2.ドリームキャッスル
バージンロードを行く二人を見ながら、佳衣はぽろりと涙をこぼした。
この日のために買った水色のドレスにぽたぽたと濃い染みができる。前を行く新郎新婦の姿があまりにも眩しすぎた。
新婦のドレスはレンタルではなく、こだわりのオーダーメイドなのだという。たった一回しか着ないものだからこそ、最高のものにしたいとデザインからすべて自分でやったのだと会社でも有名なドレスは、確かに美人で背の高い新婦によく似合っていた。二人は幸せそうに笑う。涙を流す佳衣には何も気がつかずに。
二股をかけられているなんて知らなかったのだ。営業部のエースである彼と、地味で目立たない事務職の自分では釣り合わないことくらいわかっていた。だから会社の人にはあまり言いたくないのだと思って、付き合いを公にしないことについても了承していたのに。それなのに、こんなのあんまりだ。
「二人が友人同士なんて知らなかったんだ。頼む、由紀には言わないでくれ」
呼び出された喫茶店で最初に言われた言葉が、ごめんですらないなんて、どうしたら良いんだろう。佳衣はぐっと唇を噛んだ。これじゃあ何も言わなくても、佳衣の方が浮気相手だと言っているようなもの。佳衣は所詮「替え」なのだと、小学生の頃からからかわれていた名前を思い出しながら笑った。
「私と高橋さん、何かありましたっけ?」
佳衣がつんと横を見ながら言い放てば、あからさまに安堵したように男は笑った。そうそう、急に呼び出して悪かったなあなんて、ちっとも悪いとは思っていない顔をして。
「そうだよな。それにしても、あいつと友人同士なんて知らなくてびっくりしてさあ。こういうことってあるんだよなあ」
氷が溶けて、すっかりぬるくなったアイスコーヒーを佳衣はストローでそっと飲む。そう、高橋の婚約者は佳衣の友人だった。いや友人の言葉を借りれば、「一番の親友」だったはずだ。会社だって実は同じ。もっとも相手は秘書課で、佳衣はただの営業課の事務だから接点がないように思えたのだろう。
友達だというのに恋人の顔を見たこともなければ、他の友人たちのようにカップルで一緒に遊ぶこともなかった。もしそんな機会があれば、高橋だって自分に手を出すことはなかったはずだ。会社の飲み会でお手洗いにたった際に、廊下で急にキスをされた。そのまま持ち帰られたのだって、きっと地味な女がどんな声で喘ぐか見てみたかったというくだらない好奇心に違いないのだ。
何も言わない佳衣のことをどう思ったのか、高橋は時折佳衣のことを呼び出すようになった。佳衣も黙って呼び出しに応じていれば、今でも自分のことを佳衣が好きなのだと思い込んだらしい。佳衣がどうしてもというのなら、結婚後も付き合ってやっても構わないと言ってきた。
悔しい。悔しい。悔しくてたまらない。
佳衣が高橋の呼び出しに応じたのは、いつか文句を言ってやろうと思っていたからだ。ただもともと引っ込み思案な佳衣は、その場で言葉にならないだけ。手紙を書いてやろうにも、何かあれば逆に佳衣の方から誘われたのだと高橋は周囲の人間を言いくるめるだろう。こんなことのせいで、この不況の時代に正社員の職を失ってはたまらない。佳衣は、そっと小さくため息をついた。
何も知らない自称親友の由紀は、にこにこと結婚式の内容についてLINEで報告してくる。目立ちたがり屋でおしゃべりの由紀の惚気話は、もうみんな聞き飽きているらしい。誰も聞いてくれないからと、早朝から深夜までずっとLINEでメッセージが届く。少しばかり放置しただけで怒り出す由紀の相手をしていると、まともに寝る時間もなくて佳衣はもうふらふらになる。
今日はようやっとそんな二人の結婚式だ。受付から二次会の幹事、友人代表スピーチに余興まで全部こなした。本当のところを言えば、新婦のドレスだって佳衣のデザインなのだ。由紀は適当に希望を言って、佳衣はひたすらデザインを組み立てる。それなのに佳衣の席は、友人用のテーブルではなくて、よくわからない会場の端っこに作られていた。新婦友人と枠組みされたテーブルは秘書課のメンバーや由紀の女子大時代の友人に占められている。つまりはそういうことだ。
恋人だと思っていた相手からは使い勝手の良いセフレ扱いで、親友だと思っていた相手からはただの便利な下僕扱いだった。
悔しい。悔しい。悔してくてたまらない。あまりの悔しさに、せっかく由紀が新婚旅行に行ってLINE攻撃も収まったというのに、夜も眠れない。
ねえ、知ってる?
眠れない夜は、桃色のペンでうさぎを描いてから枕の下に入れて眠ってごらん。
びっくりするくらいよく眠れるらしいよ。
そんな噂を聞きつけて、わざわざ桃色のペンを会社帰りに買うくらいには疲れていた。家に帰るなり、無造作にうさぎの顔を描き、乱暴に枕の下に突っ込んだ。もう何もかも忘れて眠ってしまいたい。
気がついた時には、佳衣はドリームキャッスルの中にいた。随分昔に行ったきりだというのに、びっくりするくらいの再現率だ。なんだって、自分はこんなところにいるんだろう。前に由紀が、結婚式をするなら遊園地のお城であげて、来場者みんなに祝われたいと言っていたことが記憶に残っていたんだろうか。
よくわからないまま歩き出せば、何やら扉の奥から呻き声が聞こえて来た。怖がりのはずの佳衣なのに、なぜか身体は勝手に進んで行く。どうして夢の中って、自分の思い通りに身体が動かないのかしらなんて考えていれば、いつの間にか目的地に到着したらしい。
誰に言われたわけでもないのに、佳衣はまるで知っていたかのように扉を開けた。思わず、くすくすと笑いがこみ上げてくる。高橋と由紀がいた。全裸で縛り付けられ、頭にはおかしな仮面をつけて。二人ともそれぞれ面白いものを首からかけている。
高橋は、「僕は奥さんの親友と二股をかけました。今までヤリ捨てした人数は数えきれません。酒を飲ませて強姦もしたことがあります。先週まで部長の奥さんのセフレでした」と書かれた板切れをかけている。なるほど、部長の奥さんのセフレとは知らなかったと思いながら、佳衣は股間を蹴り上げた。ぐにょっとした感触が気持ち悪くて失敗したと思う。周囲を見回し、ちょうど良さそうなものを見つけたので遠慮なくフルスイングしておいた。現実ではなく、夢の中だけで復讐を留めておいてあげるのだから、やはり自分はとても温厚な人間だと佳衣は思った。
由紀のほうは、「新郎以外の男の子どもを妊娠しています。顔が好みのホストなので、新郎には黙って産むつもりです。産んだ後は、地味で冴えないブスなパシリの佳衣を手伝いに呼ぼうと思います。取り立てて特技のない女を友達にしてやっているので、佳衣は私に尽くすべきです」という板切れだ。なんで罪状じゃなくて、この女の場合は宣言みたいになっているんだと首をひねりながら、まあ夢だからこんなもんかと佳衣は納得した。
夢とは言え、赤子を殺すのは忍びない。妊婦なのに色んな男と遊び歩いては、性感染症の危険もある。妊娠中に性感染症にかかると、胎児にも悪影響があるのだ。困った佳衣は、そこらへんに落ちていた貞操帯をまだちっとも膨らんでいない由紀の腹につけてやった。夢の中だから意味はないだろうが、腹の中の子どもが安心して暮らせたらいいなあと思う。
そのまま佳衣は二人を残して部屋を出る。夢の中とはいえ、二人のアホな姿を見たら随分すっきりしたらしい。そのまま佳衣は久しぶりにゆっくりと眠った。
新婚旅行から帰ってくる時期だというのに、由紀からの連絡はない。まあどうせ連絡が来たら、安い土産と引き換えにフォトアルバムを作ってくれだのなんだの頼まれごとがあっただろうから、このまま距離が置ければ平和で何よりだ。
会社のロッカールームで着替えをしていると、ひそひそと秘書課の皆様のお話が耳に入ってきた。
「ねえねえ、聞いた? 由紀の旦那さん、最近勃たないらしいよ」
「えー、やだストレスかな? でも新婚なのに気の毒だよね。病院に相談したのかな」
「それがさあ、男のプライドか何か知らないけど、行きたがらないんだって」
「ああ、なんかわかるけど、面倒だねえ」
「ねえ。自分の旦那だったら最悪だよね」
くすくすと笑う声を聞きながら、佳衣はあの夢って正夢だったのかしらんとぼんやり考える。何かあっても面倒だから、転職活動かお見合いに精を出すべきかしら。最近眼鏡からコンタクトに変えたおかげでメイクが楽しい。帰りはデパートのコスメカウンターに寄ろうと心に決めて、さっさとロッカールームを後にした。




