【4】新法の波紋
軍務長官レイン・シュトルーヴェとカムイ・コマンダの会談から一夜が明けた。あの後いつも通りのマリアに加え、酔って醜態を晒すミーナ・クイクの面倒をみて、ジオンが帰宅したのは明け方に近かった。マリアに関しては途中で手がつけられなくなったこともあって、やむを得ずジオンは彼女に関しては自分の部屋で寝かせた。既に時刻は昼だ。ソファーから起きたジオンは珍しく既に起きているマリアの姿にぎょっとした。解毒の近代魔法が妙に効いたらしい。
「覚えておらぬ...悔しいがあの行き遅れのことは覚えておるのに...御主、こうなれば記憶が定かな今のうちにもう一度......」
相変わらずその思考はブッ飛んでいる。今にも飛びついてきそうなマリアの殺気が気味悪かったが、そこは慌てて部屋に入ってきたヴァレリーとトーマスに救われた。
「先生! 新しい法を...これは、これは...」
新法の要約とそれに伴う布告は以下の通りだ。
『治安維持の為に国防軍を新設する。エストラント及びクールラント、リーフラントの国民を優先』
『創業から五年未満の外国資本の商会の業務停止。及び新規外国資本は一部を除き期間無制限で凍結する。本年6月から実施』
『狩猟者は狩猟・駆除・探索のみを認める。なお各コマンダに自治権が与えられる。なお近代魔法等を始めとする権利収入は許可される』
「これでは先生のお仕事が...」
「...大丈夫だ。対策はある」
言葉にならないヴァレリーと心配するトーマスに対し、ジオンはゆっくりと己の存念を述べた。
「まず商会業務に関しては残念だが...この法は連邦加入の為の準備段階に過ぎない」
「準備段階ですと? 既に街道を繋げ、三国の国民は権利平等になって基礎準備は終わっている筈ですが」
「トーマスさん、この国と連邦の通貨価値はまだ開きがある。"そういうこと"だと私は推察している。これが外国資本に対する制限に繋がる...」
「そうか! 現在エストラント金貨に対する連邦金貨の価値は十倍でしたね」
「そして私のような商会が、特にクールラントやリーフラントの商会に買い叩かれれば...連邦通貨の正式流通前にエストラント貨幣との格差を低くできるはずだ」
「統一エストラントの経済的体力の底上げですな。多少強引ですがね。だが先生はどうなされるおつもりですか?」
「商会の保有資産を切り売りする。また今のうちに保有している連邦通貨を全部手放す。そのまま私は狩猟者のコマンダのみを存続する」
ここで漸くヴァレリーが口を開いた。
「先生のご存念は分かりました。私も和の国の方の強さは心得ております。先生の今後のご武運を祈りましょう...お聞きしたいことが二つあります。通貨格差の予想と新しい狩猟者に関する利点です」
心優しいヴァレリーは落ち込んではいたものの、流石商売人である。ジオンとトーマスのやり取りを聞き、すぐに利点を見いだした彼の目は商機を逃すまいと決意した目であった。
「新通貨導入直後に五倍未満で成功だろう。つまり現在保有の連邦通貨をそのままにしていたら、価値は半減する...」
そしてジオンは続ける。
「今度は組合ではなくコマンダが自由に狩猟者を認定できるし、依頼も各自受注だ。そして知っての通り私は近代魔法の権利収入があるし、これからもっと増える。加えて今まで認定されなかった希望者を入れられる...誰でもな。後は投資と同じだ。資本を運用して利益を上げるのは私次第だ...」
「新法後のコマンダは後になってから規制も徐々に緩和されるでしょうね。連邦の経済政策がそうですし、我が国もいつまでも突っ張れないでしょうね」
「長くても二年、短ければ年明け早々とも考えられる...」
「分かりました。先生は早々に手仕舞いをされると思いますので、今のうちに我々で買えるものを...」
「了解した。此方からも宜しくお願いしたい」
三人の経済話の間、マリアは黙っていた。彼女にとっても最近興味が出てきた商売や投資の話は大事ではあったが、それよりも昨夜の秘密依頼の方が重要である。珍しく空気を読み、商談の合間に口を挟んでみた。
「御主、例の件の準備はどうする? 我の方でやれることは引き受けるが」
「ああ...恐らく来週辺りになるだろう。装備関係は変えなくていい。できれば"あいつ"の件を...」
「いや、恐らく今は国境にいるはずじゃ。奴らは総動員じゃからな」
解体師は全チームに総動員がかけられた。オブライエン一家もカムイ・コマンダとの狩猟から戻ると、翌日には国境へ向かっていた。既に国境で他コマンダのサポートをこなしている筈だ。
「それにしても来週辺りとはどういうことじゃ?」
彼女の中では一刻も早く依頼を成功させることが最優先であると思っている。それには素早く目標へ近づくことが、討伐成功への近道という考えであった。
「策を話しておく必要があるな。これから商会関係の手続きをする...夕刻にそちらへ出向いていいか?」
夕刻、マリアは住み込んでいる工房の私室でジオンを迎えた。同居人のリズは依頼にかかりきりだ。まだ降雪があるこの国は夕方になると日によっては寒い。この日も丁度冬のような寒さであった。
「策は待ち構えることにある...」
いつもの無表情で語り始めたジオンに、いつもなら"平常運転"の茶々を入れる彼女であるが、この時ばかりは違った。口にはしないものの、彼女はジオンが火竜を単独で仕留めたという過去を知った。心中は相変わらず乙女チックな独り言や妄想が渦を巻いているものの、話す言葉は現実的で的確になっている。シュトルーヴェの話が影響しているのかもしれないが、これはマリアの狩猟者としてのプロ意識の萌芽でもあった。
「待つ...その理由を聞きたいものじゃ。そして来週の意味もな。寒さが続くのは来週一杯までというのは知っておるがの」
エストラントが確かに北方地域とはいえ、5月の終わりには一気に気温は上がる。氷竜の活動時期ではないが、それを逸脱している今回の標的は異常である。懸念や不安が数多くあるのは至極当然のことだった。
「飛竜のスタミナは尋常じゃない...俺が嘗て火竜と戦った時には、ひと月以上を費やした。数多くの犠牲を出してな......」
マリアはジオンの言葉に少し後悔が滲んでいるのを感じ取った。
「奴らの習性として一つ分かっていることがある...時折魔素の無い所に移動して息抜きのような行動をする事だ。丁度あの時のような...」
「あの平原でのような、ということじゃな?」
「ああ...しかも奴らが行く場所は一定している...これがもう一つ分かっていることだ」
「あの平原で寒さが和らぐ前の最後の行動の時を狙うと...だがそうでなかった時の対応策はあるのか? 相手は弱っているとはいえ竜種じゃぞ」
飛竜に限らず竜種の強さは他の魔獣とは一線を画す。それにジオンは昼間に装備は変える必要が無いとも言った。マリアにとってはまだまだ討伐に不安が尽きないことだらけだった。
不意にジオンの視線が優しくなったようにマリアは感じた。
「大丈夫だ。俺を信じろ......」
今までも打ち合わせは頻繁にあった。だが今回のように彼女が下ネタもほぼ言わずに真剣さを前面に出して話したことは初めてだった。その優しい視線が自分を本当に認めてくれたのか、もしくは真剣に愛情を抱いてのものなのか、いつもなら迷うことなく後者一択からの妄想と暴走の始まりなのだが、無表情のままマリアは自分の顔が少し火照っているのを感じていた。
(ああ...何か私...いつもと違う......)
打ち合わせはその日、夜遅くまで続いた。そして5日後、カムイ・コマンダは氷竜討伐に赴くのである。