうか」
と前のめりになって言う。
「はい、何でしょうか」
アルフィー様は懐から『白い蝋石』を取り出して、壁に三行ばかりの文章を刻む。古代ルーン文字に似た――おそらくは表音文字であろう――短文であった。
「これが読めますか?」
「はい。ええと『この先、<ひと休み>が有効だ/つまり/<酒>の時間だ』でしょうか」
「――素晴らしい。ともすれば、あの問題も解決できる――か? いや流石に早計に過ぎるかもしれない。期待して外した場合も考えなければ」
「アルフィー様?」
私が呼び止めれば、我に返ったアルフィー様は、これは失敬つい耽ってしまいました――と笑みを深める。その参謀らしい笑顔の意味は、指輪の効果を以てしても汲み取ることができなかった。
……………………。
…………。
アルフィー様と別れた後、簡単な食事を済ませてから医務室へと向かった。第一騎士団の総員をあげて陥落した砦を取り返すということで傷病者の看護と治療を頼まれたのだ。
作戦の決行は今夜――日没を迎えてからである。
私も従軍する以上、精神力に余裕を残しておくこと、得物を握って歩けるようになる程度の、最低限の応急処置で構わないとは言われていたが――。
正直、嫌だなと思った。
無論、アルフィー様にはアルフィー様なりの意図があり、言葉を選び、冷徹に先々を見通した上での発言だったのかもしれないが。矢弾の盾になれば良いと言っているようで。どうせ死ぬのだから必要以上の労力を割くなど無駄だと言われているようで。
だから私は全力を以て皆の治療にあたったのだが。
――駄目だ、人手が足りない。
寝台は全て埋まっている。怪我の度合いは中程度が半数、重傷者が半数ほど。意識こそあり、逆に私を気遣ってくれはするものの軽傷の者などひとりもいない。
彼等ひとりひとりの容態を診て、訊いて、適切な処置を施すなど、明らかに私の許容能力を超過している。さりとて今後もあるから奇跡に頼ることもできない。
アルフィー様に頼んで人手を割いてもらうか。
いや、しかしどこにも余裕がない。
私ひとりでどうにかするしかないのだ。
女性騎士の言いつけに従い、動揺を表に出さぬようにあれこれ考えながら止血剤――『赤色の苔玉』と、消毒液代わりの酒を小皿に乗せて磨り潰して、患者の裂傷に塗布していた時である。
「葉月。大丈夫? 手伝いに来たよ!」
入口から明朗な声が響いた。
振り向けば、アリスを始めとする複数名の侍女達が立っていた。
「どうしてここに? 官舎の方はいいの」
「そっちはお医者様と侍女長に押しつけてきたわ。アルフィー様にこっちの状況を聞いたら、いてもたってもいられなくて。葉月や皆が大変なときに私達が何にもしないなんて。オスカーが大変なときだから、戦えない私達のような裏方が頑張らなきゃ。――ううん、これが私達の戦いですもの。安心して。団長の許可はちゃんと取っているから」
そう言ってアリスは笑った。他の侍女達も頷く。小さな身体なのに、その姿はとても大きくて――嘘も誇張も抜きに、後光が差しているように見えた。私は、人間という生き物は何て強くて温かいのだろうか――と感極まり、瞳が潤むのを感じた。




