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47..半壊した幕舎の影に身を潜めていた少年は目の前で繰り広げられる光景を信じられずにいた。

※グロ中尉。

※書き溜めに入ります。

※少年死ぬかも。

 半壊した幕舎の影に身を潜めていた少年は目の前で繰り広げられる光景を信じられずにいた。

 雪が(うっす)らと積もり、冷たい月光が、生きている者と死んだ者を(へだ)てなく照らす夜である。


 視線の先には、じたばたと手脚を動かしながら大地を縦横に駆ける夜の闇より暗い異形の化物と、ある時は地を這うような姿勢で鉤爪を(かわ)し、またある時は天高く跳躍して大剣を叩き付ける――狼の狩りを彷彿とさせる卓越した剣技を発揮する仮面の騎士がいた。


 その剣が炎を纏っているのは『炭松脂(すみまつやに)』を刀身に塗布(とふ)したからであろう。

 だが、それにしても。


 ――何だ、あの化物は。


 蛇でもなければ蜥蜴(とかげ)でもない。

 まるで竜のなり損ないである。


 ――何だ、先輩のあの戦い方は。


 あんな化物に相対して。

 どうして逃げ出さずにいられるのだ。


 少年は、己の震えを抑えることができなかった。月蝕病の前兆である末梢の微弱な痙攣ではない。体温低下に(ともな)う、摩擦熱を求める筋肉の緊縮でもない。より根源的で衝動的な――恐怖と混乱に陥ったがゆえの――この場から今すぐ逃亡すべきと叫ぶ本能と、微かでも物音を立てたその瞬間に己が標的にされる、事の成り行きを見届けるしかないのだと怜悧(れいり)に分析する理性の葛藤であった。単騎で、異形に立ち向かう騎士に助太刀するという発想はどこにもなかった。


 常日頃より冷静たるを心掛け、己を含めた(すべ)てを俯瞰(ふかん)することに慣れきった少年も、この時ばかりは、ただただ震えて時の経過を待つ外なかった。そのような己が情けないと自覚することすらできなかった。


 少年が息を詰めている間にも、仮面の騎士と化物の戦いは激化していく。

 黒鉄の甲冑を着た(むくろ)を渓流魚の糞のようにぶら下げた化物が、騎士を狙って地面に激突したかと思えば、その攻撃を背後に回り込むように避けた騎士は、勢いの(まま)に右手の大剣で斬りつける。振り向きざまに化物が虎か熊の如し爪を繰り出せば、騎士は左手の短刀で衝撃を受け流し、生じた隙に強烈な一撃を叩き込む。


 化物が野営地を疾走し、転がる数多の(かばね)(むさぼ)り食らってその身を更に巨大化させれば、これを機と見た騎士は腰袋(ポーチ)から取り出した『黒火炎壷(くろかえんつぼ)』を続けざまに投擲する。着弾と共に爆発して――火に包まれる化物は(もだ)え苦しむ。


 ――あいつの弱点は炎なのか。いや、そんなことよりも。


 物陰に隠れて(けん)に徹していたからこそ少年は周囲が喧騒に気付く。

 目を凝らせば――帝国の軍兵達である。

 この物音を聞きつけたのか、屍体が発見されたのかは分からないが――異常を察知した本隊が送り付けた警邏隊であろうと少年は考える。なぜならば。この近辺にいる連中は、つい先刻、自分が一人残らず始末してしまったのだから。


 少年は腰に差した杖を取り、魔術『隠密』をかける。その後『毒松脂(どくまつやに)』を塗り付けた短剣を鞘から引き抜く。戦仕度はこれだけである。


 ――奴等の横槍が入ったら、いくら今の先輩でも(まず)い。


 僕には僕のできることを為すべきだ。

 (みじ)めに震えている場合じゃない。

 聖女様、僕に勇気をお授けください――。


 瞑目した少年は、胸に手を当て、懐に収めた一羽の折り鶴に祈りを捧げる。時間にすれば数秒にも満たぬ僅かな間ではあったが、それだけで異国の鮮やかな紙に宿った奇跡――『生命湧き』が発動する。太陽の光にもよく似た温かな熱と光は、少年の(しお)れた活力と知性をたちどころに復活させた。


 少年は澄んだ頭で自身を分析する。

 今までの自分であれば、月夜における活動限界は調子が良くとも一時間であった。目が霞み、指先が震え、あまりの頭痛に立つことすらできなくなり――人間であるという尊厳を剥奪され、獣と化すような恐怖に怯えていただろう。


 だが、今はどうだ。


 騎士団が駐屯する文字通りの最後の砦を出発して既に三時間は経っている。だが体調に異変はない。(むし)ろ頭は冴えている。啓蒙を得た心持ちであった。


 この万能感は一体何に由来するのだろうか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 (ある)いは、聖女が与えた加護によるものか。

 はたまた、その両方か――。


 少年は戦場に背を向け、野営地に近付く部隊へ迂回しながら接近する。

 兵士の数名が松明を掲げており、また月明かり反射する残雪もあり目標を見失うことはない。無論それは相手も同等以上の視界を有しているものと考えなくてはならないが――『隠密』は足音と気配を絶つものでしかない。『見えない体』のように姿を消す秘術染みたものではないのだ――全員が化物と騎士の熾烈な戦いに意識を奪われており、背後をとるのも然程(さほど)苦労はしなかった。携行用の軽量弩(ライトクロスボウ)を持った雑兵など、口をあんぐりと開けて大暴れする化物を見詰めている。


 どちらに(くみ)するべきかを決めかねているのだろう。

 それも無理はないことだと少年は思う。


 仮面の騎士が、帝国にとっては恐るべき敵であることは周知の事実である。不意打ちをしてでも排除せねばならぬ相手である。だがそうなれば今度はあの異形が敵となるのだ。あの化物が恭順を示してくれれば飼い慣らすこともできないことはないのだろうが――敵の敵が味方である保障はどこにもない。あの獣染みた暴れ方から察するに、その可能性は(ぜろ)に近いだろう。

 さりとて、仮面の騎士と結託して化物退治をするなど言語道断である。それができるくらいなら最初から戦争などしていない。共通の敵を倒すために手を取り合うような騎士道精神など所詮は絵空事でしかない。両者に横たわる溝は深く、仮令(たとえ)どんな贖罪を(もっ)てしても届かぬものである。


 そう簡単に推測できる程度には。

 仮面の騎士は帝国の人間を殺し過ぎたのだ。

 しかも、ただ殺したのではない。屍体から耳を削ぐばかりか――何のためにそんなことをするのかと訊いたことがある。仮面の騎士は愉快そうに笑ったのち「復讐の証として神様に捧げなきゃならねえんだよ」とだけ答えてくれた――徹底的に身体を損壊せしめるため大抵は()()()()()()なのだ。人相はおろか如何様な得物を用いたのかも分からぬほどに。そのあまりに苛烈な憎悪と凶暴性ゆえに、帝国にとっては悪夢であると同時に不倶戴天(ふぐたいてん)(かたき)なのである。


 他に理由が加えるならば。

 戦況に付け入る隙が寸分たりとも存在しないことだろう。

 互いに一歩も譲らぬ一進一退の攻防は完成された剣舞を見せつけられているようで。その途方もない、絶望的な実力差をまざまざと見せつけられているようで。無力感に呑まれた者もきっといただろう。


 化物と騎士の戦いは佳境にあった。

 爪を振るうだけでは届かないと悟った化物は、両手を祈るように握り締めると、何度も何度も打ち据える。相対する騎士は、猟犬の如し俊敏な跳躍(猟犬ステップ)で横方向に回避して、またも『黒火炎壷』を放り込む。赤い炎が化物を焦がしている隙に、今度は『ククリ』――投擲用の小型湾曲であり、技量戦士たる騎士の十八番(おはこ)らしい――を諸手を使い次々と投げつける。刃が命中した箇所から、葡萄酒(ワイン)を詰めた酒樽に剣を突き立てた時のように、黒い液体がびしゃびしゃと音を立てながら(こぼ)れ落ちて、その次の瞬間には、火に炙られて蒸発していく――。


 ――先輩、奮闘に感謝します。


 少年は、両手剣を担いだまま立ち尽くしている部隊長らしき者の背後に立つと、短剣で頸動脈を引き裂いた。噴出した血が地面を叩く音で残りの兵士達が振り返るが――その時には少年は姿を消していた。誰も少年を捉えることもできないまま順番に首を切られ、自らの血に溺れて死んでいく。

 手慣れた作業であった。最近では、人を殺す時に特有なあの怖気(おぞけ)すらも感じなくなった。だが油断はしない。転がった松明に雪を被せて消火してやることも忘れない。


 仮面の騎士を睨み付けた化物は、一際激しく咆哮すると、大口を開けて丸呑みにせんと突進して――それが躱されると分かると、今度は息を吸って、自らの鱗を舐めるように燃え盛る血炎を腔内に蓄えて――自身の足許に向けて放出した。仮面の騎士を直接狙った攻撃ではない。放射状に広がる炎と煙が騎士を包むことを期待した――横に走っても上に跳んでも避けられない炎の嵐であった。

 炎という敵の攻撃手段を利用することといい、機動力の限界を見抜いた上で広範囲の吐息(ブレス)を仕掛けることといい、(およ)そ化物らしからぬ機転であるが――それでも騎士は動じない。


 左手の短刀を腰に、右手の大剣を背負うと、足許に倒れた木製の大盾を拾い上げる。魔術『強い魔力の盾』を唱えて、盾越しに襲い来る凄まじい熱波を最小限に抑え込む。騎士が炎を遣り過ごした時には、盾は真黒に炭化して、ぼろぼろに崩れ去ってしまう。


 少年が近付く全ての部隊を排除して戻れば、戦闘は一層激しいものとなっていた。

 化物が両爪で薙ぎ払おうものなら、仮面の騎士も右手の大剣と、左手の触媒から作り出した『魔術の大剣』の二刀流で応戦する。手数に圧された化物が後退すれば、騎士は追撃に『魔術の槍』を連続発射する。だが化物は口から噛み砕いた屍肉を弾丸のように吐き出して撃墜してみせる。


 端から見れば、両者の実力は拮抗しているかのように映るのかもしれないが――少年は、騎士の変調に気付く。先程から苦しそうに呼吸を荒げているし、大剣に宿した炎も消えてしまった。『ククリ』や『火炎壷』などといった飛び道具を使用しないのは在庫が尽きたからだろう。


 ――このままでは先輩が殺されてしまう。


 あの調子で戦い続ければ、そのうち魔術も使えなくなるだろう。そもそも『魔術の大剣』にしても『魔術の槍』にしても、そう簡単に、おいそれと使って良い魔術ではないのだ。寧ろ、本職の魔術師が窮地に追いやられた際になって、ようやく使うことを考えるような――切り札的運用をする類のものである。あのように軽々しく連発できるのは、(ひとえ)に騎士の才覚に依るものだろうが――それで集中が尽きてしまっては話にならない。


 だが仮面の騎士は一歩も退く気配がない。怨敵を睨む猛禽のごとし瞳で、眼前の化物をただただ観察しているばかりである。その態度が少年を当惑させる。


 ――絶対に変だ。どうして先輩は逃げない?


 日頃から、生き残った者が勝者であると。名誉よりも金銭を、金銭よりも生命を重んじよと。三十六計逃げるに如かず、五十歩百歩、勝てば官軍負ければ賊軍などと――第一騎士団の創始者でもある師から教わったであろう格言と共に、数多の戦術ないし戦略の心得を説いてくれた仮面の騎士である。


 少年の知る仮面の騎士とは、いついかなる時でも余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)として、口達者で、酒と煙草と賭博をよく好み、およそ勤勉とは言い難い態度であり、稽古でも手を抜いてばかりでいたが――それでいて古参中の古参、魔術にも武術にも精通する指折りの実力者である。


 あの化物相手に苦戦するのは仕方ないにしても。

 そも、あんな規格外の化物に単騎で挑むこと自体が()()()()()。更に言えば、ここは敵陣の真只中(まっただなか)である。いつ、どこから刺客や凶弾が飛んでくるかも分からない死地である。


 少年が改めて仮面の騎士を見れば。

 そこで初めて視線がかち合った。


 死闘を演じながらも、存在を察知されていたことに少年は意表を突かれるが。


「……………」


 仮面の騎士は何事かを呟いたのち薄く笑った――ように見えた。当然ながら、遠く離れた少年には呟きの内容はおろか表情の変化すらも定かではなかった。戦地にいる者がよく陥る錯覚かもしれないという疑念もあった。


 だが、それでも少年は意図を汲み取った。強く頷いた後、すぐ背後にある崩れかけた物見櫓を見上げる。化物が何度もその巨体を打ち当てたせいで、支柱がひしゃげて今にも頂上から倒壊してしまいそうであったが――最早一刻の猶予もない。


 自らに魔術『隠密』をかけ直し、見張台から垂れ下がる縄梯子を必死の思いで駆け上る。

 見張台に到達すれば、据置式の大型弩砲(バリスタ)が一基あるのみであった。

 発射角は人力で上下左右に調整可能。十字状の把手(ハンドル)を回せば、板発条(いたばね)梃子(てこ)の原理で弦を張る、ごく基本的な構造のものである。台座に矢は装填されていない。

 少年が辺りを探せば、槍の如し大矢が麻縄で束ねられている。(やじり)は鉄ではない。『爆発石』と思しき橙色(だいだいいろ)をした火山岩が(くく)り付けられている。飛距離を犠牲に破壊力を追求した――紛う事なき攻城兵器である。


 ――そうか。先輩はこれを使えと言いたかったのか!


 地上では戦闘が再開したようだったが、少年は目も()れずに発射の準備に取りかかる。発射角に化物がいてくれるかだけが心配であったが、騎士が上手く誘導してくれることを信用する外なかった。


 大矢を溝に設置した少年が野営地を見下ろせば――化物はいた。いてくれた。騎士に頭部をかち割られ、大きく蹌踉(よろ)めいたところであった。


 ――今だ。迷っている場合じゃない。撃てッ!


 少年が引鉄(トリガー)を力の限りに引き抜けば、台座に乗せた三本の大矢が射出される。長弓(ロングボウ)(クロスボウ)の速度とはまるで比較にもならない――まさに光線の如し飛翔で――三本中二本が着弾、爆発した。


 少年は喜ぶが――すぐに現実に引き戻される。

 大矢は確かに(あた)った。鏃も爆ぜ、化物の片眼と片腕を吹き飛ばすことには成功した。だが、それだけであった。化物は死んでいない。それどころか怒りを露わにして、少年の立つ櫓に突撃して――支柱の一本を完全に折ってしまう


 櫓が基礎から崩れ、大型弩砲にしがみ付いた少年も重力に逆らえずに墜ちていく。いかに地面が柔らかい土とは(いえど)も、まず助からない高度である。()して頭からの落下である。化物が残ったひとつの(まなこ)を光らせて、少年が口に飛び込んでくるのを待ち構えている。


 窮地であった。

 少年は死を覚悟する。

 だがその刹那、ひとつの活路を見出す。

 呼吸が続く限界ぎりぎりまで海に潜ってから、水面から顔を出した時にも似た――晴れ晴れとした生命の歓喜であった。


 少年の理性が声高(こわだか)に告げる。

 こんなものは窮地でも何でもないと。『隠密』はまだ効いている。この程度の高さなど落下訓練で幾らでもやってきただろうと。下に化物がいるからどうした。そんなものは問題にすらならない。いいか、よく聞け。あれは僕を食らおうと待っているんじゃない。僕にトドメを刺されるためにやってきてくれたのだ。(かえ)って都合が良いと思え――。


 意を決した少年は、唯一の武器である短剣を握り『炭松脂(すみまつやに)薬包(やくほう)』で刃に炎を灯す。

 そして、猫が宙空でくるりと体勢を整えるように身体を捻ってから。


 ずばん、と。


 化物の額に短刀を深々と突き立てる。

 火は、瞬く間に化物の全身を包み――金属を擦り合わせたような甲高い絶叫を上げながら、化物は融点に達した(くろがね)のように溶け崩れていく。


 遺されたのは。

 かつて騎士団を襲った黒鉄の甲冑と。

 運良く食われずに残った雑兵達の屍だけであった。


 月が分厚い雲に覆われ、世界が照度を喪っていく――。

 少し経てば雪が積もりそうだなと少年はぼんやりと考える。


「お疲れさん。よくやった」


 少年が振り向けば仮面の騎士が立っていた。

 右手だけを器用に使って外套を脱ぐと、少年へ突き出す。


「先輩、何です? 羽織れってことですか」

「違えよ。俺はそんなに優しくねえ。そこかしこに転がっている武具を掻き集めて、この中に包めってことだよ。お待ちかね、死体漁りの時間だぜ」

「死体漁りですか」

「何だよ。言っておくが、敵さんの装備を鹵獲(ろかく)するのは鍛冶や製鉄の癖や技術水準を把握するためだぜ。戦争には必要なことだ。綺麗事だけじゃ騎士は務まらねえからな。それとも何かい。団長から別件を頼まれていたのか」

「いえ、僕の仕事は終っております」

「ならいいんだ。さっさと動け。拾い終わったら撤収だ」


 仮面の騎士は背を向けると、薙刀(グレイブ)連接棍棒(フレイル)を、またも右手だけで拾い脇に抱え込む。その振る舞いに違和感を覚えながらも少年は指示に従う。損傷の少ない手甲や盾、甲冑などをせっせと拾い上げ、包めるだけ包んでしまう。結び目に菱形槍(パルチザン)を通して担いでしまえば追い剥ぎか夜盗にしか見えない。己が行為に釈然としないものを感じたことは確かであったが、少年は反論を呑み込むことにした。


「おい。まだ『隠密』は使えるか」

「はい。精神力にはまだ余裕があります」

「良し。俺の『見えない体』と併用して、このまま敵陣を突っ切って砦まで帰るぞ。交戦は極力避ける方針でいく。こっちの術を看破する手練れがいないとも限らないから油断はするな。俺からは以上だ。質問はあるか」

「ありません」

「良し。使え」


 少年が『隠密』を使えば、仮面の騎士も聖鈴を鳴らす。

 瞬間、二人の存在が風景に溶け込んでしまう。


「ああ、そうだ。お前、こいつも持ってくれ」


 仮面の騎士は、足許に転がる誰かの腕を無造作に蹴り飛ばす。少年が目を凝らせば――傷と血に塗れた、鉄甲を嵌めた左腕である。特別価値のあるようなものには見えなかった。


「先輩。これは?」

「ん、俺の腕」

「……は?」


 少年が仮面の騎士を見れば――確かに肘から先は消失していた。魔術『見えない体』の効果ではない。その証拠に、今も朱い紅い血が絶えずに流れ出ている。

 少年は一瞬で理解してしまう。己が撃った矢の一本が命中してしまったのだと。間違いなく生命に関わる怪我であると。


「気にすんなよ。こんなものは掠り傷だ」

「僕は、なんということを――そうだ。聖女様にお願いすれば」

「止めろ馬鹿。それには及ばねえよ大袈裟な奴だな」


 仮面の騎士は酷く億劫そうに言ってのける。

 その態度に、少年は奇妙を感じた。


「今は精神力も温存したいから奇跡は打ち止めだがな。砦で一服でもしてから『中回復』をかければ、この程度治すなんてわけねえよ。うん? どうした」

「前々から気になっていたことがあります。先輩は、聖女様のことを嫌いなんですか」


 だから訊いた。訊いてしまった。

 口にしてから、時と場所にそぐわぬ失言であったかとも思うが、騎士は怒りも呆れもしなかった。言葉を探すように少々ばかり躊躇(ちゅうちょ)してから。


「ああ、嫌いだね。大嫌いだよあんな(ひと)


 と吐き捨てるように言った。平生の、揶揄(やゆ)諧謔(かいぎゃく)を多分に含み、本心かどうかも分からぬ声ではなかった。心底の侮蔑(ぶべつ)忌避(きひ)に由来する肯定であった。


 その返答が少年には意想外であった。

 仮面の騎士が感情をこうも露わにすることも珍しければ、また騎士団の一員ならば――創始者が先代聖女直属の筆頭騎士ということも相まって――聖女というものを崇拝していてもおかしくないと思っていた。


「どうしてですか。聖女様は、あんなにも僕らのために働いてくれているのに」

「だからだよ馬鹿野郎」


 仮面の騎士は即答する。

 だが少年にはその意図が読み取れない。


「確かに、あの女はやたら献身的だな。それでいて、どっかのクソ生意気な侍女と違って実に控え目で慎み深い。俺なんかと違って奇跡のイロハをしっかり理解してやがる。ああ、良いと思うぜ。誠に尊き聖女サマじゃねえか。お前や団長が入れ込むのも分かる。だがな、戦場に立つ者として、これだけは覚えておけ。お前も、もう新兵じゃねえ。年齢こそ若いが、いずれは部下を率いて戦う偉い指揮官様になるんだ。そういう奴ほど、あっさりと死んでしまうんだ。自分の死を何とも思わねえ。自分が助かることよりも相手の命を優先するんだ。遺されたこっちのことなんざ知らん顔だ。だから――嫌いで良いんだよ。俺一人くらいが嫌いだって言っておかないと均衡(バランス)が取れなくて気持ちが悪いだろう」


 仮面の騎士は笑った。

 少年の知る、いつもの笑い方であった。


「こんなどうでも話をさせるんじゃねえよ。それよりお前、今度からは射線の管理を意識しろよ。初めて触る兵器で標的の急所をブチ抜いたことは間違いなく大手柄だが――その直線上に仲間や人質がいないとも限らない。とくに大型弩砲(バリスタ)投石器(カタパルト)といった攻城兵器は要注意だ。ああいうのは狙いがブレやすい上、破壊力があり過ぎるからな。敵を殺そうと思って撃ったら、護るものまで壊してしまった――なんてことになったら笑うに笑えねえ。これは俺達が日頃から使う魔術や弩、投げ物にも言えることだがな」

「……はい」

「そんなに悄気(しょげ)(ツラ)すんなよ。俺はこの通り生きている。まだ死んじゃいねえ。まだ死ぬわけにはいかねえんだ。あれとやり合って腕一本で済んだのなら上出来だ」


 何事もないように仮面の騎士は言う。

 少年には、仮面の騎士どうして泰然としていられるのかが分からない。


 虚勢ではない。自分を安心させるための嘘でもない。仮面の騎士は腕一本が吹き飛んでも――いくら奇跡で治すことができるといっても――全く気に留めていないのだ。それが理解できなかった。仮令すぐには死なずとも、失血により身体は動かなくなる筈である。痛みだってある筈である。それ以前に、あれは一体何だったのか。どうして騎兵からあんなものが生え出していたのか。


 分からぬ事ばかりであった。己の預かり知らぬ場所で、何か途轍もない異変が起きているような気がして。自分が世界から爪弾きにされたような気がして。それを感知することのできない自身が途方もない愚者のように思えてならなかった。


「あぁ、そういやそうだ」


 一度は歩き出した仮面の騎士が振り返る。


「互いにいつ死ぬとも分からん身の上だからな。先に言っておくぜ。来てくれて助かった。ありがとさん」

「……いえ、こちらこそ」


 果たして己は本当に役に立つことができたのか。本当は一人で十分だったのではないか、自分が横槍を入れたせいで腕を喪失しただけじゃないのか――という負の思考が渦巻き、少年は素直に感謝を受け取ることができなかった。


「ところでお前、どうして夜に動けるんだ。夜は俺の専売特許だと思っていたんだが。聖女サマに加護のひとつでもかけてもらったのかい」

「それもあるとは思いますが、薬の効果かと思います」

「はぁ?」


 仮面の騎士が大声を上げる。


「薬っていうと、帝国の屍体から剥ぎ取ったあの丸薬のことか」

「そうですが――というか大声を出さないでください。いくら『隠密』でも流石に発覚(バレ)てしまいますよ。ほら、先輩が喚くから見張りが来たじゃないですか。隠れますよ」


 少年が見れば、長柄の燭台(ポールトーチ)を持ち、臙脂色(えんじいろ)の頭巾で顔を覆い隠した兵士が徒党を組んでやってくる。正規軍とは異なる薄汚い装備から察するに、大方、流刑兵といったところか。


 二人が草叢(くさむら)に身を隠していれば、歩哨(ほしょう)達は首を傾げながらも持ち場に戻っていく。


「先輩、お願いしますよ。今の先輩は腕がないんですから。僕だって装備は短剣一本だけです。包囲されたら終わりですよ」

「腕がないって酷い言い草じゃねえか。左手だけでも十分戦えるぜ」

「弱いという意味じゃありません。物理的にですよ。というか怪我の処置はしなくていいんですか。包帯ぐらいなら腰袋に入れています。止血帯ぐらいさせてください」


 仮面の騎士の傷口からは未だに血が垂れて、黒革の胴着(ベスト)長靴(ブーツ)をべっとりと濡らしている。普通であれば意識を喪失している量である。(もっと)も、普通という概念をこの騎士に用いて良いものなのかは少年には分からないが。


「気持ちだけもらっとく。下手に止血をして患部を壊死させたら腕がくっつかなくなるからな。これはこのままでいいんだ。それに『血赤の苔玉』はさっき食らったからな。失血死はしない予定だ。偶然腰袋に入ってたから助かったぜ」


 出陣前の自分には感謝しないといけねえ、と仮面の騎士は愉快そうに(うそぶ)く。

 『血赤の苔玉』――気付け兼血液の増進剤であり、大量出血をした際に服用する薬のひとつであり、また(うじ)避けにも用いられる。少年も矢傷を負った時に初めて口にしたが、あまりの苦さと土臭さで半分も嚥下(えんげ)できなかった。色々な意味で苦い思い出である。


「そんな話はどうでもいいんだよ。薬を飲んだのは本当か」

「はい。何か、まずかったんですか」

「……いや、これは俺の勝手な予想だ。早とちりとも言い切れねえ。だから詳しいことは聞くな。飲んだのはいつだ」

「砦を出る前ですから、およそ三四時間ほど前になるかと」

「そうかい。効果はどうだ。月蝕病の兆候は?」

「いいえ。至って良好です。これがあれば夜間の戦闘も問題ないでしょう。団長には是非量産すべきと提案したいと考えております」

「ああそうかい。その団長は、お前が薬を飲むことを許可したのか」

「いや、それが、その――何と言ったら良いのか。事後承諾になりますかね」


 ここにきて少年の歯切れが悪くなる。


「うん? お前の勝手な判断か。というかそもそもお前はどうしてここにいるんだ。お前の御役目は喫茶店を開きたいとか抜かしやがる、実にめでたい聖女サマの護衛だろうがよ」

「それはそうなんですが――夕暮れ時に、聖女様からの差し入れと御守り、その他諸々の報告を砦に持ち帰った際、団長と副団長が丸薬をどうするかという軍議をしておりまして――王都の薬師に解析を依頼するか、はたまた罪人に投与して治験するかという話にもなったんですが、その時間も惜しいと思って強引に僕が服用してしまったんです。やっぱり先輩も怒ってます?」

「……馬鹿言え。俺は誰かを怒れるほど立派な人間じゃねえんだなこれが。しかしまあ、お前も随分と無茶をしたな。普通は毒を疑うところじゃねえか。危機感を持てよ危機感を」

「いえ、勝算があったもので」

「勝算だあ?」

「はい。聖女様が手ずから作っていただいた御守りです。強い祝福が掛けられているようで、仮に毒に(かか)ったとしても相殺してくれると思いました。まあ、団長は頭を抱えておりましたが」

「……そうだろうな。冷血な参謀殿ならともかく、団長はお前が心配で心配でしょうがないだろうな。良し、そうと決まれば、さっさと帰って無事を報告するぞ。そしてお前はしばらく休むことだ。聖女サマの護衛も放り投げて、他の奴にでも任せてしまえ。こんな月夜に出歩くなんて伊達や酔狂にもほどがある」


 訳知り顔で頷く仮面の騎士に。


「先輩は何を疑っているんです?」


 少年が当然の問いを投げかければ。


「まあ心配すんなよ。お前が深淵に墜ちた時には」


 容赦なく殺してやるからよ――と仮面の騎士は(よど)みなく答えた。

 その言葉の意味を少年はやはり理解できなかった。

書き溜めが尽きたので充電期間に入ります。くぅ疲。

しかし書き進める事に内容が重くなっていく。ホントはもっと気軽に書けて、気軽に読めるような内容にする予定だったんですが。執筆する側の精神状態に左右されるんですかねえ。

次の章は起承転結で言うところの「転」にするつもり。物語の結末もそろそろ意識しないといけないので。しかしまあ風呂敷を拡げるのは簡単だけど畳むのがめんどい。誰だこんなものを書いたのは。

あー早くエルデンリングのDLC出てこないかなあ。でも即買うかどうかはちょっと微妙なところ。何せ本編の出来がアレだったし、アプデが来たと思ったら「フェーズを追加しました」とか「意図せぬ~」だからなあ。信用第一の客商売でこんなこと言える神経が理解できないのだが? 企業体制ほんとうに大丈夫なの? 重要人物が急病になったとか退職したの? というか簡悔拗らせたアプデが多すぎね? ってマジで不安になったもの。こんだけ催促しているけれど、ちょっと様子見したいというのが本音。即買いできるような信用信頼はもう無いです。とりあえず戦灰の「居合パリィ」が復活したら起こしてください。

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