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※人物紹介を下に入れました。
アランはしばらく声を発することができなかった。ただただクリステルを見つめるしかできない。と、彼女の組み合わせた手が震えていることに気づく。
クリステルも緊張しているのだ。
どうしてか。
理由は分からないが、自分に告げること、それをどういう風に受け取られるかということに恐怖を抱いているのだ。
アランは深呼吸をした。
そうして、彼女の恐れを取り払うように微笑んだ。彼女のこわばりが少しばかり緩んだ気がする。
「話を聞こう。さあ、座って」
そのまま立っていては倒れかねない様子のクリステルの手を取り、長椅子に連れていって並んで腰かける。
手を繋いだまま、急かさずに待っていると、しばらくしてクリステルはぽつぽつと語り始めた。
自分が怠惰であること、本来ならば王太子妃や王妃などという国の要になることができない人間なのだということを。
「わたくしはたまたま、宝珠の声を聴いたにすぎません」
そんな風に言う。
バダンテール王国の闇を払い、不正をただす彼女が、まるで罪を告白するように心うちを話す。
孤児院訪問で襲撃され命の危機に陥った際、死を間近にして、このままではいけないと思ったのだという。
「いつどのようになるか分かりません。ですから、陛下はもっと相応しい方をお迎えしてお世継ぎを、」
隣り合わせた手は繋いでいたから、アランはクリステルの不穏な言葉を紡ぐ唇を、自分のそれに重ねることで止めた。
口封じである。
クリステルは頬を染めて目を伏せる。結婚して数年になるというのに、いまだそういう初々しい素振りを見せる。アランをたまらない気持ちにさせる。
「わたしは君の気持ちが知りたい」
「わたくしの?」
「そう。面倒が嫌いで社交が苦手。のんびりするのが好きで、あとは? 観劇は?」
「あまり———ああ、でも、フレデリク殿下は流行に敏感で、貴婦人たちとの会話のタネになりそうな演目を教えてくれそうですわ」
社交で一番困るのが話題だと言う。そういう視点から観劇するのも一興かもしれない。そして、クリステルが言うとおり、フレデリクはそういったことに詳しい。
「なるほど。そういう方面から弟にアプローチするのもアリかな。あとで聞いてみるよ」
「わたくしにも教えて下さい」
「うん。興味がありそうなものがあったら、今度こそ、いっしょに観に行こう。あとは?」
いろいろ話し合った結果、この休暇の過ごし方として、長椅子でうたた寝するクリステルの傍で、アランは読書を楽しんだ。ひとところにいながら、それぞれが好きなことをする。アランとしても良い休養となった。
ジスランのような有能な執務能力もクロードのような武力もジュストのような財産を築く力もトマのような国土を改良する才能もない。
けれど、クリステルの望むことを共有することができる。
アランはこの上なく、幸せだった。
「国を覆さんとする反逆者どもめ! 捕らえよ!」
「な、なんだ?!」
「どうして! どこから?!」
「わぁぁぁぁ」
「に、逃げろ!」
クロードの配下につけた男は、上司が出世するにつれて彼の地位も上がった。そうなるに比して権限も増え、できることが多くなった。彼は密偵を育て、情報を集めた。
王妃の要請に従い、クロードは部下に集めた情報を報告させた。王妃の意を受けた執政官ジスランの指示により、恣意的な諜報活動が行われた。
そして、王弟を担ぎ出し、反旗を翻そうとする一派を捕縛するに至った。
これには次期財政部長官である大商人ジュストや巨額の予算がかかわる建設工事部のトマも協力した。
さらには、担ごうとしたフレデリク本人が、近づいて来る者たちから情報を聞き出し、王妃一派に流した。関与した者のリストは丸裸になったも同然である。
つまりは反対勢力の行動は筒抜けであった。
反対勢力に加担せず、時勢を慎重に観察していた者たちもいた。
「聞いたか、先だっての一斉捕縛を」
「はい。お声がかりをお断りされたゴデルリエ公爵のご慧眼、このアレオン、まことに感服いたしました」
「命拾いしたものよ。しかし、やつらが申しておった通り、このままでは我らの権益が阻害されてしまうのは確かなこと。なにか、良い案はないか、アレオン伯爵」
「実は、とある提案を受けておりまして」
「ほう。詳しく聞こう」
こうして、別の立案がなされる。他人の失敗を目の当たりにしても、自分の欲得のために動くことを止めずにはいられなかった。自分も彼らの二の舞になるとは発想することはなかった。
『トマ、あいつはええ大人やし、嫌なことは自分でキッパリ断れる。でもなあ、フレデリクのやつはな』
唐突に出てきた王弟の名前にクリステルは驚く。
「フレデリク殿下? なにか悩みごとがあるかしら?」
アランと同じ金髪碧眼の美男子である彼の弟はすらりとしたしなやかな身体つきで、およそ弱みがあるとは思えない。
以前ジスランから聞いたことなどきれいさっぱり忘れていた。やることも覚えることも多いのだ。それに、任せていればジスランが良い様にやってくれる。
『そうやけど、フレデリクはそりゃあもう、こじれているで。生まれつきやもん。デキの良い兄貴がおって、おまけにどんだけがんばってもちょっとしたことで悪う言われる。流行に敏感でひと足早く取り入れていると「はしたない」て言われるんや』
「まあ! 確かに完ぺきなアラン陛下のことはともかく、王族が貴族のさきがけとなることはよくあることじゃない」
そのアンテナ力はクリステルには持ち得ないものだ。それさえあれば、社交界の会話に苦労しない。「すすす」と遠ざかられることもないのだ。
『そうやあ。なのに、それが悪く作用してしまっているねん。ちょっと軽そうな雰囲気があるからな』
「分かるわ。わたくしにも人に言えない好きなものがあるもの」
『そうやね。ぐうたら生活な』
宝珠の言葉を聞き流しつつ、クリステルは大いに同情する。
自分と少し境遇が似ているからだ。
クロードの弟妹たちは健康体になってからは兄のためにと励んだ。今や追い越され、完ぺきな侍従と侍女となっている。ふたりの前では気が抜けるからと、世話の指名をするものだから、王妃付きのお気に入りとみなされている。だが、たまに「どう? 完ぺきな礼儀作法でしょう?」とばかりの顔を向けてくるのだ。特にソファにだらりともたれかかっているときにやられると、「対して、お前はどうなんだ」と言われている気になる。
クロードの弟妹たちには追い抜かれてはるか遠くに引き離されてしまった。フレデリクは物心ついたときから、こんな心境を味わっていたのだ。さぞかし、面倒くさい―――もとい、傷ついていたことだろう。
さて、以前、クリステルにフレデリクの人となりを確認されたジスランは、王妃の意を汲み、自ら動いた。
結果、フレデリクを担ぎ出そうと策動する反対勢力の動きをいち早く掴む。
ジスランから報告を受けたクリステルは、まずはフレデリクの思惑がどこにあるかを把握するのが先決だと考えた。
ジスランの報告は宝珠が言っていた通り、フレデリクは不遇にあると示した。
けれど、クリステルはフレデリクに甘い言葉をかけなかった。うらやましかったからである。そして、それを正直に本人に伝えた。
「フレデリク殿下はうるさ方に心無いことを言われておられるとか」
フレデリクは自分の好きなもの、得意なものが裏目にでて、悪意を持って噂された。
王弟であり、それだけに優しい言葉をたくさん受け取って来た。面と向かっては甘言を、裏では暴言を吐かれる。なんとなくそれを分かっていた。
クリステルのように真正面からぶつかってきた人はいない。
続くクリステルの科白に目を見開く。
「でも、わたくしはうらやましい。殿下は陛下と比べ得るほどの御方なのですから。わたくしのような不出来な者では隣に立つことすらおこがましいことですのに」
正直な心情に度肝を抜かれる。今まで誰も、彼にそんな風に言ったことはなかった。意表を衝かれてできた隙に、絶妙のタイミングで王妃はするりと心に入り込む。
「殿下は殿下。陛下に足りない部分を補って差し上げれば良いのです」
国王とてすべてをひとりで網羅するのではない。
「果たして、わたしにできるだろうか」
「できます。フレデリク殿下の強みを活かすのです」
そうして、クリステルはにやり———もとい、婉然と笑った。悪い笑みである。悪い女の笑みに、温室育ちのフレデリクはどぎまぎする。
「頭の固いうるさ方が揶揄した分野で活躍あそばせ」
やりこめて「ざまあみろ」と言ってやる。これほど胸のすくどんでん返しもないではないか。
そんな風に言いながら、兄嫁はほほほ、という軽やかな淑女らしさと悪女めいたミステリアスさを、絶妙な具合で混ぜ合わせた笑い声をあげる。
フレデリクはフレデリク。だから、無責任な外野の声に翻弄される必要はない。ただ、兄王のために尽力すれば良い。
シンプルで、そして深い愛情がそこにはあった。
フレデリクはなにかと担ぎ出されるが、アランを賢王だと認めているし家族としての愛情もある。ならば、単純にそうあれば良い。王国のためになることを、自分ででき得る範囲で全うすれば良い。
そう言われて、すとんと心に落ちた。
これで、フレデリクは陥落した。
・クリステル・バダンテール
怠惰な(元)令嬢。すべてはぐうたら生活のために。
・アラン・バダンテール
国王。眉目秀麗。
・ジスラン・オラール
王妃の有能な補佐官。繊細な美貌。
・クロード・デシャン
子爵。騎士。武術に優れ戦略にも長けている。
・ジュスト
新進気鋭の商人。次期財務大臣のポストを約束されているとの噂。
・トマ
優れた建築家。
・フレデリク
王弟。流行に敏感。
・ゴデルリエ
公爵。
・アレオン
伯爵。ゴデルリエ公爵の腹心。




