【5】季節外れの氷竜(1)
夕焼けが美しかった。昨日までは何日か吹雪が続き、所々雪が残っているものの、今日は午後から晴れ間が出た。空からの眺めはまた格別だった。軍務長官であるレイン・シュトルーヴェからの依頼を受け、ジオンとマリアは彼の手配した飛空船に乗り、エストラント南東部の例の平原に向かっている。
「これは...速いな。便利なものじゃの」
「うむ、同感だ...」
二人とも入国の際には飛空船の搭乗経験はあるものの、シュトルーヴェが手配した飛空船は小型の軍用機で偵察や伝令に使われるものらしい。一般旅客用とは違って、その速度には雲泥の差があった。
「いつかこうした自前の飛空船を持ちたいものじゃな。それ自体をコマンダの本拠にしてみるのも乙だと思うぞ」
「ほう...お前にしては素晴らしい意見だと思うぞ。乙かどうか俺にはわからないが......」
それはそれで夢がある。軽口を叩きながらもジオンは思う。この国なら確かにそれが叶う可能性はある。
眼下には例の円い平原が広がっていた。二人は前回の狩猟で使った陣地を使うことにしてある。搭乗員達が荷物の搬入を手伝ってくれた。なおシュトルーヴェからは大量のスタミナ回復薬の差し入れがあった。たった二人ゆえ効率良く使えるかどうかはともかく、これからの飛竜との戦闘を考えると用心に越したことはない。飛空船が去ったのを見てジオンは早速忍術を使い、陣地の屋根や柵をそれなりに破壊した。マリアは障壁魔法を発現させる位置を選定し、念入りに"印"を発動させるのに余念がない。日が落ちるまで時間はそれほど無かったが、長い時間を使って打ち合わせ、ここに至ってチームとしての連携も向上してきた二人には簡単な作業に過ぎなかった。
エストラント全土に夜の帳が落ちる頃、同様にパドゥムユでも夜を迎えている。氷竜包囲陣は静かだった。出現から何度か移動する氷竜を追いかけてその都度包囲が行われていた。当初は他の魔獣の群れとの遭遇もあったが、竜種が出現していることが影響しているのか、それらとの遭遇はこの段階になると皆無だった。執拗な包囲と嫌がらせで氷竜は弱ってきている。季節外れということで本来の能力を発揮出来ない状態であったが、トップクラスの精鋭コマンダ達の仕事は的確であった。既に最終局面に至っている。包囲陣の範囲はここに至って狭くなり、彼らは標的を小さい岩山の上まで追い詰めていた。
「さて、ここまで至れば後は奴が帰るのを待つだけじゃが...戦れんのが口惜しいわい」
巨体のドワーフが酒をあおって嘆息した。
「だねぇ...もう何度も同じ話題だけど...やっぱ狩猟者の意地ってやつは誰もあるよねぇ」
巨体のドワーフに応えたのは、銀色の甲冑を纏った金髪の女だった。その言葉にはやや訛があり、外国人であることを伺わせる。
「おお、フロールヴの! あの岩山に攻め登るんなら、どちらが一番槍か競いたいもんじゃのぅ」
戦闘意欲を湧かせる二人に割って入った声があった。
「ようお二人...そう言っても無理だと思うぜ。火竜の時を覚えてるだろ?」
「そうそう。まだまだ削りきってないんだから...もう半月ぐらい徹底的に嫌がらせをしてやるんだから...」
短髪で皮鎧を装備した陽気な男と、濃い茶髪でどことなく陰気な雰囲気を纏う女性だ。
「エリンにハイドゥの! 儂にはそりゃ無理ってもんじゃ」
「コズロフの親方、俺は負けたくない主義なんでね...」
彼らのやり取りをにこやかに聞きながら、カスパルス・ホーヴェルソンが口を開いた。
「では、お揃いなので始めましょうか」
ホーヴェルソンを筆頭に、コズロフ、フロールヴ、エリン、ハイドゥ..."五大コマンダ"と称される、狩猟者の大コマンダの代表者達がここに集結していた。
「まずここまで犠牲も出ず...皆さんの働きに感謝します。氷竜は詰みの状態ですし」
「まあ...本音を言えば戦りに行きたいのはやまやまなんだけどな」
短髪の皮鎧の男...セルゲイ・ヴォディアノヴァが答えると、
「なんじゃ、結局儂と同じではないか!」
巨体のドワーフ...ジノヴィ・ヴァーリンの茶々が入る。
「ちょっと...まだまだ嫌がらせよ。泣き入れるまで許さないんだから...」
「ツィスカ、あんたもしつこいねぇ...ガチ勝負は最後は気合だよぉ」
陰気な雰囲気のツィスカ・ハイドゥに対し、見るからに武闘派のカロリーナ・フロールヴは衰えない戦闘意欲を滲み出していた。
「ホーヴェルソンの旦那ぁ、予備隊にも結構な手練れがいるんでしょ? そろそろ全員集めて最後の攻撃と洒落こまないの?」
「最後はやはり我々で...今後のこともあるんですよ、フロールヴさん」
「ああ、あの新法ね。あんた政治家向きだよ、ホント」
カロリーナを宥めるホーヴェルソンに対し、意外に理知的なセルゲイは先を見据えている様子だ。
「まあ、今後のことは今は置いておこう。どれカスパルス、始めんかい」
見るからに一番年長のジノヴィの一言で彼らの作戦会議は漸く始まった。
円い平原は日が落ちて暗くなってきていた。ジオンとマリアは大胆にも例の円陣を発動せず陣地内に潜んだ。念の為ではあるが、小型魔獣は元より氷竜までもが円陣を警戒して近づいて来ないほんの僅かの可能性を恐れたからだ。
「まあパドゥムユに比べればかなりマシじゃからの」
以前の隠密行動を思い出しながら、こうした物事に動じない強さを見せるようになってきているマリアに、ジオンも珍しく笑顔のようなものを見せた。
「後は...待つのみ、だな。それからは殺るだけだ......」
「全く、御主だけではないのか? この場面で楽しんでおるのは...」
マリアは飛竜と戦った経験が無い。これから相対するであろう氷竜を初めて見た時は恐怖と絶望に支配されてしまった。だがそれを払拭できたのは、シュトルーヴェとの会談でジオンが火竜と戦って倒した経験があると聞いたからだ。かつてこの国に出現した火竜は、当時の全戦力で漸く撃退するに至るというとんでもない怪物だった。それを別口とはいえ最終的には単独で仕留めている自分の相棒の偉業に彼女は救われていた。
「で、そろそろ例の件など我には話しても良いのではないか?」
シュトルーヴェとの邂逅以来、ジオンに対して聞けなかった、その過去のことをマリアはここに至って促した。夜天の平原にたった二人という状況もそれを後押しした。仮眠をとる直前、彼女は勇気を持って口を開いたのであった。
「......それは、まだ難しい...が...」
「何ぃ! おのれ、そう来るならこちらにも考えが...」
次のマリアの行動にジオンは恐怖を抱いた。防具を脱ぎ捨てたと思いきや服まで脱ぎだそうとしたからだ。
「くくく...邪魔者はおらん...こうなれば身体で聞いてやるわ...ふふふ...」
「ま、待てぇ!!!」
邪神のような目つきで既に半裸に近い彼女をジオンは珍しく慌てふためいて止めた。懸命に彼女を押し留め、漸く服や防具を再装備させると、いつものような無表情を纏った。
「ふふん。では話してもらうぞ」
まだ艶っぽい仕草で話を促すマリアは、結果としてどちらに転んでもいいので、してやったりの表情だった。
「大まかだが...今はこれで納得してほしい......」
ぽつぽつとジオンは誰にも語らなかった過去を遂に話し出す。そしてそれは和の国において起こった悲劇に彩られた悲しい物語であった。