【16】海の底の回廊
微かに潮の香りがする。間違い無くここは海の底なんだろうとキャミィは思った。ほんの少し前、コマンダ一同で港湾街の開かずの倉庫から侵入した。開かず、とはいえ隣の倉庫と繋がっていたのだから、呼び名とは裏腹にちょっと拍子抜けだ。4ブロックの集合体のスペースを下に降りること二回、慣れた手並みで魔物達を片付けると、辿り着いたのは長い回廊であった。方向からすると海の底に向かっているとノルド人の女傑が言い、相変わらずカッコいい団長はこの先がどれ位なのか情報が無いと冷静に言う。
(もし後ろから襲われたら...逃げ場は無いかも...)
最年少ながら、数多くの狩猟をこなしてきた彼女にとって、このブロックという構成は逃げ場が少なく、危険性を孕んでいるように思えてならない。
「解読はどうだ?」
ジオンが壁に手を当てて何やら念じている青年に声をかけていた。先のダンジョンでもそうだったが、この装術師の青年が居なければ、術式の解読やダンジョンの機能停止は不可能らしい。彼は旧街区の片隅に住んでいるエルフから、術式解読の為の指輪を託されているそうだ。キャミィの新しい武器や防具を整えてくれたのも彼女だ。寧ろ相変わらずおませなキャミィにとっては、団長の気持ちが彼女にいっていないかどうかだけが懸念材料だ。熟女好きがどうのこうのとマリアがしつこく呟いていたのがその懸念の発端ではあったのだが。
「こ、構造は掴めました...真っ直ぐ412ブロックです...」
「...そうか」
「あ、あの...この先の解読をしないとはっきり言えないんですが...」
「懸念があるのか?」
「ええ、魔物を召喚する術式に小細工のようなものが...」
「ふむ...」
報告をしながら、解読した術式を書き留める青年をキャミィはマリアの背後から観察していた。ちょっとキモいとは思うものの、見た目はまあまあ悪くはない。だが見るからにひ弱そうで、喋り方もたどたどしい。同族にもあれだけガクブルしている輩は居ない。この時点でのキャミィにとって、ヨーレンス・ヴァインライヒはそんな存在であった。
「単純な造りだけど...確かに時間が掛かりそうだねぇ」
マリアが発動させた円陣の近代魔法内で小休止と共に今後の作戦が練られていく。このノルド人の女傑は戦い方はともかく、戦略面では冷静さと慎重さがある。もしかすると終点は何処かの島の底かもしれないね、と少し冗談めかした言い回しが、自分に向けられていることをキャミィは感じ取った。こうしたさり気ない気遣いも出来るカロリーナ姐さんを、少なくとも現時点ではマリアより評価している。コマンダの主攻を担っているのもさることながら、見かけによらず女性らしい繊細さが見え隠れする。この少女は内心一番冷静に分析をしていた。
「ここから12ブロック目に一カ所、そ、その後は原則20ブロックごとに組まれています」
「上階のスペースを管理するのも併せると...」
「こ、これまででは最多です...し、しかも...」
ジオンとヨーレンスの会話によると、ここを管理する術式は数多い。おまけに全てを解読しない限り、全容が見えないらしい。ヨーレンスは術式ごとに書き換えての機能変換を考えたらしいが、性質の悪いここの創造者は、何やら小細工を施している模様だ。安易に書き換えようものなら、仕組まれた罠が発動する、そう言ってヨーレンスは身震いした。
「わかった...今日は次の術式解読までだ」
「戻ったらシュウェスタの助言が必要だねぇ。じゃあ、行こうかぁ」
ジオンとカロリーナが並んで最前列に立ち、すぐ後ろにルドが続く。この筋骨隆々なノルド人の大男は、状況によっては最前列で魔物を食い止めたり、隙間に侵入してくる魔物の攻撃が後列に届くのを防いでくれる。目立つ手甲を使っての受け止めや受け流しは巧みで、巨躯ゆえの体当たりも凄まじい。彼が魔物の行動を遅らせることが、この限定空間では値千金の時を生み出す。コマンダによる集団戦の楔役は間違い無くこの男だ。逞しい背中を見ながらキャミィは思う。そのキャミィの右にはマリア、左にはヨーレンスがいる。状況によって、この二人はルドの横のスペースを埋め、直接攻撃は勿論のこと、最前線へ向けて近代魔法を放つ。使える近代魔法も多く、回復も出来る、正に遊撃には打ってつけの配置だ。
(でも...足りていない...)
数が、である。現有戦力の能力は質が高いのは疑いようがない。但し少しでも対処を誤れば、スペースを良いように使われてしまうだろう。更にもし挟み撃ちにあった場合、最後尾の自分の持ち場から一気に崩されてしまうのが明白だ。ジオンやルドのポジション変更でそれまではやってきたようだが、常にそう出来るとは限らない。団長もそれは懸念していたが、まずは今の人数で、可能な限りの対処と連動を試しているらしかった。狩猟や駆除とは一線を画した危険度だというのに、相変わらず容赦ない。オブライエン一家の者達が聞けば、流石は修羅の旦那と大真面目に感嘆したかもしれないが。
目標地点へ歩みを進める中、キャミィはこの様に考えながらも、自らの仕事に没頭する。狩猟では素早さを活かした仕留め役を任されていたが、ことダンジョン探索においての役割は違う。主に最後尾で後方の警戒に当たることと、遠距離攻撃による前衛の補佐である。最も団員の中でも視力はずば抜けて高いので、前方からの接近の探知も行っている。この辺りに関しては狩猟を共にしている団長やマリアは全幅の信頼を置いてくれているし、カロリーナやルドも先の探索で認めてくれたようだ。もう一人は良く分からないけれど。
(礫は...何時でも出せる...防御は上がってるし、もっと慣れないといけないけど)
キャミィには入団祝いという名目で、武器防具と装具が与えられた。まだ使う機会は無いが、ツイストダガーと呼ばれる刀身が捻れたダガーの一種に、例の氷竜の素材で作られたドレスアーマー一式だ。もしかして寒さに強くなるのか、と期待したものの、そういった効果は無いらしい。とはいえ軽量でしかも通常の合金など遥かに凌駕する堅牢さだ。自分を大事にしているという団長からのメッセージだと、キャミィはマリア譲りの思い込みが激しい。
だが、目玉は近代魔法が刻まれたネックレスだろう。礫と仮名されている未申請のものだが、念じれば小石くらいの大きさの礫を次々と飛ばすことが出来る。攻撃力は大したものではないが、この無属性の魔弾は、一瞬魔物を怯ませる効果が高い。事実、コマンダに接近した魔物達は、キャミィの加入後に例外無く礫を浴びせられ、その隙にジオンとカロリーナの痛撃を悉く浴びる。最早最後列からこれが飛べば、戦闘開始の合図となっていた。
目標地点1ブロック手前、薄暗さが視界を狭めるその先に、キャミィは大きな影が佇むのを捉えた。
(これは...大きい!)
礫を続けざまに放った彼女の行動に、続けてマリアが反応した。
「放つぞ!」
すぐカロリーナの方へスライドしたジオンが作ったスペースに、マリアは"波動"を放つ。見事な三本足の鴉を形どった淡い緑色の波動は、闇に待ち受ける"それ"の姿を露わにした。
「へぇ! いよいよお出ましかい?」
挑発するカロリーナの威勢の良い声が響く中、キャミィは浴びせた近代魔法が余り効果が無いのを視認していた。
「効いてない! 様子を...」
少女の叫びは体当たりをしようと飛び出したルドには届かなかった。長い回廊に激しい激突音が響く。だが吹き飛ばされたのは、何とルドの方であった。