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4.私が初めてのお客様に振る舞う分のコーヒーを淹れ……。

 私が初めてのお客様に振る舞う分のコーヒーを淹れ、クッキーを小皿に移したとき、出入り口に取り付けられたベルが鳴った。


「いらっしゃいませ。どうぞあちらにお掛け――」


 顔を上げ、卓上のランプを灯した奥の座席を示そうとして、私は言葉を失ってしまった。

 出入り口に青年が立っていたのだが――どうにも、先刻の騎士と、今目の前にいる青年が結びつかなかったのである。


 おそらく、兜とマントを脱いで、佩剣こそしているものの多少は軽やかな格好になっていたからであろう。また、初めて見た彼の素顔が、想像以上に凜々しくて――まるで、ギリシャ彫刻や服飾模型(マヌカン)のような顔立ちであり――色白の肌と銀色の髪が月明かりに照らされて、ある種の神聖さすら放っていたのだ。


「どうされました。やはり、迷惑でしたか」

「いえ、そんなことはありませんよ。あちらの席にどうぞ」


 動揺を圧し殺し、もう一度座席を(てのひら)で示せば、かたじけない、と一礼したのち青年は着席する。

 あらかじめ用意していた熱いお手拭きとお冷やをテーブルに置けば、青年は不思議そうに提供されたものを見ていた。


「こちらは?」

「お手拭きです。書いて名の如く手を拭うもので、人によっては顔を拭いたりもしますが――もしかして珍しいものでしたか?」

「なるほど。初めて見るが、これは良いものだな。お気遣い、痛み入る」


 おしぼりを手に取った青年は、湯気の立つ布巾で手指を丁寧に拭ったあと、控え目に、汗で濡れた額に押し当てた。


 ふわり、と彼から月の香りがした。


「今、コーヒーとお茶請けをお持ちします。少々お待ちください」


 カウンターに戻り、お盆にカップとクッキーを入れた小皿を乗せる。

 お客様を待たせたくはなかったが、ひとつ試したいことがあった。


 ――料理でも作ってみて、祝福を与えるところから始めよ――。

 ――奇跡が重宝される世であるため、さぞ喜ばれることであろう――。


 カウンター内に置いたままの短杖を取って。


(美味しくなって。これを食べるあの人が、少しでも元気になりますように)


 と祈りながら横に動かせば。


 杖から、きらきらとした光の粒子が溢れ出して――ぱっ、とお盆を包んだ。

 光ったのは僅か一瞬のことであったが、それでも、コーヒーとクッキーの彩度が上がったようで――端的に言えば、美味しそうに見える。


(今の光は何だったのだろう。成功したってことでいいのかな)

(でも、待って。お客様に出す前に、風味に影響がないか確認しないといけない)


 内心慌てていれば、青年のいる方から、がたん、という音がした。見れば、私以上に驚いた表情をした彼が、その場に立ってこちらを凝視している。椅子と、傍らに立て掛けていた剣が倒れている。


 互いに見つめ合ったまま、私にとっては居心地の悪い沈黙が続いて。


「お嬢さん。今の光は――祝福でしょうか」


 先に口を開いたのは青年であった。


「はい。たぶん、そうだと思います。あの、美味しくなるかなと思って試してみたのですが――あ、それより、お持ち物が倒れていますよ」


 急に発生した光と彼の態度に、しどろもどろになってしまう。


「そんなことなどいいのです。それよりも、本当に、それをいただけるのですか」

「もちろんです。でも、初めてやったことですし、味見もまだで――」

「構いません。問題など、何もありませんよ」

「は、はい。少々お待ちください」


 小皿から一枚を拝借するが風味に変化はない。むしろ、できたてよりも美味しく感じるような気すらする。減った一枚を大皿から補充したのち、お盆を客席まで持っていけば、椅子を直した青年はかしこまった様子で座り直していた。


「失敬、少々取り乱してしまいました」

「いえ、私は大丈夫なのですが――食べ物に魔法をかけるのは珍しいことなのでしょうか」

「率直に言ってしまえば、珍しい、というより有り得ないことです」

「え?」

「ああ、決して悪い意味ではありませんから、そのようなお顔をなさらないでください。なんと言うべきか――祝福を与えられるのは、聖職者でも限られた者しかおりません。そしてその貴重な奇跡ゆえに、神官達の多くは出し惜しみをするものなのです。あなたのように、気前よく使ってくれる方など私は今まで見たことがありません」


 あなたの慈悲に感謝いたします、と青年は言い、(うやうや)しく(こうべ)を垂れる。


「そうだったのですね。すみません、私はここに来たばかりで、常識に(うと)くて。教えてくださってありがとうございます」

「いえ。こちらこそありがとうございます」

「どうぞごゆっくり」


 悪いことでないと分かったが、何だかいたたまれない気持ちになって、カウンターまで逃げてしまった。片付けをしているふりをして青年を盗み見れば、彼は一枚一枚噛みしめるようにゆっくりと食べている。どうということはない光景であるはずなのに、絵画のように様になる姿であった。


 私も、自分のために淹れたコーヒーを飲みながら、使い切ったコーヒーメーカーの清掃を始める。流し場こそあれど上水道がないため、残った滓や布フィルターを捨てたのち、濡らした布巾で拭くだけに留める。


 私と青年の間に会話はなかった。

 きっと、互いに話すべきことはあったはずである。


 私であれば――コーヒーとクッキーは口に合うか。自分で食べるつもりの試作品を出してしまったが、この世界の常識を鑑みて何かおかしくはなかっただろうか。どんな仕事に従事しているのか。どうしてそのように疲れているのか。あの巨大な月は一体なんなのか。月光を浴びることで、身体や精神にいかなる弊害があるのか。月蝕病とはどんな病気なのか。そもそも、この世界はどのようなところなのか――。

 おそらく、向こうも私に聞きたいことはあっただろう。彼の口振りから察するに、月夜に出歩くことは一般的ではないのだから。


 けれど。


 互いの存在を確かに感じながらも、今この瞬間、この雰囲気を尊重するがゆえの沈黙であり、決して気まずさはなかった。彼が何も言ってくれないことが、かえって嬉しかった。


 大時計が時を刻む音を聞きながら、ぼんやりとした空気に浸っていれば、不意に青年が立ち上がった。


「ごちそうさまでした。いくらですか?」

「お代は結構ですよ。誘ったのは私の方ですから」

「そんなわけには参りません。こんな夜に休ませてくれて、そのうえ奇跡を間近で見られたのです。何も返さないなど、騎士道に(もと)ります」

「そう言われましても。コーヒーもクッキーも、もともと練習用で売るつもりではありませんでしたから」

「それはいけません。高潔であることは確かに美徳ですが、対価は支払われて然るべきです。本来なら、私の有り金全てを置いていかなければならない――それくらい、祝福とは貴重なものなのです。少なくとも、私が神殿で傷の治癒を依頼したときは、金貨を出さざるを得ませんでした」


 奇跡とは、軽々しく使っていい力ではありません、と青年は(さと)すように言った。


「でも――私はそんなつもりではありませんでしたから、やはり受け取れません」

「あなたの善意を疑ってなどおりません。これは私の矜持(きょうじ)と信仰の問題です」


 青年に退くつもりはなさそうであった。

 しかし、矜持なら私にもある。


 対価を受け取れるほどのサービスを提供した覚えはなかった。彼の言う奇跡だって祖父の手紙に従っただけであり、杖が勝手に光ったな、くらいの気持ちでしかない。畢竟(ひっきょう)、私自身は何もしていないのだ。


 青年の名誉を思えば、何も言わずに受け取った方がいいのだろうが――今後本気で喫茶店を目指すのなら、ここで貰ってはいけない気がした。少なくとも私は素直に喜べないし、この不誠実さは、きっと後に引いてしまうだろうから。


「コーヒーとお菓子は、口に合いましたか」

「とても美味しかったです。祝福されたものを食べたとなると、騎士団の仲間にも自慢できます。それで、いくらでしょうか」

「申し訳ありませんが、受け取ることができません。その代わりと言ってはなんですが――私がお店を開いたとき、また来ていただけませんか。できれば、お知り合いの方とも一緒に。いつになるのか、どんな料理を出すのかすらも決まっておりませんが――どうか、お願い致します」


 少々の沈黙ののち。 


「分かりました。必ずや、参りましょう」


 不承不承と言わんばかりに青年は頷いた。



 …………。

 ……。



 青年を見送るために外に出る。

 彼が身支度を済ませ、裏庭に繋いでいた馬を引いてきた頃には、あれだけ重圧を放っていた満月も少し離れて――それでも地球の月と比較すればまだまだ大きいのだが――空は雲ばかりとなっていた。


「このくらいなら、どうにか辿り着けそうだな」


 鉄兜を被り、マントを羽織った青年は、勢いを付けて乗馬する。馬も、多少は元気を取り戻したようだった。


「お嬢さん。この度は本当に助かりました。この出会い、女神に感謝しなくては」

「大袈裟ですよ。こちらこそ、誰かを招くことができて嬉しかったです」

「では、私はこれで失敬させてもらいます。改めて、また後日」

「ええ、お待ちしております。――あ、待ってください」


 馬首を(ひるがえ)し、走りだそうとした騎士を呼び止める。


「こちらを、お持ちください」

「これは?」


 私が差し出した紙袋を、騎士は馬上から受け取る。


「余ってしまったクッキーです。お節介かもしれませんが、ほんの少しだけ、祝福というものをさせていただきました。よろしければ騎士団の方にも、こちらのお店があるということをお伝えください」


 ほんの少し、というのは嘘である。食べてくれた方が元気になりますように、と懸命に祈ってしまったのだ。その証拠に、袋越しであっても、温白色(おんぱくしょく)の電球を入れているかのようにうっすらと光っている。


 軽々しく使ってはいけないと言われた手前、面と向かって渡すことに多少の申し訳なさもあったが、それ以上に、この出会いへの感謝を示したかった。彼に、私という存在を覚えてほしかったのだ。


「やはり、ご迷惑でしたか?」

「いえ、こんなに素晴らしいものを貰っていいのかと戸惑っておりました。お嬢さん。どうして、貴女はこんなにも良くしてくれるのですか」

「きっと、誰かの役に立つことが好きだから、だと思います。まあ、宣伝をお願いしているわけですから、その手間賃というか迷惑料くらいに考えてください」


 残念ながら、今の私が彼に捧げられるものは、変哲のないクッキーと借りものの力だけである。いつか、お茶と軽食で――誰のものでもない私の実力で彼をもてなしてやりたい、と思うくらいには、私は他人に尽くす仕事に魅力を感じているのだ。


 騎士は少々の間、思案するように俯いていたが、やがて観念したかのようにクッキーを腰袋に収めてくれた。不快にさせてしまっただろうか、とおそるおそる騎士を見上げるが、やはり兜に遮られて表情を窺うことができなかった。


 一呼吸置いたのち、彼は一度は着用した兜を脱いで、右脇に抱える。

 そして左手を胸元に当て。


「馬上からの無礼、お許しください。第一騎士団団長ウィリアム、この夜の出会いと、貴女の慈悲に心より感謝申し上げます。後日、この恩義に報いるため、改めて伺うことを約束いたします。聖女様に息災あらんことを、どうか」


 ウィリアムと名乗った騎士は、兜を被り直すと、手綱を操り、今度こそ駆けていった。

 冷ややかな空気に、馬の足音と金属鎧の擦れる音がしばらく響いていたが――すぐに聞こえなくなった。


 何となく、すぐに戻ってしまうのが惜しくて、彼の姿が消えてからも、私はずっと石畳の上に立ち尽くしていた。

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