寸説《アルビノ》
先天性色素欠乏症。
アルビノやアルビニズムと呼ばれる症状
簡単に言ってしまえば髪は絹のように白く、瞳は血のように真っ赤になる。
私はそれだった。
「お嬢様、三十分経ちました。車にお戻りください」
気を許せる数少ない人の声に私は閉じていた瞼を持ち上げた。
「お嬢様、体調はいかがですか?」
私の顔を見下ろす幼い顔立ちの少女。
端からみれば無表情と言われるだろうが、私の緩慢な返事で不安げに眉の端が下げる彼女は私のメイドだ。
私より年下の学生だが、よく働いてくれる。
元は腰を痛めて入院をしている彼女の祖母の代わりに夏休みの間、私の身の回りの世話をしてくれるぐらいの仲だった。
「三十分って早いね。目を閉じたらすぐだもん」
「そうですか? カップ麺を十個作れますよ」
「食べるとしたら私は一杯しか食べきれないよ」
「そうですね。私も五個が限界です」
彼女の言葉に私は思わず笑みを漏らしてしまう。
とても真面目であるのに、こうしておかしなことを言う彼女は歳が近いせいもあってか一緒に居て楽しかった。
「さて行きましょうか」
私は折り畳み式の椅子から腰を上げる。
「……あの子、今日も居るね」
私の視線の先、土手の下の方で草っぱらに腰を下ろして風景を眺める少年。
「絵を描いているらしいですよ」
「あの子と話したの?」
メイドの彼女の行動力に私は目を丸くする。
「お嬢様が寝ている間に少しだけ。外からぶらり一人旅で来て、島の風景を絵に描き留めているとか。あと私と同い年らしいですよ」
「見ない顔だと思ったらそういうこと」
あなたの住んでいるところは? と訊かれたら首都の名前があがる場所。だけど早くて半日、フェリーの都合が合わなければ二日かかる場所。
都会というものを見たことはないが、本島からこうも離れている島の時点で田舎確定だ。
高い建物は私の家の三階建て。人口は千人に満たず、子供はその一割も居ない。
ローカル線は電車、バスともに一、二時間に一本。そんなのを利用するなら原付の免許をとった方が自由に島を巡れる。まあ、私は持ってないし、車はメイドの彼女が出してくれるので困ったことなどないが。
それにこの島には名産もないし、観光地としての場所も無い。唯一、海が碧くて綺麗だ。島から出たことはないが、きっとここより美しい海などないのだろう。
そんな“ド”のつく田舎に来るのだから絵描きの彼は相当な物好きだ。
「どんな絵を描いているのかな?」
「本人に訊いてみたらどうですか?」
「えッ!?」
私ははしたなくも大声を上げてしまう。
「声が大きいですよ」
「無理だよ! 同い年の異性となんて話したことないもん!」
この島には小、中が合わさった学校はある。だが高校はないので島を出て寮から通わなければならない。そして卒業したら皆そのまま帰ってこずに社会へと消えていく。だから近い歳の人は島には数えるほどしか居ない。
「どれだけ初心なんですか。別に声を掛けるだけじゃないですか。これだから箱入り娘のお嬢様は」
やれやれと首を振るメイドの彼女。
「仕方ないじゃん! この身体のせいで子どもの頃は家から出られなかったんだから!」
この症状を持つ私は日光を避けて生きなければならないと優しくも過保護な両親に育てられた。学校に行ったことも、一人で買い物に出掛けたこともない。太陽が沈む夜も太陽が隠れる雨の日も危ないからと鳥籠のような家で生きてきた。
そんな私が人付き合いが苦手でも仕方ないと思う。
「だからこそ声を掛けるべきですよ。旦那様たちを説得してせっかく得られた自由時間なんですから」
メイドの彼女に言われて私は言葉を詰まらせる。
成人したし、家でトレーニングマシーンもやって体力をつけたと言って未だに心配する両親から許された一日三十分の外出時間。
白いワンピースに麦わら帽子。
だけでなく、アームカバーにサングラス、スカーフにハイソックス、そして大きなパラソルの影に守られなければいけないが、晴れた日の外の風や熱は私に自由を感じさせてくれる。
しかし、今日はもう帰らなければならない。
メイドの彼女の言う通り、今声をかけなければ次は明日になってしまう。明日の天気など覚えてないし、絵描きの彼が明日も同じようにここに居るとは限らない。
チャンスは今だけだった。
「あの、君は何を描いてるの?」
「うわっ!? びっくりした~。てか、黒!」
「え! ご、ごめんなさい」
背後から声をかけたから絵描きの彼を驚かせてしまい、私は思わず謝る。
「あ、いや。別に平気です。えーと、そこの人が言ってた、お嬢様?」
絵描きの彼がメイドの彼女に目を向ける。
「え、うん。私のこと、だよね?」
「他に誰が居るんですか……」
急に自信がなくなり訊いてしまった私にメイドの彼女は呆れる。
「私です」
「あ、うん、分かった。あれ、年上だから分かりました?」
「えー、どうすれば良いの?」
「別にタメで良いんじゃないんですか? というか早くしてください。このパラソル、大きくて重いので」
腕がプルプル震えているメイドの彼女。本当に申し訳ない。
「え~と、肌弱いんですか?」
「え、あ! これ? はい、弱いです」
「結局敬語ですか……」
「う、ごめん」
「……大変そうですね」
「本当に世話の焼ける主人を持ちました」
「言わないでよ~」
辛辣な言葉に私は肩を落とす。
「お嬢様、そろそろ時間です」
「あ、そうだね。これ以上居たらまた赤くなるし」
「いえ、私の肩が外れそうなので」
「本当にごめん!」
メイドの彼女の肩が外れたら帰れなくなるので土手を上がる。
「挨拶ぐらいしたらどうですか?」
「え、あ、うん。ま、また」
恐る恐る絵描きの彼に手を振ると振り返してくれた。
それだけで何故だか嬉しかった。
それからというもの晴れた日には土手に行って少しずつ、貴重な三十分を使って絵描きの彼と話した。
地元、学校での生活、絵を描こうと思った理由、今まで行った旅行先の思い出。
島から出たことのない私には絵描きの彼の話一つ一つが宝石のように輝いて感じた。
そして私も自分のことを話した。
驚いた絵描きの彼だったが、まっすぐに私の瞳を見るとこう言った。
「あなたを描かせてほしい」
私は思わず了承してしまった。
とても嬉しかった。
心が踊った。
だが、格好が格好なので両親に許可をもらって麦わら帽子とワンピースの姿になった。
私は恥ずかしかったが絵描きの彼と会えるのが嬉しかった。
今思えばこの頃の私は絵描きの彼に会える度に嬉しいと思ってしまう。
晴れの日が楽しみになった。
雨の日が恨めしくもなった。
三十分だけの幸せな時間。
でも仕方ない。
初めての歳近い異性なのだ。
キャンバス越しに私を見つめる彼を、
「どうしたんですか?」
「あ、ううん。何でもないよ。ふふっ」
好きになっても仕方ない。
「今日は居ないんですね」
「そうね。いつも私たちより先に来ていたのに」
夏の終わりも近付いた、ある日のこと。
晴れたのでいつものように土手に来た。
だけど彼の姿が見当たらなかった。
「車の中で待ってますか? 外に居ては陽に晒されてしまいますし」
「うん。そうしようかな。今日は遅れてるだけかもだし」
私は車の中で少しの不安と絵描きの彼を待つ焦がれを抱く。
でも絵描きの彼は来なかった。
次の日も、その次の日も。
ーーそして夏が終わった。
「お嬢様、お客様です」
屋敷でボーッとしていたある日、退院して改めて私の世話役になった婆やが私を呼ぶ。
「誰?」
「私の孫ですよ」
「ああ、そうなのね! 会うのは半年振りね!」
私は待つのも煩わしくなり、自分の足でメイドだった彼女を玄関で迎えた。
「お久し振りです、お嬢様」
メイドだった彼女は私に微笑んでくれる。
「久し振りね! 今日はどうしたの?」
「お渡ししたいものがありまして」
メイドだった彼女は床に置いてあった白い布にくるまれた一抱えもある板状のものを私に手渡す。
「この形、もしかして絵が完成したの?」
「……はい」
何処か辛そうに微笑むメイドだった彼女。
でも私は絵の方が気になってしまい、さっそく布を外す。
「ふふふ。絵に描かれるとまるで自分じゃないみたい」
「いえ、お美しいお嬢様が描かれてますよ」
「ありがとう。それで? 絵描きの彼に会ったんでしょう? 何か言ってなかった?」
私はそれが知りたかった。直接、渡しに来ないなんて、とんだシャイボーイだ。
「て、え!? どうして泣いてるの?」
唐突に涙を流し始めたメイドだった彼女に私はあわあわとしてしまう。泣いてるところなんて初めて見たからだ。
「絵描きの彼は」
しゃくりをあげながら彼女が話し出す。
「あの夏に、お嬢様の絵を描きあげて……病気でお亡くなりになりました……」
震える手でメイドだった彼女は私に便箋を手渡す。
その手紙は彼の最後の言葉だった。
絵描きの彼は癌だった。
余命も少なく、学校を止めて残された人生を絵に捧げるために旅をしていたのだ。
会えなかったあの日も病院のベットで私を想いながら筆をとってくれた。
そして絵が完成した日に絵描きの彼は昏睡状態に陥り、一週間後には息を引き取った。
絵は遺族に渡され、共に島を出た。
その絵をメイドだった彼女が学生の展示会に飾られているのを偶然発見し、遺族に頼んで譲ってもらったみたいだ。
「どう? 前よりは上手くなったんじゃない?」
「そうですか? 今どきの小学生の方が上手いですよ」
「今どきの小学生は天才か何かなの!?」
あれからまた夏がやって来た。
再び世話役になってくれたメイドの彼女と共に土手に来て私はキャンバスと向かい合っている。
絵は始めたばかりだから拙いが、それでも止める気はない。
いつか上達して、あの日の思い出を描きたいから。
そして絵描きの彼に手紙の返事をしたい。
『私も好きでした』と。