見えてしまう周りと、見えない未来
病院だから仕方がないとは思うが、プライバシーというものは本当にない。
朝目覚めるのはアラームの音ではなく、他の人が一斉に測る体温計の音。
ピッピッピッピーピー
それがサスペンス劇場のテーマ曲のリズムに聞こえるのは俺だけだろうか?
それが、六時、十時、十六時、二十時に鳴り響く。
そして看護師さんがやってきて、測ったばかりの体温の数値そして前日のお通じとオシッコの回数の報告、血中酸素濃度や血圧の測定タイムとなる。
一日もいれば、同室の人の病気、病状、経過、使用している薬の種類、健康状態というのが嫌でも筒抜けになる。
そして見えてくる皆の病気とその状況。まぁナースセンターから離れた廊下の端にある病室だから本当にヤバい状況の人はいないにしても、それぞれが様々な病気と闘っている。
八人部屋のメンバー、一人はペースメーカーの電池交換、二人は透析、残り二人は癌でその内一人は摘出手術でもう一人は投薬治療。
最初の二日でベースメーカ手術の人と透析の二人は退院し、今度は静脈瘤の人と血管造影検査の人とペースメーカー取り付け手術の人が入ったきた。
ベッドが空く事はなく、入れ替わり立ち代り退院したら新しい患者が入ってくる。それは良い事なのか、悪い事なのかは判断付きにくい。
隣のヤクザのオッサンは癌。
頭はヘアスタイルというより抗がん剤の影響もあったのかもしれない。とはいえ年季の入ったスキンヘッドな感じから単なる禿の可能性もあり、何重にもデリケートな問題なので聞けない。
そしてオッサンが口当たりの良いコンビニスィーツを欲しがるのは無類の甘いもの好きというのではなかった。
甘いモノを食べる事で摂取カロリーを維持する為。オッサンは実はあまり食事を取れていない。
食事もうどんやお粥などサッパリしたものに変更してもらっているが、完食出来た事はない。そして栄養士の人に食事にヨーグルト等をつけてもらうようにしてもらっていた。
誰の方がより不幸とかラッキーとも言えないが、質素な病院食だとしても毎日美味しく食べられている俺はここでの生活に一つ喜びが多い分良かったとも言えるのかもしれない。
そしてここでは、ヤクザであろうと、会社重役であろうと、誰であろうと単なる患者となり等しく扱われる。部屋が多少良くなったとしても、パーソナル空間がひろくなるだけで、消灯時間は同じだし不自由である事は変わりない。
ここでは外の世界へは関係なくただの皆が等しく入院患者でしかなくなる。
それぞれ病気と向き合い闘っている。それが互いに分かっているから、不思議な戦友のような仲間意識もある。
互いに踏み込み過ぎず、それでいて友好的で緩い対話を交わす関係となる。
外の世界では絶対触れ合わないような、ヤクザと人の良いお婆ちゃんと何処かの会社の重役であると思われるおじさん。富士山を眺めながら、楽しそうに会話をしているという不思議な光景が結果生まれていた。
とてつもなく穏やかで安穏な世界。でもそれもここだからこそ成り立つ平和な形。
俺はそんな空気を楽しみならも窓の外に視線を向ける。病院横の道ではスマホで何か話しながらサラリーマンが足速で歩いていた。その姿を目で追ってしまう。
三日後に退院は決まった。とは言えしばらくは病院からも会社からも家での安静を命じられている。
先が見えてきたとはいえ、元の生活を取り戻すにはどのくらいかかるのだろうか?
奇しくも今、社会そのものまでもコロナという病気を抱えてしまった。俺の会社も職種によってはテレワークという方向にシフトし始めるという。
コロナのリスクが高い妊婦さん、傷病を持った人は特に優先的にテレワークとするように指示が出ているという。俺はまさにその対象。
今の俺にとっては、出勤なしで家で仕事ができるという事は助かるものの、どの程度元の業務をそれで賄えるのか全く読めない。
俺の体調のこと、社会全体のこと、全てに不安要素があり、未来がよく見えない。
俺は漠然とした退院後の事を考えながら、サラリーマンの姿が消えても、彼が向かったであろう先を見続けてしまった。




