15.馬車が目的地に着いたのは、私が乗車してからおよそ一時間ほど経ったときであった。
馬車が目的地に着いたのは、乗車してからおよそ一時間ほどが経ったときであった。
地理には疎いため定かではないが、大聖堂が街の中心だとすれば、騎士団の官舎は店舗とは正反対の場所に位置しているようであった。
青年のエスコートに従い降車すれば、馭者はすぐに馬車を走らせていく。
「ようやく着きましたね。お疲れではありませんか」
「…………」
「聖女様?」
「すみません、大丈夫ですよ」
正直、揺れのせいで酔ってしまった気もするし、お尻が非常に痛いのだが、言ったところで仕方がない(というか恥ずかしい)ため黙っていることにした。聖女と呼ばないでくれ、と言うつもりであったが、その気概は削がれてしまった。
「ここが、騎士団の官舎ですか」
「そうですが、どうされましたか」
「――いえ、大きなお城みたいで驚いてしまいました」
官舎と聞いて、建築方法の違いこそあれど、オフィスビルのように小綺麗な仕事場を勝手に想像していたのだが、目の前にある建物は良くいえば要塞、悪くいえば監獄のような外観であった。
具体的に述べれば、深い堀と高い塀に囲われ、入り口には跳ね橋が架けられている。城壁には何本もの円塔が等間隔に立っている。
「城と呼べるほど立派なものではありませんよ。さあ、参りましょう」
青年の先導に従い、要塞へ足を踏み入れる。
私は、ここが異世界なのだと改めて実感していた。
…………。
……。
跳ね橋を渡り、大袈裟な正門と短い隧道を抜けると、開けた空間に出た。
高壁に囲われたその場所は学校のグラウンドに似ていて、そこでは鎧兜で武装した男達が木剣を打ち合ったり、素振りをしたり、弩や長弓を的に向かって引き絞ったりと武術の稽古に励んでいる。他には、馬に跨がり大柄な槍を振るう者もいれば、幾頭の馬を引き連れて外周を緩やかに駆けている者もいる。
「ここは修練場です。喫緊の任務がない今日のような日は、剣技や馬術、魔術の鍛錬にあてております」
「剣技や馬術は分かるのですが――魔術ですか」
「はい。魔術に関しては、おいそれと衆目に晒すこともできない守秘であるため、奥のホールで行っております。きっと今も、アルフィーが監督となって、魔術を覚えたての新兵に理論や兵法を説いているのでしょう」
青年はそう言い、修練場の奥にある、背の高い建物を見遣る。きっとあの建物のどこかに、その魔術訓練場があるのだろう。
「あの。第一騎士団の皆さんというのは、ここにいる方で全員なのでしょうか?」
実のところ、私は騎士というものをよく分かっていない。
ここに来る前に見たインターネットの百科事典には、幼い時分から小姓ないし盾持ちとして武芸を修め、君主から叙任を受けてなるものであり、また馬に跨って戦う者を示す称号ないし階級でもあるという旨のことが書かれてあった。
また騎士団長である青年が国防に従事していることから察するに、日本で言うところの警察や自衛隊といったものに近しい想像を抱いていた。名称に「第一」と冠していることから華々しい姿も。
つまり所属する団員も大勢いるものとばかり思っていたのだが。今修練場にいる者は、およそ二十名にも満たない。少数精鋭と言えないこともないが、それでも心許ないように感じてしまう。
「まさか。今ここにいない者の方が多いでしょう。国境の警備や監視のため、部隊のいくつかは出払っております。他にも街の警邏や遣い走りなどの雑務であったり、夜勤明けや非番であったり、傷病で動けず医務室で寝込んでいる者も数名おります」
「全員で、何人くらい所属しているのでしょうか?」
「侍女や雑役夫などの裏方を含めても、総勢百はいかぬ程度でしょう」
少々考えたのち、青年は答えた。
「百人ですか」
私は戦争というものをよく知らない。しかし、たったの百人で戦争などできるのだろうか。相手がもっと大勢で攻めてきたらどうしようもないのではないかと不安を抱いてしまう。
「ここが第一騎士団というからには、第二騎士団や第三騎士団もあるのですか?」
「あるにはありますが、第二騎士団は、街の警邏や雑踏警備、事件事故の処理などといった治安維持が主たる役目です。第三騎士団に至っては、教会の許で働く神殿騎士であり――いずれにせよ、専ら荒事には向かぬ者達です。頭数だけなら我々より多いのかも知れませんが。生憎、数字の早さが、総員や実権と比例するわけではありません」
「……そうだったのですね」
「もしや、戦争のことを気にされているのですか?」
「いえ、そういうわけでは」
「構いませんよ。どうぞ正直に仰ってください」
私を安心させようとしたのだろう。青年は薄く微笑した――つもりだったのだろうが、その表情からは痛々しさが滲み出て、却って私は心配になってしまった。
言おうか言うまいか迷ったが、結局聞くことにした。
「ウィリアム様。私は平和な国で育ったため戦争というものをよく知りません。だから気になったのです。百にも満たぬ人数で戦えるのでしょうか」
「戦えますとも。それが我々の存在意義ですから。ああ、心配は無用ですよ。決して、無理をしているわけでも、況してや虚勢でもありません。勝算と呼べるほど確たるものではありませんが――我々第一騎士団には魔術があります。団員皆、それ相応の魔術を修めているのです。ゆえに、我々は少数精鋭なのです」
「魔術――」
祖父の書き置きにもあった言葉である。
魔法という解釈でいいのだろうか。
「魔術とは、奇跡とは異なるものなのですか?」
「そうですね。杖であったり祭具であったり、何らかの触媒を用いて、月光の残滓を放つことは同じですが――『理力』即ち月光に対する学識と理解をもとに探求するのが魔術であり、『信仰』即ち月光に対する畏怖と崇拝の行き着く先が奇跡であると私は考えております」
理力と信仰。
月光への知識と理解。
あるいは畏怖と崇拝――。
「……すみません、私にとっては難しい話です」
「まあ、人を害するものが魔術、人を癒やすものが奇跡という大雑把な理解でいいと思います。無論例外も多々ありますが、知識は必要に応じて身につけていけば宜しいでしょう」
何も焦ることはありませんよ、と青年は微笑んだ。
やはり、無理が透けて見える、寂しそうな表情であった。
「魔術や奇跡についてはアルフィーの方が詳しいでしょう。おや、浮かぬ顔ですね」
「正直に申し上げます。私には、きっと信仰というものがありません。それなのに奇跡を使えることが不思議でなりません。触媒を持つだけで奇跡は使えるものなのでしょうか?」
「なるほど。葉月殿は謙虚なのですね」
「ウィリアム様。もしかして、私をからかっておりますか?」
「滅相もない。それではお伺いますが、初めてお目にかかったとき、貴女は月を見上げておりましたね。月光を浴びても平気な様子で、あまつさえ天に向かって手を差し伸べてすらいた。どうしてあのようなことを?」
「どうしてって――やはり非常識なことでしたか?」
「まあ、私ではできぬことでしょう。月の光に中てられてしまいますからね。仮に月光を浴びても平気だとしても、きっとやらなかったでしょう。それで、どうしてですか?」
青年は問いを重ねる。
私を逃すつもりはないようであった。
私はあの夜のことを思い出すが、特にこれといった理由はなかった。強いて言うなら、誰かに呼ばれていると、思った程度である。
何となく、日本人に特有の、曖昧かつ未熟な精霊信仰を咎められているような気がして、私は視線を逸らしてしまう。
「おかしな話であることは自分でも分かっておりますが――呼ばれている、と感じたのです。あの月にいる誰かが、私を呼んでいるような気がしたのです。だから、私も向こうにいかなければ――そう思い、手を伸ばしたんだと思います」
「あのときも言ったことですが、月は女神が作った楽園です。生ける者を惑わし、死せる者を裡に閉ざす、などと悪しきようにも言われますが――それでも我々は、月は尊いものだと信じております。人は皆、死ねばあの月に昇り、今なお生き残る者達に月光という力を与えてくれると。月蝕病という副作用があるのは――生者と死者では、住む世界が違うゆえ致し方のないことである、と」
青年はどこか遠くを見て言った。
「そのような世界に呼ばれていると感じたのは――手を差し伸べることができたのは、無意識ながらも貴女の内に信仰が宿っている証左ではありませんか」
「そう言っていいのでしょうか」
「そうであると私は思います。こういう言い方をしては神官達に嫌な顔をされますが、信仰とは理屈をこねくり回し、詭弁を弄し御託を並べ、整合性を取り繕うものではありますまい。当人が本当に必要になったときに、自然と胸の中に滑り込むようにして――いつのまにか宿っているものと私は考えております」
青年の口調は、まるで穏やかな宣教師のようであった。
しかしその言葉は。
私にも信仰が宿っていると。
私が間違いなく聖女であると。
敢えて明言はせずとも雄弁に語っているようで――。
私は、どうしても素直に頷くことができなかった。
視線を逃した先の修練場では、馬術の訓練を嫌がったらしい一頭の馬が、若い兵士を振り払って逃げ出したところであった。その黒く大柄な馬は、逃げ切れると最初から思っていないのか、あるいは捕まえてくれることを待っているのか、思いの外緩やかに修練場を駆け回ったのち、早歩きで私達へ駆け寄ってくる。
反射的に、青年の後ろへ隠れてしまった。
「訓練を逃げ出すとは困った奴だ。葉月殿、これは私の愛馬です。ご安心を」
青年は馬を見て笑った。
馬は、ただ青年に会いたかっただけのように見える。その証拠に、青年に、顔の周りを撫でられると、ぶるる、と満足そうに鼻を鳴らして、顔を二三回横に振った。
「葉月殿。この困った奴を撫でてはいただけませんか」
「良いのですか?」
「ええ。軍馬ではありますが、気性は穏やかで決して暴れたりはしません」
「しかし、そんな馬が脱走などするのでしょうか」
「それはこいつなりの愛情表現で、恥ずかしながら毎度のことなのです。ゆえに他の者達も追ってはきません。飽きれば戻ってくるのが分かっているからです」
青年の云う通りであった。乗馬の訓練をしていた若い兵士達は確かにこちらを見ているが、そこには困った様子も焦った様子もない。笑いながら私達を眺めている。
「それなら――」
勧められるがまま、青年が触れた箇所と同じところを小さく撫でる。
(あれ、意外と可愛いかも)
今まで馬を間近で見た機会などなく、何となく怖いものだと思っていたが、こうして見ると表情豊かで人懐こくもあり、犬や猫とそう違いはないのかもしれない。
(――あれ?)
馬が、何かを訴えるように私をじっと見詰めていること気付く。
「ねえ、どうしたの?」
問いかけるが当然馬は答えない。
荒い鼻息と眼差しで何かを伝えようとするだけであった。
だが、その瞳には見覚えがあった。
弟が面倒を見ている三毛猫が、何かをねだる時の目にそっくりであった。
もちろんその三毛猫――ミケの要望はその時々によって異なる。腹を空かせたときであったり、構ってほしいときであったり、膝に乗せてほしいときであったり、怪我や具合が悪くてどうしようもないときであったり――。
「分かった。どこか痛いんでしょ?」
私が聞けば、今度は頷いてくれた。そして右足で何度も土を蹴る。根拠こそなかったが、この馬は脚を痛めている、と直感した。
「葉月殿、どうされました?」
「ウィリアム様。この子、調子が悪そうで――もしかしたら脚を怪我しているのかもしれません」
「脚を? 葉月殿は馬を診たことがあるのですか」
「いえ、そういうわけではありませんが――信じてください。訓練から逃げてしまったのも、脚が痛かったからなのかもしれません」
「――ふむ。だとすれば王都から駆けてきたときだろうか。しばらく休ませてはいたのだが――葉月殿、奇跡で治せますか?」
「それは構いませんが、獣医さんはいないのですか?」
「獣医?」
青年が首を傾げる。
動物のお医者様のことです、と私が説明すれば、軍馬専門の医者ならいるにはいますが、と青年は言葉を濁す。
「しかし、そんな贅沢な者は王都ぐらいにしかいないでしょう。馬を診る者の多くは特別資格のない牧場主です。良くて町医者が片手間に診ることもありますが――そこに大差はないでしょう。それに、貴女が水や食料を介さずに奇跡を使うところを確認したいというのが本音です」
「分かりました。やってみます」
大杖を用いて奇跡をかけるのは初めてではない。今朝、店舗を出る前に自主練習をしていたのだ。
大杖の難点をひとつ挙げれば、どうにも大袈裟というか、否応なしに出力が増幅されてしまうため力の調節が難しいことである。逆に言えば、軽く念じただけで十分な力を発揮できると言えるかもしれないが、今の私ではきっと持て余してしまうだろう。
馬の横に膝を突き、目を瞑って集中する。
――お婆様、どうか、ほんの少しだけ力を貸してください――。
――この子の怪我と具合が良くなりますように――。
祈った途端、杖の先端が輝き出した。
光の雫がこぼれ落ちそうになったため、慌てて掌で受け止める。その手で馬の脚を擦ってあげる。踏まれやしないかと思ったが、彼もしくは彼女は、大人しく治療を受けてくれた。
杖に宿った光が消えるまで、私は繰り返し撫でていた。
「調子はどう? 楽になった?」
私が尋ねれば、馬は満足そうに鳴いたのち、今度は力強く疾走して、元の場所に戻っていった。
どうもありがとう、と言われているようで。
この力の使い方は間違っていないんだよ、と言われているようで。
少しだけ誇らしい気分であった。
「流石、聖女様ですね。クリストファーの嬉しそうな姿は久しぶりに見ました」
あの馬はクリストファーという名前らしい。
ということは男の子なのだろうか。
いや、そんなことよりも。
「ウィリアム様、お願いがあります。もう二度と、私を聖女だなどと呼ばないでください」
「しかし、他の者がいない場所でならば良いと昨日――」
「辛いのです。そのように呼ばれるのは」
「…………」
「周囲に人がいようといまいと、今後は葉月と呼んでください。副官のアルフィー様にも、団員の皆様にも、そのようにお伝えください」
青年はしばらく圧し黙ったのち、分かった、とだけ言った。




