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61.私は幼い時分より読書に慣れ親しみながら生きてきた謂わば書痴である。

※『ELDEN RING』DLCコンテンツ、2024年6月21日発売決定ッ! ……まさかとは思うが、発売日が延期されたりはしないだろうか。何はともあれ良かった良かった。皆様買いましょう、ね!

 私は幼い時分より読書に慣れ親しみながら生きてきた謂わば書痴である。本の虫である。


 故に語彙ならば人並み以上には持ち合わせているつもりであったし、仮令たとえいつ如何いかなる状況に直面したとしても、天災に遭った被災地の深刻さを放送局と視聴者に伝える報告者レポーターごとし冷静さを保ちながら、目の前の光景を他者に伝えることができるだろうという自信を抱いていた。


 無論そのような自負に根拠などなく、私が勝手に、私という人間は斯様かような得意があると思い込んでいただけである。あるいは、あの日、どこか遠い処に逝ってしまった兄の影を――あの兄ならば、何事があっても狼狽えはしないだろうという憧憬を――未だに捨てられずにいるだけなのかもしれない。


 いずれにせよ。


 私の期待していた長所は、やはり私の思い込みでしかなかったらしい。何故なぜ、そう思うのかというと。


 私には、医務室の惨状を的確に述べることができずにいたからである。

 先刻「私も軍議に出なければなりません」と別れた女性騎士が言った通り、およそ医務室と名の付いて良い場所ではなかった。

 部屋は暗く、明かり取りの窓すらない。それ故に、何人が寝台に倒れ伏しているのかすらも分からない。時折、うなされでもしているのか、あちこちからうめきともわめきともつかぬ声が上がるが、それが誰のものかも分からない。


 狭くも広くもない居室には悪臭が満ち満ちている。今や嗅ぎ慣れたなまぐさい血の臭いだけではない。肥溜めに顔を突っ込んだかのような屎尿しにょうの刺激臭、胃酸のような酸っぱく刺々しい臭い。湿気を取り込んだ埃と増長止まらぬ黴臭さ、蛋白質たんぱくしつが自然分解される時に特有の、生理的嫌悪を掻き立てるあの臭い――。

 鼻腔に火箸を突っ込まれたかのような錯覚を覚えた。

 勿論もちろんそんな経験などないのだが。


 確かに、此処ここは医務室と呼ぶに値する上等な場所ではない。衛生や清潔という概念は欠落しており、傷病者に処置を施す医療従事者すらいないのだから。最早、野戦病院ですらない。端的に言うなれば――。


 地獄、だろうか。


 しくは吹き溜まり。それか腐れ湖である。

 誰が生きて、誰が死んでいるのかすらも判別がつかない。仮に生きていたとしても、いつ容態が悪化して死なないとも限らない。

 以前アリスが此処で皆の看病をしていたというが、これでは焼け石に水もいいところである。現に私は、何をしたら良いのか――何をすべきか判らずにいた。目の前の現実に打ちのめされ、事前に脳内で組み立てていた作業の序列を完全に喪っていた。日頃から大切にしていた理性など、いとも容易に、がらがらと音を立てて崩れ去ってしまった。


 確かに最近、騎士団の官舎にも多くの怪我人が運び込まれ、アリスが症状をつぶさに聞き取り、私が適切な奇跡を行使して傷を癒やすということがとみに増えた。重傷者を診ることにも少しは慣れてきたと思っていたのだが――目の前に広がる惨憺たる光景には到底及ばない。


 どうして、彼らは官舎に来なかったのだ?

 直近で、こんなにも大勢がたおれたというのか。


 これ程の状況、いくらウィリアム様が私をかくまおうとも、私が招集されてしかるべき場面である。それとも奇跡を使えるというオスカーさんや女性騎士だけで凌いできたのだろうか。否、それは違う。現地に来るように要請したのは外でもない彼女なのだから。


「…………?」


 嫌な予感がした。

 今、考えなしに奇跡を使っては、何かきっと良くないことが起きてしまう。

 それも、取り返しの付かない重大なことが。


 ――そう、よく考えなさい――。

 ――今ここで奇跡に頼っては絶対に駄目よ――。


 気付かぬうちに握り締めていた大杖から、夢で出逢ったあの女性の声が聞こえた。どうしてですか、と杖に問い掛けても返答はなかった。それどころか、私を急かすように負傷者の苦悶ばかりが聞こえてくる。


 だから、私は。


 ――ええい、ままよ。迷っている時間はないのだ。


 杖が発した忠告も、自身に芽生えた疑念も無視して奇跡を行使することにした。騎士団の仲間を救いたいが故に。異邦の出身である私を受け容れてくれた皆を死なせたくなかったが為に。


 ――満月に御座おわしますお婆さま。どうかお力をお貸しください。月光の神秘をもつて皆の傷を癒やしてください。彼ら善良なる護国の戦士達をお救いください――。


 私は目をつむり、杖を持ち直す。

 先端から、藍白あいじろの――色温度の高い、無機質で硬質な――物々しい光が横溢おういつしかけた時である。


「だめ。それじゃあ逆効果」


 すぐ背後からささやくような声が聞こえた。

 幼い少女の声色であった。此方こちらで使われる共通言語ではないようであったが、翻訳の指輪を嵌めた私の耳は確かにその制止を聞き取った。


 こんな時に間の悪い――と私が振り向けば、最初に目に入ったのは、深い紺瑠璃こんるりの素地に、金糸を縫い込んだ王家の紋章であった。戦旗バナーだろうかと思い視線を上げれば――。


 顔があった。

 人間の素顔ではない。

 金属を加工して造られた兜である。

 薄らと目を開けて微笑する表情。

 左右一対の白い羽根飾り付けた背中。


 そこで初めて、私は目の前に巨躯の騎士が突っ立っていることを認識する。その右肩に矮躯ちいさな娘がちょこんと座っていることにも。


「あなた、今、望月もちづきの力に頼ろうとしたでしょ。でも、それじゃあ皆を救えない。むしろ反対。月蝕病を発症させて皆を殺してしまうわ」


 上質ながらも草臥くたびれた長衣ローブを着た娘は、戸惑う私を無視して、またも蚊の鳴くような声で言った。


「月蝕病――」


 名前だけはよく耳にする疾病しっぺいである。いわく此方の人間は、月の光を浴び過ぎると深刻なまでに体調を崩してしまうらしいのだ。だから皆、夜になれば家に篭もって戸口を閉め、窓は分厚い帷で覆ってしまうのだ。


「では、私はどうすれば」

「太陽の力を使うの」

「太陽、ですか」


 頷いた娘は。


「『太陽の光の癒し』あるいは『太陽の光の恵み』」


 と声なき声で言った。


 この時には、彼女が上手く発声できないことも、瞳の焦点が合っていないことも気にならなかった。騎士の肩に堂々と座り、その騎士もどこか誇らしそうにしていること、そして戦場の基地にいることから察するに高貴な人物であろうことにも。


 しかしながら。


 私には太陽の名を冠する奇跡を扱うことができない。使ったことがない。確かに聖典には載っていたような気がするのだが、神々の物語が余りにも長大で、覚えるに覚えられなかったのだ。奇跡とは即ち月光に由来するものであるという先入観に囚われていたこともある。


「そのような奇跡、私は知りません。使ったことがありません」


 己の不出来を呪い、震える声で答えた私に。


「それもそうでしょう。だって限られた者――太陽の光の王女に仕えた聖女達に特別に伝えられた奇跡なのだから。でも、難しく考えることはないわ。だって月光も、元を辿たどれば太陽の光なんだもの。あなたにも使えるでしょう」


 少女はあっさりと、何でもないことのように言った。

 そして革帯ベルトにぶら下げた聖鈴を手に取ると――その表面には紫色をした半透明の結晶が、防波堤を埋め尽くさんばかりに侵食するフジツボの如しみっしりと覆っている――前方に掲げて、一度ひとたび鳴らした。


 すると、聖鈴のぜつから、太陽の熱と光を凝縮したかのようなだいだいの雫がこぼれ落ちて――床に触れた瞬間、同心円状にぱっと広がった。喪った生命力を徐々に回復する温かで穏やかな恵みの輝きであった。


「今のは――」

「『太陽の光の恵み』。さあ、今度はあなたの番」

「……分かりました。やってみせます」


 私は頷く。失敗したら皆を死なせてしまうのではないかという恐怖が過ったが、四の五の言ってなどいられない状況である。


「難しく考える必要はないわ。神々の物語をらずともとなえずとも、太陽の光で皆を癒す想像イメェジさえあれば、あとはその杖が汲み取ってくれるでしょう」

「――はい。分かりました」


 私は部屋の中央に立ち、諸手で握った大杖を顔に寄せる。


 ――太陽の光よ。どうか、どうか――。

 ――傷付きたおれた戦士達を救い給え――。


 私は目を見開き、杖に意識を集中させる。その瞬間、杖の先端から太陽の光が溢れ出し、全域が暖かな光に包まれる。


 ――嗚呼、良かった。私は成功したんだ。


 そう安堵した矢先。精神力と持久力を使い果たした私は、立つことすらもままならずに、その場に卒倒そっとうしてしまった。受け身すらも取れずに、頭部をしたたかに打ち付けてしまう。


「聖女様!」

「誰か、団長に報告するんだ」

「動かすな、頭を打ったんだ」

「医者を呼べ、早く!」

「天使様。どうか我々の聖女様をお救いください」


 回復した皆が、私の近くで何かを叫ぶのが聞こえる。

 逼迫した状況だというのに。


(天使さま? そうか、あの少女は主の遣いだったのか。どうりで奇跡が使える訳だ)

(ポーチの中に『秘めた祝福』があるから、心配しなくても大丈夫なのに)

(ああ、でも。こんなに頑張ったのだからウィリアム様は私を褒めてくれるだろうか)

(温かい珈琲を飲んで落ち着きたい気分だなあ)


 などといった纏まらぬ思考が次から次へと浮かんでは消えていった。

 そして最後に気になったのは。


(カイル君は怪我をしていると聞いたけれど、この場にはいないのかな)


 という、ふとした疑問であり――そこまでを考えた時、私の意識はあっさりと闇に呑まれて霧消してしまった。

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