外の世界
俺は手術の次の日しみじみと窓から富士山を眺めている。
朝、看護師さんが来て傷を確認し、試し歩行をして大丈夫と判断された事で俺はベッドから出ることを許可された。
まだ点滴チューブはついたままなものの、オシッコチューブも抜かれかなり自由を取り戻した。
歩行を許可されて俺が一番にした事は着替え。足元スースーとして心許ない浴衣タイプのものではなく普通のパジャマに着替えたかったから。
ホットタオルを使い身体を拭き、真新しいパジャマに着替えたらサッパリもして生き返った気がした。
食事も普通に食べて、自分で返却出来ることも嬉しかった。
嬉しくてもっと歩き回りたいが、安静と棟内フリーの間位の今の俺の状況。それにあと少しで点滴付ける時間なので部屋の近くでのんびりしている。ベッドに寝ているより立っていたかったから。
いつものようにお婆ちゃんがニコニコと挨拶してくる。今日は柔らかそうなコットン素材のデザインの帽子を被っている。毎回会う度に帽子が違っていてオシャレなお婆ちゃんだと思う。室内で更に病院内で帽子を被っている事の意味は察せられるが、あえてその状況においても帽子をファッションとして楽しむ所は素敵だと思う。
「良かったですね。まだ富士山見えますよ! だんだん富士山隠れて来ているので」
「あら今日は雲多いのね~」
カシャカシャカシャカシャ
お婆ちゃんはスマホ向けて連射する。設定を直してあげようかと思うが本人は楽しそうに撮影しているから良しとすることにする。
「そうそう、孫に富士山送ったらね、富士山の写真返してきたの!」
嬉しそうにそして自慢げにLINEの画面を見せてくれるお婆ちゃん。そこにはえらく大きく立派な富士山がデーンと映っていた。
「これは立派ですね! 静岡からですか?」
「山梨に住んでいるのよ」
それは立派な筈である。このサイズで見れるという事は麓に住んでいるのだろう。LINEの画面には祖母を気遣う優しく愛の篭ったメッセージも見えてしまう。
コロナ禍でも人の絆や想いは断ち切れる事はなくネットでしっかり伝わっているようだ。
お婆ちゃんの朗らかな笑みになんか癒される。
入院患者は、病人ではあるものの意外と元気なものである。寝ているだけって行為が意外と疲れるということもあるが、皆ジッとはしていない。
更に言うと退屈で暇を持て余している。
だから患者は点滴スタンド連れていようが構わず徘徊する人が少なくない。
患者同士は外来コーナーのように病気自慢することも無く、当たり障りのない平和な会話を楽しむ。
そういう意味で、この窓から見える富士山は最高な話のネタなのだ。誰の心も悪いように刺激せずに楽しく話せる話題だから。
そしてこの窓がテレビ、スマホに継ぐ外界の風景でもあった。
スマホを見ると、俺にも家族や友人から手術の成功を祝い俺を気遣う連絡が入っている。
それらに返信して、メールの方をチェックして俺は溜息をつく。会社からの連絡が数通。部長からは手術の成功を祝いつつ、今後の俺の治療計画とどのくらいから仕事に戻れるのか分かった段階で連絡が欲しいという内容。
そして同期の渡邉と部下の清水からの連絡は……仕事の問い合わせ。渡邉は友達でもあるし、俺への気遣いやエールの言葉もあり、俺が過去に関わったプロジェクトについての質問で連絡してきたのでまだ理解できる。
しかし清水は〇〇の作業がこれ以上進められませんとか、この作業どうするんでしたっけ? 巫山戯て居るのかと思うような泣きの顔文字の入った問い合わせ。
その質問の内容も過去に俺が何度も教えた事だし、俺が不在な時に困らないように作成したマニュアルに書いてある事。それを読めば即解決する筈なのにコイツは直ぐに俺に甘え頼ってくる。しかもこんなメールも入院してから初めてではない。
鳥頭で、甘えん坊の困ったヤツ。入社したばかりならばともかくもう三年も社会人していてソレというのも困った所。
俺はまず部長に現段階での状態の報告返す。渡邉には俺が分かる範囲での情報を伝えてから、清水に『まず、マニュアル読み、自分で調べる事をしてから聞いてこい!』と伝言を頼む事にした。
そう言っても直ぐ泣き付いて来るのが清水という男。直ぐに「時間がないから意地悪しないで教えてください」というメールが清水から来る。
入院してどういう状況か分からない相手にメールしてその返事を待つよりも、明らかにマニュアル読んだ方が解決は早いというのに。
俺が今日も返事出来なかったら、清水はその問題をそのまま放置するつもりだったのだろうか?
呆れながらも、抗生物質の点滴をつけ終わってから、点滴スタンドを連れてデイルームに行き電話でサポートする。
とはいえ、ムカつくのは変わらず、電話でしっかりキツめに叱る事は忘れない。
後から渡邉からはちゃんとお礼のメールがきて、清水を俺の分の叱っておいたと報告があった。俺と渡邉二人から叱られて、清水の他力体質を改めてくれると良いが……。
以前と変わらぬ世界が外にあり、それが自分とまだ繋がっている。
あの厄介者の教えて君に対して安堵に似た感情を抱く日が来るなんて思いもしなかった。
困った奴だよなと電話で渡邉にグチを漏らしながらも、仕事に関する話を出来ていることが嬉しい。
そのやり取りで、社会からまだ必要とされている自分というのを会話から感じられる。
会社からこんな形で唐突に離脱してしまったが、自分にはまだ戻る場所がある事は幸せなのかもしれない。
同時に退院後の生活というのも具体的に色々考えといけないと気持ちを少し引き締めた。