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「ついこの間、婚約式をしたと思ったのに、もう結婚式なんて」
正式に王太子妃となってしまったクリステルは宝珠の御宣託を聞くと言って、宝珠の間に入った。
しかも、最近、王太子はなにかとクリステルを誘ってくる。いやもう、王太子妃教育のおかげで疲労困憊なのだ。空いた時間は寝ていたい。きらきらしい笑顔を向けられても目がしょぼつく。眠い。
なにより、ぼろぼろの自分があんなにうつくしくて頭がよくて完ぺきな王太子の隣に立つのがみじめだった。ついつい、ベッドにもぐりこんでめそめそ、ぐうたらしたくなるというものだ。ぐうたらは元からだけれども。
『早いもんやなあ』
のんきなことを言う宝珠に、クリステルは苛立った。
「ねえ、賢者だけでは足りないわ。他には?」
ジスランとは戦友だ。結婚して王太子妃となっても教育はまだ続いている。いや、王太子妃としての公務が加わってさらに忙しくなった。
ジスランに泣き言をこぼすのが大いになぐさめとなっている。王太子に夫である自分よりもいち官吏とよく話し込んでいることを嘆かれるが、王国の在り方について語り合っているのだとかなんとかいって押し通している。
『そうやな。次はやっぱり軍部やな。軍を抑えるべきやろう』
軍か。まったくもってして、縁がない。
「誰か良さそうな人はいる?」
『いっぱいおるで! 勇猛果敢なやつ』
「どんな人?」
『こいつはなあ———(割愛)———(長いので省略)———って、ちょお、聞いてんの?』
うつらうつらしてしまったのをとがめられる。いやあ、夢まで見てしまった。覚えていないけれど。
「長い。短縮して」
さわりの方ですでに眠気に負けたクリステルはほとんど聞いていなかった。
『勇猛果敢で酒好き。武功はいっぱい、酒の失敗もいっぱい』
「却下、次」
『ええぇ! しゃあないな。ほな、驍勇無双なやつで、』
「その人は酒好きなの?」
いやな予感がしたので、さえぎってたずねる。
『いや、そんなことあらへん。ただ、女好きや』
「却下、次」
『なんやねん! 強いやつはなにかしらかの欠点があるもんやで!』
「欠点の方で足を引っ張られる。それだったら、そこそこでいい」
『っかぁぁ、夢がないのぉ!』
「夢で貴族社会が渡れるか。次」
『しゃあないな。じゃあ、こいつはどうや』
宝珠が宣託したのはデシャン子爵クロードという騎士だった。
騎士団視察と称してクロードを見てきたクリステルは宝珠に向けて言い放った。
「うすぼんやりしているわ。頼りない」
クリステルは知らない。
宝珠に選定された際、自身がうすらぼんやり笑っているだけのご令嬢と揶揄されていたことを。
ついでに言えば、宝珠に欠点の方で足を引っ張られると言ったのは、裏返せば「毒にも薬にもならない」とも取れる。クリステルが言われていた事柄だ。
注目されてこなかったカバネル伯爵令嬢が宝珠に選定されてからは、多くの者が阿た。クリステルが取り合わなかったのは、ひとえに王太子妃教育をするので精いっぱいだったからだ。誰かに褒められ気を良くしても、スパルタ教育が現実に引き戻す。
ある意味、そのお陰で特定の派閥にも引き入れられずに済んだとも言える。
なお、クリステルの父カバネル伯爵は娘に似てのんびりそこそこを好んでいるので、娘のお陰で権力を握れるなんていう発想は持たなかった。
さて、クロードは薄い金髪に薄い緑の目をし、長身で筋肉がついている恵まれた体躯なのに、どこか茫洋とした印象だった。顔色も悪く、ふらついていて、騎士としての力量もなさそうだった。
『そんなん言うたるな。あいつはかわいそうなやつやねん。男手ひとつで扶養している弟妹が病弱でな』
「なんですって!」
クリステルは宝珠の言葉に飛びついた。
『そうやろう? けなげやろ? 泣けてくるやろ?』
もちろん、クリステルが注目したのはそんな点ではない。
「二十歳そこそこの男ひとりが病人ふたりを養える腕を持っているなんて! よし、確保!」
『ねえちゃん、そればっかりやな』
「医者を送り込んで恩を売るわ! 薬を餌に抱き込むわよ!」
『あんたというやつは!』
宝珠に悪しざまに言われたが、悪口なんて大したことはない。宝珠の間を出れば聞こえてこないし、クリステルにしか分からないのだから、噂として広まっていくこともない。
クリステルはさっそくジスランに事情を話して医者を手配させた。
「そのデシャン子爵という騎士が将来王太子妃殿下のお役に立つのですね?」
「ええ、宝珠の御宣託よ」
ジスランは医者の診療だけでなく、栄養のあるものを食べさせ、清潔を保つ必要があるとアドバイスした。
これらによってクロードの弟妹は持ち直す。
すべてはジスランの発案である。しかし、その助言をクリステルが受け入れてこそである。
金銭と伝手はクリステルから出ているのだから。
「デシャン子爵、ぜひわたくしにあなた様の弟君と妹君をお救いさせてくださいませ」
唐突に現れてそう言うクリステルを、自他ともに認める「ぼんやり」のクロードも、さすがにうろんげに見やった。さながら、新興宗教の勧誘のようなうさんくささがある。
「あなたは?」
クリステルはまさか、王城において自分のことを知らない者がいるとは思わず、その「ぼんやり」具合に感心した。
どっちもどっちなふたりである。
「これは申し遅れました。わたくし、クリステル・バダンテールと申します」
「王太子妃殿下!」
流石に名前は知っていた様子で、クリステルはこっそり安堵のため息をつく。
すばやく騎士の礼を取る所作は美しかった。
「宝珠の御宣託がありました」
「宝珠の……!」
たいていこれでありがたがってくれるのだから、やりやすい。
「訛りのきついおっさんの喋り」で言われるものだから、クリステルにはありがたみがまったくないが。
なお、クリステルには自分が宝珠と漫才めいた会話をしている自覚はない。
「近い将来、わたくしには、ひいてはバダンテール王国ではあなたの力が必要となります」
うっかり、「自分の」という本音が出て、すかさず「王国の」ために、と言い換えた。
クロードはそれを大仰にありがたがる。
よし、掴んだ!
あとは畳みかけるだけだ!
話の中身はどうでも良いとばかりに、クリステルは内心でガッツポーズを取る。
「わたくしがまず、あなたの憂いを払ってみせましょう。ですから、クロード卿は心置きなく、剣を振るって王国を救ってくださいませ」
クロードがうんと言えば弟妹を救う手はずは整っている。承諾を得たらすぐさま治療に入る。将来の将軍の気が変わらないうちに囲い込む腹積もりだ。
そして、クロードは騎士だった。
剣を捧げるべき相手が、まず、自分を苦境から救い出すと言う。守護されるばかりではなく、剣であり盾でもある自分を守ると言う。
クロードは感激に打ち震えた。
自分たちの手を汚さず、騎士たちが傷ついてもなんとも思わない王侯貴族の中、クリステル王太子妃はクロードを救ってくれたのだ。
クロードは弟妹がもちなおしたことにより、陥落する。
憂いが晴れたクロードは伸び伸びと団務に励み、めきめきと頭角を現す。
「我が剣はクリステル王太子妃の御ために。この身はクリステル王太子妃の盾となりましょう」
そう言ってはばからなかった。貴婦人に愛と剣を捧げる。古き良き騎士のありようである。
クリステルが王太子妃から王妃となってからも、また、クロード本人が一介の騎士から将軍へと上りつめてからも、言葉を代え公言し続けた。
しかも、憂いが晴れたクロードはやつれ具合から脱し、本来の美男子ぶりを取り戻した。外見と類稀なる武力をあわせ持つとなると、ぼんやりした性格も穏やかだと良いように受け入れられるようになる。
そんなクロードの変身ぶりにあやかろうとして、騎士団からは王太子妃に剣を捧げるものが続出した。
なお、王太子は国王となっても妻に剣と身を捧げた騎士にやきもきしたという。もちろん、当の妻クリステルは(そんな面倒事には)まったく見向きもしなく、妙な多角関係ができあがっていることに気づくことはなかった。
さて、王太子時代からアランは妻一筋だったため、時折上がる側室を、という声に耳を貸さなかった。
そのため、ブロンデル侯爵の娘を側室に押し込み、正妃をお飾りにするという目論見は成功に至っていない。
「どうしてですの?!」
ブロンデル侯爵令嬢フェリシーは茶色の長いストレートの髪を振り乱して父親に詰め寄った。
「仕方がなかろう。殿下(あるいは陛下)はまったくその気にはおなりにならないのだから」
優し気で上品な風情をかなぐり捨てて、本来の気の強さを発揮する娘に、ブロンデル侯爵はため息をつく。
「ほかの道を考えておきなさい」
「どういうことですか?!」
「お前ももう良い歳だ。若いうちに嫁いでおかねばな」
まるで若さだけが取り柄とでも言わんばかりの父に、気位の高いフェリシーの自尊心が傷つけられる。
「あのうすぼんやりがしゃしゃり出て来なければ、こんなことにはならなかったわ!」
憤りの矛先はクリステルに向かうのだった。