最終話
『ウィロン王国に命じられた通り一度は魔王を倒すという方針は変わらなかった。否、どこかに逃げるというプランが完全に消滅したと言った方が正しいな』
虚ろなまま、男の幻影は続けた。
『魔王との戦いに挑み、生き残った勇者は私一人だった。と言うより、他の連中が結託して私を生き残らせたのだろうな。私も決戦には加わったものの人間相手なら万能に近い一方、隷属能力など魔王にはほぼ通じないからな。意識を取り戻した私のバッグの中には、戦利品に混じって他の勇者たちの力を封じ込めたクリスタルが入れられていたよ。・・・託されたのか押し付けられたのか、今となっては確かめようもないがね』
男は唯一人、ウィロニアに凱旋した。
用済みとして暗殺などされぬよう、道行きでは監視の手の者を一人ひとり注意深く隷属させながら。
固有能力である隷属化の覚醒自体は旅立ってからの事だったため、王国側には単に魔力が強いと思われているだけなのは全くの幸運だった。
魔王を倒して王城まで入った勇者であれば、王自ら労わないわけには行かない。
またこの時暗殺を含め何かスキャンダラスな事があると、流石に政治的なマイナスが無視できないほどに大きい。
果たして、謁見の間で国王自ら出て来る事になった。
魔王との戦いで散った勇者の一人の能力は、何者にも気取られない隠蔽・隠遁だった。
荷物や身につけたものを魔術的な検査も含め完璧にチェックされていたはずなのに、それでも大きなバッグを認識されず謁見の間に持ち込めるほどの。
勇者のうちの一人の能力は、人智を越えた究極の探知だった。
勇者達に掛けられた隷属の呪を掛けた術者であり、またそれを完全に解くことができる唯一の存在である宮廷魔術師長が影武者や幻影であった場合に備えクリスタル内の探知能力を発動させたところ、果たして隷属の呪から延びる見えない線は壁向こうの隠し部屋、その中の人の気配に繋がっていた。
『この世界でも早打ち対決みたいなのは成立するものでね。奴が私を屈服させる呪言よりも、私の力が奴の脳髄を支配する方がほんの少し早かった。私に刻まれた隷属の呪が消えたのに気付いたものは、謁見の間では誰もいなかったよ』
ウィロン王国の終わりを告げる弔鐘が鳴った。
バッグの中から戦利品である巨大な魔王の角が取り出され、それが発する不気味な金属のような音は謁見の間に留まらず王国中に届いたのだ。
物理現象としての音ではないのだろう。
勇者達の中に、あらゆる道具などの効果を看破し、また使用時に増強する能力の持ち主がいた。
バッグの中に見つけた震える筆致で書かれたメモによると、魔王の角はあらゆる術や異能を極限まで強化する物だという。
それをさらに勇者のクリスタルで増強したうえで、男の最大出力による≪隷属化≫が放たれた。
天穹まで届く光の柱、そしてそこを中心に生じた暗雲が王都、そして国全体を覆うまでそれ程の時間は掛からなかった。
『あの規模になると一斉に言う事を聞くのではなく、局地的に暴動に近い状態になり得るのだと初めて知ったよ。私の能力を受ける際に、場合によっては人影の様なものに話しかけられる幻を見るらしいのも混乱の一因かもしれないな』
「・・・そろそろいい加減本題に入ってくれねーかな?お前はここで、何のために何をした?」
長い話に痺れを切らしたゼムがそう口にしたが、それに対応する反応も保存されていたらしくローブの男は応答した。
『すまない、少し熱が入り過ぎてしまったようだ。人の形をしたゴミに命と運命と尊厳を弄ばれた憐れな者達の話など、確かにどうでもよかったな』
僅かの隙があれば悪意で殴ってくるこの場に居ない男の反撃に、ゼムは黙らされ歯噛みした。
『私の目的は復讐だと思うか?それも無いでは無いが、正確に欠ける。ではウィロンの者共に償わせ悔い改めさせる事か?それも間違いなくあるが、やはり不十分な表現だ。私はね・・・』
奪われた全てを返して貰えればそれでいい。
『その為に、王国民達が頑張れるよう環境を作らせて貰った』
満面の笑みを浮かべ両手を大きく広げた男の幻影が、何を言っているのか理解できなかった。
それはゼムもメイリーも、勿論ようやく上半身を起こせるまで回復したファルも同様だ。
奪われた全て、とは家族や仲間たちの命か?それとも時間か、自由か?無理矢理連れ去られたのを故郷に帰還させる事か?
そんな事をどうやって為すというのか?
彼以外の勇者たちは旅と戦いの中で命を落とし、人質にされた者もまた残虐と言う言葉でさえ生温い仕打ちの末に殺された。
まず彼らをを生き返らせると言う時点で、この世界生まれで最も優れた魔法の使い手であるメイリーどころか回復の魔法に長けたタイプの勇者にさえも不可能な事だ。
それに男は王国民達が頑張れる環境などと嘯いたが、その王国民が今までダンジョンを潜って来てどこにも見当たらない。
その時、メイリーの脳裏に嫌な予感と言う言葉では済まない悍ましいものがよぎった。
あの正体不明の触手、あれはまさか・・・!
「あ・・・貴方は一体何て事を!このような所業、神がお許しになるはずがない!」
相手が幻影である事も忘れ、メイリーが普段の落ち着いた雰囲気を最後の一枚までかなぐり捨てて吼えかかった。
『今、神の信徒的な誰かが神が許さないみたいなことを言ったのかな?それはいい!私達をこんな目に遭わせた蛆虫以下のクソッタレ邪神の使徒がそう断じるなら、私の絶対正義に揺るぎはないな!お墨付きをありがとう』
空間全体がゴウン、と重い音を立てて動き出した。
徐々に壁が開いていき、地下にありながらも小さな村ぐらいなら入るであろう広さの全貌が徐々に露わになっていった。
異様なものが並んでいた。
蠢く肉の塊。
やけに規則的に並んだ形でそれが数え切れぬほどに床や壁面を覆い尽くし、それぞれが繋がって光の様なものをやり取りしていた。
中央部と思しき部分には多数の物が固まって空中に巨大な球形を為し、一層強い光を内包していた。
『紹介しよう。ウィロン王国の国王陛下以下、王族、各主要な大貴族にその他王都に住まっていた臣民達だ。流石に全国民とは行かないが、魔導装置として最適化した形となって全身全霊で頑張ってくれている最中だ。どうすればそれを可能になるのか只管に全力で考えつつ、そのための術式開発なども並行して行ってくれている。無論、正気を保ったままね。魔法の適正に強制的にでも覚醒させてから繋がないとほぼ無意味と分かるまでに、多少目減りしてしまったのが悔やまれるね』
さっき撃破した魔王並みの化物の常軌を逸した術式演算能力、それにファルが触手に飲まれて魔法を使えるようになった絡繰りは分かったものの、それも反吐の止まらない真実の一端に過ぎなかった。
「・・・悪魔だってここまでやらねえぞ、クソが!復讐相手だけじゃなくただの市民まで巻き込んでよ!」
『ウィロンに無辜の民などいない。我々やその前、またそのずっと前から勇者達の血肉を啜って繁栄と享楽を享受して来たのに身分の高低は関係ない』
「どうして、どうしてここまでするの!?そんな事をしても失われた者は戻っては来ないのに!」
『私は魔法などと言う何でも出来る万能の力が存在する世界の出身ではないのでね。出来ない、出来るわけがないなどと言うのが全くのウソだとしても分からないんだよ。全員こっちのクソ世界に素粒子一つ分も汚されてないまっさらな状態で生き返し、元の世界に帰してくれる。たったそれだけでいいのに、無理なんて言われて納得できる訳ないじゃないか』
狂っている、いやすでに本人はこの場にはおらず狂っていた、か。
隷属させた宮廷魔術師達の知識の中に生命操作と言う禁忌の物があり、それを地下遺跡も利用して大規模に実行に移したプロセスを身振り手振りも交え嬉々として語る幻影。
負荷の高いコアには魔力に優れたものを配しているが、彼の妻子に薄汚い欲望の手を一度でも伸ばした者はそういう適性を無視してそこに加えてあるとも言った。
続けて「多少の我儘は全部押し付けられた私の特権だよ」と茶目っ気たっぷりな仕草で恐ろしい事を口にもした。
再び一瞬男の姿がぶれ、乱れかけていたローブが整えられた姿になった。
落ち着いた、と言うより落胆の色濃く出たかのような姿。
『・・・とは言え、出来るわけがないと言う謗りも結果的には正しさが証明されそうだがね』
「・・・どういう事?」
『この200年の成果は「時空魔法を含めた482の魔法をウィロン国土を覆う程度の術式を持って強化すれば何とかなるが、そうでないなら不可能」と分かったのが最大の物だからな。言うまでもなく、ウィロン人に適性者は居なかった。勇者の仲間に時空魔法の使い手はいたが、彼の力を込めたクリスタルは決して邪魔が入らない結界と化すのに使ってしまったし、仮にあっても本来の使い手でなければ暴発して終わりだろう』
幻影の勇者は遠くを見るような眼をし、やや上を向いた。
『またタイムリミットも迫っていた。私達の世界とこっちの世界は超次元的には比較的近い距離にあったのが、もうじき離れて行ってしまうのが分かった。そうなれば行き来は不可能になる。それに壊れないようにメンテナンスは気を使ってきたものの、魔導装置のパーツとなった一部に壊死が見られ始めた。演算能力もピークに比べ95%程になっており、今後も落ちていく一方だろう。また私自身も、延命に限界が見え始めている』
ローブの前を開いて見せた男の体には、何か奇妙な装置が取り付けてあった。
『次に二つの世界が接近するのは1000年以上後だよ、持つはずがないだろう。故に私は・・・一人だけでも元の世界に帰る事にした。一度隷属の呪を受けた後遺症で成功率は最も高く見積もって4.89%だそうだ。仲間たちにも家族にも済まないとは思うがね・・・私は、もう疲れたんだ。恐らくは時空の狭間で塵さえ残らない死に方をするだろう。仮に成功しても愛する家族が居ない絶望、仲間を見捨てて来た罪の意識に苛まれ崖から身投げでもするのだろうな』
―――それでも私は、故郷で死にたい。
『あの化物を倒した君達の中には勇者が含まれているかもしれないな。もしそいつが時空魔法を特殊能力として持っていて、さらにこちらを魔王認定した世界が急遽用意したような存在であるなら・・・最ッ高だな!そんな底なしのクソ世界で居てくれるなら安心して無限にクソ呼ばわり出来る!決して埋まらぬ永劫のゴミ捨て場だ!それを確認する事が叶わないのは多少残念ではある』
極めてレアな時空魔法にいきなり目覚め、勇者じみた強い力を発揮した幼い少年をゼムとメイリーはちらりと見た。
今まで黙っていたファルは、ここに来て一つ質問を口にした。
「ひとつ・・・聞いてもいいかな?」
『答えられる事なら答えよう。そうでないなら勘弁してくれたまえ』
「あの時、ぼくはウィロニアの街にいた。黒い人影が迫って来るのも見た。でも、見逃された・・・だからこうしてここにいる。どうしてぼくを見逃したの?」
幻影は、今までにない長い沈黙を見せた末に一言発した。
『・・・その問いへの答えを私は持たない』
ファルが何度問いかけても、『答えられない』『知らない』などと返すばかりだった。
単にそれに対する返答を用意していなかっただけなのかもしれないが、本当に答えにくいために窮しているようにも見えた。
「・・・その時こいつはこう漏らした。帰りたい、ってな。それを聞いちまったから、お前は手を出せなくなっちまった。違うか?」
『その問いへの答えを私は持たない』
幻影が少しづつ輪郭を失い、空間に溶けるように消えた。
男の乾いたような声だけが響いた。
『問答の時間は終わりでもいいだろう。ダンジョンクリアの褒美を用意していなくて心苦しいが、せっかくだ。この魔導装置を好きに使っても構わない。憐れな男のちっぽけでささやかな願いも叶えられない失敗作に過ぎないが、世界を征服する事も滅ぼす事も自由自在な程度には使えるはずだよ』
嘗て勇者の仲間だった二人を調査に送ったものの、彼らは時が経っても帰還しなかった。
権益でぶつかる各国の調整が終わり合同調査団が編成され、旧ウィロン王国に足を踏み入れる頃には一年が経過していた。
「おい・・・何だこれは」
調査団一同は、その光景に絶句していた。
地図によると、そこは荘厳なるグレートウィロニア城が天を衝く王都ウィロニアが存在する場所のはずだった。
しかし、何もなかった。
滑らかな半球型に抉れた広大な穴だけが、そこに残されていたのだ。
不意に、調査隊の一人の口をついて言葉が漏れた。
「帰ろう・・・ここには何もない」
メイリー、ゼム、そしてファルの行方は杳として知れない。
帰るべき場所に帰ったのか、そうではなかったのかさえも誰も知る事は無い。
これにて完結。
次話は長めのあとがきなので読む必要は必ずしもないです。