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41.私達の沈黙を破ったのは、玄関の扉を叩く、重く低い振動であった。

 私達の沈黙を破ったのは、玄関の扉を叩く、重く低い振動であった。二回続けて鳴らされたその叩音(ノック)で私は私という自我を取り戻す。


「――はい、只今参ります」


 脊髄反射的に返事をして、カウンターとホールを隔てるウェスタンドアを抜けて戸口に直行する。視界の隅で、カイル君が私を引き留めようと手を伸ばしたことには気付かぬふりをした。


 扉を静かに開ければ。

 背の高い男性が陽光を遮るように立っていた。


 身長差は(およ)そ頭ひとつ半。見上げてもまるで表情が分からないのは、逆光ゆえに陰影(シルエット)が黒く染まった以上に、先端を尖らせた帽子を目深に被り、黒布で鼻までを覆っているからである。人相が窺えるのは目許だけであり、色素の薄い煤色(すすいろ)の瞳が私を見詰めているが――何の意図も汲み取れぬ無機質な(まなこ)であった。


「どのようなご用件でしょうか」


 動揺を表に出さぬように、微笑みながら尋ねる。


 この男性を下手に刺激しては(まず)いと直感したのは、彼の右手に、折り畳み式の大鉈とも大鋸(おが)ともつかぬ血塗れの凶器が握られていたからである。腰の革帯(ベルト)にも短銃がぶら下がっている。纏う涅色(くりいろ)の外套も、革製の重厚な靴も、三角帽子も手甲も――比喩でも何でもなく、頭から血を被ったかのように、しとどに濡れている。


「唐突なる来訪、失礼。火急の用件ゆえ何卒ご容赦を」


 男性はそう告げると、右手を胸元に添え、左手を水平に伸ばす――『簡易拝謁』の身振り(ジェスチャー)を示す。指先の一本一本にまで意識を注いだ優雅で洗練された姿に、先刻とは違う意味で目を奪われてしまう。


「私は連盟より派遣されたただの遣いだ。此度(こたび)は法王からの書簡を持参した次第である。貴女は、この館の主で間違いないかね」


 男性は抑揚のない声で尋ねる。尋問されていると感じてしまうのは、男性が纏う威圧感のせいか、(ある)いは何者かを鏖殺(おうさつ)したばかりの風貌のせいなのか。いずれにせよ私には頷くことしかできなかった。当然、法王なる人物から手紙を渡される心当たりなどあるわけがない。


「そう怯えなくとも結構だ。貴女は獣ではなく人間なのだろう? それに血に酔ってすらもいない。ならば取って食いはしないのだから。ほうら、受け取り給えよ。署名(サイン)の類は結構だ」


 何が面白いのか男性は愉快そうに言うと、懐から細長く丸められた羊皮紙の束を取り出して、私に差し出した。


 私が恐る恐る受け取れば、男性は(きびす)を返して足早に去ってしまう。陽の許を歩いている(はず)なのに、黒い影ばかりが際立って見えるせいで、この世界にはまるで馴染まぬ異質な存在のようであった。


 ――もしかしたら。


 あの人も、私と同じ稀人(まれびと)なのかもしれない。

 そう思えば、何となく親近感を抱いてしまうのだから不思議なものである。少なくとも、先程まで感じていた、繁華街で不審者に絡まれでもしたかのような不安と恐怖はさっぱりと消えていた。


 上手く言い(たと)えることはできないが、あの人は外見こそこの上なく不審であるが――いや本当に。一体何があったら。一体何をどれだけ殺したら、ああまで返り血に塗れてしまうのか――それでも理性的であった。(わきま)えている。私と同じ人間であり、獣ではないのだ。


 何となしに、固着した血のせいで艶を喪った後ろ姿を眺めていれば。


「葉月さん? 戻らないのですか」


 そんな私が気になったのだろう。それとも外気が店内に入り込んで寒くなったのかもしれない。カイル君が声を掛ける。


「うん、今戻るよ」


 扉を閉めて振り返れば、カイル君は困り顔を浮かべていた。


「どうしたの?」

「いえ、少々無用心かと思いまして」

「でも、お客さんが来たんだから出ないといけないでしょう」


 大事な用件かもしれないし御近所付き合いもあるんだから、と私が反論すれば。


「それは確かにそうですが、来訪者が、あなたを狙う不逞の輩ではないとも言い切れません。出るなとは言いませんが、相手を確認してから扉を開けるべきかと。いいえ、今度からは僕が代わりに出ます。それならいいでしょう」


 とカイル君は話を纏めてしまう。


 そこで思い出す。

 三日前、この扉を乱暴に叩いた者がいたことを。

 その日、カイル君が大怪我をしたことや、用心棒の男性がくれた忠告(アドバイス)、そして苛立ちすら察せられる声により思わず居留守をしてしまったが――先程の男性は、その時の訪問者だったのだろうか。

 両者の声を思い返すが、片方は分厚い扉越し、他方は布越しであり、声の周波数こそ似ている気はするものの断定までには至らない。


「うん、そうだね。次からはお願いしようかな」

「しかし葉月さん、狩人や連盟とも面識があったんですね。それも法王様からの書簡とは」


 いやはや驚きましたよ、とカイル君は軽い口調とは裏腹に、難しい顔で何やら考え込んでしまう。


「面識なんてないよ。あの人とは初めて会ったし、その法王様という人も知らないよ」


 あの男性が狩人というのは、言われてみれば納得である。連盟というのも、この街にある商業組合や職人組合などといった職能団体のひとつなのだろう。(もっと)も、法王と狩人にどのような繋がりがあるのかは皆目見当もつかないが。


 しかし狩人など耳馴染みがないのも事実である。

 ()いて言うなら、グリム童話集において『赤ずきん』や『白雪姫』に登場したなあ程度の認識である。狩猟を生業(なりわい)とするという意味では、マタギなどと表現した方が分かり易いだろうか。

 狩人というものは、実際はあのように血腥(ちなまぐさ)いものなのだろう。少なくとも、(ふる)い日本人の価値観では、きっと(けが)れとして忌避されるものだろう。正直、私も少しだけ驚いてしまったのは事実である。


 しかしながら。

 職に貴賎(きせん)はない――(はず)である。


 綺麗事でも何でもなくて。

 ありとあらゆる仕事が社会を支えているのは紛れもない事実である。その当人が意識しているかは別としても、皆次の世代のために働いているのだ。それが人間社会の(いとな)みであり、文化の蓄積であり、国家や文明の醸成(じょうせい)というものだろう。


 だから私は。


 こと需要と供給によって成立する、合法かつ真っ当な職種に限り、嫌悪も偏見も抱かぬように意識している。

 夜のお店で働くお姉さんも、汗水垂らして工事現場で働くお兄さんも。慣れない日本語を一生懸命に使いながらコンビニで働く外国人の青年も、鳴かず飛ばずを通り越して干からびきった三文すらも稼げない(かび)の生えた自称物書きですらも――。


 私のように、働く場が用意され、言語にも苦労せず、奇跡や祝福という現地に歓迎される力までもらい受け、これでもかというほどに優遇された者は――違うのだ。


 私に、彼らを嗤笑(ししょう)できる権利などあるわけがない。

 (むし)ろ、唾棄(だき)されるべきは私の方である。


 ――しかし、そうは言っても。


 では良心に従って辞退させていただきます。あとはこの世界の方々でお好きになされば宜しいでしょう――となどと言い捨ててしまえるほど話は簡単ではない。

 私は、既に深入りし過ぎてしまった。私の奇跡を求める者がいるならば、今度こそ正しく力を使いたい。祖父の動向だって気になる。何より私はこの世界を気に入っている。この街で喫茶店を開きたい。そう思う程度には、喫茶というものが好きであった。


 夢なのだ。

 そしてそれを叶えるためならば。

 その夢を応援してくれる人が居る限り。

 私はどんな困難も乗り越えてみせる――。


 いつの間にか、(はら)が決まっていた。

 自分が思うよりもずっと強固な意志であった。


 思索に決着を付けてから、渡された羊皮紙の束を見遣る。軸先は黒檀(こくたん)にも似た木製であり、目を惹く緋色(ひいろ)の紐と動物の鉤爪で留められている。巻物ないし巻子本(かんすぼん)といった方が適切であろうか。計三本、そのどれもが滑々(すべすべ)とした手触りであり、黄金色(こがねいろ)の、きらきらとした燐光を放っているようにさえ見えるのだから、きっと上質なものであるのだろう。題箋(だいせん)の類は見受けられない。


 カウンターに戻り、一本を広げれば――長い。

 ゆうに1mを超えてしまうため、慌てて半分程収納する。巻子本と同じように、端の部分――抑え竹から見返しまで――は空白となっている。本紙からは、()ペンで(つづ)られたであろう、青黒(ブルーブラック)の古典ないし没食子の洋墨(インク)で、緻密で直線的な文字が()()()()と敷き詰められている。当然日本語ではない。装飾文字(カリグラフィー)染みた此方(こちら)の言語である。


 これも余談ではあるのだが。


 この世界において、清書に用いられる筆記具は殆どが羽ペン若しくは(あし)であるという。鉄や合金といった所謂(いわゆる)万年筆や漬けペンもないわけではないらしいが、製造できる工房が非常に少なく、また技法も秘匿されるため、市場に出回ることはないらしい。一本書斎にあるだけで家宝と呼ぶに相応しい高級品なのだという。

 アルプス最高峰(モンブラン)の雪解けを模した、天冠の白星が象徴の舶来もの然り、国産の高級万年筆然り――上着の胸ポケットに挿した筆記具が社会的地位(ステータス)になるのは、仮令(たとえ)世界を(また)いでも変わらないものらしい。


 個人的には非常に興味深い共通点である。

 それは人間という生き物が、言葉というものを、文字というものを、またそれに付随する技術というものを――ひいては文学そのものを大切にしている証左ではないのだろうか。

 無論、そんなことなどただの一切の関係なくて。ただ生きるために働いている。儲けるために仕事をしている。その職務が偶然筆記具に関わるものであった――などという世俗的な理由であるということは否定できないが。それでも、人類が文字に寄り添ってきたことは事実なのだ。そしてそれはとても誇らしいことではないだろうか。


 私が、内心で興奮していれば。


「葉月さん。それはなんでしょうか?」


 カイル君は、興味深そうに身を乗り出して覗き込む。


「私にもよく分からないけれど、きっと魔術書なんだと思う」


 名付けるなら『黄金のスクロール』だろうか。

 光や時間という概念について、黄金という単語を軸に、魔術の指南書らしく体系的に述べられていることは何となく分かるのだが――その内容が複雑かつ難解であり、私の理力では太刀打ちできそうにもない。


 この目が滑るような、ある種の挫折感は、大学に入学したての頃、意気揚々と付属図書館に出向き、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』や、マルティン・ハイデガーの『存在と時間』を借りたまでは良いものの、まるで意味を理解できぬまま返却してしまった時に似ている。


 このあまりにも難しい巻子本について、それでも一つだけ分かったことがある。この魔術が『歪んだ光壁』と命名されたものであり、基本法則を捻じ曲げてしまうような秘術らしいことである。

 残る二つにもざっと目を通せば、幾分かは易しい内容であった。『修理』と『見えない武器』という魔術について書かれているようである。時間さえ掛ければ今の私でも読み解くことができるだろう。


 我ながら活字中毒――もはや書痴である。

 まあ、そこまでは良いのだ。そこまでは。

 問題は。


 ――これを私に送った法王とは何者なのか。


 法王とは、辞書的な意味では宗教の最高指導者に用いられる称号である。こと仏教においては、釈迦や如来などがそれに該当する。

 日本においても、聖徳太子ないし厩戸皇子が後代には法王と呼ばれ、また称徳天皇の寵愛を受けた僧侶道鏡が授けられた称号でもあるのだが――前者は存在の虚構説が唱えられているし、後者は称徳天皇が崩御された後に失脚してしまうのだから――あまり偉大には聞こえない。

 他方、西欧世界――キリスト教においては、かつて法王と法皇の、二つの呼び名が混同された時期もあったようだが、今や教皇に統一されて久しい。教えの(すめらぎ)という解釈で良いのだろうか。

 また占術に用いられるタロットカードでは大アルカナの五番目に君臨して、正位置においては道徳、協調、規律、信頼、慈悲、伝統を。逆位置においては、偽善、束縛、背信、虚栄、躊躇、逃避などといった中々に後ろめたい意味合いになってしまう。


 狩人から渡されたのは三つの巻子本だけである。


 これだけでは流石(さすが)に意味が分からない。何か手紙のような者はないかと一本ずつ端から端までを(あらた)めれば――ひらり、と一枚の紙が滑り落ちる。羊皮紙ではない。祖父が日頃から使っていた洋紙の便箋であり、その右上には、見慣れた祖父の文字で『葉月へ』と宛名書きがされている。


 書かれてそう時間も経っていないのだろうか。

 洋墨の匂いが鼻先を掠めた――ような気がした。

そろそろ文字数が20万文字に到達しそう……。達成感? そんなものありませんよ。なんというか、こう、うまく言語化できないけれど「ファッ!?」という驚愕ばかりがありました。冬休みの間、宿題にも手を付けずにぐうたらしてたら、いつの間にか始業式前日だったみたいな……試験の前日なのに部屋の掃除を念入りにやってしまった時のような……労力の無駄遣い、ですかね。自分の人生において、残り時間はそう長くはないのに。まして創作に費やせる熱意と集中を保ちながらも、他人を引きつけることのできる筆力を発揮できる時期なんてそうそう長くはないのに。一言で言えば「後悔」ですかねえ。何だか悔しくなって自棄になったから、もうこの感じで――執筆にも構成にもカロリーが高い路線で――書き続けることにします。きっとその先に何か光明が見出せるハズ……。そうしないとまじでやってられんわ。それはそうとして『DARK SOULSⅢ』何度やっても面白いっすねwいやあ止められないっすわ笑

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