第三章 攻防
コックス魔術協会責任者ケルビン・オーキス一級導師は、メルフィナ――という名は知らないが――の城内潜入による混乱に乗じて、一つの行動にでた。野望や大志と呼ばれる壮大な意志からではなく、単なる好奇心と物欲の双生児でしかないのだが、場合によってはその成果が野望や大志につながる糸にもなりえるのを彼は理解していた。
作戦室へ向かうシェイカスに従うのをやめ、彼は精神を集中した。
「〈我が魔力の門を開きたまえ〉」
オーキスは契約魔法の発動をうながす合い言葉を発し、続いて「〈我が望みの場所へ〉」と発音する。身体に刻まれた呪文が、一瞬で実行された。
彼の姿は、城内地下へと移っていた。正確には、北東の尖塔に設置された、彼専用の地下研究室である。
窓もない闇の部屋を魔法の照明で灯し、中心に置かれた巨大な棺のような金属箱を見てほくそ笑む。シェイカスがいては、すべてを持っていかれるだろう。ならば混乱に乗じて、先に中をあらため、必要な物は頂いてしまおう。
行動理念はいたって姑息ではあるが、中身が魔法王国ゼルスの遺産ともなれば、普段は抑えこんでいる貪欲な意思でさえ辛抱できずにわいてこよう。ましてオーキスは、それらの感情に素直であった。
握りしめていたコインを明かりのもとで観察する。ゼルスの神聖文字が目について、解読を試みた。
『我、時と生命を刻むモノ』
オーキスは意味がわからず首をかしげた。だが、深く考える時間もない。棺のフタにコインと同程度のくぼみがあったので、変化を期待しつつはめこんでみた。
コインは計ったようにぴったりと収まった。
コインが自動的に時計回りの回転をはじめ、それに連動して、箱の四方をかためていた閂が押し出されていく。
一分後、閂がすべて外れ、フタが開いた。
「さぁ、何が入って――」
興奮を抑えきれなかったオーキスだが、中身を見て失望した。
「なんだこのミイラは? 他には斧が二本だけか?」
横たわる人型のひからびた身体は、不思議なことに傷んでいたり、虫に食われた形成もない。顔を覆うマスクも、まるで新品のように艶やかだった。
オーキスは興味をひく唯一の戦斧に手を伸ばした。
とたん、彼の右腕が消えていた。
彼は、血をふきだす自身の右腕を冷静に見つめ、それから棺から覗いている己の右手を不思議な物のように眺めた。
絶叫が飛び出したのは、右手が失われてから一〇秒も過ぎたころだった。
「わ…わわわたしの右腕がぁ!」
バキバキと、骨を砕く音が棺から聞こえる。
オーキスは尻もちをついて壁にへばりつき、恐怖の元凶をみつめた。
やがて棺から立ち上がったのは、背中に翼を持つ人間の女性であった。オーキスの右手を糧に、それは肉を蘇らせ、鱗に艶を取り戻す。仮面に覆われた目で周囲を探り、自分の得物である戦斧を両手に握った。
オーキスは恐怖の絶頂にあった。それゆえに、彼は自己保身を最優先に考えられた。彼が勇敢な戦士でもあれば、生命は一分と保たなかったであろう。オーキスはなによりもまず、逃げることを思い立った。いや、それしかないと結論づけていたのである。
「〈我が望みの場所へ〉」と震える声でつぶやき、この場合もっとも頼れるであろうシェイカスの目前へ跳んだ。
将軍は侵入者の捕獲指示を部下にあたえているところであった。血まみれのオーキスが机上に現れ、作戦室は混乱に陥りかけたが、シェイカスは部下へ一喝することで場をおさめた。このようなとき彼の覇気に満ちた低く重い声は、兵士の心に昂揚と勇気を与える。
「賊にやられたか?」
「いえ、例の物から化け物が!」
「……勝手に開けたというわけか」
「それについてはお詫びのしようもありません。ですが今は、あれを何とかしないことには……」
オーキスは意識して話をそらせようとしたわけでなかった。まだ恐怖から立ちなおることができず、化け物が一刻も早く斃されるのを心から望んでいるのである。
「キサマがそこまで怖れるのなら、あながちウソではないな。クルガ中隊へ連絡。北東の地下室へ行き、化け物とやらを討伐しろ」
伝令が勢いよく駆けていくと、シェイカスは刀を手に取った。
「カルカめ、そういうつもりか」オーキスが抜け駆けをしていなければ、もしかすると第一被害者は彼自身であったかも知れない。化け物だろうとおくれをとるつもりはないが、油断はあっただろう。シェイカスは奥歯を砕けるほどかみしめ、次の伝令を言い渡した。
「城内に潜りこんだネズミともども、カルカを始末せよ。まだ城内のどこかにいるはずだ」
将軍は刀を抜き、机を叩き割った。
オーキスの単独行動から二〇分後には、『守り手』と呼ばれる化け物は地下室から地上へ現れ、兵士を思うがままに蹂躙していた。
メルフィナは突然の出来事に隙を見せたわけであるが、今はどうにか持ち直している。だが、むやみに攻撃へ転じようとはしなかった。
おたがいに攻撃の手を休めたため、二人の間には緊張と沈黙が生まれた。カルカが、打ち切ったはずの会話をふたたびはじめたのは、むしろ自然であった。
「キサマといい、あの赤毛の人間といい、なかなかに興味深い。お前たちの目的はいったいなんだ? 何のためにここまで来たのだ?」
「コウガが言ったでしょ。わたしはゼルスのコインてのが気になったから。それに、あんたの素性とこの国との関係も、今は知りたいトコだわ」
「知ってどうなる?」
「さぁね。気に入らなければ叩きつぶすし、どーでもいいならほっとくわ。でも、あんな化け物を見た以上、退けそうにないわね」
メルフィナは足下から響く剣戟と、人の絶叫をとぎれることなく聞いていた。美しく整えられた庭園は、今や見る影もなく血と肉に埋まっていた。
「それで、あんたの目的はなんなの?」
「わたしは彼らの欲する物をあたえただけだ。ゼルスの遺産と、それを解く鍵をな」
「ふ〜ん、あの化け物が遺産で、コインが鍵ってトコかしら。でも、城の方々はとても歓迎してるようには見えないわよ」
「中身がなんであろうと、その後どうなろうと、わたしの関知するところではない」
「なんかムカツクわね」メルフィナは見えない物体にやつあたりするように、大きく剣を振りまわした。
「あんたはこのさきどーすんのよ?」
「この街が滅びるサマを見て、一族のもとへ帰る」
「ちょっと待ちなさいよ。兵士が死のうが、城が壊れようがどうでもいいけど、街には関係ない人間がいっぱいいるのよ」
「関知せぬといったはず」
「あんたねー!」メルフィナは剣をかまえてカルカに突進した。
黒の男はまっすぐ襲い来る彼女を、五発の闇の弾丸と、剛剣の一撃で迎えた。
彼女は白い羽を彷彿させる自慢の剣で、魔法も剛剣も受けとめた。メルフィナの銀瞳とカルカの金瞳が、激しく衝突する。
「あれをとめなさい。できないとは言わせないわ」
「ことわる」
「なんだってこんなことするのよ」
「人間がそれを望んでいるからだ。ゼルスの遺産は、触れてはならないのだ」
「だったらなぜ渡したりする」
「体感せねばわかるまい」
「それなら当人が罰を受ければいい。他人にまで被害を出すことはないでしょう」
「キサマら人間が――」
「それを言うか!」両者の拮抗したつばぜり合いは、カルカの憤激の一喝で一変した。族長は怒りにまかせて剣を振り抜き、メルフィナを吹き飛ばす。間髪いれず〈黒き刃〉が連射されたが、メルフィナは防戦一方になりながらも、致命傷を避け続けた。
落ち着くためか、疲労のためか、カルカは魔法をとめて呼吸をととのえた。
「人間は人間だけで勝手に生きて滅びろ。我が一族をまきこむな」
「あんたら『昏き民』に何があったのか、わたしにはわからない。その青い肌のためか、金色の瞳のためか、人間にない能力のためか、たぶん全部が人間にとって畏怖の存在だった。だから迫害され、あなたたちは追いつめられた……。そういうこと?」
「わたしは族長として、一族を守るために戦うだけだ」
「それは理解できる。でも――」
「そして、今はなきゼルス王のために」
「ゼルス王?」意外な言葉に、メルフィナの思考は空転した。一族の復讐や、守護を目的として人間を襲うというのは、動機として納得もできる。だが、二〇〇〇年以上昔に滅んだ王国に、なぜ義理立てするのだろうか。昏き民の寿命はおよそ三〇〇年であるから、それを考慮しても何世代も昔になるだろう。それでもなお、守るべきものが彼らにはあるというのか。
「ちょっと、それどういう意味?」
メルフィナの問いに、カルカはゆっくりと口を開きかけた。もし、光と炎を融合した魔力が二人を襲わなければ、彼女は答えを得ていたであろう。この二人だからこそ、強力な魔法の一撃を避け、無事でいられたのだ。
メルフィナとカルカは、同時に魔力の発生源をにらみつけた。
「オーキス……」
右腕をなくした魔法使いが宙を漂っていた。その眼は怒りを放ち、カルカを射抜かんばかりであった。
「カルカ、よくもだましてくれたな。おかげでこのザマだ」
「心外だな。あれは間違いなくゼルスの遺産であり、鍵であったはず」
「だまれ! 制御できぬ兵器など、ただのガラクタだ!」
「なるほど、制御できねば惨事になると伝え忘れたのはこちらの不手際だ」
カルカは嘲笑し、転移魔法で姿を消した。
「おのれ、カルカぁ!」
オーキスはカルカを追跡すべく、昏き民の波動をつかみ、転移魔法を発動させた。一瞬だけメルフィナを視界にいれたものの、かまう余裕がないらしく、舌打ちを残して消えた。
カルカからも警備兵からも放置される形となったメルフィナは、まず何をしようか悩んでしまった。そして、悩んだ自分が恥ずかしくなり、一人赤面した。
「やることはひとつ、化け物退治よ!」
テラスを勢いよく飛び降り、真下にいる守り手に剣を向ける。
翡翠色のウロコをもつ巨人は、こと戦闘に関しては油断がなかった。
おちてくるメルフィナを感覚で認識し、血に染まった翼をはためかせてその場を離脱。わずかな距離をホバリングして、彼女の着地を待った。
「いいカンしてるわぁ。手応えありそう」
余裕ではなく、自身を鼓舞する言葉であった。なにせ未知の化け物である。気持ちは本気でかからねば、敗北もあるだろう。しかし彼女は、負けるつもりは毛頭なかった。
「さがっていなさい。あんたらが勝てる相手ではないわ」
遠巻きにする兵士たちは、侵入者の無礼なセリフを看過できるほど自尊心を失ってはいない。反論と反発が行動をともない、化け物への無謀な攻撃を試みる。が、一〇秒を数えることなく、死者と負傷者が二ケタ追加されただけで、何ら成果はあがらなかった。
結果が予想できたものであった以上、メルフィナはさらに声を高めるのだった。
「わたしが斃してやるって言っている! だまって仲間の手当でもしてろ!」
尊大だが、兵士の胸に響くものがあった。彼女の声そのものが、シェイカス将軍の号令のように奮起と冷静さを具合良くあたえてくれる。もはや彼女に逆らう者はなかった。
「言うではないか」軍を統括するシェイカスが、無様な部下の有様に堪えかね、現場へと現れた。戦うために引き抜いたはずの赤刃刀を肩にかつぎ、化け物とメルフィナを見比べる。どちらが斃れようとこちらに損はない。側近に負傷者の救助と部隊の再編成を命じて、シェイカスはイスを持ち出して見物を決めこんだ。
一方メルフィナとしては、原因とおぼしき将軍が出てくるとわかっていれば、わざわざ出しゃばることはなかったわけで、舌打ちを禁じえない。今さら退くわけにもいかず、あらためて怪物と対峙した。
身長は彼女の二倍強、背中には頑強なウロコが生え、尻尾と翼まで持っている。両手には磨きぬかれた白銀の戦斧が握られ、多くの人間の血を吸って赤黒く染まっていた。
あれも聖銀かしら? と、疑問に思う間もなく、守り手はメルフィナに向かって先制の一撃を加えた。
力の差が段違いなのは一目瞭然だ。メルフィナは受けようとはせず、左にステップを踏んだ。
が、見通すように爬虫類の尻尾が彼女に襲いかかる。
避けるのは困難であったため、剣を盾がわりに衝撃を受けとめ、勢いにさからわずにはじき飛ばされる。意図して行ったことなので、城壁が迫っても混乱することなく体勢を立てなおし、膝のバネでダメージを吸収。さらに反発して守り手の脇腹へ急襲をかける。
しかし血染めの白き翼が、まるで盾になるように巨人の身体をかくし、メルフィナの一撃を不発させた。
メルフィナは一度距離をとり、ふぅと息をついた。
「羽と尻尾がジャマね」
ぼやいてみても、それをどうにかできるわけではない。斬れる剣ならば、何の算段もなくただ斬りつけていけばいいのだが、彼女の剣には刃がない。刺すくらいならば力任せにできようが、そのためには懐深く侵入し、しかも一度で決着をつけねばならなかった。
「しかたない、ちょっと本気でいくか」
ため息をつき、しばしの沈黙の後、彼女は柔らかく走り出した。
真正面からせまる女戦士に、奇怪な女巨人は斧の一振りでむかえた。
メルフィナは、剣で斧の軌道を撫でるように内側へそらし、本来フォローされるべきもう一方の攻撃を未然にふせいだ。
手の出なくなった守り手は、恐るべき反射速度で攻撃手段をかみつきへとかえた。
迫る白い仮面は、通常の人間には恐怖でしかない。けれどメルフィナは退かなかった。綺麗に生えそろった化け物の歯と、戦士にしては美しすぎるメルフィナの顔がぶつかるまさに刹那的瞬間、白金に近い金髪が月の光に輝く。
階段を一段飛びのるような軽やかな跳躍。しかしそこから繰り出された膝は、仮面の下の顔面を砕いていた。
「クオォォォォォ!」
守り手から初めて悲鳴があがった。
化け物も痛みを感じるのか? 誰もが唐突に疑問を浮かべたが、答えをもとめる暇さえなかった。
白き剣と白き鎧の戦士は、のけぞる守り手の豊かな胸に、渾身の力をこめて刃なき刃を突きたてた。
化け物は活動を終え、前のめりに倒れた。
下敷きになるのを避けて、深々と刺さる剣を残して後方に跳んでいたメルフィナは、ゆっくりと守り手に近づいた。
脚で仰向けにひっくり返し、柄まで飲み込んでいた剣を引き抜く。
「はい、おわり」
剣についた黒い血を、一振りでうち払い、周囲を眺めやる。
歓声がわきおこり、称賛が彼女にあびせられた。
酔いしれるわけでもないが、悪くない気分ではある。
つけこまれるとしたら、絶妙のタイミングといえるだろう。
彼女の背後で、倒れたはずの化け物が歯をむき出して起きあがってきた。
察知できないメルフィナではない。
あろうことか、化け物の頭部だけが首を伸ばして彼女へ迫った。
「しつこい」メルフィナは剣のない左手を、のびてくる仮面の顔に向けた。
「〈銀の閃き〉」
美しい旋律が発せられると同時に、仮面と頭部は六等分され地面に転がった。
今度こそ終わり。誰もがそう思ったことであろう。だが幕はまだおりてはいなかった。
さすがのメルフィナも、予想さえしなかった。
魔力の炎が、彼女を中心に爆発した。
なにが起きたのかさえ理解できぬうちに、メルフィナの命の灯火は、急速に小さくなっていった。
「オーキス、しくじったな」シェイカスは背後に現れた魔術師に言った。
「面目ありません。ヤツにはまんまと逃げられ、コインまでも奪われました」
「あの小娘を殺したとて、失態はぬぐえぬぞ」
「わかっております」
オーキスは深々と頭をさげた。
将軍は立ち上がり、全軍への出撃準備を号令した。
「明朝、枯れた森へ進軍する!」
オーキス以外の全将兵が疑問を感じたが、誰も口にはしなった。
戦争直前の独特の活気につつまれて、コックス城の夜は深まっていった。
安全と用心が彼の信条であって、さらに安寧と怠惰が加われば、コウガの人生は幸せで満たされていた。戦闘行為とは、そういったすべてを壊すものである以上、歓迎もしなければ、近寄りたくもないのである。だが、状況が定まってしまったのでは、どうにかしなければ彼の幸せは再びおとずれはしないだろう。
石像の剣士から逃げ回るのにも、限界を感じてきていた。外への扉は完全に閉ざされ、助けが来ることも期待はできない。必死に考えて思いついた打開策は、もう一つの扉から出てみるというものだった。
扉はすんなり開くだろうか、部屋を出れば番人から逃げられるのか、その先には何があるのか、頭からは不安要素しか浮かばないのだが、留まっていても死期が迫るだけなのである。
目的の扉から引き離すように逃げまわり、隙をうかがい扉へ猛然と走る。
相手が鈍足であるのが幸いであった。
コウガは用心深さを追求する間もなく扉を蹴り開け、廊下へ飛び出した。扉を急いで閉め、そのまま寄りかかるようにズルズルと腰をおろす。
彼が深く息をつくころには、部屋内からの物音は消えていた。どうやら追ってはこないらしい。もう一度息を吸いこみ、ゆっくりと吐きだした。
さて、と気をとりなおして新たな状況を確認してみれば、幅のある石造りの廊下が延び、突きあたりがT字路になっていた。
「罠がなければいいけど……」
コウガの願望はすぐに裏切られた。
一歩を踏みだしてすぐに、床に微妙な凹凸が見えた。しっかりとした明かりと注意力がなければ、見過ごしたであろう。どうやら踏むと仕掛けが発動するようだ。
コウガは「めんどくさぁ」とぼやき、それを避けて慎重に進んでいった。もっともその姿は、地面に落ちているお金でもさがしている挙動不審者ようで、とても「慎重」などという形容とはかけ離れていたが。
普通に歩けば三〇秒もかからない道程に、三〇分は費やしてT字路までたどり着いた。その間に、同種の仕掛けが床や壁に合計九つあった。第二関門突破というところだろうか。
安心する余裕もなく、今度は左右の道に明かりを掲げる。どちらも同じ造りで、先は光が届かないので確認ができない。
同じに見えるならどちらも同じ。メルフィナが聞けば顔をおおって呻くであろうお気楽さで、コウガは進路を右にとった。
やはり道々にはさきほど同様の罠がいくつも存在し、コウガの歩みを鈍らせはしたが、決定的な妨げにはならなかった。あたかも普段どおり、ぼーっとあちこち眺めまわって歩いてるように見えて、実に要領よく数々のトラップを回避している。彼の特殊能力と言ってよいだろう。
そうしていくつかの分岐を繰り返して、ようやく変化が現れたのは、それから二時間がたとうとしていたころである。
二つ目の照明魔石を瓶につめ、正面の金属扉を観察する。ゼルス神聖文字がこまかく彫られており、中心部には女神の姿が黄金で装飾されていた。
自分の体重の何倍もあるであろう扉は、意外にも簡単に開いた。
危険がないとわかってから、コウガは音もなく部屋に侵入する。さほど広くはないが、それはどうも部屋に置かれた物が、部屋を視覚的に狭くしているようであった。
黒い金属でできた巨大な棺のような箱が三つ並んでいる。配置を見ればわかるのだが、もう一つ、同じ物が置けるだけの空間があった。
「頑丈にロックされてる。……これが鍵穴だとすると、あのコインがぴったり合いそうなんだけど」
三つすべての箱が四方を固められており、フタの中心に円いくぼみがある。コウガが知る由もないのだが、まさしくコックス城内に持ち込まれたモノと同種であった。
コウガは他に何かないか探り、正面の壁にプレートが埋め込まれているのを発見した。神聖文字が刻まれているようだ。
「おっと」壁のすぐ手前に、一つだけ感触の違う石床があった。下が空洞になっているのか、踏んだときの反響が高かった。落とし穴だろうか。
体重を掛けかけた右足を戻し、壁の文字を眺める。
「読めるところは……四聖、守護、歌? 歌巫女でいいのかな。これは名前だな。リ…ゼル。安らか、時……」
コウガは知っている単語だけを抜きとり、文章に復元しようとしたが、半分も解読できないのであきらめた。それでも固有名詞があったので、この遺跡が『リゼル』という者の墓所ではないかと推測した。また、名前に『ゼル』の文字が含まれているので、ゼルス文明学の常識から王家ゆかりであるともわかる。
「でもリゼルって名前、多すぎなんだよなぁ。幼名で使われたのも合わせたら、いったい何十人の候補がでることやら。……だけど、これだけの墓をつくるってことは、それだけ身分が高いはずだし、そうすると直系かな」
コウガはもう一つ、『歌巫女』と翻訳した単語に想像の翼を広げた。彼の知識に、そういった職業は入力されてはいなかった。単純な思考でいえば、『歌う巫女』であり、『巫女である以上、仕える存在』があり、その『存在』のために『歌う』のだろうか? 何の歌を? 何のために? 彼の乏しい知識と想像力は、答えを出してはくれなかった。
「まぁ、わからないものはわからないんだし、とりあえずは出口でも探しにいこうかな」
照明の魔石も三個しか残っておらず、それがつきる前に脱出法を見つけねば、二度と澄明な空を仰ぐことはない。まずは手近な分岐点から辿っていくとしよう。コウガは明かりを掲げ、部屋を出ていった。