16.修練場に続いて案内されたのは、官舎の中にある医務室であった。
修練場に続いて案内されたのは、官舎の中にある医務室であった。
もっとも医務室とは名ばかりであり、医務室と聞いて容易にイメージするような、消毒液のにおいが漂う白く清潔な空間であったり、看護師が常駐していたりするような場所ではなかった。
最初に感じたのは饐えた鉄錆の臭いだった。
窓は一つしかないため昼前だというのに薄暗い。
奥行きのある部屋には簡素なベッドがずらりと並び、そのいくつかに怪我人と思しき者達が横たわっている。
身動きのとれる者は部屋の中央に置かれたテーブルに集い、何やらカードを用いた賭け事に興じてこそいるが、その多くは手脚のいずれかが欠けていたり、顔面や胸部に抉れたような生傷を残していたりと、とても五体満足とは言えない様子である。
「驚かれたでしょう。これでは医務室というより野戦病院だ」
入り口で足を止めてしまった私に青年が振り返る。
「皆さんは、どうしてこのような怪我を?」
「色々ですよ。訓練中に落馬して脚を折る者もいれば、国境の警備中に衝突が起きた結果、矢で膝や肩を射貫かれた者も珍しくありません。傭兵時代の古傷に苦しむ者もいれば、傷口からの感染症に悩む者もおります。決して良い状況とは言えませんが、死者がいないだけいい方でしょう。連中のように賭けができる気力があるなら、そう悲観することもありますまい」
「あの――」
「どうされましたか?」
「あ、いえ。なんでもありません」
隣国との武力衝突が起きて、事実彼らのような負傷者が出ているのであれば、それはもう戦争と呼ぶべきなのではないだろうか。
ますます不安になったが、敢えて口に出しはしなかった。その代わりに。
「お医者様はいないのですか」
とだけ聞いた。
この医務室で傷病人の世話をしているのは、ひとりの年若い侍女だけである。床に伏せている者達の具合を診たり、傷口に薬を塗ったり、包帯を代えたりなど、その手際は非常に熟れている。彼女の他に、医師や看護師らしき人物は見受けられない。
「街にいる医者には既に診てもらっております。薬もある程度は貰い、治療法などの助言も受けております。今のところは命に関わるような喫緊の患者もいないため、あちらの彼女に任せております」
「私は、ここにいる方々に奇跡をかければいいのですか」
「はい。ひとりひとり順番に――む?」
青年は何かに気付いたように入り口脇のベッドを見遣る。
視線を追えば、黒装束の男が大の字になって仰臥していた。
特徴的な尖った兜を目深に被り、また鼻から下は面頬と高い詰め襟に覆われ、その人相は分からない。唯一分かるのは後ろ髪のくすんだ金髪だけであった。
顔も分からないこの者が男性であると直感したのは、彼が長身痩躯であり、手脚も同様にすらりと伸びていたからである。また女性であれば(というか私だったら)人目のあるところで大の字にはならないだろうという先入観が働いたのも確かである。
彼の装備を見れば、分厚い全身鎧ではなく鎖帷子の上に革製のベストを着用している。手甲や足甲などの一部要所は金属製であった。一定以上の防御力と機動力を両立した装備であることが窺えるが、それでもベッドで眠るには、些か重装過ぎるように思える。
騎士団においてはこれが普通なのだろうか。
それとも着替える余力もないほどに弱っているのか。
確かに彼の手脚は脱力しているし、その呼吸も弱い。
衰弱しているように見えないこともないが――。
「オスカー。どうしてお前がここにいる。今日は非番ではなかったか」
青年が男に声を掛ける。
その声で、オスカーと呼ばれた騎士は覚醒したらしい。
酷く億劫そうに上半身を起こす。
(この人がオスカーさん?)
昨日、副官のアルフィー様が説明してくれた。祖父の弟子であったという仮面の騎士が在籍していることを。
「これはこれは。団長殿じゃありませんか。非番だろうが何だろうが、ここを利用するぶんには構わないでしょう? あの娘だって散々文句は垂れておりましたが、最後には仕方がないと歓迎してくれましたよ」
仮面の騎士は慇懃かつ飄々と答えてみせる。
「それは歓迎とは言わないだろう。それで、どこが悪いのだ」
「いや、なに。ちょいとした持病です。訓練や任務に差し支えはありませんから、そこはご心配なく」
「お前が持病を持っていたとは初耳だな」
「嘘おっしゃい。二日酔いですよ、ただの」
答えたのは傷病者の手当をしていた侍女であった。
ウェーブがかった茶色とも金色ともつかぬ髪色をした少女である。私よりも二三歳下だろうか。西洋人形のように大きな瞳と、はっきりとした眉、血色の良い肌が特徴の、気丈そうな外見をしている。
「二日酔いだと?」
鸚鵡返しに言った青年に、聞いてくださいよウィリアム様ぁ、とねだるように少女は言う。
「こいつ、ついさっき来たと思ったら重苦しい格好のままベッドに上がり込むし、聞けばただの二日酔いだし、それなのに鎮痛剤をよこせって煩いんですよ。団長権限でどうにかしてやってくださいよ」
「それは迷惑を掛けたな。それで、この阿呆に薬は出したのか」
「とんでもない。薬は怪我や病気をした人のためにあるんですから勿体なくて出せませんよ」
「ならば良いのだ。しかしオスカー、お前という奴は」
呆れたように青年は仮面の騎士を見遣る。
「団長殿、そう睨まないでいただきたい。二日酔いだって立派な体調不良じゃあありませんか。それより、アリスよぉ。告げ口とは感心しないぜ。仲間を売るものじゃねえよ」
「なによ。言っておくけど、あんたなんて仲間と思ったことなんてないわ。いっつも訓練をサボってばかりじゃない。ちょっとは団長を見習いなさい」
「けっ、可愛くねえ女」
「あんたに可愛いなんて思われたくもないわ」
アリスと呼ばれた少女は、まったく付き合ってられないわ、と仮面の騎士から顔を背けて――そこで、応酬を傍観していた私に気がついたようであった。
「あら、あなたはだあれ? 立派な杖とマントを着ているけれど、もしかして神官様?」
小首を傾げて、アリスは尋ねる。
「まあ、そのようなところだ」
私の代わりに青年が答える。
「名目上は侍女であり、今日から午前のみ務めてもらうことになっている。しばらくは私の許につけるつもりだが、隣国の件もあり彼女がいつまでいてくれるかは分からない。いずれにせよ、年齢の近い同僚として面倒を見てやってほしい」
「あらあら、そうなの。初めまして。私はアリスって言うの。主に医務室にて、一週間に一度だけいらっしゃるお医者様やのお手伝いや、怪我をしてしまった皆のお世話、それから薬や包帯といった衛生用品の管理をしているわ。私、年の近い仲間がずっと欲しかったの。短い間なんて言わずに、これからずっとずっとよろしくね」
そう言うと、アリスはこちらに歩み寄り、私の手をぎゅっと握った。嬉しそうに上下させる。この世界でも握手は友好の印であるらしい。
「わぁ、温かくて柔らかい手」
「ありがとうアリスさん。私は葉月と申します。よろしくお願いします」
私も彼女の荒れた手を握り返す。瞳を真っ直ぐに見詰め、意識して口角を上げることも忘れない。大学の一般教養――対人コミュニケーションの授業で学んだ挨拶の基本である。
名字は敢えて名乗らなかった。相手も名前だけを述べていたし、私が齋藤という姓を述べることで、わざわざ祖父との関係を知られてしまうのも良くない気がしたのだ。もし必要になれば青年が説明するだろうという思いもあった。
「もう、敬語なんていらないわ。分からないことがあったら何でも聞いてね。私、ここに務めて長いんだから」
「ありがとう。そのときはよろしくね」
「うん。それじゃあ私はこれで失礼するわ」
皆が待っているもの、と言ってアリスはベッドに伏せる者達のもとに戻っていく。
テーブルを囲んでいた男達は、私達の会話が落ち着いたのを待っていたのだろう。
「おぅ、姉ちゃんよろしくな」
「神官様なら俺の腕を生やしてくれや、金はないから出世払いで頼む」
「もうちょっといい男に生まれ変わりたいんだが」
「奇跡で俺を勝たせてくれ。素寒貧になっちまった」
「若いねえ、団長の嫁候補ですかい?」
などと声を掛けてくれる。最後のは敢えて黙殺したが、おおよそ歓迎されているようであった。青年と仮面の騎士を放っておくこともできないため、その場でお辞儀をするに留める。
「アリスを含め、ここの連中は賑やか過ぎるきらいはあるが、決して悪い奴ではありません。馴染むまで時間はかかることでしょうが、どうか良くしてやってください」
「もちろんです。皆さん、とても人が良さそうで安心しました」
アリスの砕けた口調や、職場で賭けに興じるような男達の振る舞いを咎めないあたり、青年はきっと組織における規律と弛緩のバランスを理解しているのだろう。ゆえに皆から慕われているのだ。
「さて、奴らのことはいいとして、だ」
青年はまたしても仮面の騎士を見る。
「あまりアリスを困らせてくれるな。あれは非常によくやっている。薬にせよ包帯にせよ、蓄えにそう余裕がないことはお前も知っているだろう。負担を掛けて逃げ出されでもしたら困るのは我々だ」
「まあ、そう言われちゃ返す言葉もありません。しかしながら悪いのは俺だけじゃありません。副官殿も同罪ですよ」
「む? アルが何をしたのだ」
「折角の非番だっていうのに俺を呼び出しやがった。朝からとっておきの蒸留酒をチビチビと愉しんで、いい気分になっていたというのにも関わらずですよ。まあ少しばかり飲み過ぎたというのは否定しませんがね」
「お前の場合少しではないだろうに。なぜアルに呼び出されたのかは聞いたのか?」
「いいえ。詳しくは聞きませんでしたが、何でも俺に聞きたいことがあるんだそうで。ついさっき魔術訓練場に顔を出したのにいなかったから、ここで不貞寝していたというワケですよ。もっとも、そこの神官殿を見れば、この俺を呼び出した理由も何となく分かりますがね」
仮面の騎士は私に顔を向ける。マスクから覗く黒く円い瞳は、私の持つ大杖とクロークを懐かしそうに見詰めていた。
「流石、アルも仕事が早い。非番の者を呼びつけるのは感心しないがな。察しているなら話は早い。ここにいる葉月殿は慶一郎殿の孫なのだが、彼女曰く、その慶一郎殿が行方をくらましてしまったのだ。今も尚その所在は分からない。慶一郎殿の弟子であったお前なら何か知らないかと思い声を掛けたのだ」
「やはりそうでしたか。しかし残念ながらお力にはなれませんな。確かに俺はあの人の弟子だったが今じゃ破門された身、何ひとつとして知りませんよ」
「連絡先も分からないのか」
「ええ。手がかりは何もありません。連絡を取りたいとも思いませんな」
そう言って肩を竦める仮面の男は、何となく寂しそうに見えた。
「破門、ですか」
だからなのだろうか。
思わず口を挟んでしまった。
「そうさ。破門されたからこそ俺はこの騎士団に入れられたんだ。ここで面倒を見てもらえ、人間社会の機微と常識を一から学び直せってな。早い話、俺は見限られたんだ。弟子ですらいられなかった」
「初めて聞いたぞ、そんな話」
「そりゃそうでしょう。今の今まで誰にも話していませんでしたから。だが今ハッキリさせておかないと、そこの神官殿も期待しちまうだろう?」
悪かったな役に立てなくて、と仮面の騎士は小さく頭を下げた。
「……何をされたのですか」
「あん? 俺が破門された理由かい」
「はい。あくまでも私の主観――私の知る姿ではありますが、祖父は面倒見が良い人でした。決して誰かを見捨てるような人物ではなかったと思います」
「違うな。あんたは誤解している。ああ、別にあんたが抱く人物像にケチをつけようってわけじゃない。あの人があんたの前ではさぞかし立派な聖人君子だってことは紛れもない事実だろうさ。それならそれでいい。違うってのは破門の仔細さ。俺は悪事を働いたから破門されたわけじゃない。肝心なときに何もできなかったから。役立たずの木偶の坊だったから破門されたんだ。少なくとも俺はそう解釈している」
そこまでを饒舌に語ると、仮面の騎士は肩を震わせる。どうやら笑っているらしい。
「祖父の手紙には、人生を賭けてまでやることがあって、当分は帰ることができないという内容が書いてありました。祖父が何をしようとしているのかご存じありませんか」
「……さあな。俺にはてんで分からないな」
仮面の騎士は首を横に振った。
何かを言いたかったが、掛ける言葉が見つからなかった。
これで、祖父の手がかりがひとつなくなってしまった。




