漫画は時間の無駄 知識なんか増えない
漫画なんて時間の無駄だ
よく
漫画 時間の無駄と検索すると
時間の無駄なんかじゃないと言ってたりする
そんで知識増えるとか抜かしてるけど
知識は蘊蓄レベルであり
そういう漫画をよく読んだ人間なんかは
「未だにドクターストーン読んだら知識付く!」って言ってるレベルだから
ドクターストーンはいわゆる「理科実験漫画」みたいなもんな訳だ
しかしそれは専門的な知識を付けてる人からしたら
失笑ものだったり、知識と呼べる代物ではないと分かるレベル
でも漫画は時間の無駄じゃない!と擁護してる人は
未だにドクターストーンという小学生理科の知識で喜んじゃってるレベルだから
低次元だと直ぐに理解してしまう
「単にお前は「時間の無駄なんかじゃないんだ!」という論破をしたくて記事書いただけだろ
次点でSEO対策用の記事なんだろ」としか言いようが無い
こうした否定的な意見を
よく「否定的な意見」と言われているものの
それは全くの見当違いであり「本当の的を得ている事柄が多い」のが事実だ
そもそも漫画は時間の無駄という意見を否定する人らが
ただの漫画好きだったりするのが笑えるところだ
知識が増える!←その知識で得たのは更なる漫画を買う事への戒めか?としか言いようが無いのだ
これは同様にアニメは時間の無駄とも言える
結局擁護されている提示されたものってのは
蘊蓄とドラマ性 この2つばかりだ
伏線回収も結局はその2つを整合性良く繋ぎ合わせたりしているだけであって
結局「時間の無駄」というコンテンツ面しか存在しない
もしも時間の無駄じゃないものがあるとすれば
それは「完全VR世界」だろう
何故なら、その世界を構築していく為に自らが創造主+ROM住人として生きれるのだから
そして理想世界を構築する為に奮闘する
宛ら、封神演義の申公豹みたいな事が出来る それ以上に楽しくて
それ以上に有意義な事はあるまい?
結局何が言いたいかと言うと
「漫画は時間の無駄ではないという発言は言い訳」なのだ
結局蘊蓄とドラマ性を見ているだけである
つまりはワンピースくらい長くならなければ
漫画というのは時間が無駄なのだ
ワンピースは長期連載のおかげで世界観がずば抜けている代物になっている
世界観が広がっていき漫画というものが
実験作品、ドラマ作品などのいわゆる短期的な作品の枠組みにはまらず
世界観作品になっている これが良い見本なのだ
ここまで話したものの
漫画は本当に時間の無駄だ
よく否定者の発言を否定する為に
「老人が~」とか言ってるがあれは真っ赤な嘘である
故に活字離れが起こっているし
それは紛れもない事実である 事実は受け入れようぜ?な?である
結局は自分は
世界観作品か設定作品こそが
時間の無駄には成り得ない
と思っているので
とあるシリーズ
封神演義
ワンピース
などを擁護している訳だ
手塚治虫が言っていたであろう
実験作品という題目も見ていて面白い
これは天使のたまごも同様に実験アニメだったように思う
結局は自分はあれこれと作品を見てきたからこそ言っている訳で
あれこれと漫画を読んだのに未だに「漫画は時間の無駄じゃない!」と言ってる人は
やっぱり少し頭のネジがぶっ飛んでる気がするのである
否定する人を直ぐに老人扱い老害扱いをするのは止めにしよう
それはただの思考停止である
そしてそれは頭が固まってる訳でもない硬い訳でも無い
単に作品を見まくった結果、思い知らされた考えだからだ ただそれだけなのだ
決して批判したくて批判している訳では無い
しかしよくよく考えれば考える程深く思考すればするほど
やはり「漫画は時間の無駄!」というのは至極真っ当な意見だと分かってしまうのである
漫画を擁護する際に
・面白い
・キャラクターが魅力
・ドラマ性
・伏線回収
・世界観、設定
などがあるが
それらは全て蘊蓄とドラマ性で成り立っている
結局テンプレのサイトを見たら誰でも作れるのが作品というものだ
これだけ有り余った状況で商業作品となって売り出されるのも運であり
全ては量産工場からなる廃棄工場なのだ
漫画は既に溢れて溢れて溢れすぎている
だからそこに中国の漫画を置いたとしても誰もが不思議がらない
ちゃんと日本で連載されていて、作者名も日本人の名前なら
誰も「どっかで見たようなストーリーが続く」なんて言わない訳である
つまりは漫画読者の誰もがそういった思考レベルで考えているのだ
だからこそ漫画は時間の無駄という事が理論論破出来てしまう訳だ