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57.「それで、聖女殿はどうしてこんなところにいるのです?」

「それで、聖女殿はどうしてこんなところにいるのです?」


 瞳に込めた険を隠そうともせず女性は言った。その口調は詰責といっても良いくらいに、鋭利な敵意を(はら)んだものであった。


「どうしてと仰いますと」


 当然ながら、私には敵意を向けられる謂われが分からず困惑してしまう。私は、私の与り知らぬところで彼女の気分を害してしまったのだろうかと思い尋ねれば。


「言われなくては分かりませんか。鈍い方ですね」


 それとも分かった上で惚けているのでしょうか、と女性は侮蔑する。取り付く島もない態度であり、私は閉口せざるを得なくなってしまった。


 人間は、怒り続けるには相当の熱量を必要とするものである。ゆえに難癖(クレーム)を付ける者への応対は――(もっと)も、彼女の怒りが本当にただの難癖であるのか、それとも正当なる理由あってのものなのかは分からないが――丁寧な態度で拝聴に徹していれば、やがて相手も感情の(たかぶ)りを収めてくれる(はず)である。


 さりとて。


 黙っていても埒が明かないため、ウィリアム様に取りなしてくれるように視線で頼めば。


「止せ。葉月殿への無礼はこの私が許さない」


 彼は即座に私の注文を請けてくれる。


「無礼? しかし私は間違ったことは言っておりません。戦況は依然悪い(まま)。どう転ぶかなど誰にも分からない。()してオスカー殿が持ち帰った情報が正しいものと想定すれば言わずもがなでしょう。この危機において聖女殿を温存する理由はないでしょう」


 気色ばむ女性の言葉を聞いて、私は彼女の憤慨の理由を察する。それが至極真当な言い分であることも。即ち、彼女は、私が治癒の奇跡を扱えるにも関わらず、自分だけが安全圏にいることが許せないのだ。


 それは、確かにそうである。

 話を聞く限り彼女も奇跡を扱えるらしい。女性だというのに――このような価値観は(いささ)(ふる)いものだろうか――武器だって佩用している。女性だからといって。戦う術を知らないからといって。それらは安全圏に立て篭もって良い理由にはなり得ないのだろう。


「それとも何です? 団長ともあろう御方が公私混同しているのですか。だとしたらあなたは団長に相応しくない。騎士としての名誉にも関わります」


 女性の難詰は止まらない。


「公私混同だと」

「ええ、そうです。創始者と先代聖女の血統だからと特別扱いをしているのではありませんか。いえ、それならばまだ良い。あなたが聖女殿に対して特別な感情を抱くがあまり、奥に匿っているのではないかと疑問を抱く者が出ないとも限りません」

「そのようなことは――」


 ウィリアム様は顎に手を遣ると、考え込むように黙ってしまった。


「……?」


 私には、何故、彼がそのような態度を取るのかが分からなかった。私が、そのような態度を取るのならば理解ができる。もうこの際だ。認めてしまうが――私は彼に対して明確な慕情を抱いている。


 ――けれども。


 私はその感情を愛などとは決して呼ばない。そのような色艶めいたものではない。(むし)ろ、背筋が凍えるような、(おぞ)ましい、過去への執着――どこまでも歪で滑稽な感情である。


「ないと言い切れないこと自体が(まず)いと理解すべきです。身内からあらぬ嫌疑をかけられても利はありません。()()()()()()()面白くはありません」


 そこで女性は私を一瞬だけ見た。

 鈍い私にもそうと分かる好戦的な瞳であった。


「能力がある者は、それに見合っただけの役割を果たすべきです。あの小さな侍女だって、大したことはできなくとも立派な献身を果たしてくれました」

「お前の言うことは間違ってはいない。だが」

「だが、何です?」

「私は葉月殿と約束したのだ。戦が終わったらこの店に客として寄らせてもらうと。今更誓いを袖にすることなどできない。それに、既に葉月殿には多大なる支援を受けているのだ」

「なるほど。それについては理解しました。この店は確かに良いところでしょう。ですが、戦に負けたのならば客として来るどころの話ではありますまい。戦火に飲まれます。あの残忍な帝国です。侍女であること、聖女であることを知られたならば尚のこと酷いことになるでしょう。戦場における弱い者の扱いなど、尊厳など、口にすることすら(はばか)られるものであることはあなたとて承知でしょう?」

「…………」

「団長。私達には、聖女殿の力が必要なのです」


 ウィリアム様は答えなかった。優しい彼のことだ。私を気遣ってくれているのだろうが、その沈黙が嫌だった。私とて、自分にできる最大限のことをしているつもりだったが――それは、どうやら()()()の範疇――自己満足でしかなかったらしい。


 不意に、アリスの悲しそうな顔が脳裏を過る。出逢ったばかりの頃、馬車の中で何かを言わんとして、結局口を(つぐ)んでしまったウィリアム様の顔が。私を信じて、敬礼してくれた皆の顔が。


 ――能力がある者は、それに見合っただけの役割を果たすべき。


 謂わば、ノブレス(nobless)オブリージュ(oblige)――社会的責任であり、彼女の言うことは正鵠を射ているのだ。


 だが、それよりも。

 家族のことである。


 私は、祖父の行方を突き止めたい。

 弟がどこで何をやっているのかも。


 確かに、戦地に赴くことに不安や恐怖がないといっては嘘になる。何かあれば、どんな酷い目に遭うのかも分かったものではない。だが、家族をまた喪う悲しみに比べれば、私の苦悩など天秤にかけるまでもない。


 もう、私を止めるものは何もなかった。


「ウィリアム様。もう結構です」


 私が言えば、いけません、と彼は諫止してくれる。


 女性は不快そうに眉を(ひそ)めるが――不快なのはこっちの方だ。店の雰囲気を。彼との貴重な時間を台無しにしやがって、という怒りが込み上げてくるが――()えてその憤懣(ふんまん)を呑み込む。遠くに行ってしまいそうな彼を引き留めてくれたのは事実なのだから。彼の側にいられる理由をくれたのも。それを考えれば礼を述べるのが筋なのかもしれない。


「ここで待たせてほしいと言った舌の根も乾かぬうちに、前言を撤回するのも心苦しいのですが私も共に参ります」


 ウィリアム様は、やはりすぐに答えなかった。

 私の眼を見詰めた後――私が揺らがないことを察したのだろう。渋々ながらも肯定してくれた。その顔は、もう兄とは重なっていなかった。



*     *     *



 私達は乗合馬車を捕まえて、騎士団の官舎側にある小さな教会に向かう。町の中心に鎮座する大聖堂をぐるりと反時計回りに迂回するような経路である。戦闘区域は町の西側――外壁にほど誓い砦で籠城をしていると聞いていた私は疑問を抱く。


 このまま西へ直行するか、大河に架かる南の大橋を渡るものとばかり思っていたのだ。事実、アリスが以前砦に忍び込んだ時は、その経路を辿った荷役(かやく)に紛れたと言っていた。


 私はそれを真正面に座るウィリアム様に聞こうとして――止めた。彼に肩を寄せる女性が口を挟むような気がしたのだ。私の被害妄想だろうか。(ある)いは嫉妬なのかもしれない。このような感情は初めてであった。


 いずれにしても。

 嫌だな、と思った。


 彼女が、彼の隣に我が物顔でいることが、ではない。私と彼の、賓客と店主という間柄ながらも、そこに秘められた確かで温かい慕情までもが。言葉にできぬ関係までもが否定されてしまうような気がして。今まで、安全圏に匿われて、仕事をしたつもりになっていた自身が何とも度し難い愚者のように思われたこともある。


 白い絹と、銀を編んだらしい鎖帷子に、革のコルセットというおよそ華々しい格好で佇む彼女があまりにも眩しくて。私は彼女を直視をすることができなかった。

 俯いて、膝の上に載せた生白い握り拳を見詰めていれば。


「聖女殿。先刻から黙っておりますが、どうされたのです。もしや体調が優れませんか」


 女性が声を掛けてくれた。

 思いの外、優しい声音(こわね)をしていた。


 聖女と呼ぶな、とか。あなたがいるからです、などと言える気概はなかった。今にも消え入りそうな気分であった。


「すみません」

「私は謝れと言っているのではありません。心配しているのですよ」


 女性は、私は放置するつもりはないようで。

 だから私は。


「具合が悪いわけではありません。ただ、あなたがとても眩しくて、見ていられませんでした。私がとても矮小(ちっぽけ)な存在のように感じられてしまうものですから」


 正直に告げることにした。


「眩しい? どこがでしょうか」


 彼女は至って真面目な顔で尋ねる。


「その白い鎧が。長い剣が。美しくて、強くて、とても立派に見えるのです。私は、私のような者には、一緒にいるだけで恥ずかしくなってしまうのです」


 私は、己が途方ものない愚か者であると身を以て知っているのだ。罪悪感と自己嫌悪を抱えて続けた結果、(こじ)らせて、()えて――ついには卑屈な希死念慮と自己犠牲に変貌した私のような者にとっては。己こそが正しいと信じて疑わぬ者が側にいるだけで多大な精神的負荷になるのだ。

 天に向かって屹立(きつりつ)する大樹に、地べたを這うしかない(こけ)(かび)の気持ちなど分かるまい。文字通り天と地ほどの違いあるのだから。


 だが、どちらが悪くてどちらが正しいという話ではない。そこに途方もない隔たりがあり、それに苦しまずにいられない私のような者がいる。ただ、それだけの話である。


 だが、彼女には勿論(もちろん)、隣のウィリアム様にも意図が伝わらなかったようで。二人は顔を見合わせて――あろうことか笑ってみせた。片や白銀の甲冑に身を包んだ女性の騎士、片や美相の筆頭騎士。とても絵になる光景であり、私は余計に劣等感と疎外感を覚えてしまう。胸が締め付けられたかのように酷く痛んだ。


「……なぜ、お二人は笑っているのですか」

「いえ、なに。それは聖女殿にだって当て嵌まることではありませんか。気分を害されたのなら謝罪いたします」


 何でも無いことのように、彼女は言った。


「どういうことでしょうか」

「分かりませんか。ならば説明しますが――貴女だって穢れ無き外套(クローク)を纏い、立派な触媒を持ってらっしゃる。それは先代聖女殿から受け継いだものでしょう。杖は騎士団の創始者のもの。格だけを問うならば貴女のほうが何倍も上です。私は平伏しなければなりません」

「とんでもない。私は、所詮服に着られて、道具に使われているだけに過ぎません。格なんてものは持ち合わせておりません」


 私が慌てて否定すれば。


「面白い言い方をするのですね貴女は」


 と女性は困ったような顔をする。


「貴女の献身が、多くの者を救ったのは紛れもない事実なのでしょう? 先立っての非礼をお詫び致します。同じ女性として、共に戦う仲間として、貴女を歓迎致します。貴女の旅に、月の加護があらんことを」


 女性騎士はそう言って――微笑した。


 その柔らかな表情を見て、私は。

 もしも私に姉がいたのなら、きっと彼女のような存在なのだろう――と根拠もなく思った。

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