【3】軍務長官の秘密依頼
ミーナがジオンへの手紙を商会部門の封筒に入れて送付したのは、長官命令を受けた翌日の午後のことだった。午前中に密会場所は設定した。彼女の心配は恐らく一緒に行動しているであろう、"残念エルフ"ことマリア・クルーゼンシュテルンの方だった。ミーナは担当とはいえ彼女を苦手にしているし、内心嫌っているのは確かだ。講習からこれまでのやり取りをミーナは思い出したくもない。その美貌に自分が劣ることは何とか認めるが、あの口調で慎みがないとか行き遅れなどと言われるのには怒り心頭である。逆に言えば、ミーナ自身はそのことを非常に気にしているということでもあるのだが。
ジオンはミーナからの手紙を受け取った時にはマリアと一緒だった。待機を申し渡されて以降、彼女は毎日ジオンの私室に一日中いる。商会の手伝い名目だが、実は先日の酒の転売の一件で大金の分け前にありついたせいで、彼女は投資とか商売の効率の良さに今更ながら気付いたらしい。なお自称貴族の家系は伊達ではなく、意外に高価なものや骨董品の目利きも優れている。逆に最近はジオンの方がこういった分野について教わる始末だ。ヴァレリーや番頭のトーマスも同様である。
ジオンは無表情にミーナからの手紙を読み、面倒なことだと思った。国の重要人物との会談ということだが、彼自身は忍びとしての経歴から重要人物イコール暗殺対象という感想だ。そういう実績も少なからずある。
「何じゃ? 投資の話か?」
商会からの封筒を見てマリアが言う。
「お前の目利きが必要かもな...」
「ふふ、そういうことか。御主も我のことを手触りで鑑定しても良いのだぞ」
いつも通りのやり取りを交わすと、ジオンは彼女の表情を真剣に変える一言を告げる。
「相手は政府高官らしい。油断は禁物だ」
三日後の夕方、二人は"スヴァーリの隠れ家"の指定された部屋に入った。何度も来ている所だが、初めて入る大きめの部屋だ。そしてテーブルには既にミーナと茶色い髭を生やした鋭い目つきの男が座っていた。互いを紹介するかのような話を始めた彼女をジオンは制した。
「余計な言葉の装飾は不要だ。用件を言ってくれ」
沈黙したミーナとは対照的に男は笑った。
「それは助かる。私はレイン・シュトルーヴェ。この国の軍務長官だ...」
見た目は無表情だが、狩猟者を管理する頂点の存在を目にして、マリアはやや驚いた。だがその驚きは始まりに過ぎなかった。
「用件は飛竜...季節外れの氷竜の討伐だ」
渋い声での唐突な依頼に、ミーナとマリアは表情を変えた。ミーナに至っては動揺しているようだ。
「あんたは飛竜を退けて引き分けには満足しないということか?」
「話が早くて助かる。今回は...勝たなければいけない理由があるんでね」
「し、しかし長官...既に各精鋭コマンダが包囲しているのでは...そこへこの二人を向かわせるのは...」
まだ動揺から立ち直れないミーナがある意味正論を述べた。
「彼らでは勝てないんだよ、ミーナ・クイク。それにジオン君なら、精鋭コマンダを出し抜くのも仕事の範疇だ」
「その通りだ...対処の仕方は此方の仕事だ」
シュトルーヴェの言葉をジオンは即座に肯定した。
「ほらね。そして彼を心配する必要は無い。何せ彼は過去に火竜を仕留めているからな...」
何気ないシュトルーヴェの言葉にミーナの動揺は頂点に達した。
「そ、そんな筈は...」
「ふむ、御主ならあり得る話じゃの」
ジオンの強さを間近で知るマリアの方がまだ冷静だった。
(やだ...私の旦那様はやっぱり強いわ...)
寧ろ冷静さとは裏腹に、内心は乙女チックにドキドキしているのが本当ではあるが。
まだ表情を崩さないジオンを見やり、シュトルーヴェは言葉を続けた。
「ジオン君...私はあの時一人勝ち残って引き揚げて来る君を遠目に見ていたよ。あの時は視察に訪れた武官の一人だったが。先日何気なく報告書を読んだら、あれから徹底的に調べた君の名をまさかのこの国で...正に天佑だと思った次第だ...」
「それで...今回だけ勝ちたい理由はまだか?」
「失礼した...実は明日新たな法令が......」
ジオンの促しにシュトルーヴェは新法令の意義と狙いを語った。
「それでは...我らの商会業務は出来なくなるではないか!?」
ややムッとしたマリアを余所にジオンはその狙いを理解した。
「新しい狩猟者の意義...要は無名コマンダが派手な勝ち方をすればあんたの狙い通りになる。そういうことでいいか?」
「その通りだ。その為に君達に依頼したい。引き受けて貰えるだろうか?」
まだマリアは納得していなかったが、ジオンの無表情を見て、彼が飛竜に関して策を立ててある口ぶりだったのを思い出した。そうとなれば同じコマンダである。自然と彼女の表情から憤りは消え、ジオンと同じく無表情を纏う。長官の前で暴走するのではないかというミーナの懸念など知らぬ顔である。マリアなりのミーナに対する当てつけでもあり、敏感に感じ取ったミーナは内心ムッとなった。
「依頼内容は了解した。引き受けよう」
ジオンの言葉にシュトルーヴェは微笑み、ミーナはまだ心配した表情のままだ。
「宜しく頼む。これで用件は終わりだ。雑談でもどうだね?」
シュトルーヴェはそう言うと食事や酒を手配し、特に狩猟のことを二人に聞いてきた。用件が済めば雑談を始める、この辺りは政治家らしい習性でもある。
「ほう、その巨大熊は狡猾だったな。肉は美味だったかね?」
「炭火魔法? いやはや面白い解体師達だな」
「そうか...やはり焼き鳥は野天の下が一番だな。私は手羽が好みだが」
渋い声とは裏腹に、シュトルーヴェは雑談好きであった。むしろ今のほうが素の性格に近いのではないかとジオンは思ったが、ミーナは初めて目にする長官の朗らかな様子に驚愕している。今宵は驚かされることばかりだ。彼女は話に相槌を打ちながらも、結構な量の酒をあおっていた。そして話がダンジョン探索に及んだ時、シュトルーヴェは一瞬元の雰囲気になった。
「そう、その通りだ...今後の狩猟者の発展の鍵はそこだ。まだ見ぬ未知と恐らく巨万の富と名声...狩猟者はやはり未知に挑むからこそ、その存在が際立つのだよ。国防とかそんな意義は別次元のことだ.....」
彼も結構な量を飲んでいる。雑談の最中、本音を漏らしてしまうことは良くあることだ。これも政治家の悲しい性とでも言うのだろうか。
「さて、私はお暇しよう。君達はまだ楽しんでくれ」
シュトルーヴェはそう言って席を立った。酔いが回ってきたいつものマリアと、目が座ってきているミーナは席を立つことが出来なかった。仕方なくジオンはシュトルーヴェを見送ることにした。既に店の裏手には馬車が待機している。乗り込む直前、彼はジオンに言った。
「しばらくぶりで楽しかったよ。部下の観察も出来た...あの面白いお嬢さんにも宜しく伝えてほしい」
「この後の記憶が定かではないだろうが、伝えておこう」
「はは...ともあれ依頼を引き受けて感謝している。ジオン・シュズキィ...」
馬車が出発すると同時に背を向けたジオンは小声で呟いた。
「......スズキ、だ」
なおその後、彼がいつものマリアに加えて醜態を晒すミーナまで面倒をみる羽目になったのは言うまでもない。