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2.私は薄暗い室内に突っ立っていた。

 私は薄暗い室内に突っ立っていた。


 板張りの床には、白いクロスを敷いた複数のテーブルと、それに対応するだけの椅子が置かれている。

 少し離れたところにはカウンターがあり、その上には調度品としての役割も兼ねているのであろう豪奢なつくりのコーヒーミルと、今時珍しいサイフォン式のコーヒーメーカーが置かれている。奥の戸棚にはカップやソーサーといった多くの茶器が整然と収められている。裏手にあるドアはきっと厨房にでも続いているのだろう。

 漂うコーヒーの香りと配置された物品から察するに、ここは喫茶店である。空間自体はそれほど広くない。客席を数えても、十を少し超える程度である。


 部屋に光源はない。壁掛けの燭台もテーブルランプも消されていたが、窓から青白い光が差し込み、暗いとは感じなかった。


「……?」


 振り返るが、扉は忽然(こつぜん)と消えていた。

 石造りの壁があるだけである。


 ここはどこだろう。

 私は、ついさっきまで裏庭の蔵にいたはずなのに――。


 ……ブゥゥゥ――ンン――ンンン…………。


 混乱しかけた私を繋ぎ止めたのは、粘り気のある鐘の音であった。音源へ顔を向ければ、部屋の奥に置かれた大時計の短針がちょうど一時を示している。規則正しく往復する振り子を眺めていれば幾許(いくばく)かの冷静さが戻ってくる。


(あそこに何か置いてある)


 大時計側のテーブルに、方形の紙が置かれていることに気付いた。祖父からの手紙と同じ簡素な便箋であり、手に取ってみれば、案の定祖父の角張った文字がびっしりと綴られている。


 (いわ)くーー。 



『葉月へ。よく来てくれた。唐突にここまで来て、さぞ驚いていることだろうが落ち着いてこの(ふみ)を読んでほしい。

 まず、ここは地球とは異なる場所ないし天体である。それは()()()()()()()()()()ことだろう。文明や思想、歴史に学問、地質や動植物を鑑みるに、地球が辿るはずであった平行世界のひとつと私は考えている。生憎、学がないゆえに断言はできないが。もっともそれは些事である。

 以下、お前が覚えておかねばならぬことを記す。


 別の文にも書いたが、ここには魔術と奇跡なる不可思議な力が存在して、触媒と精神力さえあれば自在に扱うことができる。二階の部屋に行け。二本の杖と外套を用意してある。好きに使えばいい。お前の祖母が愛用していた由緒ある正装である。部屋も自由に使ってくれて構わない。それらがあれば、相手を害するような(おぞ)ましい魔術も、酷い怪我を立ちどころに治せるような奇跡も思いのままである。努々(ゆめゆめ)、力の使い方を誤らぬように。


 祖母といえば、今お前がつけているであろう指輪もあれが作ったものだ。不思議なもので、どんな者と話をしても翻訳してくれるのだ。ここで生きるぶんには困らないだろう。また、地球とこの世界を繋ぎ止める鍵ともなり、この建物にいる限り、少し念じただけで蔵に戻ることができる。時間の流れも同等であり、竜宮城から生還した浦島太郎のようなことにはならぬため心配は無用である。


 この店についてだが、商店街にある空き家を改装したものであり、喫茶に必要なものは揃えたつもりだ。器具その他設備は魔力を込めればすぐ使えるはずだ。電気ないし科学の代替と思えば分かり易いだろう。まずは料理でも菓子でも作ってみて、祝福を与えるところから始めよ。大概のものは食せるようになる。コツは「美味くなれ」と念じることだ。奇跡が重宝される世であるため、さぞ喜ばれることであろう。喫茶をする上で大いに役立つことだろう。


 さて、ここまで長々と書いたが、あくまでお前の人生である。使うもよし、使わぬもよし。家族と助け合って生きてくれれば幸いである』

 


 やはり、にわかには信じられない内容であり、未だ姿の見えぬ祖父を心配してしまう。


 けれど――。


(ここが、私のお店?)


 改めて店舗を見回す。

 厨房までは確かめていないが、調理に必要な道具は揃っているらしい。ホールに置かれた椅子とテーブルの数も十分である。


 石造りの壁に貼られた、羊一頭をそのまま用いたであろう羊皮紙には、見たことのない大陸の地図が描かれている。地名や海域を示す言語はどれも見慣れないものであったが――強いて言うならアルファベットに似た表音文字であり、また碑文に刻むような鋭い直線が特徴である――どういうわけか理解できてしまうのだから不思議なものである。


 窓の横にある書架には装丁(そうてい)が施された分厚い本が行儀良く並べられ、スペースの余った上段には日本人形と蛇腹式のカメラが置かれている。背表紙を見る限り、歴史書や風土記、神学や哲学、文学らしきものが少々と、中々食指(しょくし)が動きそうにないものばかりである。


 カウンターから離れたところには、朱色のレンガをモルタルで固めた暖炉があり、その横には年季の入った猟銃と日本刀が立て掛けられている。刀や銃は当然レプリカだろうが、間違いなく祖父の趣味である。


 上を見れば、二階部分は吹き抜けとなっていて、梁からはランプが垂れている。更に上部、明かり取りの窓からは冷たい光が差し込んで、空間そのものを静かに照らしている。


(……夢じゃないよね、これ)


 洒落気(しゃれっけ)に満ちて、動線も良好。

 間取りや家具、その他調度品の配置も問題ない。

 私がそこのカウンターに立って、お茶や軽食、雰囲気を目当てに様々な人が来てくれたら、それはとても幸せなことじゃないだろうか。いや、幸せに決まっている。私の夢なのだから。


 いつの間にか、私は自分でもそうと分かるくらいだらしない笑みを浮かべていた。頬を両手でつねってみるが、痛みを感じるため、それこそ夢ではないらしい。

 だが、浮かれている場合ではない。


 祖父の書き置きを整理すれば――。


 ひとつ。ここがどこかという明確な情報はない。だが指輪によって自由に行き来はできるらしい。また書きぶりから察するに、移動することに制限はないらしい。

 ふたつ。二階には祖母の形見である外套と杖があり、それがあれば魔法(?)が使えるらしい。また祝福というものが喫茶店をする上で非常に役立つらしい。


 そもそも祖父がどういう経緯でここに来たのか、どうして今も姿を見せてくれないのか、魔術や奇跡とはいったい何なのかなど、気になることはあるが考えていても仕方ない。

 不思議と、全く知らない場所に来てしまったという恐怖はなかった。祖父の家に帰ることが本当にできるのかを確かめるべきという考えもなかった。むしろ、もう二度とここに来ることができなくなることの方が嫌だった。




 時計横の階段から二階に上る。

 上がってすぐのところは談話室であるらしく、透かし彫りのされた衝立(ついたて)で仕切られている。一枚板で作られたテーブルと革張りのソファ、高級そうな絨毯(じゅうたん)が敷かれていることから察するに客席としての使用は想定していないようである。


 談話室の他は部屋がふたつあるだけであり、手前の部屋は内側から施錠されて入れなかった。


 最奥の部屋に入ると、最初に目についたのは衣紋(えもん)掛けに掛けられた純白のクロークであった。(すそ)まわりには細やかな刺繍(ししゅう)が施されており、一目で高価なものであることが窺える。まるで、身分の高い者にしか着用が許されないような品であった。


 それが、すぐ傍らの大きな窓から、白い光を浴びて銀色に輝くものだから――しかも、それが己に贈られたものであるから――ある種の神秘とも畏怖ともつかぬ奇妙な喜びを感じた。白銀の外套の横には、長い大杖と指揮棒のような短杖が寄り添うように置かれている。


 大杖は私の背丈ほどの全長があり、先端にはホーリーシンボルらしき満月と若い女性が(かたど)られている。緻密な彫像であり、美しい女神のどこか哀しげな表情までがありありと分かる出来であった。

 短杖の方は肘から指先ほどの長さであり、こちらは飾り気のない簡素なものである。


(これが、おばあちゃんが使っていたものなのかな?)


 べたべたと触るのも畏れ多く、間近で眺めるだけに留める。


 祖母との面識はなかった。

 名前も知らず、写真すらも見たことがなかった。

 幼い頃、祖父から病気で死んでしまったと聞かされただけである。説明してくれた祖父の顔があまりにも寂しそうで、名前や為人(ひととなり)を尋ねることすら(はばか)られたのだ。


(でも、それだったらおばあちゃんもここに来ていたってことになるよね)

(そんなことがあるのだろうか?)


 部屋は八畳ほどの広さであり、ベッドと鏡台、丸テーブルと小さな椅子があるだけの質素な空間であった。誰がしているのか、掃除は行き届いているらしく埃やごみはない。これだけを見れば、いかにも日本人好みの、飾り気のない清潔な部屋である。


 まあ、今は置いておこう。

 部屋も遺品も好きにしていいと許可はもらっているのだ。


 使わせていただきます、と小さく断ってからクロークを手に取る。

 フードのついた厚手の上着は、全身を覆ってしまえる丈でありながらも身体に馴染んでいた。二本の杖を持ち、入口横の全身鏡を見れば、自分が偉い人になったかのようで悪い気はしなかった。


 宗教にはあまり詳しくないが司教様だろうか。それとも教皇様だろうか。いや、さすがに最高権威である教皇様というのは言い過ぎだから。


「聖女さま、なんてね」


 一流の装備で着飾っているのだ。少しくらい浮かれてしまっても仕方ない。

 もっとも、服に着られている感は否めないし、ナチュラルメイクの見慣れた顔は特別愛嬌があるわけでも整っているわけでもないのが悲しいところである。まあ、上等すぎるがゆえ、かえって普段使いには向かないだろう。杖と一緒に置いてあったことから察するに儀礼用の衣装なのかもしれない。


 クロークはさておき、魔法である。

 手紙には触媒があれば魔法を使えると書いてあった。


「…………」


 左手の短杖を前方に突き出して。


 ――お願い。明るくなって――。


 『照らす光』を祈った途端、杖の先端に淡い光が生じた。

 光はふわふわと球形を保ったまま――無重力下にある液体が宙空に留まるように、私の前を漂っていたのち、しばらくすると消えてしまった。


「……使えちゃった、魔法」


 何かを唱えた訳でもない。ただ、薄暗いからちょっとだけ明かりがほしいな、と思ったぐらいである。魔法を使っても疲労は感じなかった。

 魔法が実在するなら、料理に祝福とやらをかけることもできるかもしれない。


 もう一度、自分の頬をつねってみるが、やはり痛かった。


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