他人の考える「つまらない人間」であって良い理由 お前の中でつまらなくても別に構わない
他人の考える「つまらない人間」というのは
その他人の短い範囲内において「つまらない人間」という指定なので非常に狭い事が分かる
これによってつまらない人間・いらない人間と言われようとも別にどうだっていい
そういう人は「スクールカースト思考に収まった狭い人間」だからだ
結局そういう人は社会人になっても主婦になったとしても辞めようとしないし
どこかしらで痛い目を見ているだけなので時間が無駄
つまらない人間というのは殆どブーメランで終わる
「自分がしたい事をすればいい」と擁護が出るが、そもそも自分がしたい事というのは
枠に収まった事でなければ出来ない訳だ
例えば「風俗の女全部呼び集めたい」ならそれは出来ない光景だ
自分がしたいというのは自分が昇華出来る事柄でなければならない
つまらない人間になろうとも、それは自分自身がつまらなくなった訳ではなく
つまらない人間だと言う人間がつまらないだけなのだ
AAや画像であったように「お前の中ではな」という言い回しの方がしっくり来る
要は自分自身に合った思考回路をする事が是だと思う
これは「つまらない人間」と言ってくる他人について例を出した話だが
スパルタなどもそれに値する「自分に合わない感性の押しつけ」だから、マジで相手にしない方がいい
うざかったらうざいって言った方がいい それは怒ったように言うのでなく「うざいと思います」っていうように
スパルタなんかは特に「こうしなければ」という「修正してやる」タイプの人間だから自分にとって害にしかならない
もっと言えば、今後の人生がそいつのせいで粉々にされてしまうからだ
例えればこれは教師にレイプされていたのに肯定してそのまま人生を送って
それが誤りだったんだと気付いた人が20年越しに訴えた事柄なんかは特にそうだった
そうした人生のロストをさせられるのでそれはただの犯罪なのだ
犯罪者の意見に手を染められる必要が無いのだ
極端なように見えるかもしれないが
これは未来を変えられてしまうという悪質さがあるからこその考えなのだ
他人の考える「つまらない人間」なんて本当はいないし
その答えは「お前がつまらない」で終わりなのだ