【19】時が来るまで
ヨーレンス・ヴァインライヒは目の前の光景に絶句した。石のゴーレムに敗北を喫し、ダンジョンから命からがら脱出したその日の夕方、夥しい量の豪華なご馳走に、料理に負けじと多種多様な酒、さながら何かの祝い事が始まるかのような、そんな光景が彼の目の前には広がっていたのだ。帰宅後、装備を放り投げ、熱いシャワーを浴びた。新しい近代魔法の構築でも、と思ったが、なんだかムカついて、やっぱり途中で投げ出した。ベッドに身を投げ出し、不貞寝した恰好のところへ、キャミィの可愛い呼び声が部屋の外から聞こえたので、ふらふらと部屋を出て、ここ本拠一階の溜まり場へやって来たのである。
「いや、あの石人形の奴ときたら...あの場面で"フライングエルボー"たぁ、分かっていないですよ」
「うむ、あれはやる前の決めポーズが無ければの。流れを読んでおらん」
「そうすりゃあ、その後の俺の返し技っていう流れなのに、しょっぱいことしやがって!」
プロレスラーだったというルドとプロレスには少し造詣のあるマリアが、ダンジョンでの死闘をプロレスネタにするという、何ともシュールな場面を目にして、ヨーレンスは自分が夢を見ているんじゃないかと思った。キャミィの可愛い声に呼ばれたことも含めて、だ。
「負けた後の夕食の風景じゃないってかぁ? そんな顔だぜぇ」
「姐さん...」
呆然と立ちつくす彼の背後から、カロリーナの声がした。珍しくエプロン姿の彼女は、せっせと料理と酒をテーブルに運んでいた。
「負けた...或いは仲間が死んだ...意外とそんな時は、大騒ぎして笑い飛ばすのさ。覚えておくんだねぇ、坊や。それが狩猟者の流儀ってやつさぁ!」
「カロリーナの言う通り、だな。戦人でも...どの国の軍隊でも同じ様なものだろう。お前だけが敗戦の味を知らないとは、完全に俺の想像外だったが...」
既にテーブルについている団長の声に、ヨーレンス以外の全員が大笑いした。
「いつも負けてるような顔をしているのにのう」
「あちゃあ、だから俺が魔界四十八手を出す前に、あんなにガチでボコボコに...」
「涙目で半狂乱でした。あれは何のギミックでしょうか?」
地味にキャミィからエグい台詞も飛び出す。可憐な少女の、思いもよらない毒舌に、ヨーレンスは内心萌えた。
(でも、キャミィちゃんも...プロレス好きなんだなぁ...)
今度観に行こうか...話題についていけない疎外感には陥りたくないヨーレンスは、この時点で負けたことなどすっかり忘れ去っていた。
「よっしゃ、今夜はぁ、あたしの料理さぁ! 骨折り損にならないよう、残すなよぉ!」
ゴーレムの攻撃で骨折したカロリーナの自虐ネタが場を更に盛り上げ、夜更けまで本拠は賑やかだった。ヨーレンスはこうして、狩猟者としての階段を、また一歩登ったのだった。なおカロリーナの骨折は、マリアの驚異的な癒やしの力で、既に完治していたらしい。
「こ、これって......」
翌朝、ジオンの呼び出しを受けたヨーレンスは、一気に夕べの酒が抜けた。目の前には通常の三倍はあろうかという巨大な魔玉、色彩の濃さもさることながら、内部には特殊金属で覆われた層が透けて見える。刻まれている文字は、彼にとって見覚えのあるものばかりだ。
「あのゴーレムから抉り出した物だ...やることは分かっているな? シュウェスタにも助言を貰え...」
既に次へ向けた切り替えが始まっていた。
「恐らく次は秋口だ。一気に仕留める...その準備時間は惜しまない。そしてもう既に...おまえ以外は動いている」
相変わらずの威圧感のある団長の言葉で、彼は気付く。昨夜はあれだけ羽目を外したはずの、他の団員達の姿が本拠に無かったことを。
(で、で、出遅れたぁ......)
おどおどし始めた、ヨーレンスへジオンは続けた。
「気にする必要は無い。お前にはお前の領分があるだろう」
そう言う団長のこんな穏やかな表情を、彼は初めて目にした。
ヨーレンスに指示を与えた後、ジオンはヴァレリーの訪問を受けた。少人数であるカムイ・コマンダが出払っている間、イルヴェス商会の従業員達は、代わる代わる留守番を買って出てくれていた。新法によって、コマンダ自体が依頼を受理出来るようになり、そういった類の人員が必要とされる時世でもあった。
「皆さんにはいつも...世話になる。ありがたいことです」
「いえ、先生。従業員達は誇りを持っておりますよ。"うちの先生のコマンダはレヴァル最強だ"ってね」
ヴァレリーは相変わらず朗らかに笑う。
「で、先生、実は受付にもってこいの人材を見つけましてね。快活なお嬢さんで、六カ国語に堪能な才媛ですよ。当店の従業員達もこれなら...と大賛成の次第でして」
「他ならぬ皆さんの御墨付きなら、喜んで...」
「おお、それでは明日にでも。容姿の方は、あのエルフの御婦人とは比較になりませんが...」
女らしさは遥かに上ですよ、と茶目っ気たっぷりに微笑むヴァレリーは、まだマリアに苦手意識があるようだ。
(さて...体裁は漸く整ったが...)
シュウェスタの工房へ向かいつつ、ジオンは思う。
(ダンジョンに対する突破口は...あいつが必ず見つける。必然的に俺のやることは決まっている......が...)
担いだ具足箱が今日は重い。いや、心が重いのだろう。
(......勧誘か)
人知れずジオンは苦笑する。自分にとっての無理難題である。毎回無慈悲に無理難題を押しつけているヨーレンスは、いつもこんな思いなのだろうか。だがこういった考えに至る彼は、少しは変化しているとも言えよう。ダンジョンという"濃い"空間での戦い、そしてコマンダの団長としての責務、文化も生活習慣も違う異国で、短期間ながら様々な経験を色濃く積み重ねてきたことが、徐々に開花する...この頃のジオンがまさしくそれであった。
「で...何なの? あの数は......」
組合内の例の個室、担当官のミーナは問い質す。シュウェスタに修繕依頼を出したジオンは、何を思いついたのか、本拠にとって返して配送車を手配すると、大量の魔玉を組合へ運び込んだ。
「...資金調達だ。それ以外の何物でもない」
こっそり魔の国で、マリアと共に三千余りの魔獣を殲滅した時の例の魔玉だ。
「小さなダンジョンの探索をしてるって、聞いてるけど」
「閉鎖空間は魔物の大量召還が頻繁でな...仲間も増えて楽にはなったが」
まさしく良い狩り場だ、と無表情でのたまうジオンを見て、ミーナはそれ以上追求する気にはならなかった。
(良い狩り場...か。小さいのでこの成果なら、例のあれはもっと...)
ミーナはミーナで公職としての打算がある。来年の旧街区の大ダンジョン公開に向けて、彼女は彼が貴重な情報をもたらしてくれたと理解する。
「それで...なんだが」
「ええ、何かしら?」
「情報に対する対価が欲しい。この場合は情報でいいんだが...」
(へぇ、珍しいこともあるものね)
彼女は長官経由で、彼らのコマンダが既に大ダンジョンの探索を別口から依頼されているのを知っている。現在の探索に関しても、それに向けた試しであることも良く理解していた。
「規則に抵触しなければ、ね?」
「ああ、勿論だ。では......」
ジオン団長の勧誘活動は、こうした手間から、漸く始まったのである。
どうも、作者です。初めて後書きに挑戦しております。ブックマークを頂いているマニアックな皆様、いつもありがとうございます。思わずアクセスしてしまったというそこの御方、そっと閉じるか、適当な所から読んで頂ければ幸いです。次回からは登場人物別に焦点を当ててみようかと思っております。これも初めての試みですが、何となくキャラ立ちしてきた彼らをもう少し深く掘り下げてみようかな、と。宜しくお付き合い下さい。御意見・御感想お待ちしております。