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遅い芽吹きとサクラサク

作者: 陽向

「何で…今なのよっ!!っ!?!?いったぁい!!!!!!」


 頭上ニメートルに咲くピンク色の花。

 待ち望んだその花を発見して出たそれはそれはひどい悲鳴。そして低く響く鈍い音。赤く腫れるは中指の第一関節の骨。これはピンポイントで痛い。尋常じゃなく痛い。痛すぎて声が出ないレベル。悶絶。木を殴るなんて罰当たりなこともう二度とやらない。よくわかったごめんなさい。


 長年開花を待ち望んだ桜は私を嘲笑うかのように一輪だけ姿を見せた。

 見事なぐらいに咲き誇ってなどいないたったの一輪。

 それでも綺麗に咲くその桜を見て自然と目の前が涙で歪むのは悲しいからかこの手の痛みのせいか。


〝サクラサク〟


 そうなって欲しかった私の片想い。

 彼はどういう想いだったのだろう。



 


 家の小さな庭に植えられているこの桜は、私が生まれた日に祖父が苗木を購入して植えたものだ。

 四月下旬に生まれた日は見事な快晴で病院の窓からは見事に咲き誇る八重桜の木が誕生を祝ってくれたそうだ。私もあの桜の木のように綺麗で気高い女性になって欲しいという願いが込められて植えられた。

 それから十年が経ちその苗木も大きな木に変わったが桜が芽吹く様子は見られなかった。

 初夏には青々とした緑の葉をつけ、秋にはその葉を褐色にお色直し、冬には葉を落とし春に備えていた。

 その様子を毎日観察していたからこそ待ち望む次の春。しかしこの木は一向に蕾を付けることはない。

 その八重桜を見て「大器晩成の桜なんだよ」と私を慰めるように祖父はいつも言っていた。大器晩成…晩成っていつですか? 死ぬまでに見られるの?? 幼いながらその慰めがとても虚しかった。



 桜の芽吹きを待ち焦がれる十歳の三月中旬。

 双眼鏡を取り出して蕾を隅々まで探す。だがくまなく探してもないものはない。今年もまたダメかと諦めかけたそのレンズの端を桃色の何かを掠めた。

 その場所をもう一度双眼鏡で確認するが何もない。なんだ気のせいかと見下ろすと、靴の上にピンク色のものを見つけおもむろにそれを手にすると待ちに待ったそれだった。


「さ、くら……?」


 そう桜の花弁である。ずっと待ち望んでいた桜。それが今、目の前にあるのだ。

 慌てて目の前の木を隅々まで探したが一向に探している桜の花は見つからない。ではどこからこの花弁は来たのか。思考を巡らす私の目の前をまたピンクが通り過ぎる。一つ、二つとゆっくりと舞い落ちる先は塀の向こうだった。


 家の裏手には川が流れていた。大きくはない五メートルほどの小さな川。それは市の境にもなっていて対岸は隣の市だった。川一本先は未知の世界。渡るための橋は一キロほど先である。私はまだ一人で橋の向こう側へ出かけた事がなかった。


 この桜の花を見てみたい。


 その一心で小さな冒険。よく通る道でも車と自分の足で歩くでは全く違う。見慣れたはずの景色でも格段美しく映るものである。しかも今日は絶好のお散歩日和。足取りだってこんなに軽やかで今にも踊りだしてしまうのではないかと感じるくらいだ。

 色あせた茶色の橋を超えると知らな街なんてたいそうなものではなく先ほど通ってきた自宅前の道と相違ないどこにでもある車が二台通れるぐらいの中央車線がない小さな道路。この道の一キロ先にお目当ての家はある。

 心は自然と踊った。


 その家はすぐに分かった。二階建てのどこにでもある一軒家。私の家と差ほど変わらない庭に植えてある数本の木の一本から止めどなく舞い踊る桜の花弁が家の前の道路をピンクの絨毯に変えていた。

 桜の木自体は私の家のものよりも小さいと思う。でも満開に咲き誇る桜は見た事がないはずの私が生まれた病院の桜を連想させた。


 これこそ〝サクラサク〟


「………綺麗」

「下着が?」


 突然頭上から舞い降りた声にはっと我に帰った。当たりを見渡すと二階の窓に人の姿は見えるが逆光のせいで顔わからない。


「え…下着?」

「なんだ。下着泥棒じゃねーのか」

「泥棒…?!?」


 見れば庭には物干し竿。そこにかかるは白いタオルと洋服ともちろん女性物の下着もあった。


「泥棒じゃない!」

「そりゃそうだ。ぼーっと立ってる泥棒なんてすぐに捕まっちまう」


 なんて初対面で失礼きわまりない。そんな趣味なんてないしこの年で泥棒とか親の顔を是非拝みたよね。


「最近ここらへんに下着泥棒が出るんだよ。捕まえてやろうと下着借りたけどダメだったか。オバサンパンツ」


 …お母さん不憫だ。


「で、何が綺麗?」

「あ桜が…」

「あれか。ちょっと待ってて」


 待って。ちょっと待て。下着泥棒ってことでいきなり捕まえたりしない? え、大丈夫だよね??

 “小学生下着泥棒で逮捕” 明日の一面を飾る見出しが脳裏を掠め自然と身震いが起きてしまう。どうしようとうろたえている間にダンダンと階段を降りる音が聞こえ玄関の扉が勢いよく開いた。


「…何そのかっこ?」


 やっべ。身体が勝手に身構えてた。


「いやぁ~捕まえたりしないかなぁって」

「しねーわ」


 ぷっと噴出した笑顔は元気な小学生の男の子そのものだった。しかし大きく口を開き豪快に声をあげて笑う姿は妙残った。背丈は私と変わらないくらい。同じ学年か一つ上くらいだろう。柔らかそうな黒髪を揺らしながらケラケラとよく笑うそんな子。

 ようやく落ち着いたであろうその子の細められていた瞳が私を捕らえた。くっきり二重の大きな双眼。


「桜見たいんだろ。入れよ」


 彼の後について玄関脇を通り庭に出ると目の前を桃色が通り過ぎる。

 小さな庭にひしめくように植えられている植物。色とりどりのプランターの花が霞んでしまうほどそのピンクの存在は圧巻で私の心を捕らえた。


「河津桜。早咲きの桜だな」


 誰しものがその存在を知る桜のソメイヨシノは三月下旬に開花し四月の上旬には見ごろを迎え散っていく。その後に慌ててその存在を忘れないでと言わんばかりに芽吹くのが八重桜だ。開花が遅ければ五月を過ぎても見ることのできる八重桜は桜にしては大振りで大輪の牡丹のような花だ。

 目の前の桜は八重桜と真逆に近い。樹木自体も小さければ花も小さめ。色は淡い紅色。早生種にあたるその桜はこの地域では今が三月の上旬には芽吹き今が見ごろを迎えるという。


「俺が生まれた日に植えられたんだ」

「私と一緒…」


 嬉しそうに誇らしげに言う彼の言葉に思わず出てしまった言葉。そして後悔。同じだけど同じじゃない。

 だって家の桜は。


「でもまだ咲いた事ないけどね」


 自嘲気味に笑いながら言ったら彼は言った。


「咲いたら二回もお花見出来る!」






 その満面の笑みに私はつられて笑ってしまって、それからさらに桜の開花が待ち遠しくなった。

 彼の名前は天典(たかのり)

 隣の市の一個上。三月という早生まれにして遅く生まれた天典とたった一か月しか変わらずに月日では早く生まれたはずの私は学年が一つ下。時々先輩ぶる孝典を見ては腹立たしさを覚え、羨ましくもあった。

 孝典を好きになるのに時間なんてかからなかった。桜に魔法があるのなら出逢ったときにはもうかけられていたのかもしれない。

 しかし市が違えば小学校、中学校が別になるのは当たり前で一緒になることがない。遊びたくても直線距離では五メートル先にいるお隣さんは実際距離では歩いて三十分。自転車で五分(ただし立ち漕ぎ全開の場合)の距離。

 まるでロミオとジュリエットみたい、と言ったら天典に馬鹿にされた。



 私は気持ちを素直に伝えていたと思う。伝えるというかぶつける。


「天典ー!!!」


 勢いよく後ろから飛びかかりがっちりとホールドしたはずの腕はいとも簡単に解かれて私の体は地上に降り立つ。

 出会ったときは同じくらいだった身長はいつの間にやらその差を開き私は孝典の肩ぐらいしかない。体格も男らしく変わってしまった彼の顔を見上げると昔と変わらない柔らかそうな黒髪を揺らして私の顔を覗き込んできた。大きな目は昔と変わらないなーでもかっこよくなったなーなんて感傷にひたっていると昔と大きく変わった低い声が鼓膜を揺らす。


「それ殺しにかかってるから」

「いやー楽しかったからつい」

凛音(りんね)は重いから背中ドンはプロレスわざと一緒」

「かけてやろうか締め技」

「遠慮します」


 目を細めて笑う笑顔は昔と全く変わらない。そして昔と同じく変わらない距離感を忌々しく思う。

 私は孝典が好きだ。直接言ったことはないけど伝えてるはずだ。伝わってるよね? え、わかるよね??


 私と天典は何事もなくすくすと一緒に成長した。

 天典 小学校卒業、私 小学生五年

 天典 中学校卒業、私 中学校二年

 天典 高校卒業、私 高校二年←イマココ

 イマココって古い? そんなの知るかー!!!

 そうなのかまってられるか!!! だって、だって…


 天典は運動も出来て勉強も出来て性格もよくて、大学も推薦で決まっている出来すぎた王子さまだった。

 一方の私は孝典と同じ高校に入学はできたものの成績も普通で運動もそこそこで、どこにでもいる女の子で、口がさけてもお姫様なんて言えない。でも王子に迎えに来てほしい。そんなことは夢見る乙女心はある。

 好きってアピールはしまくった。でも告白は自分からしない。女の子はいつだって告白されたい。じれったくて告白しちゃうって人もいると思うが、私はいつまでだって待つ。待つよ。そして待った結果がこのざまだ。

 王子が迎えにくる気配はない。

 それどころか明日には天典は旅立ってしまう。

 私の目の前で花見の片付けをしている大きな背中を睨みつけた。


「こえー顔」


 振り返った天典にその顔を見られてしまった。私の気も知らずに笑顔を振りまく天典につられて笑ってしまう。


 今日は一緒に出来る最後の花見だった。

 年に二回、天典と花見をした。三月中旬に天典の家で満開の桜を見ながら。そして四月の初めに私の家で。


「結局咲かなかったな八重桜」


 そう、私の桜は未だに咲くことはなかった。二回目の花見はいつだって裸の木の下で開く。今年は天典の引越しに合わせて三月の中旬にした。やはり桜の蕾はなくいつもの裸の木の下だった。

 桜が咲かない花見を楽しみに待ち焦がれて毎回楽しくて嬉しくてしかたなかったのは天典が居たからだ。

 それが来年から無くなる。出来なくなる。


 そんなのヤダ。


「天典!!!!!」


 後ろから飛びかかり首に捕まる。


「だからそれ殺しに…凛音??」


 待つって決めたのに…もう無理だよ。我慢出来ない。


「私ね…私!!えっ、ええぇ!?!?!???」


 想いを告げようを心に決めて口にしようとした私は何故か今空を仰いでいる。

 何がどうなってこうなった…?


「ごめん! 何か思わず投げてた…」


 そうなんです。私、投げられました。

 一本背負いみたいな形で、首に抱きついた腕を取られてそのままヒョイって投げられて。でも地面に叩きつけられることはなく優しくそのままの状態で寝かせられて今空を見てわけです。なんて綺麗な青空なんだろ。

 じゃなくて今って言ってほしくないってことだよね? だから慌てて誤魔化したんだよね? 意を決したところで届かなかったのかな…

 溢れる涙を隠すために腕で瞳を覆った。


「ごめん…でも想いは託してるから、少し待って」


 上から響く声はあの時と全く違う。でも懐かしい言葉に思わず勢いよく起き上がると目の前に天典の顔があった。


「うわああああぁ!!!!」

「…何そのかっこ?」

「え…何だろ」


 やっべ。また構えてた。


「なんだよ」


 ぷっと噴き出し口を大きくあけて笑い出す姿は全く変わっていない。私はこのこの笑顔が好きだった。


「まだ手は出さない。来年待ってて」


 そう告げると天典は髪をくしゃくしゃと撫でて去っていった。

 待って。待って。今の何?? 今のこの五分間ぐらいの出来事なんですか?!

 告白しようとして失敗して、でも振られてもなくて別れの挨拶も出来ていなくて餞の言葉も言えていないどころか、待っててと言われた。

 これはいったい…

 目の前の呆然と八重桜を見上げると一番日当たりの良い枝の先にピンク色の花が咲いていた。


「何で…何で今なのよっ!!」


 桜が散ったのか咲いたのか混乱している頭のときに見つけてしまったずっと待ち望んだ桜。思わず殴ってしまったのはそのはずみだ。


〝サクラサク〟


 そう信じていいってこと?


「待ってるから! そして待ってて! 絶対に同じ大学に受かってやるんだから!!」


 一輪だけ咲いた八重桜に私は宣戦布告をした。




 次の年、満開に咲いた八重桜の写真が祖父から送られてきて、それを見せると嬉しそうに笑った。



河津桜の花言葉は〝想いを託します〟

彼が想いを託したのは何でしょう?笑




彼と彼女の名前は大好きな作家さまのお名前をお借りしました。

お誕生日、本当におめでとうございます!!!

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