70.「頼んでおいて何だけど強制はしない。自分の人生は自分で決めるべきだ」
「頼んでおいて何だけど強制はしない。自分の人生は自分で決めるべきだ。生き死にに関することなら尚更だ。ついでに言えば、指輪を使って安全な日本に逃げ帰ってくれるのが一番だ。その場合、爺様が用意した店舗が無事である保障はできないけど――」
だけど逆に考えてみてくれ、と顔を上げた弟が言った。
「戦のことを知らない素人なら、王都に行くのが一番安全で、二番目が月の都で侵攻を食い止めること、最下位の貧乏クジは突撃する死兵達だって考えるだろう。というか俺はそう説明したけど本当は全くの逆なんだ」
「逆? どういうこと」
「王都への進軍は強行軍となるはずだ。早馬を何頭も使い潰すのは当然だし、険しい崖路だって進まなければならない。何せこの作戦の要は情報の早さだ。正確な情報を、利用価値のある新鮮なうちに我らが爺様まで届けなければならない。それが伝令官の仕事だからな。けれど、その道中に横槍が入らないとも限らないんだ」
「横槍?」
「戦争を続けたいヤツなんて、ウチにも相手にもごまんといるんだ。武器商人や傭兵連中、奴隷商にとってはまたとない稼ぎ時だし、混乱を狙ったどこかの都市国家が一発カマさないとも限らない。まあ多少の誇張はあるかもしれないけど、のんびり王都を観光できるような遠足なんかじゃない。十中八九不測の事態は起こる。ここまではいい?」
「……うん、大丈夫。続けて」
「それじゃあ月の都で戦うのはどうなんだって話になるけど、これまた危険極まりない。さっきも言った通り、こっちにできることなんて散発的なゲリラ戦法程度だし、大軍が押し寄せてきたらどうにもならない。まず街は戦火に呑まれる。かといって最初から降伏なんてできやしない。こっちが無抵抗でいれば相手も非道をしないなんてのは平和な日本で育った奴の幻想だよ。相手は犬畜生にも劣る獣だと思った方がいい。何せ相手は俺達が憎くて戦争を仕掛けたんだ。男は残酷に殺されるし、女は嬲られて慰み者にされる。その原因をつくった俺が言えたクチじゃあないけれど、俺は姉貴がそんな目に遭ったら、また人殺しを厭わない化物になる。月も星も全部墜っことして、今度こそ、この世界を滅茶苦茶にしてやる」
弟はそこで言葉を切った後。
「だから、さ」
と続ける。
「こと戦争において一番安全なのは強い者の後ろなんだ。こんな言い方は狡いかもしれないけど、団長の側で護られてくれないかな。そして、もし団長が傷付いたら奇跡でも何でも使って治してやってくれないかな。多分それが、姉貴にとっても俺達にとっても最良の選択なんだと思う」
「…………」
最良の選択。
弟に嘘を吐いている様子は見受けられない。
兄と同じく、黒く透き通った眼差しであった。
私は、どうして周りの男共は、こうも覚悟を決めるのが早いのだろう――と八つ当たりに近しい感情を抱いてしまう。臆病な私にはできない姿勢だから余計に。
「ねえ。どうしてあんたは戦うの? 一緒に日本で戦争が終わるまで待ったらいいでしょう」
「勿論それも考えなかったわけじゃないけど――それは、それだけはできない」
「どうして。あんたは日本人でしょ。こう言うと冷たいようだけど、ここは違う世界なんだから。こんな戦争なんてあんたには関係ない。確かに、あんたが関わった昔の出来事が遠因なのかもしれない。でも命を賭ける必要なんてない。死んじゃうよ」
「落ち着けって。姉貴は心配性だなあ」
弟は微かに笑った。どうしてそんな余裕のある表情ができるのか、やはり私には分からない。
「俺なら平気だよ。多分生きて帰るから。何より、これは俺が始めてしまった戦争なんだ。そして兄貴や姉貴、爺様まで巻き込んでしまった。それなのに当の本人が安全圏でのほほんとしているなんて――今迄死んでいった仲間達に対しても、これから死に行かんとする仲間達に対しても申し訳が立たない。恥ずかしくて顔向けができない。俺は俺を許せない。復讐することでしか自分を満たす方法を知らないんだ。だから、悪いけど姉貴の提案はナシだ。それより姉貴はどうすんの?」
「私は――」
どうすべきなのだろう。
どうしたいのだろう。
すぐに答えることができなかった。
日本に帰るべきという我が身の保身を考えたからではない。ウィリアム様を始めとする騎士団の皆が死地に赴くことがない方法を考えたのだが――下手の考え休むに似たり。何一つ有効な術を見出すことができなかった。
その沈黙を弟がどう捉えたのかは分からない。
「さっきも言った通り、これは姉貴が自分で考えて決めることだ。団長を頼むとは言ったけど、それが難しいなら無理強いはしない。むしろ俺個人の感想なら日本に帰ってくれた方がずっといい」
「待ってよ。さっきから発言がころころ変わり過ぎ。結局どうしてほしいの?」
「仕方ないだろ。俺にだって立場とか建前とか本音とか色々あるんだから。ああ、そうだ。これを渡すように頼まれていたんだった」
弟は立ち上がると、懐から丸められた二つの羊皮紙を取り出した。
「頼まれたって誰から」
「爺様から。何でも奇跡が書かれた巻物みたいだぜ」
受け取って中身を検めれば。
一つ目が『太陽の光の剣』。
二つ目が『太陽の光の槍』。
旧い神々について記された奇跡の指南書である。高い信仰心が無ければ読み解けそうにもないが――今の私であれば何とか理解できるだろう。
「爺様がこれを渡すってことは姉貴にも従軍してもらいたいと考えているのかね。まあいいや。確かに渡したよ。さっさと読んで使えるようにしておきなよ」
「あんたは読まなくていいの?」
「要らないよ。俺の専門は魔術だから。それに奇跡というものは。神というものはどうにも胡散臭くて信じられない。よく言うだろ。信じる者が掬われるのは足許だって」
「それは信仰に見返りを求めているからでしょう。信仰というのは。宗教というものは。そのような即物的なものじゃなくて本来は自己の究明のためにあるんだと思うよ」
「……けっ。聖女みたいなこと言いやがって」
「当然でしょう。今の私は聖女であることが求められているんだから」
「それもそうか。こりゃ失礼しました」
弟は戯けたように笑った。
その瞬間。
――ちりん、と。
風鈴のような音が聞こえたと思った時には、弟は金色の粒子となって、さらさらと溶けるように消えてしまった。まるで最初から存在していなかったかのように。
…………………。
…………。
私が二編の長大かつ偉大なる神話を読み終えた時――そして不自由なく奇跡を行使できると分かった時――部屋の扉が叩かれた。返事をすれば。
「私です。聖女殿、開けてもらえますか」
女性騎士の声であった。閂を外して扉を開ければ、女性騎士が立っている。
「突然に済みません。聖女殿、私と共に王都まで向かってください。法皇を動かすのに、貴女の力をお借りしたいのです」
「何ですか急に。王都まで?」
「そうです。馬車は既に待たせております。事態は一刻を争います。さ、すぐに出発の用意を」
「待ってください。王都に向かうのは、法皇様に和平の交渉をお願いするためでしょうか。そして法皇様の血縁である私がいた方が話が早く進むだろうと。そういう理解で合っていますか」
「そうですが、なぜ軍議に出ていない貴女がそこまで知っているのです?」
弟が教えてくれた、とは言わない。
言ってはならぬ気がした。
「……ただの憶測です。しかし王都まで、ですか」
「そうです。この砦から打って出るより、都に退いて護りの戦をするより、安全で使命ある伝令の任務です」
「安全――」
これも弟が言った通りであった。きっと彼女は、道中に妨害が入る可能性を。険しい道程になるであろうことを想定していないのだろう。
「お言葉ですが私は行くわけには参りません。ここに残り、ウィリアム様の支援をしたいと思っております」
「何を言っているのですか。あまりにも危険です」
「戦争なのですから危険など元より覚悟の上です。それに、あなたは王都へ向かうことが安全だと仰いましたが私はそうは思いません。襲撃や伏兵があるかもしれませんし、そもそも道そのものが辛く険しいものだと聞いております」
「それは確かにそうですが」
「そもそも、私だけが安全な場所に退くということが、私にはとても受け容れることができません。どうかお引き取りください」
私がきっぱりと断れば、彼女は言葉に詰まってしまう。何か言いたいのに何も言えない――切羽詰まった表情であった。
「そこまでにしておけ。聖女殿には此処に残ってもらう。異論は認めない」
私達の沈黙に割って入ったのは副官アルフィー様であった。平生から他者を寄せ付けない雰囲気を纏っていたのだが、この時ばかりは、いつも以上であった。虫の居所が悪いのか、鋭い眼差しで私――ではなく女性騎士を睨み付ける。
「ですが参謀殿。聖女殿には安全のため王都組へ同行させるという話であったはずです。ウィリアム団長もそれを承認したではありませんか」
「何を言っている。団長が頷いたのは、安全を確保すべきという一点のみだ。誰もお前と同行させるなどとは言っていない」
「安全ならば、やはり私達に同行した方が」
「諄い。お前は聖女殿の話を聞いていなかったのか。路は険しく伏兵がいることだって想定されるのだ。仮にそのような状況下において、お前は聖女殿を護れるのか。聖女殿の身柄は我々第一騎士団が御守りする。もう良い、去ね」
アルフィー様に威圧され、女性騎士は逃げるように、その場から去ってしまった。
邪魔者は去ったとばかりに、愉快そうに鼻を鳴らしたアルフィー様は私に向き直る。その表情からは、先刻までの不機嫌さは窺えない。
「これはお見苦しいところを。時に、ひとつお伺いしても?」
「はい、何でしょうか」
「彼女との話を聞かせていただきました。伝令が安全なように見えて、その実危険な任務であることを見抜いたご慧眼恐れ入ります。しかしながら、それは本当にあなただけの推測ですか? 誰かが漏らした訳ではありませんね」
「……私がひとりで考えたことです。考える時間は沢山ありましたので。何か変なことでも言ってしまいましたか?」
「いえ、とんでもない」
「私からも、ひとつお伺いしても宜しいですか」
「はい。私に答えられることならば」
言外に、場合によっては秘することもあると含ませながらアルフィー様は頷く。
「どうして、彼女にああも強く当たったのですか。可哀想ではありませんか」
私が問えば、アルフィー様は二三度目を瞬かせた後、なんだそんなことですか身構えて損をしてしまいました――と笑ってから。
「彼女が無能だからです」
と笑顔の儘、答えた。
「無能、ですか」
「私の弟子であるカイルを月蝕病にさせただけではなく、貴重な戦力であるオスカーを見殺しにした凡愚ですよ、あれは。生かしておく価値は私には見出せない。だからこの感情は」
ただの八つ当たりなのでしょう――と言って、アルフィー様は酷薄な笑みを深めた。




