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54.自分の体が揺さ振られたことで、懐かしい私の夢は断絶した。

※私は小説を仕上げる際、起承転結ないし発端事件葛藤結末を纏めた構想プロットを練り、文章量を定め、大学ノートに万年筆を使って完結まで書いて、ようやくパソコンに一心不乱に入力するのだが、長期連載となってしまった本作品は違う。下書きは手書きということは変わらないが、行き当たりばったりで、どうにも完結が見えてこない。物語の美しい収斂も、技巧を極めた結末も、現段階ではできそうもない。これは手慰みに書いた私の不誠実によるものである。だがまあ失踪することはないので、そこだけは安心していただきたい。

※ エ ル デ ン リ ン グ の D L C そ ろ そ ろ 来 て も い い ん じ ゃ ね ?

 自分の体が揺さ振られたことで、懐かしい私の夢は断絶した。


 (まぶた)を開けて、視線だけで周囲を窺えば、いつもの馬車の中であった。座席に深く腰掛けて、隣のウィリアム様に(もた)れるように身体を預けていた。


 私を起こしてくれた彼は困ったように、労るように、持て余したように――穏やかな瞳で私を見詰めていた。


 その優しげな顔つきが。

 月光の如し残り香が。

 あまりにも兄に似ていたものだから。

 夢の余韻を引き摺っていた私は。


「――兄さん?」


 と呼んでしまった。


 女の子の寝顔をじろじろと見るなんて(しつけ)がなっていないわ。お爺ちゃんに言いつけてもいいんだからね――と言おうしたところで、私は我に返る。

 精神が、中学三年生の少女から、大学二年次の現在に引き戻される――と同時に、羞恥で顔が熱を帯びる。反射的にハンカチを取り出して、緩んだ口許から涎が垂れていないかを確認する。大丈夫なようである、多分、きっと。


「……すみません。あなたが(うな)されていたものですから、起こしてしまいました」


 ウィリアム様は、ばつが悪そうに、そっぽを向きながら答える。

 どうやら私は、彼の肩に頭を乗せて、腕の温度(ぬくもり)を感じながら寝入っていたらしい。だからあんなにも懐かしくて優しい――悪夢を見ていたのだろう。


「いえ。起こしてくれてありがとうございます。あまり夢見がよろしくなかったものですから、助かりました」


 私は、彼から身を離し、背筋をぴんと正す。

 惜しい気もしたが、その未練は()えて無視した。


 ここは騎士団の官舎から店舗までの送迎に使われるいつもの馬車である。馭者(ぎょしゃ)も馬も、箱も変わらない。車輪が石畳を転がる振動も、布製(ファブリック)の座部を貫通して三半規管を揺さ振る感覚も。


 医務室にて、アリスと雑談に興じながらも一通りの鶴を作り終えると同時に、他の侍女隊が籠いっぱいに詰められた折り鶴を持ってきて――それらひとつひとつに奇跡を込めて、精神力とでも言うのか集中力とでも言うのか、それらが尽きて疲れてしまったら、副官のアルフィー様が授けてくれた『秘めた祝福』をひと舐めしてはまた奇跡を込めて――作業の終了と同時に、医務室にウィリアム様がやってきたのだ。


 彼が直接やって来るなどそうないことであり、喫緊の案件なのかと私達は身構えてしまったが、本人はいつもと同じ涼しげな顔で――それでも疲労の色はありありと浮いていたが――送迎の付き添いに参りましたと言うものだから、私は肩透かしを受けた気分になってしまった。


 官舎に駐屯している予備戦力の者達とアリスに、数多の鶴を砦に送るようにお願いしたあと、私はウィリアム様に促される(まま)、帰路に就き、今に至るというわけなのだが――。


「夢ですか?」


 ウィリアム様は怪訝そうに尋ねる。

 その目は問うていた。一体どのような内容であったのかと。あなたさえ良ければ話を聞きましょうと。

 私は、その瞳に――宝石を嵌め込んだような綺麗な翡翠色(ひすいいろ)に――戸惑ってしまった。普段の私であれば、敢えて語りたくもない兄の死という内容であることも相まって。ええそうです夢です――などと鸚鵡(おうむ)返しをして、対話を拒絶していたのだろうが。


 今、この時ばかりは。

 話をしても良いかなと思った。思ってしまった。

 自分でも、どうしてそう思ったのかは分からない。


 彼と兄に通ずるものを感じ取ったからなのか。私が郷愁を捨て切れなかったからなのか。月光の残り香に兄の面影を見出したからなのか。話を聞いてもらいたいと思う程度には彼のことを信頼してしまったからなのか――。


 いずれにせよ。

 私は彼の申し出に甘えることにした。


「兄の夢を見ておりました。久しく兄のことを思い出していたなかったため、随分と懐かしい――悪夢でした。肩まで貸していただいたようで、すみません」

「私などの固い肩で良ければいくらでも差し出しましょう。しかし兄上殿がいたとは初めてお聞きしました。それも悪夢とは。兄上殿との関係は宜しくなかったのですか」

「いえ。とても良くしてくれました。立派な人でした。私とは、血の繋がりはないとはいえども――きっと本当の兄妹以上に仲が良かったと思っております。自慢の兄でした」

「では、夢の内容が悪かったのですね。ああ失敬。話したくないのならば無理に語らずとも結構ですよ」


 青年は、紳士らしく一歩退いた態度をとるが。


「多分、そうなりますね。なにぶん、兄はきっと死んでしまったものですから」


 私は、その一歩を踏み出す。


「私は、死を前にした兄に対して、何もしてあげることができませんでした。そればかりが、ずっと気懸かりで、心の奥深くまで棘が刺さっているのです」

「……兄上殿は、身罷られたのですか?」

「ええ、そうです」


 ウィリアム様は私を凝視していた。


「天井からは首を括ったであろう縄が垂れ、床には、人間ひとり分を溶かしたかのような黒い液体と結晶ばかりがシートに広がっておりました。(むくろ)は何ひとつとして残っておりませんでした。几帳面で気遣いのできる兄らしく、住んでいる部屋を(けが)さぬようにとでも思ったのでしょうが――兄が一体どんな気持ちで自殺の準備をしたのだろうと想像すると、私はどうしても遣る瀬なくなってしまうのです。心の置き所が分からなくなってしまうのです。せめて骨の一欠片でもあれば諦めも付いたのでしょうが――だから私は、未だ兄の死を受け止められずにいるのです。どこかで生きていて、いつか顔を出してくれるものだと思ってしまうのです。そんなことは有り得ないと頭の中では分かっているのですが」


 事実として、書類上においては兄は行方不明の儘である。警察にも通報したし、すぐに鑑識による捜査も入ったが詳細は不明であった。何より聞く必要も感じなかった。

 私は知っている。兄は、人ではない何かになってしまったのだと。否、正確に言えば。(おぞ)ましい何かになる直前に――人間としての生命に終止符を打ったのだと。


 家族に兄の失踪をどう思っているかを聞いたことはない。その頃、ちょうど弟が何らかの事件に巻き込まれて総合病院に半年ばかり入院してしまったし(その何かは分からない。事件性があるとして警察の聴取も入ったらしいが、弟はどこぞの政治家よろしく「記憶にございません」とばかり繰り返し、終ぞ黙秘を貫き通したらしい)、そのせいで母はそれどころではなかった。父も海外に出張して密な連絡を取り合うこともできなかった。


 結局、私は、兄の死を自分一人だけのものとして処理しなくてはならなかった。否、処理できずにいたから、精神が破綻して、数々の思い出と共に、兄がいたという記憶にすら鍵をかけて、(とざ)してしまうことになったが――。


 生前兄が言っていた「弟に合わせる顔がない」という言葉が気になり、退院した直後の弟に、兄の最期と部屋の惨状を伝えた上で何かを知らないか問い(ただ)したが、それも徒労に終わった。弟は、大切な者を喪失してしまったかのように茫然としてばかりで、(ほとん)ど上の空であったのだ。まるで全てを最初から知っていたかのように驚きも悲しみもしなかった。


 ただ一言。


「そうか。兄さん()、駄目だったんだ」


 と呟いた。それ以上、何も語りはしなかった。

 それが優等生だった弟の最期であった。以来、健康を取り戻すと共に――過去と決別するかのように。(ある)いは、過去に執着するかのように――髪を染色して、飲酒をするようになり、喫煙までするようになった。十六歳になればバイクの免許も取ってしまった。弟なりに兄の面影を追っているのかもしれない。


「そのようなことが本当にあるのでしょうか。(にわか)には信じられないことですね。ああ、勿論(もちろん)あなたの言葉を疑うつもりは毛頭ありません」


 ウィリアム様が言った。

 慎重で、絞り出すかのような発言であった。


「そのように思われるのも当然でしょう。何せ、人間が泥か結晶のようになってしまうなんて普通ならば有り得ないことでしょう。でも、どうか、信じていただけませんか。ウィリアム様にまで疑われてしまったら、あの優しくて、温かい兄が、本当に存在していたのかが分からなくなってしまいそうで」

「――いえ。決して、そういう意味ではありません」


 なら何だと言うのか。

 下手な(おもね)りや同情は不要だと視線で訴えれば。


「どうして、あなたは兄上殿を覚えているのですか?」


 とウィリアム様は問うた。


 ――ああ、そのことか。


 確かに、以前カイル君も同じ事を言っていた。人間は、死ねば名前と事績を喪ってしまうのだと。それゆえ、騎士団にとっては死が救いですらあるのだと。

 私はそれに強い反発を抱いたがため――左右一対の鶴、妹背山(いもせやま)を作り、ウィリアム様に届けるようにカイル君に頼んだが――訂正はしてなかった。


「簡単なことです。私には、月の女神による忘却と贖罪の力は効かないようなのです。ですから私は、死者を忘れられずにいるのです。五年経った今でも兄の死に囚われているのです」


 (もっと)も、それは日本にあの不気味な満月がないから言えることなのかもしれない。この世界では、まだ誰とも死別を経験していないのだから、普遍の原理原則であるとは言い切れないが説明するだけ野暮だろう。


 それに、私は覚えている。この世界に住む者達の高潔な生き様を。懸命に生きる生命の輝きを。月の女神がどれほどの力を持っていようとも、この私には叶わないだろう、という妙な自信すら生まれてしまうのだから不思議なものである。


 ウィリアム様を見れば、やはり困惑を隠せずにいるようであった。


 ――まあ、無理もないか。


 彼にとっては、私の発言など荒唐無稽もいいところであろう。日本に生まれ育った私の立場に換言すれば――熱力学第二法則は通用しないとか、トンネル効果を操って瞬間移動ができるとか――およそ物理法則を無視した放言にしか聞こえないのだろう。


 ――それならそれで構わない。


 先刻の言葉と相違してしまうが、この思いは私だけのものである。私が。私だけが兄を覚えていれば良いのだ。それだけで、兄は。青褪めた月の如し、穏やかな兄は。私の中で生き続けることができるのだから。


 ――もう、僕のことなど忘れてしまいなさい――。

 ――君は、君だけの人生を歩んでも良い頃だろうに――。


 兄の遺言に背いてしまうが、こればかりは私にも譲れぬ領域である。存外、私は諦めが悪い女であるらしい。私の中にいる兄が、仕方が無い奴だなお前は――と言って、前髪を()いてくれるような気がした。

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