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「元ぐうたら令嬢のいやいや王妃生活記」を書きなおしました。
初めから変更点があるので、
一度読んだという方も最初から読み直していただければ幸いです。
バデンタール王国には代々王家に伝えられる「宝珠」があるという。
「宝珠」は国王の伴侶を選定する。次期国王あるいは王太子の伴侶が選ばれる。
この儀式を「宝珠の王妃選定」と呼んだ。
これは、「宝珠」に見出され、のちに稀代の悪女とも聖女とも言われる、とある王妃の物語である。
不遇をかこつ優秀な臣下を見出し、未曽有の危難から王国を救う礎を築いた。一方で、宝珠の力を意のままに操ったと言い伝えられている。
さて、その真相はいかに———。
カバネル伯爵家の令嬢クリステルは恵まれた環境に生まれた。身分、財力、家族、そして容姿。
だが、ひとつ残念なことがあった。
怠惰な性質であったのである。
クリステルにとって貴族の子女としての役割は面倒で仕方がなかった。
「あ~あ、結婚したくない。家でずっとだらだらと暮らしたい」
今までのぬるま湯につかるような穏やかでのんびりした生活を、婚家では送れないだろう。
「だったら、せめて、家格が低いところへ嫁ぎたい」
家柄が良いところへ望む婦人が多い中、彼女の意見は違った。
「だって、向こうの方が立場が強かったら、あれこれ強要されるもの」
実家の方が強ければ、少々難ありの妻でも目こぼししてくれるだろうと考えてのことだ。
貴族の子女の義務は家門をより強固なものにすることだ。どうせしなければならない結婚ならば、伴侶に求めるのは見た目でも地位の高さでもない。そこそこの財産と広い心を持っていてくれたら良い。
まだ十代半ばのデビュタントを終えたばかりの年頃なのに、まるで人生に疲れ切ったようなことを考えていた。
そんなクリステルも慣例に従って、父親が決めた婚約者を持った。
ところがである。
「婚約解消?!」
どうやら、相手は難病にかかり、治療に専念するというので、婚約がなくなったのだという。
「ああ、もう、このままずっとうちにいられないかしら」
だが、貴族の女性というものは、実家にはいづらいものだ。お荷物だと認識される。
なにか良い手立てはないかと考えている際、「宝珠の王妃選定」が行われるという通達があった。
面倒くさがりのクリステルからしてみれば、社交に出かけるのも遠慮したい。だが、今回ばかりは出席するのは義務である。体調不良という言い訳は通用しない。
「宝珠の次期王妃選定」は、まずは一定以上の身分の未婚の適齢期の子女に招待状が送られる。恐ろしいことに、婚約者がいようといまいと送られてくるのだ。もちろん、クリステルのもとにも送られてきた。
クリステルは見物気分で出かけた。なにしろ、国宝である宝珠が未来の王妃を見出すというのだ。自分が選ばれる可能性などかけらも考えていなかった。
ところが、事態は予想もつかない方向へと転がる。
カバネル伯爵家はそこそこの家門でそれなりの財力を持っている。
馬車もドレスもまあまあのものだ。
侍女たちの手によって飾り立てられたクリステルは、若さと美しさで中々のものだった。
バダンテール国王宮は白鷺にたとえられる白亜の建物だ。馬車が何台も並走できる大通り、噴水を挟んだ向こうの正面玄関は大きく開け放たれ、夜をあざむくきらびやかさを放っていた。
「遠くから見ているだけだったら、楽しいんだけれどなあ」
きれいなドレスを着て鏡の前に立てば、クリステルとて高揚する。けれど、貴族連中との付き合いというやつが面倒きわまるのだ。
まずは、貴族名鑑を丸暗記する必要がある。
できれば、派閥を覚えると良い。それでいて、噂にも敏感でなければならない。浮き沈みを把握していなければ、うっかり、溺れる者の藁にされてしまって、いっしょに水底に沈むことになる。掴まれる前に逃げるべし。もちろん、あからさまではいけない。やんわり「すすす」と逃げなければならない。
次に、気持ちを押し隠してうっすら微笑む「貴族的微笑」が標準装備である。
たまに、大声で笑うひともいるけれど、そういう貴族はすでにキャラクターを確立しているのだ。つまり、「そういうキャラ」で済まされる。
そうでないのに、声を立てて笑えば、「はしたない」になる。特に女性など「はしたない」の烙印を捺されてしまえば、後々面倒なことになる。
先ほど出た、「噂」になってしまうのだ。
話しかけても、「すすす」と逃げられてしまう方になる。周りに誰も居なくなって、さみしいことこの上ない。
さらには話題だ。
政治と宗教の話は避けるべし。
もちろん、ややこしいことになりがちだからだ。
「もうね、お天気の話だけをしておきたいわ」
同じ歳ごろの若い子女と話すならスイーツの話でもしておけばよいだろうと思われがちだ。
「間違っているから、それ」
もし、相手がダイエットなどしていれば、とたんに機嫌が悪くなる。食べたいのに食べられないものの話をするのは酷だが、ならば、最初に言っておいてくれと思う。クリステルは一度痛い目を見た。
オシャレの話ですら、好みがある。流行に詳しくないのなら、相手の話をただただ拝聴するに徹する。
同年代の同性でさえ、こんなに気を遣うのだ。
年上の人間にちょっと背伸びをして、どこそこの貿易品がどうのという話をすれば、うっかり、相手の係累がその商品を載せた船の難破で大損していたということもある。
「あとはそう、季節の花の話をするのも良いわね」
無難。なんてすばらしい言葉か。
「なんていったって、難がない!」
人生はイージーに過ごすに限る。
とにかく、貴族社会は閉鎖的で面倒なのだ。そして、恨みは極力買わない方が良い。いつ、知らないところで逆恨みによる報復をされるか分からない。
クリステルは貴族的微笑を浮かべて当たり障りのない会話をしつつ、「宝珠の次期王妃選定」が始まるのを待った。
一生に数回程度しか見られない儀式であるからして、せっかく社交に顔を出したのだから、しっかり見物を楽しもうと思っていた。
そこここで小グループを作っては、どのご令嬢が選ばれるかと話し合っている。
「やはり、ブロンデル侯爵令嬢フェリシーさまが選ばれましょう」
「さよう。あの優し気で上品なうつくしさは、王妃にふさわしいでしょうな」
「それだけではありません。ブロンデル侯爵家が高い教育をほどこされたとか」
クリステルはそれを聞いて内心、顔をしかめた。ただでさえ貴族社会は窮屈に感じているのに、王妃教育なんて、とんでもないことだ。きっと、クリステルには一日と耐えられないだろう。
そうこうするうち、大広間にラッパの音がきらびやかに鳴り響き、招待客の注意をひく。
国王夫妻と王太子が登場する。人々は腰を低くし、頭を下げて主役が壇上に登るのを待った。
国王が「宝珠の次期王妃選定」の開始を宣言する。しずしずと緋色の座布団に鎮座する丸い水晶が運び込まれる。
猫足の台に座布団ごと置かれた宝珠はシャンデリアの輝きを受けてきらきらと輝いた。
どこからともなくため息が漏れる。
国王の話は続くが、クリステルは話半分で、つま先立ちしながら、宝珠を遠くから眺めた。なにせ、招待客は多いのだ。目立ちたくないから、後ろの方にいた。そんな彼女の耳に、はっきりとその声は届いた。
『ねえちゃん、なあ、ねえちゃん、聞こえているんやろ?』
ひと言で言えば、「訛りのきついおっさんの声」だ。
クリステルは戸惑って周囲をそれとなく見渡した。気ままに左右に首を巡らしたら悪目立ちするから、そっと目を動かす。
誰も驚いた顔をしていない。
幻聴が聞こえてきたのだろうか。
『わしや。宝珠や』
クリステルはしっかりと届く声の意味が分からなかった。
『宝珠がねえちゃんに話しかけているんや』
宝珠がしゃべった?!
まさか。
しかし、おっさんの声はしきりにそう主張する。うるさい。じゃま。
正確には、だれにも聞こえていない宝珠の声らしきものが聞こえるのだ。
クリステルは理性を総動員させて、知らん顔を貫いた。
厄介ごとに巻き込まれる予感しかしないからだ。それに、自分と同じようにふるまっている人間がいないとは言い切れない。
『なあて! ねえちゃん、無視すんなや! わしの言葉が聞こえているんやろ?』
しかし、クリステルの作った貴族的微笑こと張り付いた表情を見破った者がいた。
王太子アラン・バダンテールである。