遠回りに思えても
「遠回りシリーズ」をまとめて【連載版】としました。一話は「遠回りに思えても」の内容そのままです。
遠回りに思えても
「貴女との婚約は破棄させて頂く」
あ~あ、ついに来ちゃったよ。やっちゃったよ、王子様。そりゃイカンよ。
僕はたった今、公開婚約破棄会場と相成ってしまった学園の中央広場に野次馬の一人として立っていた。固唾を呑んで見守っていた訳だが、目の前の演劇さながらの立ち回りを繰り広げるお貴族様方を呆れた目で見ていたのも事実だ。
この国最強の武門を誇る公爵家御令嬢のシェリーレイ様を、あろう事か公開で辱めたのはこの国の第一王子様。名をフェリキスと仰る。当然の事ながら直接名前をお呼びすることは無い。歴とした身分差を考えれば当然の事だ。これからもお呼びすることは無いハズ。
しかしまぁ、平民も通うこの学び舎でよくもやってくれやがりましたね。内紛が起きるだろうな……。平民でさえ、シェリーレイ様が多大な影響力をお持ちである事を知っている。文武に優れ、眉目秀麗、人徳もあれば公平さも併せ持つ素敵美少女だ。学園人気ナンバーワン。
それは置いておくとして、彼女の王国での立場が不動のものであることは周知の事実だ。次期王妃確定。王国最古の貴族家、忠臣である公爵家はいくつもの辺境伯を束ねる大貴族である。敵に回したら最後、生きゆく道は王家でさえないハズなのに……。解せん。
そんな方を振る?
我々平民には分からない事情があるのだろうけれども、そんな方を振る?
自らの立場が危うくなる事すら分からないのか?
そんなはずはないか。
無いよね?
あー、お家騒動はぜひ平民を巻き込むことなくやってくださいよろしくお願いします。と言っても、僕の家は確実に巻き込まれるのだろうなぁ。結構影響力出てきた商家だからな。最近漸くお貴族様との付き合いが増え、学園に通うだけのコネクションを掴んだと思ったのに。波乱が待ち受けているのが嫌でもわかってしまう。
我が家は王室御用達の鍛冶師や服飾師を抱える商家へ急成長した家だ。僕で三代目になるハズ。順調にいけばね。三年通う学園の最終学年にいる僕は、学生生活を通して、かなりお貴族様方との顔繋ぎが出来たと自負している。当然次期伯爵やら子爵、男爵といった方々で、王族や侯爵、公爵などの方々は含まれない。
公正な学園とは建前で、上の方々は普段会うことすら叶わない。学年が同じでもクラスが違えば、フロアも違うし、学ぶ建物さえ違うからな。
「おい……」
袖口を引っ張られ、低い声をかけられて振り向けば、苦虫を噛み潰したような顔が僕の目の前に。彼は学友の辺境伯令息、クレイスハルト様だ。学園最強の剣士。剣を振れば向かうところ敵無しの御仁。しかし僕には頭が上がらないらしい。一度鍛冶師を紹介してあげただけだけど、その紹介が関係を良好なものにした。紹介先が知る人ぞ知る伝説の鍛冶師だったそうで。
それはさておき、彼はその実力を買われて王城勤務が内定しているそうだ。つまり近衛騎士。僕は個人的に近衛騎士のコネクションを得たことになる。そして我らが学び舎の建物の中では最上位の人だ。
やったね。
と思ったのもさっきまでだ。
内紛確定の婚約破棄騒動が今目の前で繰り広げられているのだから。そして将来近衛騎士であるこの目の前の御仁クレイスハルト様のお呼び出し。クイッと顎を向けられて、校舎の角へ連行されたわけだ。
続きをまだ見ていたいんだが、そうもいかない。野次馬終了である。
「単刀直入に聞くぞ、フレイル」
フレイルは僕の名前ね。学園最強の剣士、次期近衛騎士、辺境伯令息というたくさんの肩書きを持つクレイスハルト様は、これまた腹が立つほど眉目秀麗で、つまりイケメン。しかし天は二物を与えずというか、性格が悪い。いや、既に強くてイケメンだから二物あるな。立場もか、ちっ。
群青色の髪を少し流し、均等に整った輪郭や鼻筋のライン、切れ長の目は全てを見通しそうな澄んだ蒼。死ねばいいのに。
「どっちに付く?」
はぁ、とわかりやすいため息を吐いた。彼の後ろに立つ従者や取り巻き達が一瞬顔をぴきりと強ばらせたのを見たが、今更である。不敬だって? 知らん。
どうやら彼もこの騒動が、自分の将来を大きく左右することがわかっているようだ。と言うよりも、わかってないのは王子様とその周辺だけか。
「答えるとお思いですか? クレイスハルト様」
「やめろ」
イケメン死ねばいいのには、僕の様呼びを嫌がった。クレイスハルト様は僕といつも同じ目線でいたいらしく、持ち上げると嫌がる性質がある。だからわざと恭しく振る舞う訳だが。僕もまぁ大概ひねくれているってわけだね。
「じゃ、ヒントだけ……うちの商品はもう流行らないだろうね」
「そうか……」
これでわかるのなら彼も見所があるという事だ。上から言っている自覚はあるけれど、貴族じゃなくても王族じゃなくても国は動かせる。
話は終わったと勝手に理解して、僕は野次馬の方へ戻る振りをして足を進めた。彼とのすれ違いざまにメモをポケットに忍ばせる。せっかく掴んだコネクションだ。最大限に活かそう。
クレイスハルト様はちゃんと意図を掴んだようだ。何事も無かったかのように振る舞う。きっとメモは自分一人の時に見てくれるだろう。
どうやら演目は終わったようだ。
呆然と立ち尽くす公爵令嬢は見ていて可哀想だった。
真昼間に行われた公開処刑のような婚約破棄宣言。学園は震撼していたが、その後の様子は知らない。僕は午後の授業を受けずに、実家へ引き上げてきたからだ。荷物も何もかも寮から取り出して。
荷物を目にした商家の侍従が、一人は僕の荷物をひったくるようにして代わりに持ってから付き従い、もう一人は旦那様、僕の父上に報告に上がったのだろう。慌てて姿を消した。
スタスタと三階の執務室にノックもせずに押し入る。
「おかえり」
「ただいま」
これだけで多くを話した感覚がある。
息子が荷物まとめて帰ってきた。つまりはそういう事だ。
商家の息子として、僕は父上にいつも報告をしている。学園で起こる様々な事を詳細にだ。どんな些細な事でも商機になるのだから不思議だ。当然、婚約破棄騒動はこれから報告する訳だが、父上の事だからあらかた想像出来ているに違いない。
物事には因果がある。婚約破棄に至るまでの経緯なんてすぐに理解できるものだ。王子様やその周辺の動きは誰でも知っている。建物が違っても、フロアが違っても、人の口に戸は立てられないからだ。
「今日中に通達が必要ですよ」
「だろうな……おい」
これだけの会話で第二秘書が動く。第一秘書は目線だけで第三秘書を側へ呼びつけて何事かをこっそり話し、両方出ていった。残されたのは父と子の二人だけ。
「相変わらず優秀ですね……」
嫉妬とも呆れともつかないため息を吐く。
今日をもって我らが商会、アンドレッド商会は王都を撤収する! そんな宣言が出されてから慌ただしくアンドレッド商会王都支店はたたまれた。鍛冶師、服飾師、傘下の露天商、旅商人、富豪の大店の提携店に通達がなされ、静かな大移動が夜中に敢行された。
王都の門番に大枚を叩き、貧民街のある南門から馬車が何台も通過していく。先頭は商会長と大旦那、若様の三人だ。つまり祖父と父と僕。そして系列の者達。
築いてきた関係もなんのその、王族御用達の鍛冶師も服飾師も全て撤収させた。彼らは元々王都に連れてきた者達だから、連れて帰ってもなんの問題もない。我々と一蓮托生の人生を覚悟しているし、同じ嗅覚の持ち主だから、昔から代を重ねる度に関係は強固になっている。王家御用達などという肩書きでもそれを捨てる事を厭わないくらいにもう家族だ。関係を切るなら王家でしょ? くらいの間柄なのである。
こんな大それた決定をするのも、公爵家のせいだ。大枚叩いて傭兵を雇うのも、門番に握らせるのも、命あっての物種だし。王都にいれば確実に紛争に巻き込まれる。敵に回してはいけないものを王家は敵に回した。
商人たちはこれからすぐに王都を去る者もいるだろうし、ギリギリまで、富を貪ってから撤退する家もあるだろう。逃げられないのは王都古参の店だけだ。それも大部分は縮小させているだろうから、彼らも上手く立ち回ることだろう。商人の商魂を舐めてはいけない。
我がアンドレッド商会の建物は、商業ギルド経由でいくつものライバル商会、主にうちを目の敵にしている者達へ噂を流し、結託させて大金で買わせた。我々は夜逃げせざるを得なかった様な形を取ったわけ。ある意味間違いでは無いけれども、将来的にざまぁされることになったと知った時にはもう遅い。うちの系列の建物のほぼ全てを相場よりもかなり高い設定で買わせたから、うちを追い出すために借金した商会もあるだろう。
我々の行き先はクレイスハルト様のいる辺境伯領と件の公爵領との間にある伯爵領だ。元々そこの出身だし、家族も住んでいる。商会長は王都支店の定期視察に来ていて、大旦那は支店を切り盛りしていたのだけれど、将来的には僕に任せるはずだった。
悔しいと言えば悔しいが、沈みゆく船に乗る趣味はない。
そもそも詳細な報告をして撤収するよう進言したのも僕自身だ。
入学から最終学年になるまでに集めた情報から、今の選択に欠片の迷いさえ無い。それに卒業までの単位は既に取っているし、卒業証書も郵送処理の手配を済ませている。そんな事が可能なのか? 大枚叩けばね?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
困ったことになった。
ポケットから取り出したメモを一瞥してすぐに暖炉の火へ投げ込む。内容は簡単だ。
『王都撤収』
誰が? 言わなくてもわかる。友とその関係者全てだ。彼は自身の商品は「流行らなくなる」と言った。つまりもう王都で商いを行わないと言う事だ。一切合切の商売を、商品を納品することは無いと、そういう事だ。今まで仕掛けてきた商業戦略、営業、根回しなどの全てを止める。徹底しすぎな気がするものの、それも彼の言う商機なのだろう。恐ろしい。
凄腕の商人を敵に回してはいけないということだ。王家が敵に回してはいけない公爵家と同じようなもの。いかん。近衛騎士の内定を得たとはいえ、この国は終わりだ。いや、王家が終わりだ。公爵家が擁立する次世代の王とその家族が新しい王家になるだろう。
今代の王は聡明な方だったが、国はたった一人で運用するものでは無いし、次代の者が時勢を読めないのではダメだろう。長く続いた王朝の終焉を、自分の時代に経験する事になるなどと、誰が想像出来るものか。いや、予測はできた。あの王子とその関係者達が歪んでいたからだ。将来を危ぶむ声は、入学してすぐに囁かれだしていたから。
婚約者を大事にせず、あまつさえ市井出の男爵令嬢にうつつを抜かし、逆ハーレムになっている事にも気付かない連中。一部の平民達は、玉の輿ドリームを目の当たりにして盛り上がっている様だった。お気楽なものだ。政治に関わることの無い者たちにとっては一種のスキャンダルも大歓迎なのだろう。
貴族にとってはそうでは無い。
どの大貴族に付くかで今後の政治が変わってくるし、負け貴族になってしまえば領地の移動や、左遷、権威剥奪も有り得る。勝ち組になれば、言うこともないが。子爵家や男爵家は、時勢を見極めることが全てと言っても過言ではないほどの不安定な立場なのだから、中立をある程度保って、日和見をかます。処世術と言ってしまえばそれまでだが、大貴族の私からすれば、『お気楽』なものだ。とみに思う。
我が辺境伯領は王国から孤立した南部の大領地だ。境界をさらに南に向けば、魔物が跋扈する魔境で、いつも戦闘を余儀なくされている。だからうちは強いと自負している。武門最強の公爵家の騎士団にも引けを取らないのではないかとさえ思う。
根拠は公爵家とその傘下出身の学生達の練度を見てのものだ。私は学園最強の剣士として三年間を過ごしてきた。公爵家の連中を差し置いてだ。この世代の者達の強さなら、将来的には追い抜けるのではないかと思ってしまう。自領の騎士達は本当に強いからだ。彼らに鍛えられた腕が、王都で通用どころか、認められ、近衛騎士に斡旋されるのだから自信もつく。
現役の公爵家の騎士団が最強だとしても、それに匹敵する程の強さは得られているのではないかと邪推してしまってもしょうがない。
とは言え、うちは孤立した領地で、傘下の貴族達はほぼ辺境伯領の中にいる。割譲している領地の税はほとんど我が領に納められている。一種の王国と言ってもいい。自領権というものを持っている王国唯一の領地だ。肥沃な大地、天然の要塞、精強な軍隊。全ては王国を魔物から守る盾としての権利で、王国への税が免除されている。その代わりに王国からの支援もほとんど受けたことは無い。
宛てがわれた学園寮を出て、私は一路王都にある伯爵別邸へ向かう。面倒臭いが馬車に乗り、あれこれと今後に思いを向けた。さて、どうしたものか……。
エントランスを抜け、父の書斎へ通されることしばし。ソファに身を預ける。やがて父が部屋へ入ってきたため立ち上がろうとした。
「そのままでよい」
威厳のある力強い声に萎縮する事もなくなったが、昔はよく背筋が凍ったものだ。
私は近衛騎士の内定の話や昼に行われた蛮行を報告した。
「内定は取り消す。異論は?」
首を横に振った。あるはずもない。むしろこちらから働き掛ける手間がなくなって助かった。
「お前を王家にくれてやる理由はないからな」
不敵に笑った父の顔を見て、その愛情をこの身に感じる日が来ようとは思わなかった。目頭が熱くなるのを感じたが、それを勘づかせると叱られる。背筋を伸ばして父を見た。
「父上、ファナザイル伯爵との契約は……」
「ああ、無事に終わった」
かの伯爵は我が友の実家、アンドレッド商会本店がある領地だ。公爵家を寄親にもつ最大派閥の一角。しかし、我が辺境伯家が狙うのはこの家との関係ではない。この三年で得た最大の功績と称されるのは、私のコネクション、アンドレッド商会との取引が可能になった事だから。近衛騎士内定よりも喜ばれたのだから、この商会の重要性は最早計り知れない。
ファナザイル伯爵と我が父辺境伯、そしてアンドレッド商会との面談が成立し、晴れて辺境伯領への出店、取引、税などの取り決めが交わされた。物流の流れが一つ増えたことによる経済効果は大きい。
私がフレイルと対等でいたいと思うのはこの関係が将来を左右することを肌で感じているからだ。貴族としてへりくだる訳にはいかないが、上からものを言いつける様な間柄では、寝首を搔かれる事になる。そんなのは御免こうむる。
二人してそっとため息をついたが、目が合ってお互いに笑うのも同時だった。
「して、アンドレッドの倅はどんな人物だ?」
「フレイルですか……学園切っての麒麟児と言われていますね。性格は悪いですが、身内と判断した者には誠実なヤツです」
「ほう……」
父も次代のアンドレッド商会の旦那がどんな者か気になっていたのだろう。自分で得られた情報と私から直接聞いた印象や、報告で色々と判断なさるのだろうな。
私はいつも余裕そうな顔をした、捻くれ者の友を頭に浮かべながら父に為人を話した。くすんだオレンジの髪を後ろで束ね、黒眼の二重。人の良さそうな童顔とは全然マッチしない冷徹な考え方を口にする男。私の友人についてはなぜか褒めたいと思うことが口から出ない。嫉妬だろうか……?
数日後、私の近衛騎士の内定はこっそりと取り消されていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「フェリキス様……」
言いようのない感情が私を襲った。
婚約破棄?
なぜ……?
王妃教育を受けた私に対して?
王家を支える一助となるために、王から請われて成立した婚約を破棄?
あまりにも常識外れた行いに、着いていけなかった。
場は王子の独壇場で進んでいく。
嫉妬、苛立ち、憤怒、様々な感情が体を巡ったものの、表情はいつも通りだ。いかなる時も人前で感情を晒してはいけない。教育の成果はこんな時も働いてくれる。
悔しくて悔しくて仕方がない。何年も何年もかけて培った王妃としての立ち居振る舞いが無駄になった。不誠実な相手に対して抱いてきた我慢も限界に近かったから、その関係が無くなったのは救いかもしれないけれど。
私が何をしたというの!?
冤罪をかけられ、評判を傷つけられ、社交界での立場まで危ぶまれるように追い込まれるなんて。
私は笑えなくなった。
自室に閉じこもったまま数日が過ぎていく。幸いにも教育課程は終了しているため、卒業は可能だ。そのことだけは内心ほっとしている。
思い出せば思い出すほど受けた理不尽に怒りと悲しみが沸き起こる。
あの日のお父様はそれはそれは怖い顔をなさっていた。もちろん私に向けたものではなかったけれど。そんなに感情をむき出しにしていいものなのかと、口に出すことさえ出来ないほどの覇気を有していらしたから、何も言えませんでしたけれど。
一度強く抱きしめられ、そっと頭を撫でてくださった時には、思わず泣いてしまった。王妃教育もなんのその、父親の愛情の津波によって心の防波堤は尽く決壊してしまったわね。だけど、みっともないとは思わなかったし、この時ばかりは流石に淑女としての注意を受けることは無かった。
『ぶっ殺す』
物騒な言葉が父親から聞こえたような気がしたけれど、私は空耳だと思うことにした。自分の嗚咽で耳が正常に機能していないのかもしれない。
父は優しく気遣わしげにエスコートしながら部屋へ連れていってくれた。
くよくよしていても仕方がない。私はスッキリした頭で目覚めた。感情をコントロールするために要した時間は三日。未熟と言われても仕方ありませんわね。
縁談が舞い込んできたのはその日の午後だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「驚きました……【蒼き剣】と【暁の麒麟児】がなぜこちらに?」
公爵家の広大な庭園に設けられた東屋に、クレイスハルト様とシェリーレイ様と僕フレイルが面会したところだ。公爵令嬢シェリーレイ様が【蒼き剣】と表現したのはクレイスハルト様の事で【暁の麒麟児】とは僕の学園での二つ名のような呼称だ。恐れ多くも天才の様な扱いを受けているらしい。
しかし驚いたのは僕の方だ。クレイスハルト様をご存知である事は理解できるが、僕とは初対面だ。なぜご存知なんだろう?
顔に出ていたのか、シェリーレイ様は手を口元に当ててからクスリと微笑まれる。絵になる人だなぁいちいち可愛らしい。
「【蒼き剣】と【暁の麒麟児】を知らぬ者など学園にはいませんよ?」
僕たちが学園のテラスで話し合っているのをよく見かけたようだ。【蒼き剣】を知らない人はいない。これは事実だ。毎年剣術大会で優勝するのだから、目立っている。初年度から上級生を打ち破り、三年間首位をキープしてきたのだから。【暁の麒麟児】が知られているのはそんな【蒼き剣】といつも親しそうに話しているのが誰なのかと話題に上がったからだ。調べればすぐに【暁の麒麟児】に行き着く。
辺境伯令息に近づくあの無礼者は誰かと、騒ぎ立てた者もいる。そんな時は【蒼き剣】が「貴様こそ誰だ」と牽制するし、【暁の麒麟児】は舌戦において敵はいない。成績優秀でいつも上位10位以内に必ず名を連ねる。麒麟児と称されるのは、平民なのに貴族教育を受けた者達を成績において凌駕するからだ。貴族が持つ特有の能力を持たないがゆえの10位以内。座学において右に出るものはいない。
シェリーレイ様はそんな説明を僕達にわざわざお話くださった。照れくさいったらない。
今彼女の邸宅の庭、それも東屋にいるのは、お忍びで公爵家に招待されたからだ。シェリーレイ様は伏せっていたらしく、立ち直ってすぐこの東屋に足を向けるよう侍女達に促されてやってきたところだったらしい。
「お初にお目にかかります、アンドレッド商会の筆頭支配人フレイル・アンドレッドでございます。以後お見知り置きを」
「ご丁寧にありがとう存じます。ご存知でしょうけれど、私はガンフォール公爵家が長女、シェリーレイ・フォン・ガンフォールですわ」
挨拶を終えたら、クレイスハルト様に場を譲るようにして一歩下がる。貴族の会話に平民がしゃしゃり出るものでは無いから。そんな態度もクレイスハルト様は気に入らないようだったが、空気は読んでくれた。
「ここにいる理由でしたね。私たちは親の付き添いのようなものです。公爵家、辺境伯家、アンドレッド商会の面会が今日というわけです。そして私達は同級生ですから、少しは会話になるのではないか、とここへ通された次第です」
建前だけをまず令息は並べ立てた。ひとまず口上を受け入れたシェリーレイ様は、東屋の椅子へ腰掛けるよう僕達を促す。それを合図に公爵家の侍従たちがティーセットを準備し、あっという間にお茶会の準備が終わった。素晴らしい働きだ。こんなところにも学びがある事に口端をあげる。
「何か良いものがございまして?」
ずっと黙っていた僕に、公爵令嬢は水を向けた。
「いえ、さすがは公爵家の方々は動きが洗練されているな、と僭越ながら思ったところです。我が商会にも取り入れたいスマートな働きに感服いたしました」
「まぁ、お褒めに預かり嬉しゅうございますね。後で聞かせてあげましょう。きっと喜びます」
それはそれは嬉しそうにフフっと笑顔を向けたシェリーレイ様は本当にお綺麗だ。誰だよ、こんな素晴らしい方を婚約破棄なんて……。家の者達の働きをちゃんと誇れる主人という構図がもう満点だ。家の者達ともかなり良好な関係を築いているに違いない。
私達は少しの世間話に花を咲かせた後、本題に突入した。
「さて、ガンフォール公爵令嬢」
「何かしら、というより待ってください。その呼び方何とかなりませんの?」
他人行儀で堅苦しいと仰る。
「どうぞ、シェリーとお呼びくださいな」
呼べるかよ! って叫びそうになったがグッと堪える。この場だけでも、とおねだりされて断れる神経の持ち主は一回底なし沼に嵌ればいい。
「では、シェリー様」
様もいらないと上目遣いに言われたけれど、そこは徹底して断る。仕方ないか、と肩をすぼめて【蒼き剣】と意気投合した公爵令嬢は背筋を伸ばした。
「もうすぐ私達も招集されるでしょう。それで、貴女とクレイスハルト様との縁談が持ち上がるはずです」
「まぁ」
あまり驚いていない反応に見えるが、彼女の王妃教育の賜物だろう。実はだいぶ驚いていると思われる。
「ですが、今だけは選択肢があります。ここから逃げ出すなら、助力は惜しみませんよ?」
最初何を言われたのかわからなかったようだが、ここ一番の笑顔を見せたシェリーレイ様は理解した途端に雰囲気をガラリと変えた。武門の家の獰猛な目をしていた。
「いいえ、必要ございませんわ。私はガンフォール公爵家令嬢シェリーレイ・フォン・ガンフォール。仮令どんな蔑みを受けようと、その誇りまで失いたくはありません」
キッパリと言い切る公爵令嬢は貴族の誇り高き矜恃を優先された。貴族として純粋に育てられた者の気迫を僕はクレイスハルト様以外で初めて目にした。この方は本当に……。
「試すような言葉の数々をどうぞお許しください」
「よろしいのですよ。貴方も私個人の幸せを優先してくださったのでしょう? 許すも何も、感謝こそすれ、咎めは致しません。ありがとう」
惚れてまうやろ。いや、惚れんけれども。横を見れば、唖然としていたクレイスハルト様は急に顔を赤くしてそっぽを向いたし。墜ちたな、落ちたか?
「それにしても、クレイスハルト様はよろしいの? 近衛騎士になられるのでしょう? 王城勤務では私との関係で辛い思いをなさるのではなくて?」
「心配には及びません。内定は取り消されたはずです」
まぁ、とまた驚きの言葉を無表情でなさったが、僕もそれは初耳だから驚いた。クレイスハルト様曰く、あの日に辺境伯と話し合い、内定を取り消したそうだ。アンドレッド商会の動きに合わせた形になる。表立った理由は後継ぎ問題が発生したためだ。もちろんなんにも発生していないが。
「では私は辺境伯夫人になるのでしょうか」
まるで明るい未来を見据えた様な眼差しに僕達は戸惑う。彼女が感じていた闇の深さから来る明るさなのだとしたら、クレイスハルト様の責任は重大だ。幸せになるといい。あと縛られて海底に沈めばいいのに。
明確な返事を返す前に、僕達は大人達の呼び出しを受けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
困ったことになった。
これから婚約をする相手である公爵家令嬢シェリーレイ・フォン・ガンフォール嬢だが、可愛すぎる。凛とした姿も然ることながら、お茶目におどける仕草も、時折見せる獰猛な目も、貴族として見せた矜恃も、私が求めていた人そのものだ。
顔が熱くなるのを感じる。
フレイルに言わせれば、貴族のどんな人間も自分とは相容れないとの事だが、住む世界、見えるもの、生き方そのものも、商人とは違うのかもしれない。求めている基準がそもそもが違うのだろう。ライバルにならないことに安堵した。勝てる気がしないからな、剣術以外では。
父親から聞かされた内容はまだ二人にも言えないが、もうすぐ開示されるだろう。私の我慢ももうすぐ終わる。
大人達が画策している計画はとんでもないものだ。王朝の終わり。簒奪を最初は企んでいたようだが、大幅修正されたらしい。アンドレッド商会の働き掛けによる作戦が、王国の喉元に刺さる予定だそうで。
これから景気が悪くなる王都。物流の流れが停滞し、物価の高騰が年々続いていく。パン一個の値段が、今の10倍にまで膨れ上がるまで、きっと城の者達は気が付かない。汚職が蔓延している事に手を打ってこなかったからだ。住民の不満は王まで届かない。
王子は傀儡の王になるよう幼い頃から静かに育てられてきた。正しき事を教える者は気付かないうちに遠ざけられ、甘やかされる。王子はそういう意味では可哀想だった。親子は離され、ろくに愛情をかけられることなく、我儘に育てられて行く。まともな者達は将来の展望が暗いものと見るや、改善不能と判断するや、王都から出ていった。
第一王子派と呼ばれる者達は自分の娘や息子を王子近くに侍らせ、思考を誘導している様だった。王国の行く末を危惧していた公爵は自身の娘を王妃教育に出し、軌道修正を図ろうとする。王家への忠義のためだ。そこでシェリーレイ嬢が王妃となり、王国を支える柱となるはずだった。
王家は彼女をすぐに受け入れる。大変優秀だったし、見目も麗しかったから。彼女のおかげで王国は保たれるだろうと、安堵していた。学園における成績も優秀で、王子を諌める時には勇気を示した。王家からも信頼は厚かったのに。
王子の不貞はますます王家の頭痛の種になっていく。
そして婚約破棄。
娘を酷く扱われた公爵は激情に燃える。一気に王族を糾弾する手筈を整えて、徹底抗戦の様相を醸し出した。
こうして内紛は確定された。
今ココだ。
しかし、父の動きも早かった。内紛で揉めている間に、魔物や辺境の蛮族からの攻撃が激化する事が目に見えていたからだ。とにかく公爵の怒りを鎮め、内乱の激化を最小限に抑える方法がないかを思考した。
出ていくアンドレッド商会、息子の近衛騎士内定取り消し、公爵令嬢の婚約解消。全てのピースを繋ぎ合わせ、導き出した答えが……。
辺境伯領独立と公爵家への縁談申し込みだった。
先のない王家を見限り、独立するのは簡単だが、すぐ北の公爵家を敵に回す訳にはいかなかった。武門最強を誇る公爵家が後ろで敵対すれば、蛮族や魔物との戦いに集中出来ない。
最善策に思えた。
だからガンフォール公爵が今言った言葉に全員が言葉を失った。
「それなら貴方がこの国の王になればいい」
と。
「「は?」」
公爵は全面的にバックアップすると言う。何を言っているんだこの人は。
「元々王家の血を引く貴方が王になったところで、なんの問題もなかろうよ。なんだったら今ここで忠誠を誓っても良いぞ」
忠誠を誓う者の態度とはそんな上から言うものか?
公爵の怒りの度合いを知った。
歴史を正確に知る公爵は、辺境伯を田舎者と蔑むことはなく、むしろ王にする気満々だった。立場が逆転しようとすまいとお構い無しだ。娘への侮辱が家への侮辱。そう言われれば、納得も行くものだった。王家は忠義の貴族を裏切った形になる。
簒奪をほのめかす公爵に逆らえる者はいない。なんせ王国ナンバーワンの貴族だからだ。形だけの王家とは実権の差が明らかで。
そこへ待ったをかけたのがアンドレッド商会の大旦那だ。
実力行使も正攻法ではあるものの、簒奪は禍根を残しませんかと。ここは我々商家の力をお使いになられませんかと持ちかける。寒気がした。
王都から一晩で撤退を完結させたから、これから王軍の軍備が弱っていくと。じわじわ力を削いでいくそうだ。御用達の鍛冶師は撤退させたし、王都に残るのはなまくらしか打てない見習い程の腕しかない職人ばかり。
商業ギルドからも優秀な人材は引き抜いたという。上の者達は賄賂を求め、下の者達は脱税を図ると言うし。王都の惨状に頭を抱えたくなる。近衛騎士の内定を取り消して貰って助かった。
さっきまでシェリーレイ嬢との婚約に対して浮ついていた心が引き締まる。
明らかにこの時歴史は動いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あの日からひと月が経過した。
私たちの婚約は静かに結ばれ、私は次期辺境伯夫人、いえ、新王朝の王太子妃になる事が決まった。たった三日で全てが変化する。私の受けた傷は浅くはないけれど、感傷に浸る暇は無い。
王妃教育を修めたとは言え、実践はこれからだ。公爵家の城で実務経験が始まった。学園では取り巻きの貴族たちがいたものの、彼女たちは臣下ではない。本当の意味で、人を動かすとはどういう事かを学ぶ。社交を通しての人脈作り、情報収集、女性ならではの仕事が多岐にわたるものだと実感した。学園での社交がお遊びだと思わされるほどに。
そんな忙しい毎日の中にも憩いのひと時を大人達は設けてくれている。
「そんなわけで、シェリーには悪いけど今回は僕の勝ちだね」
「フフ、それは残念です」
「ちっとも残念そうじゃないな、シェリー」
アンドレッド商会の若旦那、フレイル・アンドレッドはあの日から私の大事なお友達で、よく色々な勝負をしている。些細なものから王国の将来を揺さぶる事案まで、大人たちの暗躍を予想して言い当てる遊びね。あまりにも楽しくて笑っていると、婚約者様が私を呆れたように見てお声をかけてくれる。
フレイルは三人でいる時はついに態度を崩してくれるようになった。あまりにもしつこく二人でお願いしたから諦めてくれたのよ。
彼らは忙しいながらも合間を縫って我が家の東屋に訪ねて来てくれるから、息抜きになるし頑張れる。今はもう王妃教育を受けたことを恨むことは無い。いや、むしろ感謝してもいいと思えてきたから成長したなぁと思う。
時々入ってくる王都の情報に眉を寄せることはあるけれど、もう知ったことではない。転落する彼らのことは、自業自得と思うよりほか何もないのだから。
婚約者を蔑ろにし、他の女性と仲良くし、冤罪をかけてまで関係を壊してくる者の将来を気にかける時間は私にはもうない。瞬きの時間すらあげるつもりもない。時折記憶と夢が邪魔をするけれど、キッチリ蓋を。
これからはクレイスハルト王の横に立つ妃として。
私は私のこれからの人生に目を向けよう。
仮令遠回りに思えても。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。