番外編3.帝国の一輪華、バダンテール王妃に取り入る
後世の史籍は語る。
「帝国の叡智である美姫が、バダンテール王妃に取り入る」
バダンテールの国宝、宝珠の選定を受け、その声をただひとり聞くというクリステル妃は、うつくしくはあったが、特別ななにかが感じられるほどではなかった。
そして、それは当の本人が痛感している様子だ。
「アルレットさまは本当にお綺麗ですわね」
「ありがとうございます」
謙遜することなく受けても、クリステルはまったく意に介さない。それはそうだろう。心から思うことを口にしている風だ。
「なにか秘訣はあって?」
「いろいろな美容商品は出ておりますが、高額なものを求めるよりも、品質の確かさと保湿の量ですわ」
クリステルはただのおべっかではなく本気で聞いているのではない。アルレットの美貌をほめそやすも、それが単なる若さや生まれつきによるものだと考える者は多い。
クリステルはそんな者たちとは違うのだと感じ、アルレットは自論を正直に話す。すると、クリステルは真剣な表情で尋ねる。
「品質の確かさはわかりますわ。信頼できるところから買い求めるべきですわね。ところで、保湿の量とおっしゃると?」
「化粧水をふんだんに使うのですわ。両手いっぱい用いますの」
「両手で塗るのね?」
「いいえ、両掌に溜まるほどに使います」
「そんなに?!」
「まずは片手分で試してくださいませ。そして、洗顔後すぐに保湿します。こう、なじませるようにやさしく抑えますの」
言いながら、アルレットは自身が保湿するときのように、クリステルのほほをやんわりと抑える。
「なるほど。そうなのですね!」
クリステルは感心しきりの目を向けてくる。
「よろしければ、わたくしの化粧水をお使いになりませんこと?」
アルレットはクリステルに触れた瞬間から突き刺さって来る視線を感じつつも、にこやかに提案する。
「まあ! ぜひお願いしますわ!」
クリステルは目を輝かせる。
その場には次期財務大臣と称されるジュストだけでなく、アランやジスランもいた。
(うつくしい殿方たちの嫉妬の視線がこれほどまでに心地よいとは!)
視線を受けて平然と微笑み返す。
当然、「受けて立ちますわ」である。
殿方は深部に踏み込めない美容談義である。
「昨今の夜会では人目を惹くために少々品がない装いをする向きがございますわね」
襟ぐりが空いた身体にぴったり添う服を着た者、化粧が濃い者、きつい香水の匂いがする者、流行を取り入れるだけのちぐはぐな格好をした者。
「やりすぎてはいけないのね」
「ええ、そうなのですわ。装うことは大切なことです。ですが、度を過ぎてはいけません」
方向性を見失いがちな者が陥りやすいと話すアルレットに、クリステルは熱心に頷く。
「クリステルは今のままで十分うつくしいよ」
アランがすかさず言うが、クリステルはまったく嬉しそうではない。
「とんでもなくうつくしい陛下がおっしゃられましても」
あまりに桁外れにうつくしい者たちに囲まれて称賛されても、気が重いものなのだとアルレットは得心が行く。
「わかりますわ。とてもうつくしい異性たちから言われましても、おいそれと信じられるものではございませんものね」
「まあ。ですが、アルレットさまほどのおうつくしさであれば、すんなり受け止められるのでは?」
アルレットが同意してみせれば、クリステルは戸惑う。
「あら、わたくしもわたくしなりに努力を重ねておりますわよ?」
保湿から始まって、運動快眠バランスの取れた食事、といったさまざまなことに気を配っている。
装いも、場に即した布、色、柄を身に付ける。「場」とはバルバストル帝国の威光を貶めず、同時に主催者や招待客のパワーバランスを加味したものだ。それはもう恐ろしいほどの条件を組み合わせているのだ。
「アラン陛下にしろ、その他の方々にしろ、素晴らしい才能の持ち主ばかり。その中におられては、どれほど努力を重ねても、取るに足りないもののように思われるでしょう。なぜなら、彼らからしてみればできて当然のことなのですから」
「そうなのです! そうなのですわ! わたくし、その、実は怠惰なものでして、」
というよりも、クリステルにとってぐうたらはすべての行動基準である。
「あら、素敵!」
言いにくそうにするクリステルにアルレットは両掌を重ねてみせる。そうして小首を傾げてみせると、妖艶な美女があどけない少女のようにも見える。
「え、す、素敵でしょうか?」
クリステルは怠惰が素敵だと言われたのかと、目を白黒させる。
「だって、元々の性質を押しやって、アラン陛下のお隣に立つに相応しくあろうとなさっているのでしょう?」
アルレットの言葉に、居並ぶ者たちは目を見開く。
「そ、そうですわ」
クリステルは集中する視線に観念したように答えるも、頑なに夫の方を見ようとしないまま早口となった。対する夫は彼女の傍らで笑み崩れている。
(これで国王夫妻のお心は掴みましたわ)
並外れてうつくしい殿方というものはにやけ顔ですら整っているのだなと、アルレットは妙な感心をした。
アルレットがあちこちにコネクションを持つのは、バルバストル帝国の姫だからだけではない。こうやって誰がなにを欲しているのか把握し、望むもの、言葉を差し出すからだ。
歓心を買う、根回しをする、というものである。
「妃殿下は初めてお会いしたときもおうつくしかったですが、確かにさらに磨きがかかっておられます」
「そう言えば、あなたもとても様変わりなさいましたわね、ジスラン卿」
「あら、そうですの?」
とても楽しそうな話である予感がして、アルレットの扇を持つ手が震える。
説明して差し上げて、というクリステルの視線を受け、ジスランが素直に口を開く。この素直さは当然、クリステルに対してのみである。
「はい。わたしは妃殿下とお会いした際、身なりに気を遣うということをしなかったもので」
ホワイトブロンドなんて珍しい色味の髪をぼさぼさなままで放置していたので、「綿埃」などという不名誉なあだ名をつけられていたくらいだ。
実は、ジスランは他人に髪を触られるのが嫌いだ。自分で触るのも好きではない。けれど、クリステルが香油と櫛をくれたものだから、使ってみた。
「あら、真っすぐな髪質でしたのね」と言って何気なくクリステルがジスランの髪に触れたことがある。そのときは不思議と嫌な気持ちにはならなかった。むしろ———。
ともかく、ジスランはそれ以降、髪の手入れを継続して行った。定期的にクリステルが香油をくれることも相まって今やジスランの髪は艶やかで真っすぐだ。
香油とはべつに、一年に一度は櫛をくれる。古い櫛はたとえ歯が欠けたとて捨てるに忍びなく、取ってある。たまに宝石箱から取り出して眺めている。これがひとつずつ増えていくことが、クリステルとの付き合いの長さが増えていくことを象徴しているように思えるのだ。
髪の手入れは欠かさないジスランだが、長さにこだわりはない。だから、切る機会を失ってときおり肩に付くかどうかの長さにまで伸びることがある。さらりと風になびくホワイトブロンドが白い頬にかかる様が麗しいと、宮廷の貴婦人たちには評判である。
「綿埃ってあなた、」
「気にしていませんから」
とんでもない陰口に絶句するクリステルに、ジスランは唇の端で笑って見せる。
「そうです。心配なさる必要はございませんよ。ジスラン卿は嫌味を言われようがなんだろうが、仕事さえきちんとこなしておられればよろしいのですから」
「裏返せば、仕事をしない者はやりこめられているようだがね」
ジュストが励ますように言い、アランが苦笑する。
(ああ、なんてこと!)
さり気なく扇で膨らんだ小鼻を隠す。荒くなる息を整える。
(いけない、いけないわ。淑女のたしなみを保って!)
扇を持つ手が震える。
(妖精もかくやというジスラン卿が、その昔は野暮ったかったなんて! それをクリステル妃が様変わりさせたなんて! しかも、今でも香油と櫛をお渡ししているなんて! ああ、それでは当然、ほかの殿方の御髪を整えようなんてなさってはお嫌でしょうね。まっすぐで艶やかな髪であるのは、すべてクリステル妃のお陰! その美貌を彩るホワイトブロンドはクリステル妃のためにうつくしく保たれているのですわ)
この長い長い思考がアルレットの脳裏を駆け巡ったのは、約十秒の間。その最中もたおやかな笑みを浮かべる。
うつくしさや儚さの例えとして出された妖精だが、クリステルならば以前会った手のひらサイズの者を思い出し、顔をしかめただろうか。けれど、アルレットのとめどない思考はしっかり括弧内に隠されているのだから、クリステルには知りようもない。
アルレットはバダンテールに滞在したい旨を記した手紙を、バルバストル帝国に送る。うつくしい孫娘をこよなく愛する皇帝は帰国を望んだが、再三にわたる熱意溢れる手紙に、やがて折れたのだった。
『綿埃て!』
『仕事ができるっちゅうことへのやっかみもあったんやろうね』
『ジスラン、健気やん。ねえちゃん限定やけどな。健気っちゅうか、乙女っちゅうか』
『それにしても、アルレットちゃんはさすがやね。ジスランの容姿を「繊細なガラス細工のような」なんて表現するんやもん』
『大国の可愛がられているお姫さまやろう? そら、めっちゃ手の込んだ細工物をぎょうさんもろうてるんやろうね』
『しかし、なかなか図太い子やな! にいちゃんたちの嫉妬を向けられても平然としとるやん』
『しかも、めっちゃ楽しそうやん。バダンテールに居座る気満々やん。やる気満々やん』
『こんくらいじゃないとな! 応援したってや!』




