21.医務室の状況たるや、それは惨憺たるものであった。
医務室の状況たるや、それは惨憺たるものであった。
寝台に寝かされた傷病人の周りを、白装束を纏った医師と思しき者が行き来して処置を施しているかと思えば、アリスを始めとする侍女達や非番であったろう団員達が、包帯や傷薬、湯涌の用意などに奔走している。
ある寝台では、止血のため火で炙った短剣を脚部の傷口に押し当てて患者が絶叫をあげているし、またその対面では、千切れかけてどうにもならなくなった右腕を、今にも断頭台のような大鉈で断ち切ろうとしている――。
「全員、聞け!」
アルフィー様が一喝すれば、誰しもが処置の手を止めて私達に向き直る。
「葉月殿が到着した。これより重傷者から順に回復の奇跡を使ってもらう。応急処置だけに留めて待機だ。手脚の切断は回復の可能性があるため絶対に認めない。医師殿、私が発ってから死者は?」
「おりません。ですが一刻の猶予もないでしょう」
血塗れで仰臥する兵士に覆い被さり、頭部の裂傷を縫合をしていた医師が答える。その人相はフードに覆われているため分からない。彼の腰には、医療道具にしては大振りな、十字架にも似た短剣が下げられている。従軍医師だろうか。
「よくぞここまで持ち堪えてくれた、感謝する。あとは我々が引き受ける」
「なるほど。そちらが件の聖女様ですか」
男が私を一瞥する。好意的とはいえない眼差しと物言いではあったが、暢気に会話してもいられない状況であるため会釈するに留める。
「ああ、挨拶なら結構。聖女たる者、堂々と構えていればいいでしょう。アルフィー副団長。手は尽くしましたよ。何かあれば呼んでください。薬や包帯の類は置いておきましたから。――では、聖女様。私はこれにて」
男は退室していった。
――聖女、か。
死神をも彷彿とさせる白装束を見送りながら思う。もう聖女と呼ばれたくない、などと四の五の言っていられる状況ではない。私の本心がどうあれ、今求められるのは聖女らしい働きなのだ。
何の因果か、私には奇跡がある。
今、その奇跡を多くの者が求めている。
大いなる力には大いなる責任が伴う、などという紀元前からの格言だってある。私が、彼らを助けなくてはならない――。
「アルフィー様。ここは一度、まとめて奇跡を使います。順番に回るのはその後で」
「分かりました。皆を頼みます」
アルフィー様が頷いた。
――お婆様。どうか、力をお貸しください――。
両手で持った大杖を前方に掲げる。
溢れ出た純白の光で、部屋一面を照らす。
(ひとまず、これで気休めにはなってくれるはず)
見回せば、皆の傷はある程度塞がっているが――重傷者を治すには不足している。あの兵士の右腕は不格好にぶら下がったままであり、傷口を灼いた兵士の脚からは未だに出血が止まっていない。
ひとつ、懸念があるとすれば。
集中力が尽きて、奇跡が打ち止めになってしまうことであったが。
(大丈夫。まだ十分使える、はずである)
全員を治すくらい、なんとかなる。
否、なんとかしなくてはならない。
人命のかかった逼迫した状況と、重すぎる責任のあまり、全身の震えが止まらないが――そんなこと、気にしてなどいられないのだ。
「アリス。アリスはいるか!」
アルフィー様に呼ばれたアリスは、はい、こちらです、と慌てて医務室に入ってくる。包帯を取りに行っていたようである。
「これから葉月殿に、重傷者から順に診てもらう。一番酷いのは誰だ?」
「ええと――こちらです!」
最初に案内されたのは、やはり右腕が千切れかけた男性であった。右腕だけでなく全身至る所に深い裂傷があった。頭と脚に巻かれた包帯も白いところがないくらい血で染まり、最早何の気休めにもなっていない。
呼吸こそしているが男性の意識は途絶えていた。このまま放置すれば、間違いなく彼は死ぬだろうと医学の心得がない私でも分かるくらいであった。
彼の側に着いていた侍女など、泣きそうな顔をして私達を見詰めていた。
(あなたの気持ちは、本当によく分かる)
できることなら私だって泣きたい。気持ちが悪くて、今朝に食べたトーストを今にも吐瀉してしまいそうだし、さっきから傷口を直視することができない。本音を言えば今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。
――でも。
今だけは、堪えなければならない。
私は無理矢理、萎えてしまいそうになる気持ちを奮い起こし、縋るような気持ちで奇跡を行使する。すると――彼の腕は繋がった。他の傷も同様に癒えていく。
回復した男性の右腕を見ながら思う。
一体どんな化物と戦ったらこうもずたぼろになるのだろうかと。これが戦争であり、国を護るということなのだろうかと。人が同じ人を毀すなんて、尊厳ある人間の行為なのか、と。
こんなことを考えている場合でないのは分かっていたけれど、それでも考えずにはいられなかった。平和な日本で肥え太った私の倫理観は悲鳴を上げていた。
「――アリス。二番目は?」
私が尋ねれば、こっちに来て頂戴、とアリスは私を誘導する。彼女の表情は真剣そのもので、嫌悪や忌避といった色はどこにも見受けられない。内心参ってしまった私とは大違いであり、上背の低いはずの彼女がとても大きく見えた。
…………。
……。
それから、私は一人ひとりに回復の奇跡を使って回ったが、最後の最後に、壁にぶち当たってしまった。七人目――兵士にしては小柄な体躯の、青いスカーフを巻いた少年である。
彼とは面識があった。
カイルという名前の、人懐こい性格の男の子である。以前この部屋で彼の打撲を治療したことがあり、それを契機に、会えば二言三言、軽くお喋りするようになったのだ。
彼の傷はそう深いものではなかった。腿に一カ所、矢で射貫かれたような傷があり、それを治したのだが――彼の様子がおかしいのだ。がたがたと痙攣して、全身から脂汗が滲み、何やら譫言を呟いている。
――おかしい。
傷口は塞いだのだ。塞いだはずなのに――どうして彼はこんなにも苦しそうにしているのだ? 私は、何か途方もない間違いをしているのでは――。
急がなきゃ。
私がなんとかしないと。
きっと彼は死んでしまう――。
「葉月殿?」
混乱のあまり、杖を握り締めたまま動けずにいる私を不審に思ったのだろう。他の者を診ていたアルフィー様が呼び掛ける。
「アルフィー様。助けてください。カイル君の様子がおかしいんです」
自身の声が震えていることに気付いた。声だけじゃない。全身が震えていた。膝が笑って、最早まともに立っていられないくらいであった。
すぐ近くの壁に寄りかかろうと、右手を動かそうとするが――杖から手が離れなかった。右手が、別の生き物のように大杖の柄に噛みついていたのだ。
そこで悟ってしまった。
自分の集中力が既に切れてしまっていることに。
「葉月、しっかりして! 大丈夫、大丈夫だよ。葉月はよく頑張っているから。ほら、椅子に座ろ? 落ち着いて、ね?」
その場に崩れ落ちそうになった私をアリスが横から支えてくれた。近くの椅子まで誘導してくれる。
「――ごめん、ありがとう」
「ううん、大丈夫だよ。アルフィー様、来てください!」
アリスはアルフィー様を呼んでくれた。私の代わりに、今もなお苦しそうに喘ぐ彼の症状を事細かに説明してくれた。
「矢毒、だろうな」
説明を受けたアルフィー様は絞り出すように言った。
「大方、この症状ですと毒花から抽出したもので間違いないでしょう。即効性に優れ、特異的な治療法も解毒剤もありません。葉月殿、奇跡で毒を癒やすことは?」
ああ、そうか。
私は傷を塞ぐことばかりを優先して、毒があるなんて考えてもいなかった。
やってみます、と言って立ち上がろうとしたが。
声が、出なかった。
力も、入らなかった。
「葉月? ねえ、大丈夫?」
ごめんね私は大丈夫だから、と声を絞り出そうとしたとき。
「ガス欠なんだろ? 無理は止せよ」
アリスでもアルフィー様でもない声がした。
顔を上げれば、仮面の騎士――オスカー様が立っていた。以前、ここで見たときと同じ格好をしていたが、その装束は傷だらけであり、手甲と足甲は血に塗れていた。
「オスカー? お前、起きて平気なのか」
「あんなもの掠り傷に過ぎません。それよりカイル少年だ」
仮面騎士は、寝台の上で苦しむ少年を見たのち、腰に下げていた鈴を手に取った。そして祈るように鈴を鳴らせば、鈴から光の雫が滴り落ちて、カイル君をふわりと包み込む。
今の光は――奇跡である。
白い光に撫でられた少年の震えは次第に収まっていき、静かな呼吸が聞こえるだけとなった。
「聖女サマ、何もそんなに驚かなくたっていいだろうに。奇跡はあんたの専売特許じゃねえってことだ。あんたほどじゃないが、俺だって師から教えを受けた身だ。それなりには使えるんだよ」
所詮それなり止まりだけどな、と言い、仮面の騎士は消耗したのか小さく嘆息してみせる。
「どうだい副団長殿。俺もやるときはやるんですよ」
「そんなことは最初から知っている。しかし、お前がそんな奇跡を使えたとは思わなかった。いつ身につけた?」
「ついこの間ですよ。そんときは二日酔いがあんまりにも苦しかったもんで――閃いたんです。酒精を解毒、つまり分解できればクソみたいな苦しみから解放されるんじゃないかって。それどころか好きなだけ飲み放題だと。怪我の功名とでもいいましょうか。おっと、説教はナシですよ」
場にそぐわない軽い口調で仮面騎士は語る。
「まあ、いい。よくやった」
「少年のことはいいとして、聖女サマだ」
仮面騎士は私に向いた。
葉月に変なこと言ったら許さないからね、とアリスは私を庇ってくれるが、なあにちょっと進言があるだけだ、と仮面騎士は意に介した様子もない。
「いいかい。いくつかいいことを教えてやる。仲間を救ってくれたことは本当に感謝してもしきれないが、頑張り過ぎてガス欠になっちゃいけない。これ以上誰かを治せないってなった時に、次の怪我人が運び込まれないとも限らないんだ。だから奇跡は必要最低限――死なない程度で十分なんだ。後先考えずにぶっ放して全回復させることもない。俺達はズタボロになるのも仕事だからな。その結果死んだとしてもいい。覚悟はできている。次からはこんな風にコンパクトに使ってみな」
仮面騎士が再び鈴を鳴らすと、控え目な光が彼と私達だけを包んだ。自分とその周囲を僅かに癒やす――『中回復』とでも言うのだろうか。
「これがひとつ。もうひとつは、怪我ってのは傷口を塞げばいいってもんじゃない。回復の奇跡ってのは、奇跡っていうご大層な名前こそついているが、あんたが思うほど万能じゃねえ。むしろ融通が利かねえんだ。後先考えずに使いまくればすぐバテちまうし、真っ暗闇な場所で使ったもんなら眩しい光で居場所もバレちまう。それ以前として、良くも悪くも念じたことしか触媒は汲み取ってくれねえんだ。つまり――毒を治したいなら、その毒がどんなものかを理解しなくちゃならないってことだ」
「大口叩いてるけど、あんたは毒なんて知ってるの? まさか、酔ったからできるようになりました、なんて言わないよね」
アリスが不機嫌そうに問うた。
「そんなわけあるかよ。大昔、毒矢を射掛けられて死にかけたことがあんだよ。この間まで忘れてたけどな」
「なにそれ。あんた矢傷で運び込まれたことないでしょ。鹿や猪にでも間違われたの?」
「人を獣扱いすんな。俺にも色々あったんだよ。というか口を挟むんじゃねえ。聖女サマ、調子はどうだい? ああ、無理して立ち上る必要はないぜ」
「――済みません。体調なら、大丈夫です」
ようやく、声が出るようになった。
お役に立てずに申し訳ありません、と私が頭を下げれば、冗談は止せよ、と仮面騎士は小さく笑ったようだった。
「十分過ぎるくらいの活躍じゃねえか。過度な謙虚は嫌味にしか聞こえないぜ」
「すみません、そんなつもりじゃ」
「分かってるよ。それより、周りを見てみろよ」
「え?」
いつの間にか私は囲まれていた。
つい先程まで死に瀕していた者も、忙しそうに走り回っていた侍女達も、皆が直立不動のまま私を見詰めている。
初めて医務室で奇跡を使った時も似たような事があったが、その時と違うのは、彼らの視線には、余所者に向ける遠慮がちな崇拝などではなく、ひたむきな忠義が宿っていたことである。
「葉月殿。私達を救っていただき、誠にありがとうございます」
沈黙を破ったのは、アルフィー様であった。
その直後、男達は一様に傅いて頭を垂れる。騎士流の敬礼だろうか。侍女の皆は、身体の前に両手を合わせ、深々とお辞儀をしている。
もちろん隣にいたアリス、発言者であるアルフィー様、寝ているカイル君、そしてふてぶてしい態度を崩さない仮面の騎士は別として。
本当であれば。
よしてくださいそんな大袈裟な、だとか。私は所詮侍女ですから、などと言いたかった。謙虚さを装い距離を取ることで、この責任と重圧から少しでも逃れたかった。
――でも、たぶんきっと。
その態度は、きっとこの場では間違いなのだ。
彼らの信仰心に水を差してはならない。
私は彼らと真正面から向き合わなくてはならない。
だから、私は。
深呼吸の後、その場に立って。
甚だ不本意ではあったが。
「皆様のお役に立てて何よりです。聖女であった祖母の力を借りた甲斐がありました」
そう言い、聖女らしく微笑んでみせた。
もっとも、ここでいう聖女とは、信仰に篤い女性はこういう振る舞いをするであろうという私の勝手な妄想でしかなかったが。
視界の隅で、仮面の騎士が声を圧し殺して笑っているのが見えた。奇跡を巧みに扱う彼からすれば、配分を考えずに集中を切らしてしまった私がしていい発言ではないのだ。あまりにも滑稽に映ったのだろう。
私が聖女と呼ばれたくないこと。そして聖女と呼ばれるに相応しい人間でないことは今も変わらない。だが、奇跡という力を持ちながら、そして戦時下というこの状況においては、きっとそれは我儘でしかないのだろう。
聖女としての振る舞いが求められているのだ。
だが、今の私には、知識も技量も不足している。
私の目標は喫茶店を開くことだから、あとのことは知りません、と言って逃げるのは簡単だが、逃げ出したいとは思わなかった。私は、逃げる私を許せない。
変わらなければならない、と強く思った。
団長であるウィリアム様がここにはおらず、未だ最前線で指揮を執り続けていることを聞いたのは、全ての処置を終えて一段落ついてからであった。




