第二話
「ゆ・・・勇者・・・勇者だって!?」
メイリーもゼムも、普段は勇者の仲間という立場を殊更ひけらかす様な事はないが、それでもその名が人に強い安心を与える物であると言う事実も深く理解しているため、必要であると判断した時は躊躇は無い。
だが、ファルの反応は二人の予想しないものだった。
突然怯えたような様子を見せ、再び今まで塒としてきた奴隷市場の建物の奥に走って行ってしまったのだ。
「お、おい!」
追いかけたゼムとメイリーが見たものは、恐慌と僅かな憎悪に目を血走らせたファルが、震えるショートソードの剣先をこちらに向けている姿だった。
「・・・!」
「ゆ、勇者が・・・、勇者が魔王を倒して帰ってきてから全部おかしくなったんだ!お前らもあの外のバケモノの仲間なんだろう、そうなんだろう!?」
「落ち着いて、ファム!私達は・・・」
宥めようとするメイリーを制し、ゼムが一歩前に出た。
「・・・それで、そんなチンケな剣でどうするつもりだ?」
「・・・」
「俺達は、お前がブルって隠れるしかなかったバケモノをあっさり倒した。それをどうにか出来るなんて思ってないだろう?」
敢えて多少の凄味を効かせたゼムの言葉に、ファルのなけなしの戦意は見る間に萎んでいき切っ先も時間とともに下がっていった。
そして今度は、メイリーが前に出た。
「信じられないかもしれないけど、あなたの知っている勇者と私達の仲間だった勇者は別人よ。私達はこう見えて、見た目よりもずっと歳を取っているの」
「う・・・うそだ!」
「信じるかどうかも、どうするかも自分で決めろ。付いてくるんなら連れて行く。付いて来ないならそれでもいい。食料を節約すれば、いつになるかは分らんが後から来る人間たちに見つかるまで食いつなげるかも知れん」
「ちょ、ちょっとゼム!」
どちらの言葉がより深く刺さったのかは分からないが、ファルは結局二人に付いてくることに決めたようだ。
疑うような様子で睨む瞳は隠しようもないが、ひとまず会話が出来る程度には落ち着いた。
食料を分けてもらい多少は体力が戻ったのか、決して軽い口ぶりではない様子でファルはその時の事を語り出した。
ファルが捕らえられたのは、ウィロンの侵略に耐え切れず集落ごと船で逃げようとしたのが運悪く難破し、よりによって海賊船に拾われてしまったという経緯だと言う。
勇者が魔王との決戦より凱旋したのは、ファルが王都ウィロニアに連れてこられたその日の午後の事だった。
檻の外からは大歓声が上がり、太った奴隷商も浮かれた様子だった。
しかし奴隷としての暗い運命を受け入れてしまった者達にとっては何の関係もない。
生気のない目で虚空を見詰めるだけだった。
鞭を持った体格のいい番人は、「いずれお前もこうなる」と横目でファルに語っていた。
異変が起きたのは、温かい日差しの中で人々が浮かれていたであろう頃の事だった。
急に日が翳り、何の前触れもなく暗雲が王都を覆った。
僅かに空いた天井付近の鉄格子を通して、その様子はファルからも見えた。
人々の声はざわつき出し、やがて遠くのほうから悲鳴のようなものが上がり始めた。
その音源は段々と近付いて来て、流石に番人も様子を見に行った。
そしてそのまま、彼は戻ってこなかった。
奴隷商館の中に、何かが侵入してきた。
それは人の姿に見えなくもない、影のような何か。
全ての檻に掛けられえていた鍵が弾け飛び、開いた。
何かの囁きが聞こえ、ファル以外の全ての奴隷たちがそれに応えるように幽鬼のように外にフラフラと歩いて行ったという。
「ファルは、その妖しい囁きに乗らなかったの?」
「わからない・・・。ただ、帰りたいって思ってたら、いつの間にかそいつはどこにもいなくなってたんだ」
嘗ては世界の中心と言われたウィロン王国、その都であるウィロニアの中心に存在する城と言うのはまさに世界そのものの中枢に相応しい存在であった。
この世で最も荘厳にして華麗、強固にして繊細な建造物とさえ呼ばれたと言う。
だが現在、三人の前に鎮座するグレートウィロニア城に、支配者の居城に相応しい往年の佇まいはない。
巨大さと頑丈さだけは当時に劣らぬようには見えるが、菌類の様なあるいは肉腫の様なものが壁中に這いまわり、壁面自体にも元の形から捻子くれたり膨らんだり融けたりと、変形しているような様子が見えた。
むしろ魔王の城と言う言葉に人が想像するであろう姿に近かった。
だが何故か底知れない不気味さ、生物的な生理的嫌悪感よりも深い憎悪が勝っているようにメイリーには感じられた。
メイリーが、原形を保っている壁を見て何かに気付いた。
「この壁、やけに経年劣化が激しいわね。半年手入れされていない程度じゃ済まないわ」
「ン十年・・・百年・・・もっと、か?そうかこれは・・・」
正門の跳ね橋は下りっ放しで開いたままになっており、融けた金属の様な何かが腐りそうな部材を補強するように絡みついていた。
開いた入り口の奥は、深淵へと誘うかのように闇がとぐろを巻いていた。