婆ちゃんと詐欺師な俺
「ミーンミンミンミーン」
蝉が煩くなく季節、田舎町に降りたった俺は外の熱気にぶわっと汗を拭きだす。
「ちきしょう、夏なんか大嫌いだ」
俺は無人のホームで叫ぶと、電車の中でもうしばらく涼んでいればよかったと少し後悔する。
「くそっ、自販機がなんで故障中のまま放置されてんだよ」
聞いたことも無い駅で、俺は切符を入れる箱の中に居れる事もしないままホームを出る。
無賃乗車。切符も拾ったのを使い、適用外の場所まで延々と電車を乗り継ぎ移動してきて辿り着いた場所であった。
何となくだった。ただただ無人で、無賃乗車がバレナイ場所を選んだだけに過ぎなかった。
「しかし本当に何もねぇなぁ」
ぼやきながら、外を見渡すも広い道がずっと伸びているだけで、建物の一つもみえやしなかった。
「……取り敢えず歩くか」
歩き出す。何故身長がこんなにも伸びてしまったのかと嘆く、188㎝も身長が高けりゃ太陽に他の奴よりも近いから、余計に熱いんだよクソが。
「って、一人であーだこーだ考えても何だか虚しいな」
本当に誰も居なかった。荒れ放題の土地が広がり、人の姿なんてどこにも見えやしなかった。
「不味ったかな、何もねぇ」
歩き続ける事1時間程。正確な時間は時計をしていないのでわからないが、黒いシャツが熱気を含み汗はとまらず溢れ続けていた。
「うわっ、何も見えねぇ……」
振り返ると、先ほど降りたはずの駅の姿も既に見えなくなっていた。このまま戻るのも癪に思った俺はかまわず歩き続ける。
渇き。クラクラする意識の中、石垣が見えて来る。
「もしかして……」
重くなっていた足が自然と早くなる。そして気が付けば俺は一つの民家まで辿り着いていた。
大きな一戸建ての家だった。古臭い木造の家だったが、今はなりふり構っていられなかった。
俺は唇を歪ませ、歪な笑みを作り上げる。
俺は詐欺師。人を騙してこれまで生きてきたが、仲間が捕まり何もかもを置いてあわてて逃げて来た身である。証拠品に俺に関わる物は何も残っていない、仲間が俺を売らない限りは何も問題は無い。
いや、問題はあるか。稼いだ金は全て別の奴がもっていってしまっただろう。要するに完全に無一文、あるのは自分の体と今着ている黒いシャツとジーパン、それにお気に入りの黒色スニーカーだけであった。
「はぁ、やるぞ、俺はやるぞ……」
電車の中で何度も二度と悪い事はしません、だから俺を捕まえないでくださいと神頼みをしていたのに、俺という人間はどうしてこうなのだろうか。
一言、お茶を下さいと頼めばいいのではないか? 他人がそんな事を言って訪れたら変だろう? ああ、変だ、可笑しい。それにハイどうぞ、なんて言ってくれる世界なんて俺は知らない。
ならば如何すればいいか? 簡単だ、騙せばいい。
カンカンッ、とドアを叩くリングを手にすると、少し強めに扉を叩いて見せた。
「んだよ、無人だったか……」
そう呟き扉に手をかけると、力を入れると同時に扉が開く。
「きゃっ、驚いたわー。なんだぁ?」
目を丸くして驚いてみせる婆。途端に、俺はスマイルを作り出して婆に話しかける。
「婆ちゃん! 久しぶり、俺だよ俺! わかるだろう?」
「はて? 誰だい?」
「俺だって、都会に言ってた俺だよ!」
「……ああ、タビちゃんかぁ? たまげたー、大きくなったねー」
「そう、タビだよタビ! 婆ちゃんこそ、元気そうでよかったよ!」
「あらあら、お世辞がお上手。まっ、唇をそなげにカラカラにさせて、おいで。アンタが好きな麦茶、すぐいれてあげるからさ」
「ありがとう婆ちゃん」
俺はヤッタゼと心の中で叫び、中に入る。どうやら、家の中にはこの婆しか居ないようだ。
「ほら、そこでテレビでも見てまってんしゃい」
「わかったよ」
婆が台所にいくのを確認すると、俺は手あたり次第に居間の中にある棚の中身を確認していく。
「しけてやがるな」
通帳をみつけるも、中には年金でギリギリの生活をやりくりしている履歴しか残っていなかった。
要するに、貧乏な独り暮らしを送っているのだろう。
「タビちゃん、ほら麦茶。ごめんねぇ、氷は作って無くて入れてあげれなかったよ」
「いいよ婆ちゃん、それじゃいただきます」
グビグビッと一気に飲み干すと、おかわり持ってくるねと婆は再びコップを持って奥へと引っ込んだ。
「ふはぁ、生き返るわー! しかし、こんな場所に長居する訳にもいかねぇな」
流石にあの通帳の残高をみてまで、金を盗ろうなんて思えなかった。
「タビちゃん、久々に顔をみせてくれてありがとねぇ。私ぁ、すっかり皆から忘れられちゃったかと思ってたよ」
なんだよ婆、長話は御免だぞ?
「これ、受け取っておくれ」
「ん、なんだ?」
俺は封筒を受け取ると、徐に中身を取り出す。
「ちょっ! これは……?」
手が震える。良いのかこんな事があっても? 良いのか、これを受け取っても。
「タビちゃんが帰ってきたら、渡そう渡そうって思ってたんだぁ。ごめんなぁ? こんだけしかお小遣いあげらんなくてぇ」
封筒の中身には一万円札が一枚、入っていた。前までの俺なら喜んで頂いて、そのままドロンをしておしまい。そうだったはずなのに、何故か胸の中が熱くなる。
残高は毎月数十円まで引き出されては、年金の振り込みを待ち続けているという履歴を見てしまっていたのだ。そんな婆にとって、一万円がどれ程貴重な金額なのか、今の俺には想像もつかなかった。
「う、受け取れねぇよ!」
「いんや、これはタビちゃんの為にって、そう思って用意してたんだぁ。昔みたいに、受け取って、な?」
「……わかったよ婆ちゃん」
俺は金を受け取ると、顔を見に来ただけだからと言ってスグにこの民家から出て行った。帰り際、婆は寂しそうに手を振って見送るだけだった。
「くそっ、婆のクセに……くそっ」
封筒を握りしめながら、俺は来た道を帰ろうとする。
しかし、一本道だったと思ったそこはいくつか分岐しており、気が付けばすっかり田舎町の中で迷子になっていた。
「やべぇ、陽が落ちてきやがった」
街灯も見当たらないこんな場所で一人、彷徨うなんてごめんである。疲れた体に鞭打ち歩き続けると、やっと一つの建物が視界に入る。
「光だ……文明って凄いな」
そんな事を一人愚痴りながら、俺はその施設の中へと入ってゆく。
「いらっしゃいませ、おひとりさまですか?」
「ああ……」
偶然だったが、田舎町にもホテルはあるらしい。俺は野宿をするよりマシだと思い、そのままホテルの受付と会話を続けた。
「今日はいくらで泊まれる?」
「本日は8000円でございます」
たけぇ。手持ちの1万がほとんど無くなっちまうじゃないか……が、しょうがない。野宿なんて嫌なんだ、ここは婆の金を使わせてもらう事にする。
「それが一番安い部屋か?」
「はい、本日一番安いお部屋でございます」
「わかった、それじゃそれで頼むわ」
「ありがとうございます。御朝食はいかがいたしましょうか?」
「頼む」
「はい、それでは9000円になります」
俺は一万円札を取り出すと、御釣りの1000円札をポケットにねじ込みホテルの部屋へと直行する。
晩飯を食う金を節約して、朝のバイキングをたらふくくってやると思いながら風呂に入る事もせず眠りについた。
翌朝、歩き疲れ眠ってしまったのだろう、服を着替える事もしないままベッドに倒れ込んでいた状態で意識を覚醒させた。
シャワーを浴び、まだ時間に余裕があったのでシャツを洗面所で水洗いすると、ボディソープで無理矢理に洗濯をした。バシャン、と浴槽にシャツを広げ干すと浴衣に着替え朝のバイキングへと向かう。
「案外人っているんだな……」
人目を気にしながら、俺はパンをひたすらとっては食べ続けた。こっそり数個程パンを部屋に持ち込むと、チェックアウト前まで部屋で粘ると、そこで昼食替わりとばかりにパンを頬張った。昼食を終えた俺は、まだ半乾きのシャツを着て俺はホテルをチェックアウトしたのだった。
「だぁ、今日も熱いぞゴルァ―!」
一人虚しく叫んで見せるも、既に視界上には何も見えない。独り言も、ここまで誰も居ないと本当に虚しいもんだなと思い、俺は最後に食べたパンを少し後悔する。
「あーもうっ、水分がたりやしねぇ」
昨日同様、唇をカラカラにさせながら何処へ向かって歩いているかもわからないまま俺はひたすら歩き続けた。
すると、昨日見た覚えのある石垣を発見した。
「あー、戻ってきちまったのか……」
直射日光で頭が痛む、汗も止まらない。そのくせ喉はカラカラときたもんだ。
俺は意を決し、石垣の中に構える家へと向かう。
「婆ちゃんー、俺だよー、タビだよー!」
しばらくすると、引き戸がガラガラガラと開き昨日会ったばかりの婆が顔をみせる。
「あらまぁ、タビちゃん。また会いに来てくれたのかい?」
「そ、そうだよ婆ちゃん」
「ふふふ、優しいねぇタビちゃんは。あがっておいき、麦茶、用意してあげるから」
俺は案内されるがままに、昨日と同じ居間へと辿り着く。風鈴の音だけが響く部屋の中で、婆は昨日と同じコップに麦茶を注ぎ込んで運んできてくれた。
「はいタビちゃん。おかわりもあるからね」
「ありがとう」
受け取ったコップはキンキンに冷えており、カランと氷が擦れ合う音が響く。
「ぷはぁ、うめぇ」
「あらあら、こぼれちゃってるわよ」
「ははは、平気だってこれくらい」
自然と出た笑み。久々に本心から笑ったような、そんな気がした。
「それにしてもタビちゃん、都会に帰っちゃったんじゃないのかい?」
「いやー、そのぉ……そう、ちょっと田舎の空気を吸いたくなってさー! 都会って空気が悪いんだぜー? 車が沢山走ってるし、煙草を吸いながら歩いてる輩も沢山いるときた」
「へぇ、そうなのかい。それじゃあまだしばらくここにはいるのかい?」
「え? あ、ああ、そうだな。その予定だ」
「なんだぁ、それじゃあ家に泊まってけばよかったのに。今夜からしばらく泊まってけ?」
俺は一瞬悩むも、周辺の地理感も掴めていないまま彷徨うのも嫌なので甘える事にする。
「そっか、それじゃ少しだけ世話になろうかな」
「んだんだ、おせんべい食べる? いや、ちょっと待ってな。確かあそこに……」
赤の他人である俺の為に、婆は一生懸命に何かをしようと振る舞った。きっと婆の息子はそうとう愛されているのだろう、それに比べ俺は……いや、考えるな。俺は俺だ。
そうして三日が過ぎた。婆ちゃんは俺に優しくしてくれ、俺の愚痴をうんうんと優しい笑顔で嬉しそうに聞いてくれた。俺は俺で、全てを受け止めてくれる婆ちゃんに少しずつ心を開いていった。
「それでさぁ婆ちゃん、上司がさぁ」
俺の愚痴は止まらない。苗字も名前も知らない婆ちゃんは、俺の話を聞き続けてくれた。
夜ご飯も、奮発してくれたのだろう。冷凍していた肉を解いて焼いてくれたものを出してくれた。
そして俺四日目の夜、俺は布団の中で目を瞑り考える。これ以上ここにいちゃダメだと。
これ以上この人に甘える訳にはいかないと。謝ろう、いつになるかわからないけど必ずまた会いに来ようと思い、そのまま眠りについた。
翌朝、婆ちゃんとの会話中に俺は正面向かって話し出す。
「なぁ婆ちゃん、実はさ……大切な話しがあるんだ」
「なんだぁ? 急に改まって」
「その、あの……本当にごめん! 婆ちゃん、実は俺はタビって奴じゃないんだ!」
「……」
「俺の名前は野村 柳太って言うんだ……ごめんよ婆ちゃん、俺、婆ちゃんをだま」
俺が言い終える前に、婆ちゃんは笑いながら俺の手を掴む。
「良いんだぁ、良いんだタビちゃん……んや、柳太さん。私も柳太さん騙すような事してたから……」
「何、だよ婆ちゃん?」
「私にゃもう身内なんてぇ誰も居ないんだわぁ。ここでひっそりと、一人寂しく死んでいくだけだと思ってたんだぁ」
「……」
今度は俺が黙り込む番だった。
「寂しい毎日だったんだぁ。そこに、お前さんが来てくれたぁ。こんな田舎に若い他人が来るなんてぇ驚いたんだぁ。でも私ぁ嬉しかったんだぁ。こんなよぼよぼ婆さんとお話ししてくれる人が居たんだなぁって。本当だよ柳太さん?」
俺は言葉に詰まる。こんな形では無く、もっと良い出会いをしたかったと後悔する。
「だからぁ、柳太さんは私にとっちゃ息子も当然なんだぁ。柳太さんはこんな婆さんの息子は嫌かえ?」
「嫌じゃない! 嫌な訳ないじゃないか!」
俺は抱きしめていた。痛い痛い、と優しくタップする婆ちゃんに抱き付き、俺は見られないようにそっと涙を流した。
「俺、都会で悪い事もしてたんだ……」
「そうかいそうかい、大変だったんだねぇ」
婆ちゃんは俺の言葉の一つ一つに優しく返してくれた。そして今度こそ、俺は決意する。
「俺、自首しようと思うよ……そしてムショから出てきたら、またここに来ても良いかな?」
「柳太さんは本当に優しい心を持ってるんだぁ。私の自慢の息子だぁ、いつでも帰って来て良いんだ」
こうして俺はクシャクシャになった1000円札を使い、自分の罪を告白する為に都会へと戻った。その時に買ったラガールカードは、今でも残高0のまま大切に財布にしまっている。
1年後。思いのほか早く解放された俺は、記憶を辿り石垣のある家へと向かう。
「だぁー、夏は暑すぎるぜ」
唇をカラカラにしながら、家の戸を叩く。
俺、更生したんだぜ? と自慢げに話す姿を妄想しながら、俺は婆ちゃんが出てくるのをひたすらに待った。だが、いつまでたっても中から誰かが出てくる気配無かった。
短編を書かせていただきました。
皆様は現実で両親と会っていますか?
久々に会っても、喧嘩ばかりしてしまう家庭。
久々に会っても、会話の無い家庭。
久々に会っても、決して手料理が出ないインスタントな家庭。
色々な家庭の形があるでしょう。しかし、親は子の顔を見るだけでも本心は嬉しいものです。
この物語はそんな『日常』にあるはずの喜び、幸せを二度と手に出来ない婆ちゃんが、最後の刻に人と共に居る喜び。人と会話が出来る喜びを手に入れるお話でした。