第二章 遺産
コウガが惰眠から目覚め行動をおこしたのは、街がもっとも活気にあふれるころだった。
メルフィナを伴いやってきたのは、彼女が黒の男と出会った場所だ。
小高い位置にあるため、街が一望できた。彼女はひととき眼下の賑わいを楽しみ、それから周囲をうかがった。古い古い時代の建造物が、苔むした沈黙のなかに沈んでいた。しかし気味の悪さは感じない。草木の手入れさえされていれば、丘の上のちょっとした公園といえただろう。
ふと東を眺めてみれば、『枯れた森』が広がっていた。その名のとおり枯れ果てた木々の立ち並ぶ、死んだ世界である。気を抜くと吸いこまれていきそうな、不思議な感覚がメルフィナを襲った。
彼女はあわててかぶりを振り、不安になってコウガを呼んだ。
彼は遺跡の端に立つ、二本の柱と崩れた石壁を調べていた。柱の間からは、枯れた森が覗いている。
「なにを調べてるの?」
「んー? でっかい柱だなーと思って」
コウガは相変わらずのんびりとしている。いつ何が起きるともかぎらないのに、よくも落ち着いていられるものだ。メルフィナは感心をとおりこして呆れていた。
「んで?」
「この柱……というか遺跡全部、だいたい五〇〇年前くらいのクァンテ時代のものみたいだね」
「その根拠は?」
「柱の真ん中のふくらみと土台の彫刻、壁につくられた明かりとりの窓の形から推測」
「……その知識をもう少し活かせる職につけばいいのに」
彼女がため息をつくと、必ずもって彼は言う。
「めんどーだからいいよ」
「まぁいいけどね。それで、それがわかってどうなるの?」
コウガはめずらしく考えこんでいるようだった。「予想とちがったなぁ」と頭をかきながら、彼女にむきなおる。
「ここがてっきり、あのコインに関係してると思ったんだけど、ぜんぜん違うんだよね」
「ゼルス時代の遺跡かと思ったワケね」
コウガはうなずいて、壁に寄りかかったままズルズルと腰をおろした。今後の予定をメルフィナが尋ねると、コウガは悩み顔を忘れたようにほほえんだ。
「ああ、だいじょうぶ。そろそろ来るだろうから、ここで休んでよう」
「なにが来るの?」と反問する前に、彼女は壁を背にして剣を抜いた。
ひとつ、ふたつ……
全部で三つ。きのうと同じような気配。
遺跡の影に隠れているのは二人。残り一つは、正面に現れた。
「お出ましのようね」
「カンは鋭いようだな」
黒い魔法使いは、悠然と歩を進めた。昨夜は闇にまぎれてわからなかったが、外套の下に鎧らしき物を纏っているようで、肩や腰のあたりに形が浮かんでいた。頭部はかわらずフードとマスクで隠されたままだ。ただ、胸にさがる黒色の宝石をはめこんだ首飾りだけは、男に対する認識をやわらげさせるような温かみを感じさせた。
「そっちがコインを盗んだ男だな」
黒い宝石に目を奪われていたコウガは、ハッとした。
「さて、役者がそろったところでもう一度訊こうか。コインを渡すか、それとも死ぬか」
「どっちもゴメンだわ」
「取り引きでいいよ」
メルフィナの反発の声と、コウガの抑揚のない声が、同時に発せられた。
彼女は盗賊の言葉の意味を理解すると、鋭い視線をぶつけた。が、コウガは「今度はオレの提案にのる約束だよ」と、まったく動じない。
「……わかったわよ。どーするつもり?」
「だから、コインをわたすんだって。そのかわり条件をだす。それだけ」
「ほう」黒の男は、おもしろそうに若者を眺めやった。見るからに凡庸そうで、戦闘技術に長けているようには思えない。だが、相当のキレ者なのかも知れない。男は用心深く、彼の条件を問いただした。
「難しいことじゃないよ。メルフィナを、そっちの仲間にしてやってほしいんだ」
「……!」
メルフィナも、黒の男も――おそらく隠れている二人も――、理解不能な条件に呆気にとられた。
「だって、メルフィナはコインについて調べたいんだろ? なら、その人たちに聞くのが一番だ。オレはめんどくさいから、メルフィナが満足するまで、宿で寝てるよ」
「……いや、たしかにそーなんだけどさ。でもそれってなんか違わない?」
「え、ダメかなぁ?」コウガは正面の男に解答を求めた。
考えるまでもなく不可なのだが、自失から立ち直るのに多少の時間がかかったようだ。
「何が狙いかはしらんが、認めるわけにはいかない」
「やっぱりダメか。……それじゃ、その首飾りと交換ではどうかな?」
メルフィナは初めての光景を見た。コウガが貴金属を欲しがるなど、今までなかったのである。高価な品には思えないのだが、その方面ではまったくの素人なので、もしかするとかなり貴重なものなのかも知れない。いや、たとえ高価だとしても、それを欲しがるという姿勢が異例というべきなのだ。
「ふざけるな!」
声が意外な方向からとんできた。
隠れていた二つの影がコウガとメルフィナを挟んだ。両者ともが黒の男と似通った姿をしていたが、首飾りだけはしていない。
「族長、このようなヤカラは始末すべきです」
族長。右側の大柄なほうが、黒の魔法使いをそう呼んだ。メルフィナの頭の中で、さまざまな憶測が高速で流れていく。しかし事態は、彼女の推理を待つことなく、さらに迅く流れていくようだ。
族長は二人にさがるよう命じた。
「ですが、よりによって族長の証を欲するなど、我々には看過できませぬ」
「さがれ」ふたたび、族長の命令がとぶ。それで聞きわけたのか、不満を態度にあらわしながらも、二人は距離をおいた。
「どーも悪かったね。そんな大事なものとは思わなかったから」
コウガは内ポケットに手を伸ばし、「それじゃ、白金一枚で交換しよ」と、一同が驚くなかで、聖銀のコインを族長にむけてほうった。
「どういうつもりよ!」
メルフィナの抗議はごく当然であった。
「きのう、白金硬貨を無駄にしたって騒いでたじゃない。だからそのぶんをもらうだけだけど?」
「そうだけど、そうじゃないでしょ!」
「いいじゃない。もともとオレたちには必要ないものだし、めんどーはキライだし」
「あんたねー!」
言いあう二人に割りこむように、一枚の白金硬貨がコウガに投げられた。コウガは何気ない動作でつかまえる。
「取り引き成立とみていいのか?」
「ああ、いいよ」
数瞬の間ののち、族長は「そうか」とつぶやき、二人に背を向けた。
「待ちなさいよ! コウガは良くても、わたしは――!」
「忠告だ。今回のことは忘れて、さっさと街を出るのだな」
「勝手なこというなぁ!」
叫ぶメルフィナだが、実力行使にはでなかった。今はなによりも、相棒であるはずの彼の真意のほうが重要であった。
「真意? そんなものないよ。それより、あいつらを追わないの? 目的のものが手に入ったら、行くトコは一つだと思うけど」
「ああ、そっかぁ。なるほどね」
メルフィナは手を叩き、遠ざかる男たちの背中を見据えた。
「がんばってね。オレはてきとーに宿で寝てるから」
あやうく脱力しかけるところを何とか持ち直し、メルフィナは三人の影を追った。
街へ消えていく彼女を眺めながら、「ここはいい風が吹くなぁ」と、コウガは目を閉じた。そんな彼の頭上を、黒い翼が旋回を続けていた。
黒装束の一人が、背後のメルフィナの存在に気づいた。
「カルカ様、あの女がついてきています」
「知っている。わたしは城へいく。お前たちは帰れ」
「ですが、あやつは如何にしますか?」
「ほうっておけ。男のほうにも監視をつけている。ジャマになるようなら始末するだけだ」
納得しきれない表情で二人はうなずいた。影が方々へ散る。
メルフィナは誰を追うべきか躊躇したが、そのまま族長のあとをついていった。こちらに気づいているのだろうが、まったく気にするそぶりもなく街の中心へ向かっている。怪しさを感じないわけではないが、手下よりも頭領を尾行するほうがおそらく正しいだろうと彼女は考えた。
小一時間ほど、彼は裏道を選んで進んだ。そのうちにコックス要塞の拠点である、領主の住む城の壁にぶつかった。
「〈昏き門よ開け〉」
カルカの言葉に感応して、身体が魔力を帯びる。それからもう一言つぶやくと、彼の姿は消えていた。
「転移魔法か……」
契約魔法でもかなりの高位のものである。魔術協会ですら、おいそれと修得させてくれる技ではない。
それはともかく、城の中に入ったのだとすれば、あの男はハイラート王国の関係者となるわけだ。あんな胡散臭い人間と、なぜ国が関わっているのだろう。だが、考えてみれば、ハイラートは軍事国家である。戦力となるものならば、人も武器もなんでも集めるであろう。たとえ武器としてつくられなかった物でも、利用できるなら利用する。それがハイラートのやり方だった。
「それじゃあの聖銀のコインも、何かの武器になるっていうのかしら」
飛躍した発想ではあるが、笑い飛ばすには怪しい要素が多すぎた。聖銀は、存在するだけで武器になりうるのだ。それを彼女は、肌身に感じて知っていた。
ますます退けなくなったわね。メルフィナは、どうにか城に入れないものか、周囲を探りはじめた。
カルカの前に、二人の人間がいる。
一人は黄金の簡易鎧をまとった大柄の男で、カルカの頭ほどもある太い腕を組み、机に脚をなげだして、猛禽のような眼光を彼に向けていた。かたわらには、小太りの中年男性が、薄笑いを浮かべていた。
「ようやく手に入ったというわけか」
鎧の男は脚を組みなおし、嘆息した。重く低い声が、部屋全体に響きわたる。
アドニア・デル・シェイカスというのが彼の名で、ハイラート王国第四兵団団長であり、コックス要塞最高責任者であり、この地方の領主である。一兵士からの叩き上げで、幸運とみずからの力量によって生きながらえ、武勲をかさねてきた男だ。指揮権を得るまでになると、特出した戦術眼と戦闘力によって味方を勝利へ導き、ハイラートに仕官して一五年目にして現在の地位につくにいたる。つい半年ほど前にも、今は亡きリトガルド国への進行で活躍した生粋の軍人である。余談ではあるが、一兵卒から将軍へ登りつめるのは、ハイラートの歴史でも類のない偉業であった。
その戦争の申し子への返事にかわって、カルカはコインをとりだし机に置いた。
目を輝かせたのは将軍ではなく、側近とおぼしき男のほうであった。
ケルビン・オーキス、コックス魔術協会一級導師である。
魔術協会とは、その名のとおり、魔法の研究・開発、術者の育成・指導を行っている機関である。大陸東部のみならず、大陸全土に存在しており、公的にはどの国にも組みしない中立の組織である。
だが実際には、他国の協会との繋がりは皆無であった。魔術協会には、研究にかかる莫大な費用と資源を補ってくれるスポンサーが必要であり、国としては、魔術が武力にも政治的にも有用であるがため研究に力を注ぎ、情報の独占をはかる。そうした両者の思惑が重なりあうがゆえ、貴重な研究データなどは他の協会に流れることはまずなく、各協会の横の繋がりは、自然、切れる。それどころか、国によっては、同都市内の協会ですら情報のやりとりはなく、スパイまでいるという。
コックス都市に限定するならば、協会が一つしかないので内紛はない。シェイカスが赴任する以前は三カ所の協会が存在したが、彼が強引に統一してしまったのである。頭首格となったのはオーキスを責任者とするコックス第三魔術協会で、彼がシェイカスにとりいって合併を行ったのだというウワサもあった。
「ほほう、これがゼルスの遺産を開く鍵ですな」
ギラギラと目を光らせ、オーキスはコインを手に取った。
「これで我がハイラートも、トゥパニアに対抗できるわけだ」
「さようです、閣下。旧リトガルドが所有していた『ゼルスの雷』がトゥパニアに奪われて以来、我がハイラートの情勢は軍事的に不利と思われておりました。ですがこれで『ゼルスの雷』に匹敵する兵器が手に入るでしょう」
「うむ」
シェイカスの笑みは複雑であった。
半年前まで、リトガルドという国がトゥパニアとハイラートに挟まれ存在していた。建国から七〇年ほどしか存続しえなかった小国は、もとはトゥパニア領の一部であった。ハイラートとトゥパニアはそれ以前から険悪で、レブラン川を越えた戦いが幾度となく繰り返されている。戦争に嫌気のさした一部民衆が、レブラン川下流の大三角州に避難し、独立を宣言した。リトガルド建国である。
当初は小さな反抗運動だとタカをくくっていたトゥパニアだが、リトガルドが発掘した遺跡により、思わぬ大事へと発展する。かつて大陸全土を支配した伝説の魔法王国ゼルスの最大級兵器の一つ、通称『ゼルスの雷』を所有したリトガルドは、トゥパニアもハイラートもまったく寄せつけない武力を有したのであった。ただの一撃で千人単位の死者を産みだす雷のまえに、軍の精鋭も数も話にはならず、トゥパニアはリトガルドの要求をのみ、国として独立を認めることとなる。
それから七〇年の間、ゼルスの遺跡からは次々と古代の秘宝・秘術が発見され、リトガルドは防備をかためつづけた。なかでも聖銀の武具をまとった特殊部隊の活躍はめざましく、少数ながら万単位の敵を相手に、連戦連勝を重ねていた。
それだけの武力を持ちながら、みずから侵略の道に進まなかったのは、建国の信念がいきづいていたからであったが、『ゼルスの雷』の射程がリトガルドを守るので手一杯であるという事情もあったかも知れない。また、いくら聖銀の特殊部隊が無敗を誇ろうと、兵士の絶対数が敵国と比して圧倒的に少なかったのも、防衛にかたむかざるを得ない要因であろう。ともかく、リトガルドは自国の平和を願い、守るためのみにその強大な武力を用いていた。そしてその平和は永久に続くと信じていた。
しかし、いつしか国は滅びる。
そして、滅びた。
「……あのときはトゥパニアにうまくのせられた。そのときの無能な要塞責任者は首を落とされたが、オレの気はすまん。ゼルスの遺産を手に入れしだい、『ゼルスの雷』など破壊してくれるわ!」
「そうですとも。それをなさるのはシェイカス将軍しかおりません」
カルカは感情を顔にも声にも出さず、二人の言葉を聞いていた。
「カルカ、明日、例のモノを開けるとする。お前も来い」
族長は一礼をした。
「これでお前も、役目が終わるか」
「おたがいにとって、良い日になることを祈っております」
「フン、殊勝なことをいう。鍵はこちらで預かるが、よいな」
カルカがもう一度うなずくと、シェイカスは手を振って彼をさがらせた。
「今後、あやつの処置は?」
扉が閉められると、オーキスは将軍に訊いた。
「従順ならばコマの一つになろうが、おそらくはそうはなるまい。以後領地におとなしくひっこむならば、それでよし。もし反逆の意志がみられれば、一族もろとも――」
先は言うまでもなかった。
将軍と導師が思考の果てでおたがいに共感を覚えたとき、緊急を知らせる鐘が城内に響きわたった。
続いて駆けこんできた当番兵は、不審者の侵入を報告した。
「城に入りこんだだと?」
「はい。賊は一人で、警備兵五名に重傷を負わせて逃亡中であります」
「この時期にネズミとは。カルカめ、何か不始末をおこしたか」
シェイカスは高級士官の召集をかけ、作戦室へ向かった。
オーキスは不安になりながら、将軍の影のようにひっそりとあとをついていった。
「うひ〜。まいったなぁ」
メルフィナは物陰に隠れ、警備兵を見送った。
カルカを追って城に潜入したものの、やはり入り方が悪かったらしい。周囲をくまなく探索したのだが、侵入できそうな隠し穴などは見つからず、かといって正面から行くわけにもいかず、彼女は最終手段をとったのだった。
「うりゃぁぁぁ!」
充分な距離をとって加速をつけ、三階建ての家よりも高い城壁を駆け登る!
一回目、加速が足りず途中で落下。
二回目、登りきれたのだが、警備兵がちらりと目についたので、石垣に手を伸ばすことなく再び落下。
三回目、コウモリが顔をかすめたため、「うきゃぁ!」と間抜けな声を出し、三たび落下。
そして四回目で、なんとか石垣の上にたどり着いたのであった。
しかし安心したのもつかの間、戦時下の要塞の厳しさを彼女は身をもって知る。
「だれだ!」
「あらら〜、これじゃ二回目の時に侵入したほうがマシだったじゃない」
ぼやきながら剣を抜き、一瞬の間に胴体を打ちつける。彼女の白い剣には刃がないので、とうぜん斬れはしない。
警備兵が倒れるのを確認もせず、メルフィナは内部へ続く道をさがした。
「そこで何をしている!」
「もう、ワラワラとぉ!」
メルフィナは石垣を飛びおり、中庭を駆けだした。
警鐘が鳴り響く。
「うひ〜。まいったなぁ」
とっさに物陰に隠れたものの、さてこれからどうしたものか。
「だいたいこんな仕事はコウガの領分じゃない。あいつは一体なにしてんのよ!」
コウガはそのころ、気持ちよさそうに寝ていた。
赤毛の青年は誰かに呼ばれたような気がして、うっすらと目を開けた。
太陽が夕日に変わろうとしている。
「ふあぁぁぁぁ……」大きくのびをして、辺りをうかがうが、誰もいないし何もない。かなたに、枯れた森が見えるくらいか。
ふと、メルフィナが感じた吸い込まれるような畏怖が、コウガにも襲いかかった。
数瞬でそれはおさまったが、彼はメルフィナのように目を背けなかった。
脚は自然と、枯れた森へむかっていた。
誰も通らないと思われた森までの道のりは、だが頻繁につかわれている証を残していた。馬や人が行き来している痕を、荒野のなかに刻んでいる。
ポケットから乾パンをとりだし、無意識に口へ投げこむ。口を動かすことで、頭も普段どおりに冴えてきた。
「なーにがあるのかなぁ」
ノロノロと歩くこと三〇分、森の入り口にたどり着いた。白木の森かと思っていたのだが、どうやら変色した、ちがう種類の木々のようだ。葉もなく花もなく、実もなく生命力もない、死んだ木々の墓場であった。
コウガはしばし考えこんだが、「まぁ、行ってみるか」と森へ足を踏みいれた。
「……なんだろ、今の?」
違和感がコウガをとらえ、疑問を口にしてみる。けれど答える者はない。
彼は腰につけていた黒い革手袋を左手にはめた。ところどころ金属で補強されており、甲の部分には赤と黄色の二つの宝石がはめられている。その脇にはもうひとつ、同じ大きさの石が入るであろうくぼみがあった。
バンドをとめて、指を動かしてみる。指の部分には革がないので、コウガにとっては自由が利くのが嬉しい。
生い茂る葉がないために、陽の光はさえぎられることなく森を照らす。
周囲を注意深く観察しながら、中心部へむけてまっすぐ歩くコウガは、さきほどとは異なる違和感をもった。
ああ、そうか。その正体はすぐにわかった。森に、あるべきものがないのだ。鳥のさえずりも、動物の臭いも、虫の羽音も、なにもない。
理由の知れぬため息をこぼし、彼はさらに進んだ。
突然視界がひらけ、荒野が目前にひろがる。
「……あれ?」
森の入り口であった。背後に森があり、前方に昼寝をしていた遺跡が見える。
頭をかき、もう一度森へ入っていく。
だが、一〇分もせずに、また元のところへでてきた。
「フム」コウガは腕をくんだ。単純に考えれば、結界でも張られているのだろう。侵入者を拒む魔法でもかかっているのか。問題は、「誰が、何のために」ということなのだが、そればかりは結界を張った本人に訊くしかあるまい。
「あ〜ぁもう、めんどくさぁ……」
帰って宿で寝ようかとも思ったが、コウガはめずらしく探求心に誘われていた。なにより「ヒマ」で「宿まで戻るほうが面倒」というのが、彼を能動的にさせていた。
彼は左手を掲げた。
「〈六精がひとつ。レース・イシュア〉」
金色の宝石がにわかに輝き、コウガの周囲に風が舞う。他の誰にも見えぬ、金色の風である。
「森の中心へ」
風はうなずくように揺らぐと、まっすぐ森を流れていった。あとに残る金色の道を、コウガはたどっていく。
今度は、森の入り口に戻ることはなかった。
太陽が消えかけ、闇に満月が見えはじめるころ、目的地へたどり着いた。
神殿らしき建物だった。
コウガには一目で、それがゼルス時代の物であるとわかった。精巧に組み合わされた石壁に、細かく彫られた紋様。ゼルスの信仰であった女神の彫刻と、星を語るという六本の柱。
「大きい……。王族の墓かもしれないな」
建物を一周してみる。それで気づいたのだが、風化はあるものの、奇妙に清潔感があった。端的にいえば、人の手が加えられているのだ。
コウガは明かりの魔法を封じこめた石をポケットから取り出し、点灯させた。使い捨てで、二時間くらいしか持たないのが難点ではあるが、明かりの調節が手軽なのがお気に入りである。
正面にまわり、豪壮な漆黒の扉にふれてみる。やはりコケやホコリとも無縁で、金属の光沢がまぶしい。
扉は、押せば簡単に開いた。
コウガは扉に背を預けたまま、先兵として照明の魔石を中へ投げ入れる。それから手鏡で内部を覗いた。
広さは小さな家と同じくらいはありそうだ。正面に扉があり、壁には文字や絵が彫りこまれている。ほかには柱が四本と、剣士の彫像が二体見えた。
動くものやトラップの危険性がないと判断し、コウガは慎重に一歩をふみだした。
なにも起きない。
部屋の中央に落ちている明かりを拾うと、首からさがるガラス瓶に押しこめ、あらためて部屋を一望した。
「ぜんぶ神聖文字か。解読するのに何日かかるかな」
気が遠くなったので文字を追うのをやめ、奥の扉へ向かった。
「……!」
理解できない言葉が、コウガに向かって発せられた。
「え?」手にかけた扉から離れ、視線をとばす。
「……!」
同じ音感がまた響く。
「……もしかして、番人がいたかな」
懸念は現実となって、コウガに襲いかかった。剣士の彫像が生をもち、剣を振りおろす。
間一髪で床を転がり避けたものの、彼の額には冷や汗が浮かんでいた。
「どーすっかなぁ……」
逃げるのには自信があるコウガだが、戦うことにはまったくの不慣れであった。しかも二体目も活動をはじめ、いよいよピンチは深まるばかりだった。
「こういうのはメルフィナの領分なんだけどなぁ。今頃なにしてんだろ」
ぼやくコウガに追い打ちをかけるように、入り口が音もなく閉じていく。奇しくも二人は、おたがいに不向きな仕事に直面していたのである。
城内にもぐりこんだメルフィナは、アテもなく走り回っているうちに、たくさんの人々に熱狂的な支持を得るようになっていた。ただそのファンは、手に剣を、槍を、鎚を、弓を持ち、とても好意的とは思えないほど興奮していた。
「冗談じゃないわ。しまいには城ごとつぶすわよぉ!」
熱烈歓迎を受けている彼女としては、それくらいのお礼はしてあげたい気分である。
警備兵は時間ごとに増えていき、彼女は行く手さえ困りはじめていた。
壁を蹴りつけながら敵の小隊をとびこえ、階段の手すりを駆けおり、ときには強行突破をはたしてみる。
それでも警備兵はあきらめようとはしない。
目前に、盾と槍を持つ兵士の壁が待ち受けていた。今さら引き返すことも、横道にそれることもできない状況だ。
「もう、なんだってこんなこと……!」
メルフィナは跳躍し、通路を埋めつくす兵士の頭の上を渡っていった。
後方の槍兵が、槍を突き出そうとしてるのをみてとり、またも高くジャンプする。踏み台となった男は、奇妙な悲鳴をあげて床にうずくまった。
シャンデリアに左手でぶらさがり、一度反動をつけて窓を蹴破る。
テラスにでたメルフィナは、正面にみえた尖塔の窓へ飛び移った。
驚く尖塔守備兵を剣のひと撫でで黙らせ、階段を登り、屋根にでる。
「もう来たの?」
呆れるくらい迅速な兵士の行動にうんざりしながら、メルフィナは城の屋根へうつり、一番高い場所を求めて走った。
「ここまで来れば……」城中でももっとも高い尖塔の屋根で、彼女はようやく安堵した。影に隠れれば弓で狙撃もできまい。
「さて、困ったものね。食料もそんなにないし、さすがに少し疲れたし。めんどーだから帰ろうかしら」
つぶやいて、ハッとした。コウガの悪しきクセがうつったのだろうかと、深いため息がこぼれる。
「でもこのままじゃ探索も何もあったもんじゃないし。ホントに城をつぶしちゃおうかしら」
「できるのならやってみることだな」
「だれ!」メルフィナは瞬時に剣をかまえた。
黒の男が、満月の光をあびて立っていた。わずかにフードの隙間から覗く瞳には、黄金の月とおなじ輝きが宿っている。
メルフィナは慄然とした。
「その瞳……。そうか、普通じゃないとは思ったけど――」
「そのとおり、わたしは『人間』ではない。だがそれはどうでもよいこと」
「そうね。で、あなたの目的は?」
同じ尖塔の両端に立つ二人の距離は、せいぜい大股五歩。メルフィナにとっては一瞬の間合いである。しかし彼は人間ではないのだ。どのような技を持ち、また、何を企んでいるのかを予測することすらできなかった。
「忠告したはず。これ以上の騒ぎを起こさず、さっさと立ち去れ。どうせこの街は、二日もせず消える」
「どういうこと?」
カルカは答えなかった。口にしたのは、彼女にとってより身近な事柄である。
「コウガとか言ったか? キサマの相棒はこちらの手中にある。余計な手出しはしないことだ」
メルフィナは内心でどれだけ動揺したであろうか。しかし表面には感情を見せなかった。
「……そう。でもそれこそわたしにはどうでもいいこと。どうせまだ、出会って三ヶ月も経ってないし、正直、あのマイペースさにはイライラしてたのよね」
「情が薄いのだな。さすがは『人間』といったところか」
「ンなの個人の性格の問題でしょうが。種族で縛るんじゃないわよ」
「そうだな。では話し合いは終わりだ」
「はじめっからそう来なさいって」
カルカは体内の魔力を活性化させ、メルフィナは剣を構える。
二人の間の空気が緊張に震え、はじける。
ついで第三の脅威が、真下から雄叫びをあげた。
「なに?」
メルフィナの注意が下に向けられたせつな――
「〈黒き刃〉!」
「しまっ――!」ハッとしたときには、カルカの闇色の弾丸が、メルフィナの胸に五発撃ちこまれていた。
メルフィナは後方へはじかれ、空中に身体を泳がす。
(やばぁ、やっちゃった……)
あまりにもスローに、物事が映っていた。墜ちていく感覚というのは、加速をつけて不快感を増していく。
真下から、火の手がみえる。魔力の塊を感じる。血の臭いが漂う。絶叫が響く。
まったく、ロクなことがない。コウガの言うとおりだ。あんなコインに関わるんじゃなかった。
「――なんて、浸ってる場合かぁ!」
メルフィナは空中で体勢を戻し、剣を尖塔の壁に突き刺した。両腕に加重がかかり、肩の骨が抜けそうになる。剣はそのまま壁を削り、二秒半で停止した。
メルフィナはふぅと一息つき、左下のテラスへ飛び降りた。
あとを追うように、カルカが降り立つ。
「キサマ、不死身か?」
「ンなわけないでしょう。鎧がなきゃ死んでるわよ」
「なるほど、よほどのシロモノだな」
「まぁね。世界にたった一つのわたし専用の鎧だもの。……で、あれがあんたの言う街を消すシロモノ?」
「そうだ」
城の中庭に、身長が大人の倍以上はある、巨大なトカゲのような化け物がいた。真上からは、二足歩行するトカゲの身体に、白い鳥の翼が生えているように見える。だがそれはメルフィナの視点であって、実際に化け物をとりかこむ兵士たちは、まず相手の外見から感じる恐怖と立ち向かわなければならなかった。人間の女性の身体を基本に、白い翼と爬虫類の尻尾を持っている。頭部は人間のものと思われるが、口もと以外は真っ白な仮面をつけているので素顔はわからなかった。もしかすると、仮面のように見えるものが、素顔ということもありえるだろう。グレストキアでは『トカゲ人間』と呼ばれる種族が広く知られているが、そちらが人間型のトカゲという体型を持つに対して、こちらは前面が人間で、背面が白い翼を生やしたトカゲである。
彼女(?)は両手に握られた戦斧で、次々と兵士をなぎ倒していた。ときに咆吼し、ときに翼を羽ばたかせ、ときに兵の身体をかみ砕く。メルフィナというネズミを追いかけまわしていたときの勢いなど、警備兵にはもうなかった。ネズミ退治から悪魔退治へと、事態は急展開を見せたのであった。
「あれはいったいなに?」
メルフィナが問いかける合間にも、勇敢だが無謀な兵士が二人、太い尻尾になぎ払われて頭部を粉砕された。
「『守り手』。正しく制御するか、周囲に生物が消えるか、どちらかを満たすまで止まることはない」
「フン。あんな化け物、殺せば終わりよ」
「さて、できるものかな?」
カルカの笑みは、メルフィナのカンに障った。