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 現場に入ると、冷やかしの声が飛んでくる。

「おやあ、お疲れのようですね、親方ぁ」

「昨日は遅くまでお楽しみだったんですか?」

「美人の奥方様ですか? それとも別の?」

 トマは顔をしかめた。

 その奥方様がさんざん散らかした家の掃除だよ。

 そう、心の中で毒づきつつ、仕事開始を宣言する。

「うるせえ。仕事するぞ」

「うーっす」

「おっし、やるか!」


 軍部では強い者が正しいとされると聞く。この建築現場では力だけでは大きな顔をできない。技術や工程調整力、そして、差配力も問われる。

 トマは幸い、ほとんどのことをこなせた。

 それで十分なはずだった。


「親方ぁ、おやっさんが呼んでるぜ」

 トマは無表情を貫いたが、周囲で働く工人たちが嫌な顔をした。

「また工期短縮ですかねえ」

「いや、今度は資材調達でミスったんじゃないか?」

「あれじゃねえ? 最近言い出した経費削減。削っちゃあいけねえところがあるって、経験者なら分かりそうなもんなんだがねえ」

 身体を動かし、経験と技術を必要とされる仕事に就く部下たちは、本来気の良い男たちだ。だが、そんな彼らが口々に言うすべての面において、上司はやらかしてくれているのだ。


「資金繰りがうまくいかないとか?」

 あ、それもあった。


「よせやい。俺たちは王宮お抱え工人なんだぜ? 計画が実施されるのは予算が下りたからだ」

 その通りだ。

 本来、資金繰りなど考える必要はない。

 それが、従来のルートではなく、鼻薬を効かされた相手が指定する調達ルートを使い、結果、ぼったくられて予算が途中で尽きたことがある。そうなってからトマに泣きついたのは上司であり、しゅうとでもある。


 トマは上司の娘を押し付けられるようにして嫁にした。確かに、トマよりも年下で美しい。しかし、嫁はそんな美点を凌駕りょうがする欠点を抱えていた。

 まずは父親そっくりの見栄っ張りの浪費家であり、「まだ若いからぁ」と言っては遊び歩いている。もちろん、家事はしない。

 トマの給与を使い果たして生活費を要求されたときにいさめたら、ぎゃあぎゃあとかん高い声で泣きわめいた。話し合うこともできず、飛び出して行った妻は父親を連れて帰って来た。


「娘はまだ若いんだ。君が広い心で受け入れてやらず、どうする」

 そんな風にさとす上司兼舅の向こうで妻は勝ち誇った顔をした。

「分かりました」

「そうか! 分かってくれたか!」

 上司兼舅といっしょに妻も明るい顔つきになる。

「俺では娘さんを養いきれません。別れます」

「なんでそうなる!」

 なんでそう思うのか。無理だから無理だと言っているのに。

 父娘そろってぎゃあぎゃあ言われ、トマは辟易へきえきした。

「とにかく、生活態度を改めないのなら、結婚を白紙に戻します」

「そんなこと、許されるものか!」

 妻に至ってはなんの言語をしゃべっているのか分からないほど、興奮して手が付けられなかった。


 トマは現場からのたたき上げで、その能力を買われて昇進して来た。頑固一徹な面がある。

「とにかく、改めないのなら、結婚続行は難しいです」

 そう押し通して妻を実家に帰らせた。

 静かで、ひとりでは散らかりようもない家は、ようやっと平穏を取り戻した。

 しかし、職場にはまだ舅でありながら上司でもある人物がいる。

 そして、トマはこの日も上司の失態の尻ぬぐいに奔走させられた。


 呼び出されて執務室へ行ったトマに、上司はいやな顔をした。着替えてこなかったので、ブーツが現場の泥で汚れていたのだ。

 作業現場の小屋であるのだから、執務室もへったくれもないとトマは思う。

「おはよう、トマ君。美しい妻がいなくて寂しいだろう? ひとり寝のベッドは冷たいだろう?」

「そんなことで呼び出したのなら、仕事に戻りますよ」

 ただでさえ、工事は天気に左右される。晴天のうちに進めるだけ進めないと。工期を守るどころか、遅くなることなどざらな世界で、トマが工程表よりも遅れることが少ないのは季節による天気の変化を読むことがうまいこともあった。


「い、いや、違う! 用件はある」

「また工期短縮ですか? それとも、新しい経費削減ですか?」

 慌てて引き留める上司に、先程の部下たちが言っていたことを口にする。

「いやあ、話が早いね。そう、その工期短縮だ」

「無理です。じゃあ、俺は行きますね」

 今度は誰からなにをもらって安請け合いしたのか。おいしいとこどりするだけして、苦労はこちらに押し付けてくるのだ。


「ちょっと待った! そう言わずに。せめて工程表を見直してみようじゃないか」

 あんた、工程表をろくに読めないじゃないか。

 トマはうんざりした。

 しかし、口で説明するだけでは上司は納得しないだろう。自分の言が受け入れられないとなれば、へそを曲げる人物でもある。

 しぶしぶトマは工程表を取り出した。

 トマはひとつひとつ指さしながら、この時期の天候や日照時間、資材や工人の数などから工程の短縮はあり得ないということをていねいに説明した。


「いや、しかし、作業時間を伸ばせばなんとかなりそうじゃないか!」

 上司が良いことを思いついたとばかりに言うのに、トマはため息を意志の力で飲みこむ。

「作業時間を伸ばしても効率が下がるので同じです」

 というよりも、最大限のパフォーマンスを引き出せたとした日程から少しばかり余裕を持たせたに過ぎない工期なのである。かつかつだ。


「無理をさせて事故でも起こったら、すぐに破たんする工期です。本来ならもっと余裕を持たせるべきだ」

「な、なにを言うんだ! 工期が遅れることは許さんぞ!」

 あんたに許されなくても、遅れるときは遅れる。

 トマの無表情にそんな意志がにじみでたのか、上司がむっとする。

「なんだ、その顔は」

「とにかく、工期は最大限に短くしています。これ以上は無理です」

「そこをなんとかするのが、君の役目だろう」

 そんなわけがあるか。

 おおかた、誰かに泣きつかれたか、袖の下をもらったかして、工期短縮を言われているのだろう。


「工人を増やすなりなんなりして!」

「増やしても邪魔になるばかりで、工期が遅れるだけです」

「ああ言えばこう言う!」

 それは自分の科白だ。


「親方っ!」

 工人が血相を変えて飛び込んできた。

「なんだ、ノックぐらいしろ!」

 上司の言葉よりも慌てた工人の様子に、トマは先をうながす。

「まだ資材が来ません!」

「な、なんだと?!」

 短縮させようとしていた工期が遅れる、と上司が目をく。


「どういうことだ?」

「いや、はっきりしたことは言わないんですけれどね、」

 トマがたずねると、工人もよく分かっていない様子ではっきりしない。

「そんなことでどうする!」

「なんでも、変更した調達先が数をそろえられなかったから、遅くなるって、」

 トマはゆっくりと上司を見やった。

 その調達先は、上司が鼻薬を効かされ、変更したばかりだったからだ。

「そ、そんな、」

 上司は青ざめた。





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