【17】海の底の回廊(2)
ルドヴィ・クラウセンはマリアが放った"波動"の軌跡を目で追った。魔物は一体だけだ、そう視認した彼は、近代魔法を喰らった相手を更に遅延させようと即断した。すぐ後ろの少女の声は耳に入っていない。接敵間近、"それ"が例のゴーレムだと彼は確信する。自分より大きな2メートル半はあろうかという巨体、横幅も彼より広く、恐らくは分厚さも上だろうが、彼には自信があった。
(...ここだ)
ややよろめきを見せているゴーレムに、彼は左肩を向けてショルダータックルの姿勢になった。人なら腹の辺り、狙い澄ました彼の一撃は、的確に当たって敵をやや後ろに退けた。だが違和感を感じたのはこのタイミングだった。
(土...なのか!? 手応えが......)
いつもと違う、そう思った瞬間、ゴーレムの右腕が彼を薙いだ。打撃の轟音を間近で耳にしながら、ルドは何度か回転しつつ、後方へ飛ばされた。背負った背負子から回収したアイテムが散らばる。朦朧とする意識の中で、親愛なるカロリーナの怒号をルドは耳にした。
「てっめええぇぇ!!!」
ルドが吹き飛ばされた直後、吠えたカロリーナは一直線にゴーレムに突進した。愛用の片刃の幅広の剣を肩に担ぎ、自らの間合いで振り下ろす。剛腕一徹の攻撃は、その場の空気を震わせた。だが彼女もルド同様に違和感を感じる。豪快な一撃はゴーレムの表面を多少は抉ったものの、何ら影響を受けていない敵は、逆にカロリーナへ長い腕で正拳突きを見舞う。
辛うじて左腕の小手で防御した彼女は熟練の戦士である。だがその衝撃は受け流し切れず、流石のカロリーナも後方へ飛ばされる。
「マリア! ヨーレンス!」
ゴーレムの一撃の瞬間、前へ突進したジオンは叫ぶ。その伸びきった太い腕に"鎌鼬"を見舞うと、斬撃も併せて乱れ打つ。
(確かに斬り難い...だが...)
不意を突いた鎌鼬の真空波は、何とかゴーレムの片腕を斬り落としていた。
それと同時に...マリアはジオンの声で即座に癒やしの近代魔法を発動してルドを治療すると、カロリーナへ防御力向上を施す。立て続けに近代魔法を発動し、攻撃を終えたジオンが一旦退くのを視認すると、ヨーレンスに合図を送る。思わぬ攻撃で片腕を失ったゴーレムであったが、その距離を詰めようと進んだ瞬間、ヨーレンスの発動させた"障壁"に、今度は完全に足止めをされた。
「キャミィ、下がれ! カロリーナは後ろだ!」
怒り心頭のカロリーナであったが、ジオンの声で後方の気配に気が付く。同じく呆然としていたキャミィは、下がりつつ礫を放った。後方から複数の群れが迫ってきていた。
「ここで挟み撃ちかぁ! よっしゃ、切り開くぜぇ」
それに合いの手を入れたかのような、マリアが放った"波動"を合図に、カロリーナの鬱憤晴らしの突進が開始された。回復したルドがマリアとキャミィを守り、二人は背後からカロリーナを援護する。後方から襲撃してきたのは、結構な数の騎士や戦士などの魔物の群れだ。
「ヨーレンス...解除だ。後ろの援護に...」
「は、はいぃぃぃ!」
とはいえ、この強大なゴーレムをどう仕留めるというのか、ヨーレンスには良く分からなかった。だが、自身の発動した近代魔法が保ちそうもないことだけははっきりしている。彼は指示通りに"障壁"を解除すると、走りながら器用に回復薬をあおる。そして後方での戦闘に加勢するのであった。
突進して相応の数を屠ったカロリーナは、灰を浴びながら、一旦下がる。マリアと後方から駆け上がってきたヨーレンスはそのまま前に出て、マリアが更に"波動"を連発して動きを止め、ヨーレンスが"炎"で魔物の群れを炎上させた。燃え盛る炎に焼かれ、灰が舞う。ともあれ一息ついた一行は、抜け目なく回復をするのだった。
「ジオンは...!?」
ダンジョンの薄暗さは数ブロック先すらも視認し難い。
「優勢です。こちらが退路を開くには充分な時間稼ぎかと」
後ろを振り返ったカロリーナに、しっかりと状況確認をしたキャミィが告げる。
「修羅ならあの人形も何とかするじゃろ。で、こっちの奥はどうなんじゃ?」
「炎が発動される直前...20体程が前方ブロックに見えました」
「頼りになる良い眼だねぇ! よし、火が収まったらやっちまうよぉ」
前後両方向での撤退戦はまだまだ続く。
退きながらの戦いは、例外なく難しい。上階への階段まで残りは5ブロック、だがキャミィの卓越した視力は、次々と召喚出現する夥しい数の魔物を捉えていた。
「また追加です。階段が見えません...」
「つくづく性質が悪いの。じゃが、詰め過ぎはこちらに有利じゃ」
勢いの弱った炎の向こう側、雲霞の如く召還された魔物の群れを見やり、マリアは不敵に笑う。ルドに薙刀を渡し、代わりに槍を受け取ると、彼女はカロリーナと並んで最前列に立った。
「やれやれ、だぁね。だけどあんたの言う通り...」
マリア以上に獰猛な笑みを浮かべるカロリーナは、更に前に進んだ。
「まずはあたしの見せ場だよぉ!」
空気を震わせるカロリーナの雄叫びに、団員達ですら一瞬竦んだ。次には弱った炎が衝撃で消え、更に目の前のブロックの敵の大半が文字通り消し飛ぶ。灰が朦々と立ち込める中、キャミィはこの女傑の突破力に戦慄した。
(身体能力強化型の近代魔法...それだけじゃないでしょうけど、凄い...)
あっという間に、カロリーナは3ブロック半を貫いた。
「全く...見せ過ぎじゃ。攻撃馬鹿はけしからんの」
マリアは毒づきながら、灰の煙から飛び出してくる、残りの魔物を掃討する。少人数ゆえに、思う存分に槍を振るうスペースはある。突きに薙ぎ、振り下ろしての叩きに足払い、カロリーナの凄まじい攻撃力に比べれば格段に落ちるものの、彼女は冷静かつ的確に仕留めてゆく。少々の打ち漏らしはあるが、ルドとキャミィが巧みに足止めをしている。そしていつの間にか棍棒を振り回し、数体の魔物を屠ったヨーレンスの姿に、マリアは微笑んだ。
(そろそろ...頃合いかしら?)
突進したカロリーナの第二波は、群れの最後列を突き抜けていた。
「反転! 来ます!」
キャミィの叫びと共に、反転したカロリーナは、群れを背後から蹂躙した。
「今じゃ、押し込むぞ」
キャミィを後列に置いたまま、横に並んだ三人は、ここぞとばかりに敵を押し込める。今度は逆の挟み撃ちが始まった。
「切り開いたようだな...」
カロリーナ突進を契機に退路を切り開いた一行の元に、ジオンが合流した。全身が薄汚れ、珍しく息が荒い。マリアはこれほどまで疲弊したジオンを初めて目にした。回復薬を立て続けに飲み干したのも含めて、だ。
「よう、殺れたのか?」
「ああ、何とかな...」
「ちっ、"あれ"を仕留めるなんて、あんたの方がヤバいよぉ」
カロリーナの言葉には自分には歯が立たなかった悔しさと、武人としての賞賛があった。
「...で? どうやって仕留めたんだい?」
「その話は...後にした方が良さそうだ...」
ジオンの言葉が終わらないうちに、薄暗くてもはっきり視認できる上階への階段のその前に、巨体が降り立ったのを誰もが目にした。
「生きて帰れれば...な...」
先程よりも大きなゴーレムが、一行の帰路に立ちはだかっていた。