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※人物紹介を下に入れました。
ブロンデル侯爵令嬢の「手筈」にアランは影響を受けていた。そして、クリステルもまた、予想だにしない余波を受けることとなったのである。
アランは妻を愛している。寝室を同じくする妻、興奮した夫、となれば、結果は明白だ。
昼近くにようやく目が覚めたクリステルは息も絶え絶えになりながら、今日ばかりは耐えられないと、王妃教育から逃れるために宝珠の間にやって来ていた。
宝珠がいつになくてかてかと光っている。
「なに、にやにやなさっているの?」
『えー、分かるぅ? ねえちゃんとも長い付き合いやからなあ。分かっちゃうんやなあ』
その声音に気味悪さと嫌な予感を覚えてクリステルは早々に諦める。
「あ、聞かなくても結構よ」
『まあ、聞きぃや。あのな、にいちゃんがな、』
どうも、アランはブロンデル侯爵令嬢に媚薬を飲まされたというのだ。
「まあ! アランは惚れ薬を仕込まれたというの?」
『ねえちゃん、惚れ薬っちゅうのは飲んで初めて見た異性を好きになるもんちゃうねんで?』
「え、そうなの?」
意外な宝珠の言葉に、クリステルは目を丸くする。
『催淫剤や』
「催眠剤?」
『ちゃうわ。それ、あれやろ? 紐で吊るしたコインを左右に振るやつ。そうじゃなくてな、興奮する薬や』
「興奮してどうするの?」
『そりゃあ、ベッドの上で興奮するんやから、することはひとつや。ムラムラしてくるっちゅうやつやな』
宝珠が妙に粘っこい声音で言う。
飲んだ直後に見た者、あるいは飲ませた者に惚れるのではない。徐々に体温が上がり心拍数が増え、興奮して来るのだという。
「まっ!」
クリステルは絶句して真っ赤になる。
『その気になったら、そりゃあ、元々大好きなお妃さまを押し倒すやろ』
そこでようやくクリステルは悟る。
予言できたのに、わざと言わなかったな、こいつ! 知っていればなにか理由をつけて寝室を別にしたのに!
「この、お下劣宝珠め! 誰か、金槌持ってきて!」
『ちょ、待ってえや! 本当のことやっちゅうねん! 催淫剤はみだらな気持ちを催す薬や。文字通りやん! あかん、やめて! 割れちゃう! 堪忍してや!』
さて、ひと騒動ののち、元々疲労困憊であったクリステルはソファにだらしなくもたれかかる。
『あの偽聖女ちゃんが知っているかどうかは分からへんけどな、既成事実を作ってしまおうとしているのは確かなんちゃうかな』
「破廉恥宝珠! 今度こそ、鉈で叩ききってやる!」
『ま、待って待って。仕込んだ侍女のことを教えてやるから』
異物を仕込んだ証拠を押さえるために、犯行に手を貸した侍女のことを侍女頭に伝え監視させることにした。
数日後、クリステルは国王の私室に呼ばれた。
入室すると、アランのほかにフレデリクもいた。
「妃殿下におかれましては、本日も麗しく。その麗しさは日を経るごとにいや増すがばかりです」
自分よりもよほど麗々しい王弟に言われ、王族とは美辞麗句がすらりと口から出るものなのかと錯覚しそうになるクリステルである。まさか、今後の王妃教育に加わるのだろうか。そんなことにまで手を出したくない。生まれながらの王族ならばこそ、でき得るというものだろう。
「フレデリクが外国の美味しい茶葉を手に入れたというから、クリステルもご相伴に預かろう」
言いながらアランはさり気なくフレデリクがあいさつのために握っていたクリステルの手を取り、ソファに並んで座る。
「まあ、良い香りですわね」
「マスカットのようだね」
フレデリクが手ずから淹れた茶に、国王夫妻が顔を見あわせる。
「はい。瑞々しくてほんのり甘い逸品です」
しばらく茶を堪能したあと、フレデリクがさり気なく話し出す。
「実は、ゴデルリエ公爵から内々に縁談を持ち込まれまして」
「あら、フレデリク殿下直接に? まずは侍従頭か典礼長にお話するものではありませんの?」
王室の縁談を本人に直接打診するのは筋違いである。だから、ブロンデル侯爵がフレデリクに縁談を持ち込むのもおかしな話であった。
「今度はそう来たか。聖女を娶らせようというのだな?」
アランの問いに、フレデリクが頷く。
「先だってのゴデルリエ公爵の夜会での聖女宣言が国王夫妻の愛の告白にうやむやにされたので、方針転換したようですよ」
「あ、愛の告白。それはただアランが、」
「公衆の面前で愛する妻に愛人を持つことを勧められた憐れな男の懇願、というだけだな」
しどろもどろになるクリステルに、アランはしらりと言う。
「わたしの前でいちゃつくのはそれまでにしてください」
フレデリクの柔和な笑みはどことなく有無を言わせぬ迫力があった。
アランがなびかないので業を煮やし、乗り換えたのではないかというのが国王とその弟の見立てだ。
「そして、フレデリクを担ぎ出す腹積もりだろう」
クリステルは自分を神聖視する向きに危機感を覚えていたから、聖女に名乗り上げる令嬢に乗っかった。
聖女と同一視されるのはそれまでの自分の行いに起因するということに、気づいていないクリステルである。なぜなら、彼女の指針はぐうたらすることに尽きるのだ。明日のぐうたらのために、頑張っているだけなのである。
新たな聖女が現れれば、自分の肩の荷が下りると思った。
今は名状しがたい不条理さを味わっていた。
どういうことだ? アランのことを好きだったのではなかったのか? なぜ、聖女と言いつつ、王弟であるフェリクスの婚約者候補となっているのか。
侯爵令嬢が聖女だと聞いたとき、彼女を側室に推挙した。彼女のアランを見つめる熱のこもった視線に好意を読み取ったからだ。
でも、違ったのだろうか。
それとも、好きだったけれど、アランに断られてあっさりほかに乗り換えたのだろうか。
なんだか、嫌だな。
アランは素晴らしい人間だ。だから、側室もきっとアランのことを好きになると思っていた。アランは好意を寄せられる者に囲まれ、支えられるのだと。
微妙な顔つきで沈黙するクリステルに、フレデリクは慌てて言い訳する。
「婚約者候補ではありません。手順を踏まず一方的に縁談を持ち込んだというだけです」
しつこいほど婚約するつもりはないと繰り返した。
アランがぼそっと「もう本当に婚約しちまえよ」と呟いた気がするが、そんな荒い言葉遣いをするわけがないのだから、空耳というものであろう。
そこで、クリステルは宝珠から聞いた媚薬を仕込まれた話を報告する。
「国王の飲食物に異物混入ですか。死刑に値する重罪ですね」
不穏な出来事に、フレデリクが毒見係りも抱き込まれたなと呻く。一方、被害者であるアランは冷静に考えを巡らせる。
「しかし、今となっては証拠がない。仕込んだという侍女については侍女頭がまだ監視しているのだな?」
「はい。表立った動きはございません」
アランは内情を探るために縁談に乗るふりを提案したものの、フレデリクが強硬に反対したため、まずは偽聖女であることを暴くことから行うこととなった。
そこで、国王夫妻と王弟、ゴデルリエ公爵、ブロンデル侯爵とその令嬢らが宝珠の間に集められた。
『お、なになに? いつもとは違う顔ぶれやな』
「なんと言っていか、分かるか?」
さり気なくクリステルと手を繋いだアランがブロンデル侯爵令嬢に問う。
「はい、陛下。この者こそが正しく聖女である、と」
『こりゃあ、大したタマやな! 堂々と嘘ついてんで!』
当然のことながら、クリステルに触れているアランにも宝珠の「訛りのきついおっさんの声」が聞こえる。
「そうか。わたしには虚偽を申し立てておると聞こえているが」
「そんな! そんなことはございません! このわたくしが正しき聖女なのですわ!」
ブロンデル侯爵令嬢は懇願するように言い募る。
「では聞こう。そなたには宝珠の声はどんな風に届く?」
「すばらしき音ですわ。まるで鈴の音のような清らかなものでございます」
クリステルはぐっと口の中を噛んでこらえた。
「訛りのきついおっさんの声」が清らかな鈴の音。
今生で一番の冗談を聞いた気がする。
『まあ、別にわしの声が聞こえんでもええやん。しかし、この子はなんでまた聖女にこだわるんかねえ』
宝珠は見当違いの感想に気をよくしたのか、そんな風に言う。
「陛下、わたくしも宝珠の申していることが気になりますわ」
「そうだな。では、ブロンデル侯爵令嬢、答えてみよ」
「え?」
「今、宝珠が問うたことだ。わたしと王妃にも聞こえていた。さあ、答えよ」
ブロンデル侯爵令嬢は青ざめることしかできなかった。
「結局、なぜ聖女にこだわるのかは聞けずじまいでしたわね」
最後まで会話できていたと強弁する侯爵令嬢を引きずるようにして、ゴデルリエ公爵陣営はすごすごと退散した。
国王の陣営もそれ以上の詮議を進めることはできなくなった。
その日の夜、アランが倒れたのだ。発病によるものである。
●人物紹介
・クリステル・バダンテール
怠惰な(元)令嬢。すべてはぐうたら生活のために。
・アラン・バダンテール
国王。眉目秀麗。
・ゴデルリエ
公爵。
・ブロンデル
侯爵。野心溢れる。
・フェリシー・ブロンデル
侯爵令嬢。宝珠選定の最有力候補だった。




