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※人物紹介を下に入れました。
いやなこと、つらいことがあって必死に耐える。
歯を食いしばって、その場に踏ん張る。
そうしていくと、徐々に「慣れる」。
いやなこと、つらいことから自分を守るために、感覚が鈍くなる。いやだ、つらいという感じが薄まっていく。
そこにつけこんで、さらに無理をさせられる。
「大丈夫だろう」
「頑丈だから」
そうしているうち、唐突に壊れる。精神か、身体かはわからないが、自由がきかなくなる。
その時になって「つらいならなぜ言わなかった」と周囲の者は言う。
自分が楽をしたいからつらいことを押し付けていたのに、「知らなかった」と言う。
とんでもない鈍感力である。やってくれるから押し付けた。ただそれだけである。
愛しているというのなら、なぜ、大切にしないのか。ないがしろにしても「愛している」のか。自分だけがかわいいのである。自分さえ良ければいい。そのうえで「愛している」対象があることが重要なのだ。
「恩を売るとラクだわ。そういう人を見つけて!」
『無茶いうな! ……いや、ひとりおるわ』
未来の宰相、将軍、財務大臣、侍従頭、侍女頭。
粒ぞろいが集まった。
もうそれで良いとも思っていた。
けれど、甘かった。
王妃には様々な責務がつきまとうのだ。
さらには、「王妃教育」という名称を変えたスパルタ教育が続いている。
いつになったらぐうたらできるの! もっと国王陛下をしっかり支える人材を集めなくては!
クリステルは王の強権というものを目の当たりにした。当然のように発想を持つ。
そうだ、権力を行使しよう!
持たせてはいけない者に権力を持たせた結果である。
「公共工事が滞っている?」
クリステルが真っ先に使った権力行使は正式にジスランを王妃付きの補佐官に抜擢することだった。
これで楽ができるはずだ。丸投げする気、満々である。
ジスランはジスランでやる気で溢れていた。
財務部の不正を暴いたことを皮切りに、王国にはびこる過ちを正そうとした。
「はい。治水を始めとし、多くの土木工事は巨額の利権がつきまといます」
「先だって、財務部の闇がようやっと明るみに出たと言うのに」
クリステルは額に指の背を当ててため息をついた。
教育の賜物で、なかなかに優雅な仕草だった。動作からにじみ出る色気に、ジスランは頬を染めて目を伏せる。
「土木工事、ね。ねえ、ジスラン、あなた、トマという方を知っていて?」
ジスランははっと顔を上げた。物憂げな視線を向けられどきりと鼓動が跳ね、必要以上に上ずった声が出た。
「ど、どうして、その名を」
「あら、あなたもご存じなのね? わたくしはもちろん、宝珠から伺いましたのよ?」
にっこりと笑うクリステルに、ジスランは見とれる。慧眼への称賛とうつくしさに心を奪われて。
次を探せとせっつくクリステルに宝珠が示したのが建築家のトマだ。
『トマはなあ、無駄口たたかん仕事一徹の職人や。めっちゃ仕事はできる。大きな仕事もなんのそのや。しかしなあ』
彼の上司は賄賂を差し出されれば、言われるがままに予定を二転三転させ、変更ばかりするのだという。その上、工期短縮を迫られる。
「どうしてそんな無茶を唯々諾々と聞いているの?」
『それはな、上司の娘を嫁に押し付けられよってん』
「それで良いように使われているの?」
『そうやあ。だから、女はこりごりやって』
宝珠の声音にねっとりしたものがまとわりつく。
面白がっているのだ。
「いやね。今までだって、色香で篭絡したことなんてないわよ」
すぐに気づいて冷たく言うと、宝珠は笑いを含んだ声音で言う。
『でも、せっせと集めてきたあいつら、ねえちゃんにぞっこんやで?』
「まさか! 彼らは自信がついたせいか、見た目も様変わりしたのよ? 今では多くの貴婦人たちに熱望されているのよ?」
改造に乗り出したジスランのみならず、クロードもジュストもがんじがらめにされていた問題から解き放たれ、生き生きとしている。本来の姿を取り戻し、見目良くなり、有能さとも相まって人気は急上昇している。
『でもなあ、今まで白ぁ~っとしていたんが手のひら返しされたんやで? そら、むかつくわな。そんなやつらになびくかいな』
「ああ、だから、彼らは寄って来る貴婦人たちにそっけないのね」
『なんやなんや、面白くないなあ。もっと「あたくしのものよ!」ってならんのかい!』
「あたくしってなによ。もとよりわたくしのものではなくてよ?」
異性として魅力的に思う人物たちは、だが、クリステルとしては別の感想を持つ。あまり近寄ってこないでほしい、というものだ。彼らが側にいると人目を引くのだ。「たおやかでしとやかな王妃」という演技をし続けなければならないではないか。一瞬でも気が抜けない。
『おおー、教育の成果が出てんなあ!』
そんなやり取りを宝珠とした。余計なことまで思い出してしまった。王妃として並び立つのに、自分はまったく足りていないというのに。
うっかり思い出してうんざりしていたのが表情に出たらしい。
「妃殿下? お加減でも? 誰ぞ、茶を持て!」
ジスランが気づかわしげな表情でクリステルの顔色をのぞき込み、使用人に声をかける。
「いいえ、大丈夫よ」
「しかし、」
「それにしても、あなた、ずいぶん、貴族らしい振る舞いを身に付けるようになったのね」
否定しても心配そうにするので、クリステルはさえぎって微笑んだ。ジスランが面映ゆそうに目を伏せる。
「すべては、我が殿下のご尽力の賜物にございます」
冷徹とまで称され、多くの官吏を戦々恐々とさせる王妃補佐官が、初心な様子を見せる。茶を給仕する使用人も内心では驚いており、すぐに噂は広まる。
茶を配し終えた使用人が退室したあと、ジスランは妙な空気を払しょくするため、ほかの問題を報告する。王弟フレデリクを担ぎ出そうとする一派があるという注意喚起だ。
アランとフレデリクの兄弟仲は良い。にもかかわらず、第三者が自分たちの思惑でその仲を壊そうとするのだ。
流石は宮廷、ドロドロしているとうんざりしながら、クリステルはクロードに伝えて警戒を怠らないように言っておいた。あとはクロードと目端の利く彼の部下が良い様にしてくれる。
すばらしい人材は有効活用してこそ。
「フレデリク殿下はどのような方かしら」
「軟派で浮ついた方だという向きもありますが、その実、流行に敏感ですぐに取り入れられているご様子ですね」
「まあ、それはそれは、さぞかし頭の固い方々からは品性がどうのと言われておいでででしょうね」
「はい、しかし、それは裏返せば情勢をいち早く掴むということです」
「あなたのおっしゃる通りね」
クリステルはにっこり笑ってそう言った。
それだけで、有能な補佐官は王妃の意を汲み、自ら動いた。
すべては、敬愛する王妃の御ために。
●人物紹介
・クリステル・バダンテール
怠惰な(元)令嬢。すべてはぐうたら生活のために。
・アラン・バダンテール
国王。眉目秀麗。
・ジスラン・オラール
王妃の補佐官。繊細な美貌。
・クロード・デシャン
子爵。騎士。身体の弱い弟妹を支える。
・ジュスト
商人。熱意によって人を動かす。
・トマ
優れた工人。仕事ができない上司の娘を妻に押し付けられた。
・フレデリク
王弟。流行に敏感。