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王太子は金髪碧眼のきらきらしい見た目にふさわしいさわやかさを兼ね備えており、ふたつそろったらまぶしくて直視できない。笑顔を浮かべると輝かしさが増すものだから、クリステルは常に焦点をそらして対応した。
それが王太子には妙にそっけなく感じられた。
「君は宝珠が選んだ王太子妃であるが、ともに手を取り合ってこの王国を支えていこう」
「もちろん、この結婚が政略結婚であることは存じております。わたくしでは足りない点がありましょう。ですから、(いろいろ任せられる)優秀な側室を(できればたくさん)お持ちになってぜひとも、(わたくし以外の)みなさまで国王陛下となられる王太子殿下をお支えしたいと存じます」
もっともなことを並べ立てても、本音が透けていた(括弧内に)。
義務と職務は分散すべし。王妃は職じゃないけれど。
分散する相手が多ければ多いほど良い。クリステルに割り振られる負担が少なければ、なお良し。
「なんと慎ましい方だ!」
クリステルの言葉を、王太子は良いように受け取った。
なにしろ、王太子妃、次期王妃という王侯貴族の中でも最高の身分に加えて、王太子自身が見目麗しい容姿、優秀だと噂されていることを自覚している。
そんな自分の正妃になることをいやがっているという発想はない。
これは王太子が驕っているのではない。
貴族の中で確立された価値観で、当然の考え方だ。
それを否定するのはアイデンティティの崩壊を意味する。
王太子は宝珠のことを抜きにしてクリステルに興味を持ち始めた。忙しいなか、なんとか時間を作って会おうとするも、婚約者と予定が合わない。欲しているのに手に入らない、会えない時間が気持ちを育てた。
思えば、王太子の周辺には目に留まろうとごてごてと飾り立てる令嬢が多かった。それか、色気を前面に押し出した襟ぐりが空いた身体にぴったり沿う服を着た者か。
クリステルはそのどちらにも当てはまらない。きつい香水の匂いもしない。なんの主張もせず、ただ、そこに在る。凛と背筋を伸ばして前をまっすぐ見つめている。
もちろん、それは厳しい王太子妃教育による成果だ。ちゃんとしなければ、叱責と課題追加がふりかかってくる。飾り立てないのは動くのに邪魔だからだ。
そんなことは露知らない王太子はもっとクリステルといっしょに過ごしたいと思った。
会いたいのに会えない。その状態が気持ちを成長させる。
王太子はクリステルに執着した。焦燥が焦燥を生み、それが恋になるのに時間はかからなかった。
王太子は王太子妃をうやうやしく扱い、王太子妃教育におびえるクリステルははしばしにボロを出しながらも、淑女然として受けた。
傍目にはなんとかうつくしいカップルとして映ったのである。
奇妙なことに。
さて、次期王妃選定の儀式で宝珠が選んだのは候補にも挙がらなかったカバネル伯爵令嬢クリステルだ。まんまとかっさらわれた形となった者たちは面白くない。
「意外な結果でしたわね」
「なんと腹立たしいこと」
「クリステル? 誰?」
「ああ、あのうすらぼんやり笑っているだけのご令嬢」
「毒にも薬にもならない方ではありませんの。未来の王妃になんてなれまして?」
有力候補であったブロンデル侯爵令嬢フェリシーの家族や親しい令嬢たちはこぞってそんな風に言った。それは、ひとえにフェリシーをなぐさめるためだ。奇しくも、クリステルと同意見であった。
「みなさま、そんな風におっしゃらないで。きっとカバネル伯爵令嬢にはほかにない能力をお持ちなのですわ」
それが「へんな訛りのおっさんの喋り」を聞き取る能力だと知らないままに、フェリシーは言い当てていた。
王妃の座を逃したことははらわたが煮えくり返るほどに腹立たしいことである。だと言うのに、父ブロンデル侯爵はため息をついてこんな提案をした。
「側室に上がるか」
「そんな! わたくしに二番手となれとおっしゃられますの?」
「今はな。ゆくゆく、王太子の寵愛を受けるようになれば良い」
なるほど、カバネル伯爵令嬢は宝珠が選んだというだけのお飾りの妻で、次期国王を意のままにするのはフェリシーとなるのだ。
「できるか?」
「もちろんでございますわ、お父さま」
ぱらりと開いた扇の向こうで愉悦を漏らす。
フェリシーは高位貴族の第一子として生まれ、高い教育を受けたがあまり、気位が高い。常に己が一番でなければ気が済まない。
今回は、宝珠の選定という不確定なものだからどうにもならないことだった。ならば、名目上の王妃ではなく、実権を握って見せる。
「このブロンデル侯爵家のフェリシーならば、やり遂げてみせますわ」
高らかに宣言する娘に、ブロンデル侯爵は目を細めた。
王太子妃教育はすさまじかった。
スパルタ、スパルタ、またスパルタだった。
「いかなる不条理にもくじけない強靭な精神を養う」
というモットーのもと、国史から始まって諸外国の歴史、文化、言語といった勉学から、礼儀作法、ダンス、様々なことを詰め込まれた。
貴族の令嬢生活ですら面倒だったクリステルだ。結婚せずに家でだらだら暮らしたいと願ってすらいた。
なのに真逆に振り切った生活を強いられた。
「それもこれも、すべてあのおっさん宝珠のせいだわ!」
うっ憤がたまり、追いつめられたクリステルはずんずんと王宮の廊下を歩いた。向かうは宝珠の間である。
王宮の使用人は止めようとしたが、クリステルの迫力に負けた。もはやクリステルは一介の令嬢ではない。宝珠が認めた王太子妃候補であり、次期王妃に選定されたのだ。
『おお、ねえちゃん! よく来たな!』
「あんたのせいよ!」
『なんやなんや、ずいぶん怒ってるやん』
クリステルは怒涛の勢いで王太子妃教育のことを話した。
『ま、まあ、ちょっと水でも飲みぃ』
「結構よ!」
ぜいぜいと肩で息をつきながらクリステルは断る。だが、言われてみればのどがかわいた。扉を開けて使用人を見つけて茶と飲み水を頼む。王太子妃候補の令嬢が憤怒の表情で宝珠の間に入って行ったのに、おろおろと扉の前をうろついていたので、使用人はすぐにつかまった。
『結局、飲むんかーい!』
「は? なに? いけないの?」
低く乾いた声が出た。
『いえ、なんでもありません』
クリステルは届けられた水と茶がテーブルに配されたら、ふたたび使用人を締め出した。
水をごっごっ、と音をたてて飲み干した後、ソファに座って優雅に茶を飲んだ。
『なんや、えらいギャップやな! いやあ、そうしているとベッピンさんやね』
宝珠がおもねるように言う。
ぎろりとクリステルが宝珠を睨めつける。
『いややなあ、そんなに怒らんでも、』
「なんとかしてよ!」
宝珠がうだうだ言うのを、クリステルは遮った。
『なんとかって、なにをや?』
「予言したでしょう? 魔王出現の。他の未来は分からないの?」
宝珠はあくまでも、次期王妃の選定をするという言い伝えがあるにすぎない。だから、疲れ果てたクリステルの言い掛かりに等しいものだった。
『分かるで』
「分かるの?!」
うっかり茶をこぼしそうになったが、それどころではない。
『なんで驚くん。ねえちゃんが言い出したんやんか』
「早く言ってよ、そういうことは!」
どうでも良いことばかり言って肝心なことを伝えていないなどとは、とクリステルは憤慨する。
『だって、今まで誰もわしの言葉を聞き取れへんかったんやもん』
だって、もん、と可愛い子ぶる宝珠にクリステルは返答せずに続ける。おっさんが可愛い子ぶってもそうとは思えなかったので、気づかなかったのだ。
「まずは優秀かつ有能な部下が必要だわ」
『ねえちゃん、無視すんなや! ここはわしの孤独さに同情するところやろ?!』
それまでは未来の国王の伴侶となる者を選別し、かろうじてそれを伝えることだけはできた。そうして、血統を絶やすことなく王朝は続いて来たのだ。
「わたし、前々から思っていたの。あんなに優秀な王太子殿下にですら、補佐する侍従がいるのよ。つまり、優秀であるには有能な者が必要なのよ!」
先だっての、次期王妃選定のための夜会を思い出す。公爵令嬢や侯爵令嬢の名前を王太子にそっと耳打ちしていた侍従の姿を。
『おーい、わしの話も聞いてくれぇ』
そう、クリステルの穏やかでのんびりしたぬるま湯のような生活に必要なもの。それは。
「まずは丸投げできる人が必要だわ」
『丸投げて。もうちょっとなんとか言い方があるやろ。右腕とか』
「右腕って、王妃の仕事を実質やるのはその人なんだから、左右の腕が必要よ! 片腕だけなんて、なんてひどいことを言うの!」
『隻腕ってそういう意味で言っとるんとちゃうわ!』
ともあれ、今まで孤独だった宝珠は噛み合う返答があることに気をよくして、クリステルにあれこれ教えた。
『まずは、あの子や。あんなにがんばっているのに、評価されへんねん。提案書を出しても鼻で笑われる。なんとかうまいこと業務改善しても、その手柄は上にかっさらわれる』
宝珠が「あの子」と言ったから、女性か、男性であってもクリステルとそう変わらない年齢だと思っていた。
ジスラン・オラール。
オラール男爵家の三男で二十代前半、下っ端官吏である。役立たずだと評価されている。
『あの子、ジスランは将来有望やで。賢者、言われるわ』
宝珠の言葉に、クリステルは手を握って目を光らせた。
「よし、今のうちに確保!」
『確保て。動物ちゃうねんで』
淑女らしからぬ拳を高く掲げる仕草をするクリステルに、宝珠はあきれたように言った。