ねじねじ
思えば、もの心ついた時から、ねじねじの呪縛に、巻きこまれていた。
お絵かきが大好きだった私は、クレヨンとスケッチブックが友達だった。
いつも、思いつくまま、気ままに線を引き、それはやがて、形を描いた。
自分の引いた色が、形となって、作品になる。
自分の世界の幕開けだった。
ところが。
ここで。
ねじねじが、襲い掛かる。
「クレヨンは!右手で持ちなさい!!!」
私は、確かに、左利き、だったのだ。
左手で色を持ち、右手で白を支え。
色を引いて、世界を描き出す喜びを知った私が、ねじれてゆく。
うまく、握れない、色。
うまく支えることは比較的容易で。
色だけが、ぎこちない動きで、創世を阻む。
やりきれない、苛立ちが、クレヨンを持つ手に、篭る。
いつしか私は、色を引くとき、クレヨンを握り締めるようになった。
あんなにも、優しく支えて、優しく白をなでて、創世した私の、色。
クレヨンを折る日が続く。
握り締められて、色が引けなくなった、無残なかけら。
私の左手は、もう、色を引くことができないから。
かけらを細かく割って、割り箸の先にのせて。
白の上にそっと乗せて。
ぎゅっと押しつぶして、色を、のせる。
線を一本も引かずに、色あふれる世界を、何度も描いた。
左手の記憶が、あやふやになるころ。
私は数字の魅力に、心を奪われた。
とりわけ、因数分解。方程式。
難しい問題に憂き身を窶し、何冊も問題を解いては、悦に浸る。
進路を決めねばならない時期。
またしてもねじねじが、襲い掛かる。
「女の癖に理系に行くな!」
問題集は、私が夢中になれる、時間をくれた。
取り上げられた問題集と引き換えに、漢字辞典が私の元にやってきた。
来る日も、来る日も、数字を恋しく思い続けたけれど。
難しい問題の、その先にある数式の定理には、手が届かなくなった。
数字の魅力が薄れ、数式の存在を忘れたころ。
私は人のやさしさに、ふれた。
人と共に有る喜びを知り。
人と共に前を向く、勇気をもらった。
人と共にある幸せを、噛み締めていると。
またしても、ねじねじが、襲い掛かる。
「人なんて結局、孤独なんだよ!」
人は、私に与えてくれた。
人は、私を支えてくれた。
人に、私は。
私は。
私は。
私は、人に、何をしてきた?
こたえてくれる、人がいない。
私は一人、ねじれていく。
私にできることは。
ただ、ねじねじに、巻き込まれるだけ。
ただ、ねじねじと、ねじれていくだけ。
ただ、最後に、ねじ切れるだけ。
次にねじねじが襲い掛かってくる前に。
ねじれを解く、手段を探る。
手段を探す。
手段を見つけて解いたところで。
長年ねじれた、この身は再びねじれを求めて。
よりいっそう複雑に、ねじれていくばかり。
そんなふうに自己完結して、ねじれを受け入れ、生きていく。
ねじねじのまま、生きていく。
ねじねじねじ。
ねじねじねじ。
ねじ、ねじ、ねじ・・・