33.「姉さん。一度死んだ人間は、どうしたって生き返ってはくれないよ」
「姉さん。一度死んだ人間は、どうしたって生き返ってはくれないよ」
どうしてそんな馬鹿みたいなこと聞くんだよ、と弟は苦虫を噛み潰したような顔で言った。その後、片頬だけを歪めて皮肉そうに笑ってみせる。
そのどこか斜に構えた、人間社会を痛罵かつ冷笑するような態度だけをみれば、いつもの不良然とした弟である筈なのだが。先刻の言葉に、途方もない諦念と、己に言い聞かせるような重々しい自戒が込められているように聞こえたのは、きっと考え過ぎではないだろう。
弟が私のことを「姉さん」と呼ぶなんて一体いつ以来だろうか。何が契機となって弟は不良になってしまったのだろうか。いつかは優等生に戻ってくれる日が来るのだろうかーーなどと頭の片隅で、どうでもいいことを考える。
「そんなこと私だって分かっているから。というかゲームの話だってば。真剣に受け取らないでよ」
私が控え目に抗議すれば。
「……あ、そうか。そうだよね。ごめん、ずっと現実の話かと思ってた」
今の青臭い発言マジで忘れて恥ずいから、と弟はぺこりと頭を下げる。
「生憎だけど、死人が蘇ってくれるような奇跡はないね。よく言うじゃん。『奇跡は起こらないから奇跡って言うんだよ』って。そもそも主人公は最初から不死人だし」
「奇跡は起こらないから奇跡――」
中々含蓄ある言葉であり、私の中に不思議な余韻を残した。確かに、奇跡がありふれた取るに足らない事象であるなら最初から奇跡などとは呼ばれはしないし、有り難みもないだろう。
「初めて聞いた。もしかして小説か戯曲からの引用? 『この門を潜る者は一切の望みを棄てよ』みたいな」
これは、イタリアの詩人ダンテ・アリエギーリが書いた叙事詩『神曲』の一節である。具体的には地獄編第三歌の銘文である。同じく、地獄の門を主題としたブロンズ像、オーギュスト・ロダン作の『地獄の門』や『考える人』の方が有名かもしれない。
「まさか。そんな高尚なものじゃないよ」
「じゃあ何? ドラマとか映画?」
「いんや、ゲームから。それも今から二十年以上前に発売された十八禁のやつ」
「……あ、そう」
「何だよ反応薄いなあ。聞いたのは姉貴の方じゃないか」
「関心して損をした気分」
感銘を受けた自分も情けない。どうしてそんな大昔のことを弟が知っているのか(しかも成人向けの作品ときた!)、どんな体験をしたら年齢不相応な寂しそうな顔ができるのか――などと言いたいことあったが、何だか脱力してしまった。奇妙な笑いさえ込み上げてくる。
「確かに、生き返らせる方法はないけどさ」
弟は、ずれた話題を戻しにかかる。
「死ぬリスクを劇的に下げる方法ならあるよ。さっきも言ったかもしれないけど、一度きりの復活――じゃなくて『惜別の涙』っていう奇跡があるんだ」
惜別の涙?
「効果は、生命力がゼロになった時に一度だけ踏みとどまることができるんだ。『それは、死にゆく者の、今際の際に、別れの時間を与えるための奇跡である。涙は死者のために、それ以上に生者のために』ってね。まあ、お守りというか保険になるからかけておいて損はないと思うよ」
ゲーム内の説明だろうか。弟は諳んじてみせる。
「これがあるのとないのでは安心感が大違いだよ。この間なんかもマジで救われたし、何度助けられたか数えていないレベルで依存してるよ。まあ、死なないための奇跡なのに、惜別があるから無茶ができると思って逆に死にかけたりするから、命の価値が安くなる点がちょっと考え物だけどね」
「なるほど。確かにあって困らない力だね。参考になるよ」
今まで、傷付いた者を治すことばかりに気を取られ、お守りや保険という発想はなかった。謂わば事後対応しかしていなかったのだ。事前に対策ができるのなら、もっと皆の役に立てるかもしれない。
私が祈りを込めた物を懐にでも収めてもらえばいいだろうか。どこまで効果を発揮してくれるのかは分からないが、試してみないことには始まらない。
具体的にはどんな品物がいいだろうか。
出征する男性への贈り物と聞いて、日本人ならば千人針と答えたいところだが、侍女の皆に手伝ってもらったとしても、全員分揃えるには時間が掛かりすぎてしまう。
ならば四銭即ち死線を越え、九銭即ち苦戦を越えるという願掛けとして、五銭硬貨や十銭硬貨と言いたいところだが、古銭蒐集の趣味もないため当然そんなものは持ち合わせていない。そもそも異世界で用いるお守りに日本の価値観を持ち込むのも少し違うだろう。
こと戦時中においては、処女の陰毛をお守りとしたという俗説ないし民間信仰があったらしいとはどこかで耳にしたことがあるが、それは流石に恥ずかしい。それに銃弾避けを、男性の睾丸とかけた言葉遊びであり――それゆえ男性との性交渉がない娘であることが条件になったのだ。柳田国男が『妹の力』で述べたように、女性が持つと信じられた霊験に縋ろうとしたのもあるだろう――武運長久とは多少逸脱してしまうだろう。
何より、あの世界において銃が存在するという話は未だ聞いていない。存在していてもおかしくはないのだが、少なくとも騎士団において、銃火器の類や射撃訓練をしているところは一度も目にしたことはない。
「参考って何がよ?」
弟が首を傾げる。
首にかけた銀色のチェーンが、きらりと光った。
肌身離さずにいるお気に入りのアクセサリーである。
「あ、何でもない。こっちの話」
いけない。
私が異世界で喫茶店を開くために、騎士団で侍女をしていることなど。
どうにかして皆のためになりたいと考えを巡らせていることなど。
話せるわけがない。
仮に話したところで、夢見がちな私とは正反対に、処世を知り悪賢く立ち回っては現実主義を貫く弟のことである。一笑に付したのち憎たらしく私を揶揄うか、大真面目に正気を疑うかのどちらかであろう。
「そんな便利な奇跡があるなら、この騎士様にもかかっているの?」
「あー、こいつはまだだよ」
「まだ?」
「素性を騎士で始めたし、まだ最序盤だから奇跡を使うことができないんだよ」
「え、でも何度も救われたって言わなかった?」
「それは別のキャラクターの話」
そっけなく答えた弟は、放置していたコントローラーを握りなおす。
「今使えるのは『回復の施し』だけだよ。ほら見てて。生命力が少しだけ回復するから」
弟が言えば、騎士は、左手の盾をどこかにしまい、白いてるてる坊主のような物に持ち替える。なにそれ、と私が聞けば、『タリスマン』だよ奇跡の触媒になるアイテム、と弟が答えてくれる。
騎士がタリスマンを上方に掲げると、淡い光が降り注ぎ、左上の赤い体力ゲージが少しだけ回復する。先刻、崖から飛び降りた際に負ったダメージである。
「この通り回復量は雀の涙だけど、まあないよりはマシかな。回復アイテムの『エスト瓶』も温存できるし。というかそんな話はいいんだよ。本当に欲しいモノないの?」
「だからないってば。私なんかに使うくらいなら、お母さんに何かプレゼントでもしたら? きっと喜んでくれると思うよ」
日頃世話になっているのは私の方である。
これ以上何かを望めるほど厚顔無恥ではないつもりである。
家族だからこそ、姉弟だからこそ。良好な関係であり続けたいからこそ。
どこかで礼節というか線引きをしなくてはならない。
「それはもうやったよ」
「へえ。何を贈ったの?」
「花束。フラワーギフトってやつ?」
「あんたが花束ねえ。確かにお母さん、お花とか観葉植物好きだけど。言っちゃなんだけど似合わないね」
「煩っせ。そんなコト重々承知しておりますよ。でも今年の母の日は何もしてなかったし、親孝行したいと思ったら親はなしというか、思い立ったが吉日というか――とにかくその場のテンションに任せた結果だから」
「別に悪いとは言ってないよ。とても素敵だと思う。どんな花を贈ったの?」
「メインはやっぱりカーネーションだよ。あとは暑さに強くて、切り花に向いてるド定番の――ルリタマアザミ、ベニバナ、ヒメヒマワリ、グラジオラス、スターチス――他には、園芸向けに改良された品種名になるけど、イザベラ、ランディーニ、クーリエ、リーガルリリーとかだね」
弟はゲームを操作しながら、すらすらと答える。
騎士は荒れた路をずんずんと進み、廃教会らしき建造物へ入っていく。
画面の左端に、手頃な岩に腰掛ける、大槌を担いだ黒い鎧の男と。そのすぐ横、岩壁を掘られてつくられた鉄格子の中に、白い服を纏った、俯く女性がちらりと映った。しかし騎士は無視して進んでいく。
「詳しいね。あんた、花好きだっけか」
「まさか。全部花屋の店員からの受け売りだよ。確かに何度か通っているし、実家からも近いし、年齢も多分近いだろうし、顔馴染みになったからなんだろうけど。こっちが聞きもしないのにペラペラと呪文のように喋るものだから覚えちゃったよ。最初にちょっと見栄を張った予算と用途を伝えたから太客だと思われたんだろうね。もしくはカモがネギを背負って来たとか」
溜息交じりに弟は言った。続けて。
「別に人見知りするタイプの人間じゃないけど、店員に面を覚えられると何となく行きにくいんだよなあ。特にコンビニとかスーパーとかさ。煙草屋の爺ちゃん婆ちゃんは俺のことかわいがってくれるからそう思わないけど。何だろうねこの違い」
愚痴を零すように弟は言った。
高校生が煙草屋と仲良くなることについてはどうかと思うが、敢えて言及しない。最早何を言っても今更である。
「仕方ないでしょ。相手も接客が仕事なんだから」
「でもさあ。よく来てくれますけどお花が好きなんですかあ――なんて聞かれて、いや全然好きじゃないんで、むしろ花粉症なんで花は嫌いですスギとブタクサは今すぐ焼却すべしだと思ってます――なんて馬鹿正直に言うわけにもいかんでしょ。こっちも社交辞令というか不毛な世間話を続けた結果が、お花のことで分からないことや困ったことがあったら何でも聞いてくださいね――って連絡先まで寄越されたよ。もうどっかにやったけど。妙に気疲れしちゃった」
「……ふうん」
「なんだよその微妙な反応」
「その店員さん、女の子でしょ」
「そうだけど」
「その子、あんたに興味があったんだよ」
「……はぁ。やっぱりそうなるかぁ」
心底嫌そうに弟は顔を顰める。
「あんた外面だけは良いもんね。というか何でそんな嫌そうな顔するの。普通は喜ぶところでしょ」
「百歩譲ってそうだとしてもさ。男の趣味悪すぎでしょ。だって俺だぜ?」
「それは間違いなくそうだけど。あんまり邪険にしてあげないでよ。きっとその子だって勇気を出したんだと思うから。というか顔を覚えられるくらい行ってるの?」
今日日、男女平等が叫ばれて久しい時代だが、それでも女性から、意中の男性へアプローチをかけるのは、そう簡単なことではないだろう。尤も、私にはそんな経験がないため想像することしかできないのだが。
もう少し現実的な話をすると。
いち従業員が顧客に自分の個人情報を渡すなど、決して褒められたことではないだろう。場合によっては、御社では従業員にどういう教育をしているのか勤務中に不真面目ではないのか――という具合に、その顧客本人から不興を買うことになるし、もっと悪ければ、あの店の店員は連絡先を教えてくれるくらい程度が低いから簡単に卸せるぞ――なんて悪評も広がり、他の従業員は元より、会社の評判まで損ねてしまうことにもなりかねない。
お客さんとお店側の私的な出会いや関係の発展を一切認めないとまでは言わないけれど。それでも個人的見解を述べるなら、弟に連絡先を渡した女性は少々軽率な行動をしてしまったのではないかと思う。よく言えば勇敢であり、ひとりの女性として賞賛を送りたいと素直に思う部分もあるが。




