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38.「お待ちどうさま。オムライスと海鮮サラダです」

※作者はコーヒーについては素人です。エアプです。執筆にあたり色々調べてはおりますが、本職さんが見たら「この描写おかしいやろ」と思う点があるかもしれません。重大な誤謬があれば指摘の程おねがいします。重大ではなかったら見逃してください。

※エルデンリングのDLCまだですかね。

「お待ちどうさま。オムライスと海鮮サラダです」


 カウンター席にちょこんと座るカイル君に本日の昼食を出し、腰に差した短杖を抜いて祝福の光をかけてあげれば、背筋をぴんと伸ばした彼は恐縮したようにぺこりと頭を下げる。


「コーヒーとデザートは食後にお持ちしますね」

「――あ、はい。お願いします」


 溶けるように消えていく光を凝視しながら、カイル君はぎこちなく頷いた。

 日頃の聡明かつ明朗な様子からは想像もつかないほどに辿々(たどたど)しい態度であり、借りてきた猫のようで思わず笑ってしまった。勿論(もちろん)揶揄(やゆ)したり馬鹿にしたりするつもりはなくて。純粋に微笑ましいと感じたのだ。


 ウィリアム様も似たような反応をしていたが、やはりこの国の人々にとって祝福や奇跡というものは貴重なのだろう。特に、カイル君のように信仰を大切にしている人ならば尚更に。彼が、騎士団という危険な職務に就いていることも要因のひとつなのかもしれない。


 しかし、そうは言っても。彼に食事を提供するのはこれで三日目である。そろそろ慣れてほしいと思わないでもないが、きっとこればかりは宗教や信仰に触れてこなかった――ネイティブではない私には理解できないことなのだろう。


「あとで味の感想を聞かせてね」

「はい。いただきます」


 カイル君は、右の掌を胸に当て、そっと目を閉じる。食前に祈りを捧げるのは――食材となってくれた数多(あまた)の生命、それを調理し提供してくれた仲間、自分が恵みにありつけることの幸運、全てを神の加護として感謝するのは――きっと文化や世界が異なっても存在する人類共通の儀礼なのだろう。


 オムライスに手をつけたカイル君を見届けてから、私は珈琲(コーヒー)仕度(したく)に取りかかる。

 昨日、カイル君の護衛の許、市場で仕入れた珈琲豆を適量、挽器(ミル)に投入してから、把手(ハンドル)をゆっくりと回す。挽器そのもののサイズはあまり大きくないため少々力は必要になってしまうが、円錐(コニカル)型の刃に挽き潰される豆のごりごりとした感触と、ふわりと漂う珈琲の香ばしい匂いが好きだった。この準備にかかる手間も珈琲の醍醐味とすら思う。電動の挽器にはない魅力だろう。


 尚、挽器の網目(メッシュ)調整は昔ながらの螺旋(ねじ)式であり、特別(いじ)っていないため中挽きとなっている(はず)である。豆を挽いた後は、微粉を除去するため(ふる)いにかける(日本から持参したステンレス製のセパレータである)。この挽器を使うようになってからそう長くは経っていないが、生じる微粉の量は全体の一割にも満たないことから察するに、かなり品質は良いのだろう。少なくとも、私が日本で常用している陶器(セラミック)製の安物とは大違いである。


 ――まあ、微粉があっても私は構わないけれど。


 世間一般的には、微粉が混じると雑味やえぐ味、舌触りのざらつきの原因となるため、可能ならば除去が推奨されるが、微粉そのものが悪かと言われれば私は違うと考えている。表現を変えれば、コクがあり、ダイレクトな風味になるのだ。個人で愉しむ分には、抽出の度に変化する味のムラ、ばらつきすらも面白く、より一層珈琲というものに親しみを抱くことができる。

 (もっと)も、喫茶店としてお客様に振る舞うことを考えれば、そんなことは言ってられない。訪れる度に味が変わる茶房など、いくら祝福という下駄を履いたところで流行(はや)るわけがない。


 既に布製の濾過器(フィルター)は上部の漏斗に設置しているし、下部の硝子容器(フラスコ)には二人分の水を注いでいる。アルコールランプに火を灯し、硝子容器を(あぶ)る。無論、底部が乾いているかの確認は怠らない。水滴が付着していれば破損の危殆(リスク)があるためである。


 煮沸を待つ間に、脇に除けた漏斗に先刻挽いた豆を投入する。


 ――この調子だと沸騰まで結構かかるかな。


 カウンター内に置いた丸椅子に腰掛け、作り置きのサンドイッチに手を伸ばす。卵とレタスを挟んだだけのごく簡単なものである。パンは隣の店で購入したものである。日本でよく目にする柔らかな食パンとは異なり、硬質でバゲットに近しい馴染みのない食感であるが、小麦の(しっか)りとした味わいと適度に振られた粗塩が味を引き締め、そこにレタスの瑞々(みずみず)しさと卵の旨味が重なることで上手く調和を保っている。手抜きながらも我ながら悪くない出来であった。


 空いたもう一方の手で、もう(ほとん)ど読み終えている聖典を開く。

 片手で食事が楽しめるなんて、サンドイッチを発明した人には感謝しないといけない。飲食をしながら読書をするなんて行儀が悪いだろうか。罰当たりな気がしないでもないが、きっと神様はこんな些細なことで怒りはしないだろう。ああ、でも(くず)(ページ)に落ちないようにだけは気を付けないと――などと最初のうちこそ取り留めもないことを考えていたが、次第に意識は洋墨(インク)と羊皮紙が織り成す世界へ引き摺り込まれていく――。


     *     *     *


 古い時代/世界はまだ分かたれず、霧に覆われ/灰色の岩と太陽と、朽ちぬ古竜ばかりがあった/だが、いつかはじめての火がおこり/火と共に差異がもたらされた/熱と冷たさと、生と死と、そして光と闇と/そして、闇より生まれた幾匹かが/火に惹かれ、王のソウルを見出した――。


     *     *     *


「…………?」


 聖典を読み始めてから今に至るまで、ずっと腑に落ちぬことがあった。


 この違和感を何かに(たと)えるならば。

 歯車の(くし)が欠けているのに。潤滑油が落ちているのに。無理矢理、力尽くで機械を回しているかのような。左利き用の鋏を()えて右手で扱っているかのような。そこにあって(しか)るべきものが欠如しているにも関わらず、物語は、登場人物は、皆一様に何食わぬ顔を決め込み、舞台を進行させにかかっているかのような――。


 私が(わだかま)りを指摘できずにいるせいで、どうにも内容に入り込んでいけない。世界に拒絶されているかのような被害妄想さえ抱いてしまう。


 内容自体は然程(さほど)難解でもない。

 謂わば創世神話である。

 生と死の概念が生まれた理由や、神と人との関係を説くものである。


 はじまりの火が陰ったことで、いつしか不死人(ふしびと)なる存在が生まれたこと。故郷を追放され、長きに渡る巡礼を()いられた不死人の英雄達が、己が肉体を薪となし、火を継ぐことで滅びゆく時代を繋いでいったこと。そして最後に、ただひとりの灰が火のない世界を望んだことで、闇の時代が到来したことを。しかし彼あるいは彼女に仕えた火守女(ひもりめ)だけは、闇の彼方に一筋の光を見出したことを――。


 区切りのいいところで聖典を閉じる。

 横目で硝子容器を確認するが、まだ沸騰はしていない。


 端的に言えば、闇の魂を巡る人間と神々の興亡史なのだが――やはりどこかすっきりしない。

 生と死、炎と闇などといった二元的要素に着目すれば、北欧神話の宇宙観が連想される。昼と夜、太陽と月など――世界は()くあるべしという形而上学的信仰が反映されたのだろうか。古竜(ドラゴン)悪魔(デーモン)などといった超自然的な生物が跋扈(ばっこ)するのも共通している。また未来の展望が(おおむ)ね悲観的であることも。

 秩序を司る神族と、混沌に属する巨人達との最終戦争(ラグナロク)が起こり、結果神々が敗北するどころか、巨人族までも含めた全てが燃えて海中に没してしまうことが。しかしながら、残された廃墟から新たな世界が出現する小さな希望が垣間見えることもそうだろう。


 多数の神々が織りなす賑やかな物語性は、多神教であるギリシャ神話や日本神話、先に挙げた北欧神話にも当て嵌まる。神も人間であるのだ。厳格な一神教にはあまり見受けられない特徴だろう。


 しかし、この物語は聖典である。

 人間が神を(しい)するなど――その首を刈り取り、ただの薪として玉座に据えるなど――そのような下剋上が果たして(ゆる)されるのだろうか。


 指輪の翻訳機能を使いながら背表紙を見れば。


『DARK SOULS』


 という金文字の刻印が踊っている。

 結局、私は終ぞ違和感の正体を看破することができなかった。

以下、本編と関係ない独り言。執筆に至るまでの経緯。とにかく長い。


①所謂ソウルライクである『仁王2』をやってみる。

「あんまり面白くないなあ。こう考えるとダクソやエルデンって頑張っている方だったんだなあ」という感想を抱く。無論『仁王2』には、独自の良さや面白さがあるけれど私にはとことんハマらなかった。最初の牛頭馬頭を斃したところが最大瞬間風速。音楽も、中陰の間に流れる幽玄な雰囲気のあるものしか好きになれなかった。マップ構成や敵の配置には制作者側の才能や工夫を「全く」感じなかった。何より敵味方両方のデザインが幼稚で陳腐「小学生が考えたのかな?」と思った。「これにGoサイン出した上長もあかんやろ」とも。ボスや雑魚の挙動など難易度の上げ方も兎に角雑。複数戦で範囲攻撃を持たせて耐久力を上げたらそりゃ難しくはなるけど、それが面白さに直結するかというとしないのよ。「いやそうはならんやろ」からの「なっとるやろがい」という理不尽以下の退屈を終始感じてばかりだった。肝心のストーリーは王道で悪くはなかったれども「所詮コーエーという大きな会社が予算をかけて作れば役者さんだって雇えるし、まあこんなもんだよねえ」程度の出来だった。秀吉役が竹中さんじゃなかったら挫折していた。良くも悪くも『三国無双』シリーズを"自信を持って、面白いと思って"出しているメーカーだなあと。悪意を持った言い方をすれば「良い年齢こいたおっさんがクサい台詞を吐きながら、背中から翼を生やして、エフェクトをぎらつかせながらスタイリッシュに戦う様子」これを格好いいと思う人ならいいんじゃないかな。私には無理だったが。そして何より致命的なのが「日本という舞台で妖怪を主題に据えてやる必要はなかったよね、これ」という疑念が最後まで消えなかったこと。あとはガードボタンを押しても防御判定の発生が10Fくらい遅れるのも個人的には受け付けない。『仁王2』の一番良いところは、潤沢なリソースから構築されたシステム周りの使い勝手だと思う。「ユーザー視点に立って何度もテストプレイしたんだなあ。ありがとうございます」って素直に汲み取れるもの。主人公が機敏に動けること、操作性が良いのも非常に良し。あとは主人公のキャラメイクも。流石コーエーはブレませんね。好きな妖怪は赤河童です理由は察しろください言わせんな恥ずかしい(尚、ここまで文句を垂れておきながらトロフィーはコンプリートしたし奈落獄も深部30階まで到達済。プレイ時間623H。楯無&大山祇の重装ビルド。使用武器はリアル志向で刀と槍。なお制覇後に妖属性特化型が強いと気付く模様)。


②『ELDEN RING』に復帰する。

 新キャラで一周。面白いは面白いけれども「敵だけ楽しそう」という点が気に食わない。


③『DARK SOULSⅢ』に復帰する。←今ここ

 思えばフリーデの頃からエルデンリングの前兆は垣間見えるんだよなあ……。

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