第五話
ウィロン王国が勇者に関して残している資料は、驚くほど少ない。
魔王と戦うために国を挙げて担ぎ出す英雄であれば、それを達成した後は英雄として地位が約束されるのが普通だろう。
しかしそう言った事を示す書類、勇者の血筋とされる家が作られたなどという物もない。
何とも殊勝なことに、魔王打倒という使命を達成した歴代勇者は誰も彼も一人残らず、報酬を受け取らず何処かへと消えたという事になる。
また、その勇者たちについての来歴も曖昧な点が多い。
ウィロン王国は最先端の人口管理を取り入れており、兵士一人労働者一人と言えどその身元は国によって把握されている程先進的なシステムを使っていた。
この人口管理は、200年経った現在でも導入していない国は導入していない。
だと言うのに、勇者に関するそういった情報はは全く見つかっていない。
出征や凱旋パレードで顔見せがされたなどの多くの記述は過剰なまでにあるのにだ。
・・・当時のウィロンについては属国となっていた周辺国の資料しか残っていない為、勇者関連は特に秘匿されていただけという可能性もあるが。
もしこのグレートウィロニア城のどこかで見つかったら、学術研究の上では歴史的大発見ともいえる貴重な資料となるだろう。
だが暗視の魔法を使って闇の中を歩きながらもメイリーは、そんなものは存在しないという確信を持っている。
恐らくウィロンの勇者というのは、自分と共に旅をした勇者と近い存在だ。
そうであれば生まれ育ちの痕跡が残っていない説明も付く。
やがて闇は晴れ、どこか開けた場所に出た。
それは玉座、祭壇、あるいは非常に大掛かりな魔導装置。
年月の分だけ埃を被ってはいるが、間違いなく稼働していた。
魔力酔いもようやく収まったメイリーが今までで一番の眩暈に襲われる当たり、間違いなくこの地下遺跡の中枢部分は今も生きており魔力を大量に吐いているのだ。
突然の畏怖。
全身を貫かれるような恐怖で、この世で最強のマジックユーザーであるはずのメイリーに抗いがたい屈服を強要してくるような、巨大な何かがそこに居た。
その存在感は、嘗て戦った魔王にも匹敵していた。
「!・・・ダメ、あれを外に出しては!」
その瞬間、メイリーは自身の命を捨てる事に決めた。
あれは、あるべき所には帰せない。
自分にそのような力は無い。
ゼムやファルが辿り着いてしまう前に、この開けた空間ごと崩落させて埋めて封じてしまうぐらいしか出来ない。
愛する者達にもう二度と会えない事を心の中で詫びつつ、彼女の持つ最大の物理衝撃魔法が高速で編まれた。
「≪落ちよ神罰の槌、ジャッシメントハンマー!≫」
メイリーの手の中に現れた、光を凝縮して造ったような巨きな破城槌。
それが振るわれた時、小規模な地震さえも発生する威力がある。
・・・だが、その瞬間はいつまでたっても訪れなかった。
闇から伸びてきた棘の様な何かが光の破城槌に突き刺さると、メイリーの術式が見る間に分解してしまい集めた魔力が霧散してしまったのだ。
「なんですって!?そんな!」
同等またはより大きな魔力をぶつけて魔法を打ち消す、というのは魔力さえ操れるならそう難しい事ではない。
しかし、相手の魔法を構成する術式を完全に乗っ取って分解し切るとなると話は違う。
格下相手であれば出来る、曲芸のような技なのだ。
そして今目の当たりにした魔法分解のスムーズさは、メイリーが魔法を覚えたての者の魔法を分解するよりも遥かに上回る。
(お願い、ゼム・・・ここには来ないで)
望みの薄い事と覚悟しながら、メイリーは願った。
双頭の巨犬のガイストを一刀のもとに屠りつつ、ゼムは駆けた。
戦いながらではあってもなお驚異的な速度の彼に対し、ファルは使えるようになったばかりの時空魔法の応用で飛翔するように着いて来ていた。
「一体どうしたんだよ、そんなに急いで!?」
「首筋にビリビリと嫌な予感が止まらねえのさ!モンスターに友軍の砦が焼かれた時も、最初の四天王と戦う前も、魔王が封印を破って完全復活した時もそうだった!仲間が一人で死に掛けてる時もなあ!」
「それって、まさか!」
農夫が雑草を刈っていくよりも手早くガイストや触手をザクザクと切り払われて行く。
しかしゼムの表情からは焦りが消えない。
「ここか!・・・クソ、もうすぐそこだってのに!」
今日だけで何回目かもわからないゼムの毒づき。
壁のすぐ向こうから、強大な魔力と戦いの気配がしていた。
しかしそこへの通路は崩落しており、向こうに渡る道がほかに見当たらない。
「少し待ってて・・・うん、見えてなくても行けるよ!」
既に時空魔法を使いこなしているファルは、その応用なのか壁の向こうの様子も分かるようだ。
そしてそのまま空間跳躍も可能なようだ。
最早ファルと言う存在が何なのか、その身に何が起きているかなど考える余裕はゼムにはない。
「ああ、頼む!」
人間とは違い、固い表皮に覆われ節くれだった大きな手がメイリーの全身を鷲掴みにしていた。
口の端に赤い筋を垂らし、力無く呻き声をあげるメイリー。
このまま投げて叩きつけるのも、握り潰すのも思いのままだ。
だが、いずれにせよそうはならなかった。
「≪応えよ精霊の刃、クアッドセイバー!≫」
地水火風の四色の精霊の力を宿した魔法の斬撃である。
メイリーを掴む手首に触れた瞬間、ジャッジメントハンマーがそうであったように僅かに術式が解けたが、それよりも人類究極の剣技による剣勢で放たれた魔刃が目的を達成する方が早かった。
手首から切り落とされた強大な何かの手、それが地面に落ちて力無く開いた指から脱出したメイリーの耳に、誰よりも聞き覚えのある声が届いた。
「さあ、やろうぜメイリー。仕切り直しだ」
「・・・ええ!」
一度は最も付き合いの古い相棒が来ない事さえも望んだが、やはりこの場に来たなら無限の心強さを感じざるを得ない。
(まだまだ私も修行が足りないわね)そう、世界最高峰の法師は思い知らされた。
ダメージが入ったためか黒い霞が晴れ、初めて正確に視覚が捉えた敵の巨体は、人とも昆虫ともつかない直立した体に複数の腕を持つ姿をしていた。