19.齋藤葉月が第一騎士団に出入りするようになってから三日後。
公募用の小説に一段落ついたので、気分転換に再開いたします。
齋藤葉月が第一騎士団に出入りするようになってから三日後。
国境防衛に出向いたウィリアムは自らが指揮する小隊と共に休息を摂っていた。場所は古都パンセリノス西側の原生林――騎士団の野営地よりも更に国境に迫った限界地点である。
時刻は夜半を過ぎていた。
青黒の洋墨で染め上げたような夜空には相変わらず巨大な満月が鎮座して、人間性を腐敗させんが如し光を撒き散らしていたが、その青白い光線は数多の樹木に覆い隠されたウィリアム達には届かない。
地面に腰を下ろしたウィリアムは、火の番として目の前に灯された篝火を見るともなしに眺めていた。他数名の団員も篝火の周囲にいて、木の幹に背を預けるか、茂みを枕にして眠っている。
夜に火を点けることは、侵略者ないし肉食獣にこちらの居場所を告げるようなものであるが、その対処は自身の隣で、同じく火の番をしている少年兵士に一任していた。
この少年兵士――名はカイルという。まだ十五も超えていないだろう、あどけなさを残す色白の顔に、あちこち跳ねた茶髪が特徴である――は魔術『隠密』の使い手である。彼に任せれば、敵対者から篝火の存在を隠すことは勿論、自分を認識させないまま、短剣一本で敵小隊を暗殺することすら容易にやってのけてしまうのだ。
尤も、現在は雲一つない月夜である。敵側も木陰に身を隠しているか、幕舎にでも篭もっているだろうゆえ、そこまでの警戒が必要なのかは少々疑問であるが――現在は非常時である。過度な警戒を咎めることもないだろう。また、帝国側で月蝕病の治療薬が開発されたという噂だってある。件の聖女のように、月光に貫かれて平気な者がいないとも限らない。
我が隊が何度、この少年に助けられたか分からない、とウィリアムは自戒する。我々がこうして火を囲い、任務中でありながらも惰眠を貪ることができるのは、ひとえに彼の魔術あってこそである、と。彼がいなければ既に国境の防衛線は破られ、古都パンセリノスは陥落するか、よくて泥沼の市街戦に陥っていたであろう、とも。
「団長。さっき仰ったことは本当ですか?」
丸い鉄兜に、青い襟巻きがトレードマークの少年は思い出したように言った。特殊な技法で染め上げた深い青の襟巻きは、目覚ましい武勲に対して王都から与えられる報奨の品である。
「さっきと言うと、お前を聖女の護衛につけるという話か?」
ウィリアムが聞き返せば、少年は不満気に頷いた。
「お前が適任だろう。不服だったか」
「不服というほどではありませんが――その、本当に宜しいのですか?」
大丈夫だと思ったから頼んだのだ、とウィリアムが言えば、本当にそうでしょうか、と少年は控え目に抗議する。従順な性質である少年が異を唱えるのは珍しい、とウィリアムは思う。
「僕は――いえ、私はこの国を護るために戦っております。自惚れに聞こえるかも知れませんが、相応の成果を出しているという自負だってあります。上手く言えませんが、私が持ち場を離れて、この戦線を維持できるかが不安なんです」
少年はウィリアムの瞳を真っ直ぐ見ながら言った。
「なるほど。お前も、一応は考えてはいるんだな」
「一応は余計です。子供扱いしないでください」
「事実、子供なのだから仕方ないのだろう。いずれにせよ、お前の言うことは聞けない。命令には従ってもらう」
「なぜですか」
「お前がいなくても戦線はどうにでもなる――いや、違うな。正直に言おう。お前がいてもいなくても、どうせ戦線は維持できないに決まっているのだ」
捨て鉢めいたウィリアムの言葉に、少年は目を丸くする。
その眼をしたまま。
「どういうことですか」
と掠れた声で聞いた。
「戦争を左右する大部分の要因は兵隊の数ということだ」
「数?」
「そうだ。お前も知っているだろう。この森を抜けた先の平原では、既に大軍が布陣して、虎視眈々と機を伺っているのだ。今までは寡兵同士の小競り合いにしか過ぎなかったが、向こうが数に物を言わせてきたらどうにもならないだろう」
「お言葉ですが、確かに相手の数は我々と比較にはなりません。ですが質そのものは驚異ではないように思います。また兵士が多いということは、それだけ多くの維持費がかかります。私達がここで堪えれば、維持費を重く見た帝国は諦めてくれるかもしれません。何より私達には魔術があり、後ろには聖女様がついております」
周囲で眠る他の団員を気遣い、少年は声を潜めながらも熱弁する。
「本当にそう思うか?」
「はい。雑兵がいくら集ったところで、我々の敵ではありません」
少年は力強く頷く。指揮官への阿りでも希望的観測でもなく、純粋にそうと信じて疑わない――幼い愛国者の眼差しであった。
「そう思うのなら、やはりお前は前線にいるべきではないな。断言する。そう遠くないうちに、この戦線は放棄して撤退することになるだろう。下手をすれば侵略を恐れた本国が、講和に持ち込む可能性だってある。尤も、今後を考えたらそれが最善なのかもしれないがな」
「なぜですか? 私達は侵略者から国を防ろうとしているだけです。講和する理由などどこにもありません。戦線だってうまく維持しているように思います」
「それがそうでもないのだ」
ウィリアムは少年をどう諭したものかと考える。権力のまま従わせるのは容易いが、非常時だからこそ遺恨を残す方法は避けたかった。
こういう時、口下手な自分が恨めしくなる。今この場に副官がいたら、何と言って諫めるだろうか、と思ったとき。
「おいこら、少年。団長殿を困らせるんじゃねえよ」
背後から声がした。
ウィリアムが振り返れば、仮面の騎士――オスカーが立っていた。
偵察から戻ってきたのだろう。黒革と鎖帷子からなる戦装束が血で汚れていることから察するに、軽微な戦闘をこなしてきたのかもしれない。彼もまた聖女と同じく月光への耐性があるため、夜間の偵察は彼に一任していたのだ。
騎士団の規律として任務は二人一組で行うものと決めてはいたが、この男と少年だけは例外であった。
オスカーは先述した特性の他に、一対多を想定した特殊な剣技と、魔術は勿論、奇跡までも行使する多彩な戦闘形態に誰一人としてついていけないためである。彼自身、単独行動を好む性分であることも理由のひとつである。
少年に至っては、魔術『隠密』による密偵ないし暗殺が持ち味であり、同行者がいては却って足手纏いになるためである。
「オスカー。一応聞くがその血は返り血だな」
「もちろん。報告ですが、先遣隊と思われる敵の小隊がこの辺りをうろついていました。頭数は十二――いや、これでも気を付けていたんですよ? ですがまあ、見付かったものですから全員殺りました。死体は茂みに隠しただけで、耳も指も削いでは来ませんでしたが、それで大丈夫でしたかね」
軽い口調でオスカーは尋ねる。
耳や指を削ぐとは、殺した人数が虚偽でないことの証明である。
「そんな野蛮なことはしなくていい。お前が見付かるとは珍しいな。一体どうした?」
「いや、なに。隠れて様子を窺っているときに鼻先がムズムズしたもので、クシャミが出ちまったんですよ。そしたら連中、寄って集って来るもんだから――」
「分かった、もういい。しかし夜間に行動していたのか。連中に月蝕病の兆候はあったか?」
「いいえ。日中と変わらず、いたって普通の様子でしたよ。装備もごく普通の鎧でした。そして――普通に喚いて、普通に死んでいきました。もしかすれば、向こうさんには何か対策があるのかもしれませんな」
「対策か」
「月蝕病の特効薬があるという話、本当なのかもしれませんな。あぁ失敗した。現場を検めれば丸薬のひとつでも見付かったのかもしれない。死体漁りとは感心しないが」
「そうだな。いずれにせよ、今後は夜間だからといって襲撃がないとは言い切れないな」
「どうします? 今からでも行きますか」
オスカーの問いに、ウィリアムは少々考えるが。
「いや、いい。あとは我々が引き受ける」
首を横に振った。
オスカーひとりにこれ以上負担させるのは避けたかったのだ。
ウィリアムは仮眠していた二人の団員を起こし、オスカーを交えて死体を隠した場所や状況などを再確認させたのち現場に走らせる。両名とも戦歴が長く、また腕に覚えもあったため心配はなかった。
「ご苦労だったな。お前も休んでいろ」
「分かりました。――ちょいと失敬」
小さく詫びたオスカーは懐から煙草を取り出して咥えると、見慣れぬ形状の火打ち石で着火する。煙草自体はそう珍しいものではなかったが、瞬発力と携帯性に優れた火打ち石は初めて目にするものだった。きっと師から譲り受けた異界の小道具なのかもしれない。
「引き継ぎを終えたところで話を戻させていただきますが――カイル君よぉ。団長殿の命令には従うもんだぜ。それが組織ってもんだろ」
紫煙を吐き出しながら、オスカーは少年の隣に腰を下ろした。
「それは、分かっております。ですが不安なんです。僕がいなくても戦線が維持できるのか。というより戦が数だということに納得がいきません。僕達は少数精鋭でこれでまで戦ってきたじゃないですか。相手が誰であれ決して遅れはとりません」
「甘いな。というより青臭いぜ」
肩を竦めてオスカーは言った。
「青臭いって――子供扱いしないでください。僕は真剣に言っているんです。オスカーさんだって、いつも一人で戦ってきたじゃないですか。僕はもちろん、他の皆さんだって、それくらいできるはずです。だから、帝国軍とも互角に戦えると思います」
「それ、錯覚だぜ」
「錯覚って――」
「ちょいと真面目な話をするけど――お前、人間ひとりで戦えると思ってるクチかい?」
「それは――そうです。僕には魔術がありますから。オスカーさんだってそうでしょう?」
少年の問いに、いいや無理だな、とオスカーは首を横に振る。
「人間ひとりじゃやっていけないんだ。そりゃ俺だって昔はそんなことを考えていたぜ? だが、なあ。俺より強い人間なんて掃いて捨てるほどいるんだ。ムカつくことにな。例えば、純粋な剣技じゃ団長殿には勝てないし、魔術なら副団長殿には遠く及ばねえ。奇跡も一応囓ったには囓ったが、あの人――聖女サマには逆立ちしたって叶いっこないんだ。お前だってそうだろ?」
「それはそうですけど」
「そもそも、どんな強い力を持っていようとも数には勝てねえんだ。考えてもみろよ。どんなに強い騎士様だろうが何だろうが、狼三匹に囲まれりゃお終いよ。タコ殴りにされて、手も足も出ずに食い殺されるのが関の山ってもんよ。これが真実だ。だから俺達は騎士団とかいう、もっともらしい寄り合いを作って、群れて動いているんじゃないか。実際はただの傭兵集団のくせによ」
狼云々についてはオスカーの即興だろう。だが、その言葉には体験したことがあるかのような重みがあった。
「しかし、各個撃破できれば問題はありません」
「それをさせてもらえるならそれでいいさ。だが生憎、俺達の目的は相手の殲滅じゃねえ。護国ってやつだ。もっと言えば相手の標的が常に俺達とも限らないんだ。いくら俺達がここで踏ん張っても、街が陥落すればそれで終いさ。食うモノと寝る場所がなければお前もお手上げだろ? 早い話が、街そのものをを人質にされているんだよ俺達は」
分かったか少年、とオスカーは言った。対する少年は、何か反論しようと口を開くが、結局言葉にならなかったのか俯いてしまう。
「まあ、そういうこった。子供扱いされたくなかったら大人しく任務を拝領することだ。言っちゃなんだが、聖女サマの護衛なんて一番の花形じゃねえか。人も殺さず、殺されず、場合によっちゃ酒を飲んでもいいんだろ? 羨ましい。何をそう嫌がっているんだ」
とんでもないことを、何でもないことのようにオスカーは言ってのける。
「貴様、何を言っている?」
ウィリアムも看過できずに口を挟む。
「いやいや。これは言葉を誤りましたね。あの寛大な聖女サマなら、少しばかりの悪行にも目をつぶってくださると――そういうことを言いたかったんですよ」
いけねえつい本心が出てしまった、と言い、オスカーは露わになった口許を歪める。小悪党らしい笑みであった。
「そんなことよりも団長殿。カイル少年を護衛に選んだ理由、ちゃんと伝えました? そこを言わないからこうも反発しているんじゃないですか」
「理由があるんですか?」
「ほら見ろ。本人だって分かっていない」
オスカーはそう言い、ふぅ、と煙を吐き出した。
輪となった煙は、広がりつつも宙空を漂ったのち、夜の闇に溶けるように消えていった。
「では、俺はこれで失敬させていただきます」
長くなった煙草の灰を落としてから、オスカーは腰に下げた掌大の聖鈴――彼が愛用する魔術兼奇跡の珍しい触媒である――を取ると、一度だけ振るってみせる。
物悲しい音色が響いた途端、オスカーの姿は消えていた。
『見えない体』――オスカーが得意とする魔法のひとつである。
流石に足音と煙草の火までは消せないらしく、空間に炎が浮いて見える奇妙な光景となっていたが、それもすぐに闇夜に紛れてしまった。
「団長。どうして僕が――私が、聖女様の護衛に選ばれたんですか?」
「そこを最初に説明するべきだったな。前提として、彼女に護衛が必要なことは分かるな?」
「はい。聖女様なくして私達の生存はなし得ない――そのように副団長は仰っておりました。私自身、打ち身程度の軽い怪我ですが治してもらったこともあります」
「その通りだ。我々にとって彼女は必要不可欠な存在なのだ。こう言えば、彼女を人ではなく物品のように扱っているようで甚だ遺憾なのだが――まあ、いい。その護衛にお前ひとりを選んだ理由だが――お前の出自と能力、その他諸々の事案を考慮した結果、適任がお前しかいなかったのだ」
「出自と能力」
腑に落ちないと言わんばかりに、少年は呟いた。
その時、ウィリアムの視界の隅――獣道の奥を何かが横切った。
「彼女が街で喫茶店を開こうとしているのはお前も知っているな」
「はい。そのために侍女をしているのだと聞いたことがあります」
「ああ。食材やら諸々の仕入れについてはアルフィーが手を回して、商業組合を紹介したそうだが――彼女自身に商いの経験はないらしいのだ。お前にそこを補ってもらいたい。お前の出身は王都の商家だろう? 騎士団に来る前は王都一番の宿で奉公をしていたとも聞いている。お前に専門的な知識がなくとも男手が必要な時だってあるだろう。彼女の助けになってほしいのだ。ここまでが理由のひとつ――言ってしまえば建前だ」
「建前、ですか?」
「ああ。ここからが本題なのだが、常に彼女の周りに目を光らせることだ。あれ程までの奇跡を使えるのだ。貪欲な蛇の如し聖職者には未だ知られていないようだが、評判が広がるのも時間の問題だろう。そうなった時、彼女を引き込もうとする輩も湧いて出てくる筈だ」
「なるほど。そういった者を秘密裏に排除しろ、ということですか」
「排除とまではいかなくても、まずは牽制でいい。青い襟巻きのお前が側にいれば、奴らもそう強くは出られまい。聖女の裏には騎士団がいる――そのように思わせておくのだ。その上で、連中が強引な手段を使ってこようものなら『隠密』の出番だ。不慮の事故を起こしてやればいい」
不慮の事故――つまりはそういうことである。
「彼女の側にいるのが自然であり、それでいて盾であり剣ともなれる都合のいい人間など、お前くらいだろう。ああ、勿論彼女には悟られるなよ。きっと、お前が手を汚すことを良く思わないだろうからな」
「――すべて、承知いたしました」
言葉に含みを持たせて、少年は頷いた。
薄く笑ってすらいる。
商家出身ゆえの手伝いというのは表向きの理由であり――まあ事実ではあるのだが――重要なのは護衛である。綺麗な仕事でもなければ、まして厄介払いで前線を去るわけでもないことを汲み取ってくれたのだろう。
再び、ウィリアムの視界で何かが揺れた。
今度は、がさり、という音まで立てて。
「…………」
ウィリアムはこの聡明な少年を大いに買っていた。年頃ならではの融通の利かない部分はありながらも、素直かつ実直な性分と、いかにも商家出身らしい機転が利くところに好感を抱いていた。物心ついた時分から剣を握り、傭兵から成り上がっただけの自分とは大違いである。
だからこそ、前線にいるべきではないと思った。
このような戦で死なせるには勿体ない、と。
それ以上に――。
ウィリアムから見れば、少年は未熟であり愚鈍でもあった。
それは経験不足に由来するものであり、仕方ない部分もあるのだが、戦場においては致命的な隙である。それで全員が命の危険に晒されるなら、やはり少年は戦場にいるべきではないのだ。
「カイル。警笛を鳴らせ、敵襲だ」
「――え?」
「聞こえなかったか、敵襲だ。全員起きろ!」
ウィリアムは立ち上がり、今まで上げていた鉄兜の覆いを下ろす。傍らに置いてあった盾と直剣を取り、前方に向かって構える。
一拍子遅れて事態を察知した少年は、慌てながらも腰に下げていた喇叭を吹き鳴らす。
真鍮の楽器は空間を大いに揺さぶり――鳴動が止む頃には、周囲で仮眠していた者は飛び起き、篝火を護るように全員が銘々の得物を構えていた。
後方に詰めている第二隊も今の音で増援を寄越すだろう。相手との戦力差がどれ程かは分からぬが、それまで持ち堪えなくてはならない。
ウィリアムが周囲に潜む相手を捉えようと目を凝らした瞬間、闇夜から騎兵が飛び出してきた。たったの一人と一頭――巨大な黒い軍馬に跨がる、全身を黒い甲冑で覆った大男である。その手には、これも巨大な薙刀が握られ――その刃は、既に血と脂で濡れている。
騎兵に続き、数名の歩兵が茂みから姿を現す。弩を持ったり片手剣を下げたりと、その武装は様々だが、おおよそ軽装であることから察するに奇襲もしくは威力偵察だろう。
「この騎兵は私が殺る! 他の者は後続を迎撃せよ!」
言い切らぬうちに、跳躍した騎兵は得物を振り下ろすが、ウィリアムはそれを飛び退いて回避する。
ウィリアムは構え直しながら思案する。
相手は格上である。一歩間違えば己は簡単に死ぬだろう、と。
だが、それ以上にウィリアムの心理を占めていたのは――。
――騎士様、どうか――。
鴉のような御髪に、白い外套を纏った娘が脳裏を過る。
無事に帰れたら、珈琲の一杯を頼んでも罰は当たらないだろう――とウィリアムは兜の下で笑った。




