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46.仮面の騎士オスカーは敵地の真只中に立っていた。

※今更ですが暴力的な表現、奇怪醜悪グロテスクな表現があります。ご注意を。正直、こういう話を書いている方が私としては本当に楽。何も意識しなくて良いから。

 仮面の騎士オスカーは敵地の真只中(まっただなか)に立っていた。近傍(あたり)を馬防柵で囲った手狭な野営地である。足許には幾多の(かばね)が転がるばかりで仲間はいない。単独(ひとり)であった。

 時刻は真夜中である。だが天蓋にしがみ付いた月が(うるさ)いほどに照っているため少しも(くら)いとは感じない。己の影法師が今し方切り伏せた帝国騎士の屍体に覆い被さるように伸びている。


 重甲冑による強靭を(たの)みに、特大剣を軽々と振り回す難敵であった。日頃から斬撃を主体とした軽量武器である『打刀』を好んで使う身としては(いささ)か相性の悪い相手であった。


 だが殺した。殺すことができた。


 オスカーは先刻の死合いを振り返る。

 板金鎧(プレートメイル)に文字通り刃が立たないと判るや否や、両手持ちを解除して、左手を魔術兼奇跡触媒である『結晶の聖鈴』に持ち変えた。軽業師の如し後方宙返りで間合いを確保すると、間髪入れずに『強い魔術の太い矢』を詠唱――具現の後に発射された青白い光弾は、相手の右脚を防具ごと、いとも容易に圧し折ってしまった。


 (やっこ)さん、太矢の威力にさぞ青褪めたことだろう――とオスカーは嘲笑する。


 魔術とは論理的な学問体系であり、その威力は術者の理力に依存するというのが世間一般の了解である。即ち、奴から見れば、今まで互角に斬り合っていた相手が本職顔負けの魔術を放ったのだから――こちらの正体は魔術師か最低でも魔術剣士となり、つまりは加減されていたことになるのだから。


 それは(おおむ)ね事実である。否、間違いなくオスカーは遊んでいた。そして飽いたから隠し球の魔術を引っ張って終わらせようとした。ただそれだけの話である。


 だが、四方を取り囲み、今か今かと機を窺っていた兵士達が黙っていなかった。上官を護るべく、素槍(ショートスピア)短剣(ダガー)を携えて吶喊(とっかん)するが――脅威にはなり得なかった。

 オスカーはまたも魔術を使った。『魔術の大剣』で迫り来る雑兵達を薙ぎ払えば、上半身と下半身が分かたれた幾つもの屍体ができあがる。(およ)そ五六名――正確な頭数を覚えるつもりは微塵もない。どうせ最後には全員殺してしまうのだから。記憶する意味がそもそもない。


 片膝を突いた騎士に近寄り、腰に忍ばせた『鎧貫き』を首許に差し込む。何の感動も嫌悪もない。ぐるりと(きっさき)(えぐ)るように掻き回してから引き抜けば、騎士はあっけなく死んだ。


 以上が事の経緯である。


「…………」


 オスカーは自らが殺した者達を注意深く観察していた。彼らが動かないことを。本当の意味で死んだことを確認してから『打刀』を鞘に収める。刀身には大小幾つもの刃毀れと血糊が付着していたが、懐紙で拭うことすら億劫(おっくう)であった。長過ぎる残心には当然理由がある。


 ――流石にそう易々とは蘇ってくれねえか。


 オスカーはひとつ疑念を抱いていた。

 数日前、国境沿いの原生林を哨戒中に奇襲を受けた際――月の照る夜間しかも騎兵を先鋒とした偵察部隊である――部隊は撤退を余儀なく迫られ、応戦に出向いた己も浅からぬ傷を負ってしまったが、それは別に構わない。問題は、殿(しんがり)を務めた団長が騎兵を地に叩き伏せ、その胸を直剣で貫いたが――それでも騎兵は死ななかったことである。


 その場にいた後輩(いわ)く、その騎兵は不死身や死神などと名を馳せている有名な傭兵らしいが――不死身など()()()()()存在しないことをオスカーは知っている。何らかの絡繰りが間違いなくあるのだ。具体的には――。


 ひとつ。

 奇跡『惜別の涙』に代表される、ある種の保険を(あらかじ)めかけていた。(ある)いはそれに準ずる、身代わりになる装身具を身に着けていた。『犠牲の指輪』が良い例である。これならば対処は簡単である。死ぬまで殺せばいいのだから。


 ふたつ。

 そいつは心臓が左右逆位置で、偶然死なずに済んだだけ。これも楽だ。次は首を落とせばいい。


 みっつ。

 元より、不死人(ふしびと)と呼ばれる呪われた体質であること――或いは最初から死んでいたか。こうなれば話は変わってくる。ごく稀にいるのだ。神話や聖典に出てくるような異質な存在が、ある日ひょっこり現れることが。この場合も例に漏れず、死ぬまで殺せばいいと言ってやりたいところだが――そのような連中は往々にして人間性が腐っている。(ただ)れているのだ。


 不死と人間性の腐敗に如何なる関係があるのかは知る由もないが――ふとした瞬間、神の枷である人の形を内側から食い破り、真黒(まっくろ)に肥大した深淵の化物が暴れ出すのだ。その様は、(さなぎ)から蝶へ変態する(むし)の如しであり、この世のものとは思えぬ壮絶な光景となる。


 ――怪しいのは三つ目だろうな。


 帝国が開発したという月蝕病(げっしょくびょう)の特効薬が悪さをしているのだろう、とオスカーは察したつもりになる。そして静かに嘆息する。その吐息は、面頬と高い詰襟に阻まれ、外に漏れ出すことはなかったが。


 特別、難しい話でもないのだ。

 月光は人間を狂わせる、故に浴びてはならない――今や子供でも知る規律である。


 つまるところ。

 月光というものは、理性に(ひび)を入れ、人間の根底に眠る昏い欲求を増幅させるものである。(しこう)して、その効果は何も内側だけに限った話ではない。耐性を持たぬ者が浴び続ければ――例えば嬰児(みどりご)、女子供、年寄りなど、世に言うところの弱き者達が――いとも容易に人の形は崩れ去る。その代わりに生え出してくるのが、黒々とうねりを巻いた蛇とも蜥蜴(とかげ)ともつかぬ形容し難い化物である。しかもその変態は不可逆である。


 一度(たが)が外れてしまった者は殺すことでしか救えない。古来より、人はそれを月蝕病と呼び、月を忌避してきたが――いつしかその禁忌も伝承でしかなくなった。今では、街往く多くの者達が、それは訓戒が込められた、ただのお伽話でしかないと思っているのだから嘆かわしいものである。歴史を読み解く理力もなければ、事実と見做(みな)す信仰すらも持ち合わせていないのだから馬鹿は救いようがないのだとオスカーは辟易とする。


 ――もしも、薬の作用が。


 月明かりが(もたら)す変調の無効化ではなくて。発症ないし変態に至る(まで)閾値(いきち)のみを引き上げるものでしかなかったら。よくないものを溜め込むだけの――凡そ発症を遅らせるばかりのものでしかなかったとしたら。


 限界まで(つが)えた弓矢を更に引き絞るようなものである。当然弓は壊れるだろうし、放たれた矢もどこに跳んでいくか判ったものではない。

 時が来れば、めでたく、敵味方の見境なく暴れ狂う化物が一匹完成するわけである。


 これが帝国側にとっても意図せぬ事故であるならば、まだ救いはある。或いは薬効の限界は把握しており、服用者に発症させないことを徹底しているのならば。


 ――だが。


 人ならず者として再誕することが織り込み済みであるならば。死亡と同時に発症するよう緻密に計画されていたならば――あまりにも性質(たち)の悪い生物兵器である。


 今は、まだいい。所詮予断でしかないのだから。

 だが念のため報告は上げておくべきだろう――。


 旗揚げ当時からの古株しか知らぬことではあるが。

 第一騎士団に与えられた本当の任務とは。

 人の裡から溢れ出す深淵の監視と殲滅なのだから。




 オスカーが引き揚げようとした時。

 蹄鉄が土草を踏みしめる音がした。


 振り返れば――件の騎兵がいた。

 噂に違わず、巨大な軍馬に跨がり、得物の薙刀(グレイブ)もまた大きい。黒一色の甲冑は月光を反射して濡れたように光っている。金属板の左胸は菱形の穴がぽっかりと空いている。血が垂れた痕跡まで残っている。何の変哲もない直剣で重厚な鎧を刺し貫いた団長の技量も()る事ながら――通の人間ならば死んでいる(はず)である。


 ――さて、予想が外れてくれることを祈ろうかね。


 オスカーは背負っていた大剣を右手に、鉤状の短刀に左手に持つ。かつて師から賜った双刀武器であり――深淵に相対した時に真価を発揮する自慢の逸品である。


 だが、それ以上に。


 かつて、人間性の膿に呑まれた大切な者を。

 殺してくれ、と請われながらも。

 情に(ほだ)されたがゆえに殺せなかった。


 それゆえに破門されたオスカーにとっては非常に思い入れのある得物であった。自らの無能を象徴とすると同時に、今度こそは鏖殺(おうさつ)してくれるという覚悟の証であった。


 他に理由を挙げるなら。

 (およ)そ一対多を()いられる屋外戦闘において、左手の短刀を地面に(くさび)として突き立て、右手の大剣を遠心力で振り回す――相手を翻弄、攪乱する狼の如し剣技が大いに有用であった。また大剣でも怯まぬ強靱お化けを相手取る際も、短刀で攻撃を受け流すなりして、隙だらけになった顔面を叩き割れば良いため――左右一対で攻防が完結するこの武器をオスカーはいたく気に入っていた。


 オスカーが騎士団において御法度である単独行動を赦されているのも、この剣技に依るところが大であった。呼吸を合わせて戦うことができる者は、オスカーの知る限り団長ぐらいである。他の者では足手纏いどころか同士討ちの危険があり、随伴させる意味はなかった。


 オスカーは大剣の剣先を相手に向け、逆手に握った左手の短刀を、右腕に交差させるように構える。

 『不死隊の儀礼』である。

 今や、この儀礼を知る者は師を除き誰ひとりとしていない。先代聖女が存命の時から伝わる由緒ある作法――死合う前の挨拶である。何せ、これを見せた者は例外なく殺してきたのだから。


 その作法を、礼節と受け取ったのか挑発と受け取ったのかは判らないが。

 騎兵は頭上で薙刀を威嚇するように軽々と振り回したのち、馬の横腹を蹴って一直線に走らせる。

 反応速度良し。骨格体格ともに申し分なし。闘志も大いに十分。一目でよく訓練されたと判る名馬であった。騎兵は、薙刀の先端を地面に擦りながら迫り来る。接近と共に切り上げるつもりなのだろう。


 ――こりゃ駄目だ。下手に受けたら腕ごと持っていかれちまう。


 薙刀の軌道を見切ったオスカーは最小限の体捌きで斬撃を(かわ)す。(ぎら)ついた刃が胸元を掠め、軍馬が真横を疾駆(しっく)した風圧が襲う。背筋が凍え、脚の筋肉が緊縮するが――その緊張が心地良いことを思い出す。

 己の見切りは少しも鈍っていない。(むし)ろ冴えに冴え渡り、研ぎ澄まされた境地にいるのだ。今からこの集中力を(もっ)て殺し合うのだ――という高揚すら覚えた。平和で安穏とした社会では到底味わうことのできぬ喜びである。

 平生においては、やれ文化だ、やれ文明だと賢ぶって生きてはいるが。人間というものは一枚皮を剥いでしまえば根っからの狩猟民族なのだろうとオスカーは頭の片隅で思う。今、己が面頬を着用していて良かったとも。


 きっと己は冷や汗に塗れながらも笑っているのだ。

 それも、さぞ醜悪な笑みを浮かべている筈である。

 何せ表情筋が痛みを訴えているくらいなのだから。


 いくら相対するのが、これから殺してしまう者とは(いえど)も、同じ人であることには変わりない。今の顔は見せられない。それくらいの羞恥心は持ち合わせている。己はまだ人間である。一応、今のところは。


 ――嗚呼、だから己は。


 不吉な兜と面頬で、素顔と素性を(ひた)隠しにして。

 師からはオスカーという偽りの名まで頂戴したのだ。

(訊けば、何でも『神の槍』という意味らしい。あてつけのつもりだろうか。底意地が悪いにも程がある!)


 (もっと)も、秘匿と窮屈は表裏一体(トレードオフ)にある。

 秘匿が重ければ重いほど、枷はより厳重となるのが自明の理である。

 神の復讐者として、屍体から『約定の証』として耳を削ぎ落として回るその度に、兜と面頬を深く被り直して。ただそれだけで自分がまだ人間の形を保っていることに安堵して――。


 ――ともすれば。己は、己でも気付かぬうちに。


 既に引き返せぬ処まで至ってしまったのではないだろうか。

 誰かを殺す度に雑念が過るのだ。此処が分水嶺ではないかと。届かぬ復讐劇を続けても意味などあるものか。最早潮時――年貢の納め時なのではないかと。


 益体もないことを考えていれば。


 離れたところで騎兵は馬首を(ひるがえ)し、駆け出す――と思った時には跳んでいた。

 遠間にいたはずの一人と一頭は眼前にいた。動く間もなく薙刀が繰り出される。死角から襲い来る、胴体を掻裂くが如し渾身の横薙ぎであった。


 死んだ、と思った。


 だが、身体が勝手に動いた。

 短刀の鉤と手の内を上手く使い、薙刀をいなす(パリィ)ことに成功する。


 抵抗がなくなり――寧ろ慣性を増したせいで――薙刀は騎兵の手から抜け出し、屍体ばかりの地面を、(おか)に打ち上げられた青魚のように跳ねながら、あらぬ方向へ転がっていく。


 騎乗戦闘における定石としては、武器のの持ち手と、突撃槍(ランス)棍棒(メイス)といった得物の柄を、落下防止のために鎖か麻縄で括るものであるが――先の奇襲において、団長に武器ごと叩き落とされた経験から廃止したようである。尤も、この場合においては裏目に出てしまったようだが。


「やるねえ。修羅場を(くぐ)った数は伊達じゃないってところかね」


 我ながら手本のような捌きぶりであったとオスカーは自画自賛する。


 騎兵は、あまりのことに呆然としている。

 軍馬も、着地したばかりで当然動けない。

 動けるのは己だけであり――その時には大剣を振り落としていた。


 ――馬鹿みてえに重い得物を、これまた馬鹿のひとつ覚えにブン回しているから手前は駄目なんだ。脳味噌まで筋肉でできてんのか。来世から出直して来やがれ脳筋野郎――。


 オスカーの剣が大地に叩きつけられる。

 攻撃は命中したが――手応えは浅い。


 離脱した騎兵は、またも離れた位置でこちらに向き直る。

 見れば、太股を護る装甲がひしゃげ、下品な肉色をした大腿骨と筋繊維が露出して、黒い血が滾々(こんこん)と滴り落ちているが致命傷にはほど遠い。このような戦場においては心地よい刺激にしかならないだろう。

 案の定、(バケツ)を逆さまにしたような鉄兜の奥にある二つ瞳は、肉食獣のように煌々(こうこう)と光っている。


 ――けっ、面白くねえ。千載一遇の機会だっていうのによ。


 相手が回避できたのは、危機を察知した軍馬が勝手に走り出したからである。此方の不手際ではない。相手の練度が高かったのだ。そうと判っていながらも。相手が、咄嗟の機転も利く木偶の坊ではないことを喜ぶべきだと判っていても――惜しいものは惜しい。オスカーは静かに歯噛みしたのち――またも下卑た笑みを浮かべる。


 足許に転がった雑兵の丸っこい金属兜を救うように蹴り上げると、騎兵に向けて、勢いを付けて思い切り蹴り飛ばす。

 兜は狙い通り、放物線を描いて、騎兵の頭部にかつんと命中したが――大した痛みもないようで騎兵は動じない。憤りながらも観察するような視線を向けている。


 ――相手もそこまで馬鹿じゃないらしいな。


 前回()()()()反省から紐は取りやめている。今だって本当は逃げ出すか武器を拾いに行きたいのに、背を向けずに踏ん張っている。下手に動けば魔術を(ぱな)されると判っているからだ。相手もそこそこの手練れらしい。


 ――悪いね。『不死隊の儀礼』を見せた奴は、どんな手を使ってでも必ず殺すと決めている――いんや、言いつけられているんでね。逃がすわけにはいかねえ。素手だろうが何だろうが、やってきてくれなきゃ困るんだよ。


 オスカーは右手の大剣を雑兵の骸ごと地面に突き立てると、腰袋(ポーチ)に手を伸ばし、凍り付いた球状の固形物をひとつ取り出す。


「食らいやがれ。とっておきだよ馬鹿野郎」


 揶揄(やゆ)と同時に、あまりにも緩い軌道で投擲された黒い玉は騎兵の胸元――心臓の穴に吸い込まれるかのように命中して、べちゃり、と湿った音を立てる。


 騎兵は、泥か(にかわ)の如し粘性あるものを不思議そうに指で(すく)い――その物体の正体に思い至ったのだろう。先程よりも強い眼差しをオスカーに向ける。


 投げられたのは『糞団子(くそだんご)』である。

 乾いた排泄物であり、その割れた内は瑞々(みずみず)しい。


 オスカーにとって、武器や防具といった兵装は全て消耗品である。その場限りの使い捨てである。

 如何様な武器でも使い(こな)す技量を持つがゆえに特定の装備を好まない。己が修練のためという理由もないわけではないが、新鮮な気分で人を殺すためという(おもむき)が強い。同様に、腰袋の中身もその日によってまちまちである。『ククリ』や『投げナイフ』などといった投げ物で固める日もあれば、『緑化草』と『赤虫の丸薬』などの薬物だけを詰め込み、白兵戦と洒落込む日もある。


 気紛れかつ飽き性な性質も相まって、武器が手に馴染む頃には、鍛冶屋に売り払うか、同僚に押しつけてしまうことが(ほとん)どである。今佩用(はいよう)している『打刀』も、師から譲り受けたまたとない業物と理解しながらも、後日見込みある後輩に二束三文で売るつもりでいた。手入れが面倒であり、刃筋の角度を少し誤っただけで刀身が撓り、根元から破断しそうになるから妙に気疲れをしてしまうのだ。何より、その長さが災いして坑道や屋内といった閉所では気軽に振れないという点も気に食わないためである。


 このように、己を含めたありとあらゆる存在に執着を持たぬオスカーだが『不死隊の大剣』と、この『糞団子』に限っては別であった。


 官舎からほど近い場所にある下水専門の掃除屋から、わざわざ安くない金を払って仕入れている一流の排泄物である。また、オスカー個人が栽培する『毒花』の抽出液を混ぜ込むという手間も加えている。

 臭いも強く、あまり持ち歩きたくはないものではあるが、魔術『瞬間冷凍』を付与することで、悪臭および毒性、そして見た目を、霜を纏った土塊(つちくれ)程度に抑えることに成功している。


 挑発にはもってこいの品である。相手が、誇りや矜持といった騎士道たるものを重んじる性分であれば効果は覿面である。


 オスカーはこの『糞団子』を投げつける瞬間がたまらなく好きだった。こと戦場においては、高潔であることなど何の役にも立たぬことを知っているためである。文字通り、糞の役にも立たないのだ。糞を浴びて、その猛毒で悶え苦しむのなら、お前は糞以下の存在なのだと言葉にせずとも伝えてやりたいのだ。()()()()()()()帝国を憎悪するオスカーにとっては愉悦ですらあった。


 生者には糞を投げつけ、死者には剣を突き立てる。

 覆面の下では頬が引き()るほどの冷笑を浮かべ、世界のありとあらゆるものを怨嗟を撒き散らし――そんな自分の手も、しっかりと糞に塗れているのだから何と素晴らしいことか――己は己でいられる。己が存在を認識できるのだ。どこまでも歪んだ、鬱屈して捻じ曲がった正義感と自尊心、居所を喪った承認欲求が見せる幻影である。


 そんな矮小な己の最期は、溝鼠のように――或いは泥棒を失態(しくじ)って野垂れ死ぬ義賊のように――下水に顔を浸し、汚水百足(おすいムカデ)に手脚を(かじ)られながら、誰にも知られることもなく独りで死ぬのだろう。何ひとつも成せないままに。そうでなくては筋が通らぬ。騎士でもなければ平民でもない。寧ろそれ以下の、穢れに満ち満ちた最低の人間ではあるが。それでも、最低の人間には、最低の人間なりの矜持というものが――作法というものがある。なくてはならない。


 騎士が、正面だけが傷ついた伝家の甲冑を誇るように。

 盗人が、盗みを働いた理由の小ささに照れ笑いを浮かべるように。

 呪術師が、修めた異端と処世を弟子に滔々(とうとう)と説くように。

 聖職者が、己が無欲と無力を理由に、悪びれもせずに寄進を強請(ねだ)るかのように。

 持たざる者が、腰に巻いた襤褸(らんる)の恥部隠しだけで堂々と往来を闊歩するかのように――。


 オスカーが、作法の一つである『開戦礼』を優雅に行えば。


 騎兵は背後に手を回し予備(サブ)の武器を取り出した。

 (とげ)の生えた球と長い柄を鎖で繋いだ――所謂(いわゆる)連接棍棒(フレイル)と呼ばれるものである。


 騎兵は再び馬を走らせる。

 それを見て、オスカーは感心と同時に侮蔑を抱く。


 感心すべきは、武器の選定と攻勢に転じる迄の速さである。特に連接棍棒というのが良い。柄と打撃部が鎖でのみ繋がっているために、弾けない(パリィ不可)どころか、馬上においては遠心力が味方して、ただ振り回すだけで強いのだ。頭部にでも当たれば、頭蓋が陥没して脳症を撒き散らすことになるだろう。鉄球の表面に、びっしりと鋭利な棘が生えているのも実に良い。出血させることができるし、そのような傷は治り難く、それだけ感染症に(かか)危殆(リスク)も高くなる。


 攻めの判断も悪くはない。何せ、こちらは大剣を地面に差した(まま)であり、短刀は腰に戻してしまった。端から見れば慢心しきった隙だらけの姿であろう。これ以上ないくらいの好機だろう。


 だが――。


「遅えよ馬鹿が」


 オスカーが毒吐くと同時に、軍馬の両目が()ぜた。

 火薬を詰めた素焼きの陶器『火炎壷』である。

 騎兵が走り出す前には――『開戦礼』をした時には既に放り投げていたのだ。


 だが、両目を潰された程度で血気盛んな戦馬は止まらない。そして騎兵も勢いの儘、連接棍棒を振り被るが――地面に転がる屍のひとつを踏みつけたせいで。

 雑兵の顔面を真上から踏み抜いたせいで――骨を圧し潰し粘膜と肉が磨り潰される、くちゅり、とも、ぽきょり、ともつかぬ妙に軽く間の抜けた音がした――重心が(すべ)り、前足から(もつ)れて転倒してしまう。騎兵も、攻撃に意識を割いていたせか(したた)かに落馬する。


「ウン。やっぱり手前は馬鹿だ。大間抜けだよ」


 巻き込まれない位置まで退いていたオスカーは、放置していた大剣を諸手で引き抜くと、起き上がろうと藻掻く軍馬の頭を叩き割る。次いで、すぐ側で(うめ)く騎兵の右腕と左足を両断する。


 声にならぬ断末魔が上がるが――否、声にならぬは正確ではない。帝国(なま)りの耳障りな異国語である。オスカーの耳は確かに「痛い」「慈悲を」「嗚呼、神よ」などという命乞いを聞き取ったが――意にも介さない。


「この世に神様なんぞいるわけがねえだろ。というか死神は手前の方だろうが。神が神に祈るなんて何の冗談だよ面白くもねえ」


 騎兵は続けて呻く。

 貴公は女神の信徒ではないのか。

 復讐者ではなかったら。

 どうして我らの耳を狩るのだ――と。


「復讐ってのは間違いねえが、あんな胡散臭い教えなんか信じるわけねえだろ。第一、人が死ねばお月様に昇るってのが出鱈目なんだよ。仮令(たとえ)行けたとしても、そんなのは底抜けの善人だけだよ。俺や手前みたいな悪党は地獄に行くんだって大昔から相場が決まっているんだ」


 地獄だと。

 地獄とは、何だ――。

 騎兵は声を振り絞って尋ねる。


「生前悪いことをしでかした俺達みたいな連中を集めて、徹底的に痛めつけて懲らしめようとする悪魔(デーモン)やら牛頭(ごず)やら馬頭(めず)跋扈(ばっこ)する――それはもう素晴らしい掃き溜めの吹き溜まりだよ」


 そんな、馬鹿な。

 私は、死ねば報われると。

 死ねば満月に――。


「あんな綺麗な場所に俺達の居場所があるわけねえだろ。というわけで、素直に絶望したままおっ死んでくれや。俺もそのうち逝くからよ」


 騎兵は最早何も言わなかった。

 オスカーは騎兵の首を落とす。


 首級(しるし)は転がり、胴体と頭部の切断面からは乾溜液(タール)にも似た黒い液体が溢れ出すが――それもすぐに止まってしまった。


 人間としての騎兵は間違いなく死んだ。

 時折、指先や爪先が僅かに動くが、戦場では()して珍しくない光景である。


 暑さに参ってひっくり返った蝉が脚を動かすように。蜘蛛の巣にかかり頭をもがれた蜻蛉(とんぼ)が、それでも(はね)を動かすように。腹を食い破られて液体を拭き(こぼ)す揚羽蝶の蛹が、それでも尚がさごそと(うごめ)くように――まるで意味のない現象である。


 ――はてさて。このまま黙って死に続けてもらいたいところだが。


 オスカーが見下ろしていれば。


 騎兵の潰えた肘と膝から血飛沫が上がった。


 地面に散ったその液体は次第に凝固して――鞭或いは蛇のように一本一本が身体をうねらせて――怪鳥の如し産声を挙げながら、異形の化け物が、騎兵だった者の上半身を食い破って這い出てくる。

 頭部は蜥蜴のように丸く、二本の前足には発達した鉤爪がついている。鱗のような凹凸(おうとつ)に覆われた体表は滑々(ぬらぬら)とした光沢を纏い、二つの(まなこ)の上には、歪に捻れた角が生えている。


 血走った双眸がオスカーを補足する。

 理性の欠片も見出せない、欲求に呑まれた深淵の化生である。

 だが、オスカーは怯みも焦りもしなかった。

 悠然と、大剣と短刀を構える。


「師がくれやがった深淵狩りの剣技、今此処で披露してやろうじゃねえか」


 ここからが正念場――否、本領発揮である。


 此処が敵陣であることを思えば、今すぐ遁走(とんそう)しても文句は言われない。寧ろ、好き勝手に暴れてさせた方が何かと都合が良いことは分かっていた。


 だが、腐敗して暴走した人間性を――人の膿を滅せるのは。

 その使命を背負っているのは、今となっては己だけである。


 だからやるのだ。

 やるしかないのだ。


 仮面の騎士オスカーは。

 閉ざした瞳の裏に、ひとりの娘の影を見た。

なんで私は『糞団子』を投げる描写をこんなにも大真面目に書いているんでしょうか……?

きっと、大好きだったのだろう(ダクソ知ってる人にしか分からないネタ)


それはそうと『ファランの大剣』格好良いよね。

特殊モーションがある武器ってそれだけで素敵。エルデンリングにはそういう武器あんまりないような……いやそうでもないか。『蛇骨の刀』とか『ツリースピア』とか『カーリアの騎士剣』とか『ミケラの騎士剣』とか色々あるか。しかしまあ戦技の変更不可だから使わないけど。何を思ってこういう仕様になったのか。これが分からない。正直エルデンは「もっとこう、どうにかならなかったんですか!?」みたいな些細なことが多すぎて、ね。まあそのお蔭でダクソⅢの完成度の高さを再評価することができたからある意味良いとは思うけど。やっぱりオープンワールドの開発ってしんどいよね。それはそうとDLCの開発が順調ってホントなの? 音沙汰ないけど大丈夫ですかね。掌返す準備はしているからフロム様がんばって。

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