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24.五番街の大衆食堂に入る前から己を尾行する影には気付いていた。

 五番街の大衆食堂に入る前から己を尾行する影には気付いていた。


 その視線の敵意なさゆえに、最初は身内の誰かが揶揄(からか)うために後を()けているものと思っていた。

 だがそれはありえない、と少年は考えを改める。

 少年の知る限り、騎士団の構成員は皆一流であった。仮令(たとえ)(たわむ)れの尾行であったとしても、己のような未熟者に気取られるような真似など絶対にありえない。否、あってはならないのだ。


 ともすれば知人友人の誰かだろうか。

 少年の頭にそれらしい数名が浮かぶが、しかしながら、こんな真昼間に他人を尾けるほど暇を持て余した者はいない。石屋の長男はこの時間にはもう石切場に出向いているし、鍛冶屋の若旦那は騎士団からの注文で今頃は修羅場であろう。貧民街のガキ大将は同じ境遇の兄弟姉妹を守るため、そもそも商店街に出てこない。皆己の生活に忙しいのだ。


 ならば金で雇われた密偵の線も考えられる、か?


 追跡者の素性を暴くため、そして聖女の警護を考えて、少年は会員しか入れない見晴らしの良い二階席を選んだ。相手が諦めてくれるならそれで良かったのだが、二階に上がってからも纏わり付くような視線は方々(ほうぼう)から感じていた。手摺り越しに階下を見下ろせば――案の定そいつはいた。いてくれた。薄汚い格好の小男(こおとこ)である。カウンターに向かい『蛸たまと蟹たまのソテー』を酒もなしに、詰まらなそうな顔で喰らっている。


(何者かは知らないけど、もう少し美味そうな顔で食べればいいものを)


 ああ、無理か。なんといってもあの蛸たま――要は卵巣である――は真っ赤である。赤いのは火を通したからではない。蛸が喰らった獲物の血なのだ。蛸は蛸でも、この店で出されるのは(もっぱ)陸蛸(りくだこ)である。産卵期の陸蛸は輪にかけて獰猛(どうもう)なのだ。小動物はおろか人間すら喰らってしまうのだから。

 それに比較すると蟹たまはとても美味い。滋養があり、口にすれば身体は芯から温まる。あいつのような下賤の者は知らないだろうが、蟹は肉より卵なのだ。


(あの光景、先輩が見たらきっと笑うだろうな)


 少年は、自らが慕う面頬(マスク)の騎士を思い浮かべる。


 ――渋いものと旨いものを同時に掻っ込んで、それを酒で流し込むのがいいんだろうが。まったくなっちゃいねえぜ。いいか少年、あのような不調法な男にだけはなっちゃいけねえ――。


 などと口汚く、それでいて愉快そうに言うのだろう。もちろん、そう語る本人が既に二日酔いで、呂律(ろれつ)も足取りも覚束ない滑稽振りまでが一連の流れである。


(まあ、僕も他人のことをとやかく言えやしないけどね)


 少年自身に、まだ酒を(たしな)む習慣はなかった。麦酒(ビール)蒸留酒(ウィスキー)葡萄酒(ワイン)も付き合いで口にしたことはあったが、その味が分かるほど味覚は成熟していなかった。 




 少年は同席の聖女に断ってから席を立つ。

 脱いだ兜を被り、指先で腰の杖に触れて魔術『隠密』を発動させる。己の気配と音を遮断する、少年が最も(たの)みとする魔術であった。当然、聖女にいらぬ心配をかけぬよう動作は最小限に留めることも忘れない。


 ――ああ、勿論(もちろん)彼女には悟られるなよ。きっと、お前が手を(けが)すことを良く思わないだろうからな――。


 上役からの命令であることは無論として。

 それ以上に、少年は聖女のことを気に入っていた。

 濡鴉(ぬれがらす)のような黒髪も、黒曜石(こくようせき)のような瞳も、月光のような白い(はだ)も、身に纏う純白の外套も。そのどれもが色彩を()いて――ある種の神秘を感じていた。

 面と向かって年齢を尋ねたことはなかったが、あれは妙齢の女性である。普通、あれくらいの年頃の娘が団長を見れば、その整い過ぎた美貌と騎士という肩書きに、決まって皆顔を赤らめるものだが――官舎に務める年若い侍女達が最たる例だろう――あの聖女だけは例外であった。

 団長の側に控えていることこそ多いが、恥じらって顔を伏せることはただの一度もなく、さりとて分不相応に己を売り込もうと饒舌に語るでもなく、ただただ己の役割を懸命にこなそうとするだけであった。むしろ、団長といるときの聖女の貌は、いつも青褪めてすらいた。


 少年は更に思う。

 彼女は常に白と黒の静謐(せいひつ)を保って――まるで月から降り立った女神のようであると。本当に自分と同じ赤い血が流れているのだろうか。彼女の血は青褪めているか白銀なのではないか、と。

 顔の造形こそ団長のように整っているわけではなかったが、それはそれでいい。これで美貌まで備えていたら、それはもう(ずる)いとしか言いようがない。

 今日の服装だってそうだ。仕立ての良すぎる黒い外套を、彼女は何の自慢気もなく地味だと言ってのけたのだ。だがそれは違う。大いに違う。上着を給仕に預けた今の姿も、確かに黒一辺倒で飾り気のないものであったが、間違いなく似合っていた。王都の有名な仕立屋がどれほど手を込んで仕上げた華美なドレスもかくやというほどに。

 彼女は気付いていないのだ。五番街を歩いているだけで、すれ違う者の視線を集めていたことに。そのくせ、祝福を使えば悪目立ちするのでは、などと妙な心配をするものだから、おかしいにもほどがある。


 容姿や内面だけでも月のような魅力があるのに、極めつけは奇跡である。

 彼女との会話でも多少触れたが、月の許に佇み、疲弊した団長を癒やすなど、女神(さなが)らの聖人ぶりである。まして今日など壊滅した我ら小隊を快癒してみせたのだから偉業に他ならない。神の御技といってもいい。彼女を聖女と呼ばずして一体誰を聖女と呼べばいいのか、と少年は強く思う。

 もっとも、少年自身は矢毒に犯され、その解毒は仮面の騎士によるものと聞いてはいたが、少年にとっては些事であった。


 本音を言うことが許されるなら、少年は彼女を聖女と呼びたかったし(かしず)きもしたかった。騎士団にいて彼女の活躍を知る者なら、皆が彼女を(あが)(まつ)りたいに決まっていると思っていた。当の本人が拒んだため、それは今も――そしてこれからもずっと――叶わぬことであろうが。

 やはりと言うべきか、本人に畏れられている自覚はないようで――それどころか、自分の振る舞いによって、こちらの護衛がしにくくなるのではないかと気を遣ってくれたのだから、なんともまあ、いじらしいというか謙虚に過ぎるというか――こういう類型(タイプ)の人間が本当にいたのかと、少年は新鮮な驚きを覚えた。


 少年の知る限り、人間というものは、目を引く美貌や類い希なる能力があれば、そしてそれが優秀であればあるほど(おご)りたがる生き物である。奉公先で見た客の多くが、その手の醜悪な人間ばかりであった。


 だが、彼女は違った。

 力を使うことに負い目を抱いているように見えた。

 罪悪感すら抱いていたのかもしれない。

 それでありながら力を扱うことの責任や影響も十二分に知っている思慮深い人間であり――満月のような女性である、と少年は常々(つねづね)思っていた。


 ゆえに、少年は彼女を守ってやりたいと思った。そこに恋慕の情はない。あるのは月光の信徒としての、無垢なる使命感であった。


 ――巡礼者よ、月光の静謐を乱すこと勿れ――。


 少年は、先刻即興で編んだ警句を想起する。

 彼女が月光であるなら、己は静謐を守る巡礼者なのだ。


(そう思えば、前線を外されたのも悪くない)


 最初、団長から聖女の護衛を命じられたときは戦力外通告をされたようで気に食わなかったが、今なら素直に頷ける。むしろ名誉ある役割を振ってくれたことに感謝すら覚えた。


 ――聖女の為ならば。


 僕はいくらでも手を汚してみせる。

 いくらでも屍を積み上げてみせる。




 少年は側の給仕に、端的に用件を告げる。

 これから自分は仕事のため退席しなくてはならないと。身辺警護のため、そちらの用心棒を同席者につけて欲しいと。万が一、己が帰らなかったら彼女を家まで送り届けてほしいと。最後に、数枚の金貨を握らせる。

 何度も足を運んで築いた信用の賜物か、あるいは金貨の効能ゆえか、顔馴染みの給仕は快く頷いてくれた。どうかご無事で、と言い一礼までしてくれた。


 ああ、やはり人脈は大事なのだな、と少年は改めて思う。特に手足となってくれる配下も持たず、また問題を強引に解決できるだけの実力もない自分のような人間にとっては。


 少年は左腰から杖を抜き取る。

 この場から魔術『短矢(たんし)』を撃って階下の小男を狙撃してやることもできるが、目的は殺害ではない。奴の背後にいる何者かを突き止めることである。日頃世話になっている店で騒ぎを起こすのも本意ではなかった。


 少年は杖の先端に向かって何かを(ささや)くと――まずは一階の隅で、ひとり項垂(うなだ)れている鎖帷子(チェインメイル)の男に向けて魔力弾を放つ。場違いな格好でありながらも一際影の薄いこの男がこの店の用心棒である。

 言霊(ことだま)を包んだ不可視の弾丸は、緩やかな放物線を描いたのち、男の足許でふわりと弾けた。


「今からカウンターにいる小男が逃げ出すでしょう。ですがあれは僕の獲物、手出しは無用でお願いします。代わりに僕の連れを護ってください。詳しいことは給仕に」


 という言伝を残して。

 少年が得意とする魔術のひとつ『音送り』である。 

 用心棒は顔すら上げず、二回だけ頷いてくれた。


(流石ベテランは話が早くて助かるよ。根回しは十分、では次だ)


 少年はまたも杖に向かって囁く。

 未だに黙々と料理を食べている小男に魔力弾を放てば、男の耳元に(あた)って弾けた。


「待ってろ。これからお前を殺しに行くよ」


 男にしか聞こえぬ脅しの文句を伴って。


 効果は覿面(てきめん)だった。

 小男は食事の手を止め、がばと顔を上げて――少年を見た。その表情は、見ているこちらが可哀想になるくらい引き()っていたが――少年は射殺さんばかりに睥睨(へいげい)して、その汚らしい顔面を指差してやる。


 その瞬間にはもう小男は遁走(とんそう)してした。椅子に(つまづ)きながらも、他の客を押し除けて店を飛び出す。迷いのない足取りで裏路地へと逃げ込んでいく。


 少年は後を追う。

 有り難いことに小男の足は速くない。

 少年には土地勘があった。素早さも、頭の回転にも自信があった。先刻唱えた『隠密』もまだ解いてはいない。路地のどん詰まりに小男を誘導して、そこでの尋問も考えたが――やめにした。尋問は不得手であったのだ。素直に気配を消したまま追跡することで、小男が雇い主の下まで案内してくれることを期待したのだ。


 小男は時折振り返るが、その都度身を隠す少年を見つけることができない。撒いたと思ったのか、あるいは体力の限界に達したのか、小男は走る速度を緩め、のろのろと歩くだけになった。

 その無様な足取りのまま、三番街の裏通りにある空き店舗に入っていく。


 少年の記憶が確かなら、偏屈な爺がひとりで営業する酒場であった。それなりに賑わってもいたはずだが、いつの間にか潰れていたらしい。故郷の田舎にでも帰ったのかもしれない。


 少年は考える。

 突入するか、増援を呼ぶか。


 ――行ける。逃がしてたまるか。


 決断に躊躇はなかった。

 騎士団において単独行動は御法度(ごはっと)である。

 少年は掟を破る自身を意外に感じていたが。


 ――ああ、僕は怒っているのだ。


 何せ、聖女との時間を邪魔されたのだ。しかもそれが正装に身を包んだ帝国騎士でもなく、武勇に秀でた死神とかいうあの化物でもなく、浮浪者同然の小男なのだから。


 ――その報いは、その血で(あがな)ってもらわねば。


 少年はドアを蹴飛ばして屋内に転がり込む。

 薄暗い店内は、カウンターがあるだけの殺風景な空間だった。酒場の名残である椅子とテーブルは部屋の奥に追いやられている。

 ホールの中央には、何やら必死に語っている小男と、それを囲む五六名の男達がいた。皆いかにも無頼らしき風貌をしていたが――果たして連中が、見た目通りの無頼漢なのか、はたまた帝国兵士の変装なのか少年には判別できない。だが、全員が意匠の施された上質そうな剣を下げていることから察するに、そういうことなのだろう。


「――ほう? たったひとりで来るとは見上げたものだ」


 大剣を(たずさ)え、ひとり椅子に座っていた男が言った。そいつだけが騎士鎧を纏っていることから察するに、統率者(リーダー)であるらしい。


「あんたたちは帝国軍かい」


 少年は()く。


「いかにも。こいつのような密偵を雇い、貴公の国を(うち)から(こわ)すのが我らの任務さ。(もっと)も、密偵と言うには(いささ)(つたな)いがな。まさか尾けられてくるとは思わなんだ。役目を果たせぬ無能など不要だよなあ」


 鎧の男が顎で示せば、配下のひとりが剣を抜き、その切っ先を小男の首元に向ける。その刃は長い使用のせいか劣化して黒ずんでこそいるが、手入れはされているようである。少なくとも丸腰の男ひとりを殺すくらいは簡単にやってのけるだろう。

 悲鳴を上げた小男は脱兎の如く駆け出した。一つしかない出口に向かって、少年の横をすれ違った刹那、他でもない少年の手によって斬り殺される。うつ伏せに(たお)れ、首許から黒い血が広がっていく。


 鎧の男は僅かに目を見開いた。少年が男を殺したことにではない。少年の振り抜いた太刀筋が鋭利で――それ相応の修羅場を潜った強敵であると直感したのだ。


「貴公、良かったのかね。その男、確かに無能ではあったが、そちらの臣民だろう」

「こいつは僕らを裏切って情報を流そうとしたんだろう? なら生かしておく必要はない。情けを掛けて見逃したところで、一度裏切った者は絶対に改心なんかしない。もう一度、裏切られるくらいなら、ここで殺した方がいい」


 そもそも先に殺そうとしたのはあんたの方じゃないか、と少年が言えば、そうだったこれは失敬した、と男は笑った。


「僕からもいいか? この国を毀すと言ったが、一体何をするつもりだ」


 男はすぐには答えなかった。

 答え(あぐ)ねるように顎に手を遣ったのち。


「白状しよう。まだ何も決めておらなんだ」


 と言った。


「惚けるつもりか?」

「まさか。密偵からあれこれ聞き出した上で、有効なる手段を()るつもりでいたのだ。先に飛び込んできたのは貴公の方じゃないか。無論、候補ならばいくらでもあるぞ? 貴公ら騎士団の者をひとりひとり闇討ちするもよし、街に放火(つけび)して回るもよし、井戸に水銀を入れるもよし、橋を爆破するもよし――。まあ、いくら敵対しているとは(いえど)も、歴史ある建造物を壊したり、無辜(むこ)なる民草を巻き込んだりするのは趣味じゃないがな」

「随分と素直に喋ってくれるんだな」

「なに、我らはこれから貴公を殺すのだ。ならば喋ったところで何も変わらんよ。否、これも我らなりの礼儀――騎士道精神と思ってくれ給え。貴公だってそのつもりで飛び込んできたのだろう?」


 そう言い、騎士は立ち上がる。

 それを合図に、無頼どもは一斉に斬りかかる。


 そこからは防戦一方だった。

 男達から繰り出される剣を(かわ)すだけで手一杯であった。

 唯一助かっているのは、相手も同士討ちを恐れて必要以上に間合いを取っていることであったが――その遠間で有利に立ち回れるだけの剣技も魔術も、今の少年にはなかった。


 左手にある『木板(もっぱん)の盾』――板切れをを拾ったのだ。おそらくは椅子の座部だろう――は度重なる攻撃を受け、今にも壊れそうであった。


 ――どんな強い力を持っていようとも数には勝てねえんだ――。


 少年の脳裏に、仮面騎士の声が過る。


 ――どんなに強い騎士様だろうが何だろうが、狼三匹に囲まれりゃお終いよ。タコ殴りにされて手も足も出ずに食い殺されるのが関の山ってもんよ――。


 確かにその通りであった。

 ぐうの音も出ないほどの正論である。

 相手は狼ではなく礼節ある軍兵であるがゆえ、尚のこと窮地であった。


 少年は今更になって後悔する。

 勇み足に過ぎた、過信してしまったのだ、と。


 ――だけど。


(先輩、それじゃあ駄目なんです。僕は死ねないんです)


 何かないのか。

 何か、逆転の術は――。


 そして少年は閃いた。

 脳裏を過ったのは、黒馬の死神と対峙する団長の後ろ姿であった。少年の描いた若き騎士は、大上段から繰り出された横薙ぎを、騎士盾でいとも容易に弾き返してみせる――。


「…………」


 少年は盾を捨て、手甲を嵌めた左手を見る。


(これなら、いけるか? 否、行くしかない)


 粗悪な木の盾では、敵を押し返すことはできても、攻撃をいなすことはできない。


 少年は握った左拳を見詰める。それを好奇と見たのだろう。男の一人が直剣で斬りかかるが――少年は一歩間合いに踏み込み、相手の鍔元を弾くように左手を振り払った。

 それだけで、男の姿勢が大きく崩れた。


 ――貰った。


 少年は、右手の幅広剣(ブロードソード)で男の腹部を貫いた。剣を引き抜くと同時に男を蹴り飛ばせば、男は動かなくなった。あっけない死に様であった。


 まずは一人。

 残るは、騎士を含めて四人――。


 少年は笑った。

 才能の開花を感じたのだ。



     *     *     *



「ああ、そんなに緊張しないでくれ。何も、あんたをとって食おうってわけじゃない」


 手摺りに寄りかかりながら鎖帷子の男性は言った。敵意があるようには見えなかったが、カイル君が真面目な顔をして去った直後である。安心はできなかった。


「……どちら様でしょうか?」

「ここの用心棒だよ」


 男性は答えた。


「あんたの連れから、あんたを護るように頼まれたんだよ。もし自分が戻らなかったら、あんたを家まで送っていけともな。まあ、そういうわけだからよろしくな」

「待ってください、どういうことですか?」

「どういうこともなにも、そのままの意味だぜ。あいつは仕事しにいったんだよ」

「仕事って――」

「さっき怪しい奴が店を飛び出ていったのはあんたも見てただろ。少年は奴を追っていったんだ。あんたら、多分尾行されていたんだろうな」


 そんなこと気付きもしなかった。

 それより、カイル君は一人で行ったのか。

 私はカイル君の仕事ぶりを知らないから何とも言えないが、危険ではないだろうか。


「連れが心配なのは分かるが、大人しく待つことだな。なんなら何か頼むか? そのカップだってもう空だろ。一杯くらいなら奢ってやるぜ」


 金貨だって貰っちまったからな使わなきゃバチがあたるってもんだ、と男性は言い、愉快そうに口の端を歪めてみせる。


「いえ、結構です」

「そうかい? まあ無理にとは言わないがな」


 そんなら金貨は丸々俺の儲けか、と今度は面白くなさそうに男性は言った。


「――あの。用心棒をされているということは、あなたは戦えるんですよね」

「まあ、そういうことになるな。なんだい、もしかして俺の腕が心配なのか。だとしたら心外だな」

「違います。そうではなくて――お願いします。カイル君を追っていただけませんか」


 私の言葉に、男性は怪訝そうに眉をひそめる。


「なぜ、あんたがそんなことを言うんだ?」

「なぜって、心配なんです。何かがあってからじゃ遅いんです」

「駄目だな」


 男性は即答する。


「どうしてですか?」

「簡単な話だ。俺はあいつがどこに行ったか分からないんだ。追いかけようがない。それ以前に、俺はあんたを護るように頼まれたんだ。既に金も貰った。今更(そで)にする真似はできねえ」

「私なら大丈夫ですから――」

「あんたも強情だな。ここはあいつの意思を汲んで大人しく護られてくれや。あんたの気持ちも分からんでもないが、あいつは、あいつなりに己の役目を果たそうと男気を振り絞ったように見えたぜ」


 男性は持て余したように私を見遣る。

 その瞳は、全てに絶望しきったような暗い光を湛えていて――何となく、私は何も言えなくなってしまった。


「俺だって意地悪で言っているわけじゃないんだ。第一、あんたに自分の身は護れないだろ?」

「それは、そうかもしれませんが」

「お嬢さん。あんたがどんな世界で育ってきたのかは聞かないし、興味もてんでないが――覚えておいた方がいい。主義主張を声高に通せるのは、力を持つ人間にだけ許された特権なんだ。それに――あそこ、見てみろよ」


 男性は、自分の頭上――天井を走る(はり)を親指で示した。


「黒服がいるだろ。見えるかい?」


 私は頷く。確かに、梁の上、シャンデリアにほど近い場所に、黒い作業着のような格好をした男がいた。男と目が合った。否、男は私をずっと監視していたのだ。


「あの野郎、あんたらが店に入った直後に来たんだぜ? そしてずっとあんた達を見ていたんだ。大方、どっかの間諜だろうな。揉め事を持ち込むのは勘弁願いたいところだが――まあ、いい。この国の一員として、何より用心棒として、ちっとは働いてやるよ」


 退屈そうに言ったのち、男性は階下を向いて。


「今から一匹落ちてくるぜ! 気ぃ付けろよ!」


 と叫ぶ。

 直後、男性は腰元のポーチから内向きに湾曲した小型のナイフ――『ククリ』を取り出し、梁に潜む男に向かって投擲する。ナイフは宙空を一直線に(すべ)り――見事、男の頭部に命中した。ぎゃあ、という悲鳴の後、用心棒の予告通り、黒服は階下の丸テーブルに落下した。

 一拍子遅れて、客が騒ぎ出すが、周囲の給仕達に慌てた様子は見受けられない。

 給仕は、血を撒き散らしながらもなお逃走しようとする男を組み伏せ、手慣れた様子で捕縛にかかる。給女の方は、混乱する客を(なだ)めながらも、砕け散ったグラスや皿の撤収にかかる。完璧な対応であった。


「あとは、あの野郎を第一騎士団に――いや、この場合は第二騎士団かもしれんが――引き渡して終了だ。どうだい、俺もやるもんだろう?」


 男性は私に振り向くと得意気に言った。


「あんな手合いがまだどこかに潜んでいるかも分からない。だから、ここは俺とあの少年に花を持たせてくれや」


 私は頷く他なかった。

 給仕達に殴打され、店の奥に連行されていく男は未だに私を睨んでいた。


 いつか必ずお前を殺してやる、覚えておけ――と。


 そう言われているような気がして。

 私は、この世界で生きることが怖くなってしまった。



     *     *     *



 少年は窮地に立たされていた。

 己を囲っていた無頼共は全て切り伏せた。

 残るは大剣を振るう騎士のみとなったが――。


 ――駄目だ。勝ち筋がまるで見出せない。


 迫り来る死を感じながらも、少年は相手を睨む。


 何度となく、長大な刀身をもつ大剣は振るわれた。

 あるときは地面を転がりながら躱し、避けられぬときは果敢に(さば)こうとしたが、そのどれもが失敗した。相手の太刀筋を見切れなかったのではない。間合いを見誤ったわけでもない。両手で薙ぎ払われる斬撃の、あまりの威力に押し切られてしまったのだ。


 今更ながらに少年は気付く。相手の得物、刀身の根元には、持ち手とするため革が巻き付けられていることに。その部分(リカッソ)を握り、筋力と遠心力に任せて振るわれる攻撃は、とても自分の細腕でいなせるようなものではないことに。


 度重なる失敗で左手は使い物にならなくなった。

 動脈をやられたらしく、血が止まる気配はない。


 死地ゆえか痛みは感じなかった。

 死なない限り、聖女ならばいとも簡単に治してくれるだろう。自分はまた立ち上がることができるのだ、という虚勢も手伝い、少年の心は未だ折れることなく活力を保っていた。


 しかしながら少年には術がなかった。

 苦し紛れに放った『短矢』は相手の鎧を貫くには至らず、また自分の居場所が割れているこの状況では『隠密』は何の役にも立たない。かといって剣技に頼ろうとも、得物の都合上、どうにも間合いに入り込めず、入ったところで強靱を削り切れない。飛び込んだ数だけ浅くない裂傷が増えていく。


(考えろ。この状況を覆せるだけの方法を)


 魔術も剣技も使えない状況において、少年に残されたのは小賢しい頭を(たの)むことであった。


 そして――閃いた。

 否、見抜いた。特大剣(ツヴァイヘンダー)の弱点を。


 少年は後退(あとじさ)る。死に怯え、無意識に退いてしまう一兵卒のような表情をつくりながら。そして――目論見通りに、背中を壁に擦りつける。

 騎士は、特大剣を構えたままじりじりと少年に迫り――。


「さらば、若き戦士よ」


 騎士が踏み込んだ。

 低い姿勢から、かち上げるように大剣を振り上げて。


 がちん――と音がした。


 長過ぎる刀身は、少年を両断する直前で白漆喰の壁に食い込んだ。

 男の意識が逸れたのは僅か一呼吸にも満たぬ数瞬であった。

 だが、少年には十分過ぎる時間だった。


 男が、壁ごと強引に剣を振り抜いたときには、既に少年は逃げ(おお)せていた。



 …………。

 ……。



 半開きとなった扉からは穏やかな陽光が差し込み、転がった数多の屍を照らしている。

 鎧の男は知っている。

 それらの屍は、己を慕い、敵地までついてくれた仲間ではなくなっていることを。仲間だったモノにしか過ぎないことを。言ってしまえば(ぬけがら)でしかない。

 ゆえに、男は何の感慨も抱かずに済んだ。

 彼らに黙祷を捧げたのも、短い間だけである。


 男は、他の潜伏先に行くことにした。

 次会ったときは必ず殺してやろう、と静かに誓った。

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