第五話 なかないキリンとむせるゾウ
ゾウが見たい、と菊池がうるさいので、日曜日に近くの動物園まで出掛けるはめになった。
集合場所の入園口に着くと、菊池と嘘部と、そして、呼んでいない安達さんが来ていた。
ものすごくおしゃれをして来ている。ふわふわの巻き髪にし、花の髪飾りをつけ、鮮やかなピンクのワンピースを着ている
来るだろうとは予想していたが、やはり来たか。大方、私と菊池の関係が気になっているのだろう。
とにかく自分がいつでもそこにいないと気が済まない性格なのだ、彼女という人間は。
「ゾウさん鳴くかな~」
菊池は安達さんと手を繋ぎ、スキップしながら私と嘘部の前を歩く。
この個性的すぎる三人は私一人の手には負えないと思ったため、実は秦先輩も誘っていた。しかし、嘘部も来ると伝えると、何故か断られてしまった。
喧嘩でもしているのだろうか。そもそも話しているところなんて一度も見たことはないのだが。
「あっちは何がいるかな~」
菊池は安達さんと二人で勝手にずんずんと進んで行ってしまう。
彼らのことは放っておいて、私は私でスケッチしたい動物を探す。キリンを見つけ、檻の近くに腰掛けた。
嘘部は私に大人しく付いてきた。
看板のデザインの参考になるかもと、久しぶりにスケッチブックを買って持ってきていた。
新品のスケッチブックは、捲るたびに紙で指を切ってしまいそうで、怖いけど、でも、わくわくする。両手両足の指先まで、熱い血液が巡る感覚がする。
キリンはやはり、すらりと背が高く、四肢が長く、優しくて綺麗な顔をしていた。その美しさを、できるだけ正確に紙上に再現する。
本当に大人しくて鳴かない動物だな、と思う。
嘘部は、私の隣で、キリンを睨みつけたり、スケッチブックを覗き込んだりを繰り返していた。
「大丈夫?」
私はスケッチブックから目を離さずに訊いた。
「何が」
「安達さんのこと」
嘘部は、だから何のことだよ、と少し声を荒げた。
「菊池が安達さんといちゃいちゃしているのを見せつけられて大丈夫なのか、って言っているの」
顔を上げて嘘部の細い瞳と対峙した。
嘘部が嘘部と呼ばれるようになったのは、安達さんと深く関係がある。
去年、私達が高校一年生の時、安達さんは、先輩に襲われそうになったことがある。
彼女は当時から風紀委員に属しており、先輩に対しても臆することなく、遅刻や制服の着方を厳しく取り締まっていたようだった。
馬鹿正直な彼女のことだ。ガラの悪い男子の先輩にも、いつもと同じ態度で注意をしたのだろう。その姿が容易に目に浮かぶ。
結局そのせいで、とある先輩の恨みを買い、腹いせにいたずらされそうになったのである。
どこまでしようとしていたのかは定かではないが、彼女の制服を無理やり脱がせようとしていたことは確かだ。
そしてそれを助けたのが他でもない嘘部だった。現場に通りかかった嘘部は、すぐさま彼女から犯人を引き剥がし、ぽーんと背負い投げを決めた。受け身の取れなかった犯人は大怪我を負った。
大怪我を負った犯人は、嘘部に一方的に暴力を加えられたと騒いだ。
しかし安達さんの名誉のためだろう、嘘部は彼女を助けたようとしたことを言い訳にしなかった。
柔道部に所属し、一年生にして戦力になっていた彼は、大会直前だったにもかかわらず一ヶ月間の部活動停止を余儀なくされた。彼は先輩に怪我をさせた理由を、口論から始まった喧嘩だと言ったそうだ。
すでに理由なき一方的な暴力として噂が広まっていたため、嘘部の弁明は嘘だと受け止められた。
かくしてほら吹きの嘘部が誕生した。
これらは全て秦先輩から聞いた話だ。先輩はしょうもない嘘をつくような人間ではないし、嘘部の性格を考慮してみても、この話は概ね真実なのだろう。
何故秦先輩がこんなことを知っているのかはわからないが。
とにかく、身を挺して彼女をも守り、嘘つき呼ばわりされてもなお耐え続けているくらいだから、相当安達さんに入れ込んでいるのだろう。そう考えて、嘘部の今の状況を可哀想に思ったのだった。
「お前は本当に何もわかってないのな」
嘘部はいつものように、にかっと笑った。
どういうことよ、と詰め寄ったが、いいから描け、と強引に座らされた。
それからしばらくスケッチブックと格闘したが、どうも納得のいく姿が描けない。
「あ」
ふと思いつき、キリンに餌をあげるよう嘘部に指示する。キリンがニンジンを食べようと首を傾けた姿を目の当たりにした私は、思わずおおっと声を上げた。
これだ、これが描きたい。スケッチブックの上で鉛筆の先を滑らせる。
嘘部は、うわぁ今指を舐められた、とぎゃあぎゅあ騒いでいた。
「あっちにゾウがいるから来てよ~」
キリンのスケッチを終える頃、菊池と安達さんが我々二人を探しに来た。
「あんまり可愛くないわね」
ゾウの目の前に来るなり安達さんがそんなことを言う。でかいし全身皺だらけだし可愛くない、と。
「失礼なことを言うなよ安達。この可愛らしいつぶらな瞳を見てみろよ。こりゃメスだな」
嘘部がまた適当なことを言う。
「オスだよ。よく見な、ついてるでしょうが」
すかさず私が指摘すると、お前、もっと恥ずかしそうに言えよな、と嘘部はわざとらしく顔をしかめた。
そんな会話にはお構いなしにゾウは草を食べ続けていた。
菊池はというと檻にへばりついてゾウにぱおーん?と話しかけている。
「ムッゴファ」
突然大きな騒音がした。
「今ゾウが鳴いたよ!」
菊池が、振り返って叫んだ。
「ムッゴファ」
どうやら食事をしていたゾウから発せられた音だったようだ。草を喉に詰まらせて咳でもしたのだろう。
「ゾウはムッゴファって鳴くんだ!大発見だよ!」
菊池は小躍りしている。嘘部も面白がって、ムッゴファムッゴファとものまねをする。
それから暫くの間、ムッゴファが彼らのブームになってしまったのは言うまでもない。