17.あの人の肩を持つ気はさらさらないが、と仮面の騎士は続ける。
あの人の肩を持つ気はさらさらないが、と仮面の騎士は続ける。
「大丈夫だろ、きっと。それとも何かい。心配するようなことでもあるのか。あの人も、いい年だからな。病気や怪我をしているとか――まさかボケちゃいないだろうな」
「いいえ。そういうわけではありません」
「ならいいだろうに。杞憂ってやつじゃないか。なあに、あの人は俺やあんたと違って、殺しても死なない偉人だぜ?」
仮面の騎士が、表情を歪めたのが面頬の上からでも分かった。
祖父と彼の間に、いかなる確執があるのかは知りようもない。だが、揶揄とも侮蔑ともとれる態度が嫌だった。悔しかった。腹立たしくもあった。
だから。
「いけませんか。家族の心配をして何が悪いんですか」
と言ってやった。
両手で握り締めた杖が熱を発し、先端が光を帯びている。今まで祈っていた治癒の力ではない。相手を拒絶する『神の怒り』であった。祖父に、いいぞもっと言ってやれ、この拗ねた餓鬼を懲らしめてやれ、と背中を押されているような気すらした。
「家族、ねえ」
「何か文句でもありますか」
「いいや、何も。確かに、家族というものは目に見えない絆とやらで繋がっているもんだ。何も悪くねえよ。文句もない。ただ――あんたは大事にされているなあと思っただけさ。ああ、そうだ。実に良いことじゃないか」
何がおかしいのか、仮面の騎士は愉快そうに言った。
「オスカー。その不快な口を閉じろ」
医務室で口論する私達を見かねたのだろう。団長である青年が仲裁に入るが、当の本人は意に介した様子もない。
「団長殿は黙っていただきたい。この女があんたにとって特別だってのは見ていりゃ分かるが、これは俺とこいつの問題――いや、問題ですらない。ほんの些細な口喧嘩というやつですよ」
「ならば騎士としてあるまじきその態度を改めることだ」
「分かりました分かりました。降参です」
不承不承と言わんばかりに仮面の騎士は頷いた。
「あんたもさ。少しばかり腹が立ったからって、そう簡単に奇跡を使おうとするものじゃないぜ。まあ挑発した俺が言えることでもないが、早く収めてくれ。ひとつ忠告してやるが、俺達のような殺し合いを生業とする者にとっては抜き身の剣を向けられるのと同じだし、あんたもすぐガス欠になっちまうだろ。多分その杖だと、ここにいる全員が吹き飛んじまうぜ?」
そいつは紛れもない兵器だよ覚えておきな、と仮面の騎士は諭すように言った。
「……分かりました。アドバイスありがとうございます」
この男に従うのも癪であったが、平静さを取り戻して杖に宿った光を消す。
怒りに身を任せたところで良い結果にならないのは、今までの経験がしかと物語っていることである。それに、この人にも深い事情があるのだと思うと怒るに怒れなくなってしまったのだ。
「まあ、何だ。悪かったよ。あんたが師匠の孫と聞いて、少しばかり揶揄いたくなったんだ。この通りだ、許してくれ」
そこで、仮面の騎士はベッドの上で胡座を組むと、両手の拳をつき、深々と頭を垂れた。土下座にも似たその姿勢は、騎士と言うよりも武士のようだった。
仮面の騎士は、頭を下げたまま。
「ところで、あんた」
と喋り出す。
「あんたは団長殿に口説かれて、ボロボロの俺達を救うためにやってきたんだろう? それなら今早速、回復の奇跡を俺に使ってくれ、頼むよ」
「それは構いませんが――」
ちらり、と青年に視線で尋ねれば、青年は首を縦に振った。
是、ということらしい。
「実のところ、酒の飲み過ぎで、今にも吐いちまいそうなんだ。こっちは折角の休日だってのに二日酔いを我慢して出張ってきたんだ。そんな俺に対する褒美をくださいよ。なぁ聖女様」
そう遜る騎士の言葉は、嘘か真か分からない。
「ちょっと! ここで吐いたら二度と入れないからね!」
遠くからアリスが叫ぶと、うるせえ今ここで吐いてやろうか、と仮面の騎士は、よく分からない罵倒を寄越す。
「オスカー。葉月殿を聖女と呼ぶのは」
「ウィリアム様。今だけは構いません」
「……いいのですか?」
「ええ。きっと、今はそれどころではないようでしょうから」
確かに私は聖女と呼ばれたくはなかった。
だが、この男からの呼称には嘲弄が大いに含まれ、本来あってしかるべき信仰や崇拝は微塵も感じられなかった。ゆえに自分でも不思議なくらい受け容れることができた。むしろ、なんちゃって聖女の私にはこれくらいがちょうどいいのかもしれないと、すら思えたのだ。
「何を話しているのかは知らないがもう時間がないぜ。やってくれないのかい?」
仮面の騎士はおどけてみせる。
「……葉月殿。すまないが、やっていただきたい」
「分かりました。私の奇跡がどこまで効いてくれるのかは分かりませんが、やりましょう」
目を閉じ、杖を前方に掲げる。
力を抑えることも忘れない。
――お婆様。どうか、この人の体調が治りますように――。
杖に祈った瞬間である。
――もう、あなたたちは仕方がないわねえ。
――今回だけ、特別よ。
ふっ、と誰かに笑われたような気がした。
そして、杖から清らかな光が溢れ出して――目の前の騎士だけではない。
部屋全体が真っ白な光で満たされて――。
「…………」
その閃きは一瞬のことだったが、光が消えたあとも部屋は奇妙な沈黙に満たされていた。その場にいる全員が、あっけにとらわれたように私を見詰めている。
(まずい、失敗しちゃったかも)
この空気は、大学の講義で教授に指名された際、油断と緊張のあまり的外れな回答をしてしまったときに似ていて――何てことはない。理由こそ分からないが、出力の調整に失敗したのだ。ただそれだけの話であるのだが。
――ああ、ごめんなさい。ちょっと張り切りすぎたみたい。
――決して悪気はなかったの、許して頂戴。
また、誰かの声がした。
今度ははっきり聞こえた。
穏やかで柔らかな、女性の声であった。
「葉月殿。こんな者にまで力を振るってくれたのは嬉しいのですが、まさか、これほどまでとは――」
流石の青年も戸惑っているようであった。
その気持ちはよく分かる。正直、私だって驚いている。
「……驚かせてしまい申し訳ありません。加減を誤ってしまったようです。オスカー様、どうですか。具合は良くなりましたか?」
私が尋ねれば、仮面の騎士はベッドから立ち上がる。そこに先刻までの気怠さはなかった。壁に立て掛けていた、反りのついた二本の剣――武器には詳しくないためよく分からないが、曲剣や刀に近いのかもしれない――を手に取ると、慣れた手つきで左腰に佩用する。
「おかげさまですっかり元気になったぜ。しかしまあ、ここまで派手にトバしてくれるとは思わなかった。それで金は取るのかい? 生憎今日は文無しだぜ。何せ、ついさっきあいつらに負けちまったからな」
「とんでもない。お金なんて取りませんよ」
「なるほどなるほど。流石は聖女様だ。しかし、気力というか集中力は尽きやしないのか?」
「ええ。まだ大丈夫かと思います」
「そりゃ凄まじいことで。団長殿、これだけの逸材どうやって見つけたんです? これでクソったれ聖職者じゃなくて侍女だって言うんだから、詐欺ってものですよ」
話を振られた青年は、少々考えたのち。
「特別なことは何もない。満月が出会いを齎してくれたのだ」
とだけ答えた。
一瞬、妙な間を置いたのち。
「へぇ、満月ねえ。それはそれは」
仮面の騎士は鷹揚に頷いてみせる。
「どうした? 聞いたのはお前だろうに」
「月も、たまには良いことをしやがるんだなぁと思っただけですよ。さて、二日酔いも治ったことだし、俺はこれで失礼させてもらいます。よろしいですかね」
「ああ、構わない。深酒はほどほどにすることだな」
「非番なんだ。説教は勘弁してくださいよ。ああ、そうだ。あんたにはこれを進呈しよう」
そう言って、仮面の騎士は腰袋から何かを取り出したかと思うと、私に向かって放り投げた。
投げられたその何かは、緩やかな放物線を描いて私の掌に収まった。
「これは――?」
一体何だろうか。
表面に女神が彫られた一枚の金貨のようにも見えるが、あちこちが錆び付いているため、きっと純金ではないのだろう。果たしてどれほどの価値があるのか私には判別できなかった。
「奇跡の礼ってやつだよ。あとは、まあ、悪いことを言っちまった詫びでもあるがな。細かいことはこれで水に流してくれよ。ノーカンってやつだ」
そう言うと、私の返事を聞かずに仮面の騎士は去って行った。
やや猫背気味の背中であり、私は奇妙な親近感を抱いていた。少なくとも、つい先刻まで感じていた怒りは、きれいさっぱり消えていた。
「ウィリアム様。次は、他の皆さんに奇跡をかければいいでしょうか?」
「一応頼みたいところですが――いえ、もうその必要はないでしょう」
「え? それは、どういう意味でしょうか」
「先刻の光は、この部屋にいる者全員に効果があったということですよ」
「え――」
振り返れば、私はいつのまにか囲まれていた。ベッドに伏せて動けずにいた者まで起き上がっている。アリスにいたっては、真正面の超至近距離にいて、一体何が気に入ったのか私の手を今度は両手で包むように握っている。
本当に――驚いてしまった。
「――あの、皆さん一体どうされたのでしょうか。アリス、手を放して」
「いやよ。だって温かいもの。祝福だってまだ残っているかもしれないじゃない」
「……えぇ?」
それは私の基礎代謝が良いからであって、奇跡云々は関係がないと思う。
衆目に晒されることに慣れていない私は、この状況において、正しい振る舞いが分からなくなってしまった。
「お嬢さん。先刻の光はまさしく神の御技。斯様な奇跡を施してくれたこと、感謝申し上げます。しかしながら、この通り儂らは傭兵上がりの兵隊でしかなく、貴女にお返しできる何物も持ち合わせてはおりません。どうかご容赦くだされ」
代表して口を開いたのは、右目が潰れて開かなくなった老兵であった。しかし、傷痕こそ消えていないが、今やその眼は治り、青い虹彩の双眸が私を見詰めている。
「い、いえ。そんな大袈裟な。お仕事でやったことですし、私はただの侍女でしかありません。お役に立ちたくてしたことですから、どうか気になさらないでください」
無理矢理に言葉を絞り出しながら、私はこの場をどう切り抜けたら良いものか考えていた。
なぜ、力の制御がうまくできなかったのか。そして、あのときに聞こえた女性の声は何だったのかについては、頭から完全に抜け落ちていた。




